#6 お姫様の宿命かもしれない
ロード・トゥ・イスタ──。
ネット配信限定のオンラインゲームで、メインシナリオクリア後に遊べる追加要素の『ギルド機能』が人気を呼び、今や世界でこのゲームを知らない者はいないのではとまで言われている大ヒットゲーム。
討伐クエストは勿論、イスタと呼ばれる追加精霊を集めたり、アイテムや武器、防具なんかもメインシナリオでは入手不可な物が多数存在して、しかもその武器はメインシナリオ周回にも持ち越せる。つまり、強くてニューゲームならぬ、『最強でニューゲーム』も可能。それが『メインシナリオがクソ』と呼ばれる所以であったりするが、それを省いても、クリア後のリアルタイムクエストは、プレイヤー同士で組み、大規模なクエストに挑んだりできるので、仲間達とチャットしながら攻略するのは、実際にその場にいるような臨場感を味わえる。
本来ならその追加要素である『ギルド』に登録して仲間を集めてクエストに挑戦するのだが、俺は他人とのコミュニケーションというやつがどうも苦手で、結果、ソロで難関クエストに挑戦していた。
何度も死んだし、何度も失敗を繰り返した。それはゲームだから許されたことで、その頃の俺は、死んでやり直すのが当然だとすら思っていた。
そもそもこの『リアルタイムクエスト』は『ソロプレイ』を想定していない。最低でも四人、多い時は一〇人連れて、ようやくクリアできるか──のような、難関クエストも存在する。
そんな難関クエストを、ソロでひたすら挑み続ける馬鹿、とてもじゃないが正気とも思えないことを、俺はひたすら繰り返してきた。──だから、余裕なんて言葉は、俺の中に存在しないはずだったんだ。
毎回苦戦、さらに苦戦。苦戦、苦戦、苦戦──。
本来なら一日かからずクリアできるクエストでさえ、俺は一日……いや、三日費やしてクリアする。こんなプレイ、効率厨からしたらとんでもないだろう。馬鹿と呼ばれても致し方ない。苦しいし、辛い。心だってなんど折れそうになっただろうか。だけど、このゲームが面白いからやめられなかった。
だが、今となっては後悔しているのかもしれない。
メインシナリオをクリアしてゲームをやめていれば、この世界に召喚されることもなく、こうして、バケツをひっくり返したような雨が降り注ぐ中、大嫌いな妨害キャラとひたすら剣を交えなきゃならない状況にはならなかっただろう。
── ── ──
「アハッ!! なぁーにそれ? 君の世界ではそんな踊りが流行ってるのかなー!?」
四方八方から振り下ろされる双剣の刃を回避するのは無理で、俺の体はボロボロ、切り傷があちらこちらにあり、傷から水滴となって、ポタリ──と、血が地面に落ちる。
「おい……いい加減に、ちゃんと剣を教えてくれ。そのために〝特訓〟を申し出たんだろ!?」
一時間ほど前、レイティアの部屋で、ダリルは俺を特訓すると言って、俺とダリルは部屋を出た。それから直ぐに街の外れにある草原地帯に足を踏み入れて、悪天候の中、俺はダリルのサンドバッグになっていた。
「それに、わざわざこんな雨の中やる必要なんて──」
「──兵士にはさ、天候なんて関係ないんだよねー。雨が降ってても、風が吹いてても、空から槍が降ってても〝出撃〟と言われたら戦わなきゃならないんだよー? だから、レオ君はこういう大雨での戦闘も、これからしなきゃならなくなるって理解してなかったのかなー?」
「……っ!!」
「だから、生半可な気持ちで僕の剣を受けてたら……死ぬよ? 僕は躊躇いなく君の心臓を貫く。首をはねる。四肢を切り裂く。……どう? ゾクゾクしちゃうでしょー? 五体満足で特訓を終えたいのなら、僕を殺すくらいの気概を持ってねー?」
扱い慣れないアスカロンで、どこまで立ち向かえるのか……いや、慣れないのはアスカロンだけじゃない。
そもそも俺には『剣を振る』なんて習慣はないし、こんな雨の中で戦うとか、アウトロー漫画じゃあるまいし、有り得ないことだった。
『英雄を英雄足らしめる──』
ダリルはそう言っていたが、この一方的な暴力が英雄に近づくための訓練なのだろうか……というか、あいつ、絶対楽しんでるだろ。
「雨で緩くなった地盤に足を取られて、その隙を突かれて死ぬ……なーんてこと、戦場では日常茶飯事だよー? ほらほらー、〝さっき見せた力〟を使ってもいいから、僕に攻撃してきなよー。じゃないと退屈で殺しちゃいそうだからさー?」
(簡単に言ってくれるなよ……あの力、どうやって発動すんのか、まだわからなねぇんだよッ!!)
ダリルはぬかるんだ地面など気にもせず、脱兎の如く突進してくる。
右手の剣を弾けば、左手の剣に体を斬られる。
左手の剣を弾けば、右手の剣が頬を掠める。
双剣って、こんなに厄介な武器だったんだな……。
だが、これまで受け続けた『経験』が徐々に体を動かし始める。
躱せなかった二撃目の斬撃を、俺はよろめきながらも躱すことができるようになった……が、そのあとに続く三撃目を躱すには、まだまだ時間が必要らしい。おかげでもう、俺のメンタルもボロボロになってきた。
早く宿屋に帰って、傷を癒したい……。
俺の頭に過ぎった『願望』が、大きな隙を作ってしまった。
「……っ!!」
俺の喉元を紙一重に突きつる剣は、あと少し前に突き出せば俺の喉を貫き、血が吹き出すだろう。
「今さ、余計なことを考えたよねー? ……マジで殺すよ?」
「す、すまん……。確かに今、俺は余計なことを考えた」
ダリルは剣を引くと、大きな溜め息を吐いた。
「別に僕はレオ君がどうなろうが知ったことじゃないんだよー? ただ、たかだか魔力結晶三〇個でも、この国の財産だから、その分くらいは働いてもらわないと割に合わないじゃーん?」
ダリルは呆れたように、右手に持つ剣の腹で、自分の肩を叩きながら、すっかり垂れ下がる髪の毛を左手で掻き上げた。
「レオ君はさ、センスはあると思うんだよねー。こんな短期間で僕の攻撃を少しでも見切れるなんて大したもんだと思うよー? でもさー……?」
突如、ダリルの後ろから泥まみれのキラーフロッグが現れ、ダリルを飲み込もうと大口を開けて飛び出してきた。
「──邪魔」
体を一回転させて、左手に持つ剣でキラーフロッグの胴体を真っ二つに切り裂いた。
キラーフロッグは確かに雑魚モンスターだ。
ダリルくらいのレベルなら、ワンパンしてもおかしくない。
しかし、今のは明らかに死角からの奇襲。
目線はずっと俺の方を向いていたし、この大雨だ──キラーフロッグの進行に気づくなんてほぼ不可能に近い。それを『気配』だけ感じ取り、一撃で仕留めるなんて芸当を、俺もできるのか……?
なんて考えたら、今の俺には絶対にできない。
(やはり強い……)
舞踏会場でやり合った時も思ったことだが、この男は強い。レベルは俺の方が上だろう。でも、この世界において、レベル差という概念は存在しないのかもしれない。全ては『経験』であり、経験を多く積んだ者が『強者』になる。
(まるで、日本と同じだな……)
日本だけではない。生きる上で、経験は必要だ。どんな経験であっても、その経験を生かせる物語が、どんどん上にいく。
なにもせず、自分の殻に閉じこもって、与えられる餌を待つ人生を送ってきた俺に、この世界を救うなんてことが本当にできるのだろうか……?
「ほい、魔力結晶」
ダリルはキラーフロッグから回収した魔力結晶を、ポイッと投げて俺に渡した。
「これで残り二十九個だねー。雑魚狩りすれば余裕で溜まるけど、僕がやったんじゃ意味ないし、僕にはそれをする理由もない。これは貸しにしとくよー?」
「……あんたに貸しを作ると、あとが怖そうだな」
「フフフッ。わかってるじゃないかー。さて、休憩もおしまいにして、続き始めるよー?」
そして、再び俺は雨と斬撃を浴びて、帰宅する頃には一歩も動けなくなっていた──。
── ── ──
宿屋に到着した俺を見たアリアージュさんは、軽く悲鳴をあげた。
「ちょ、ちょっと……レオ君!? その傷どうしたの!? あなた!! 早く来て!!」
宿屋のエントランス兼、食堂は軽くパニックになっている。
「お、おい……兄ちゃん、大丈夫か?」
見ず知らずの男だが、ここの宿泊客だろう。俺を担いで長椅子に寝かせてくれた。
「こりゃまた随分派手にやられたなぁ……」
調理場から現れたのはアーマンさんだろう。じっと俺を見て、なにか気づいたらしい。
「確かに酷い傷だが、全て急所から外れている。これは意図的にだな……レオ君、もしかして相手は双剣使いだろ?」
「さ、さすがですね……その通りです。ちょっと稽古をつけてもらったら……このザマですよ……あはは……っ」
「だ、大丈夫ですか!? 今、魔法薬を……」
「焦らなくていいぞ、モラ。母さんが今、持ってきてくれるからな。それに、命に別状はない。しかし君は、毎日こんなボロボロになって宿に戻ってくる気か?」
「も、申し訳ないです……」
「まあまあ、アーマンさん。若い剣士にゃこれくらい当然ですぜ? あんたも若い頃はそうだったんじゃないか? 俺らは別に気にしねぇから大丈夫だって」
「ああ。その通りだぜ!! 旦那ァ!!」
「よっしゃ!! この兄ちゃんの回復を願って、酒を呑むぞー!!」
「「うおおおおぉぉぉぉッ!!」」
なんだよ……あんたら、ただ呑みたいだけじゃねぇか……でも、こうやって心配してくれる人がいるってのも、悪くないな。
「さ、早くこれを飲んで!!」
アリアージュさんが持ってきた魔法薬は、昨日飲んだ魔法薬とは違い、琥珀色の液体が入っている。
「ありがとうございます……うえ、苦い……」
飲んだ瞬間、体がポカポカと暖かくなり、傷がみるみるうちに癒えていく。魔法薬って本当に万能なんだなぁ……。
「魔法薬一本一五○○Rだから、昨日のも合わせて三○○○Rだ。つけておくからな? レオ君が支払うんだぞ? いいね?」
アーマンさんは笑いながら、俺の背中を支えて起こしてくれた。
「……はい。ありがとうございます。皆さん、ご心配おかけしてすみませんでした!!」
俺は座りながら、頭だけを下げた。
「いいってことよ!! ほら、兄ちゃんも呑めや!! 快気祝いだ!!」
「馬鹿野郎!! 病み上がりに呑ませんじゃねぇよ!!」
「じゃあ、代わりにアーマンが呑めやあああぁぁぁ!!」
「お、おい!? まだ俺は料理が──」
魔王軍がすぐそこに迫っているというのに、ここは笑顔が溢れている。きっと、彼らもそれを知っていて、馬鹿騒ぎしながら忘れようとしているのかもしれない。こんなに気のいい人達を、俺は見捨てられるはずない。俺に守る力があるのなら、絶対にこの街を守ってみせる。
そう、心に決めた夜だった──。
── ── ──
翌日、昨日の雨が嘘のように晴れて気分のいい朝を迎えた俺は、リザードマンの使ってたボロボロの剣が完成しているか確認するためにローグの鍛冶屋を訪ねた。
「親方、剣の仕上がりはどんな感じっすか!?」
「朝っぱらから五月蝿ぇやつだな……完成したよ。ほら、あそこにあんだろ?」
親方が指し示す方を見てみると、そこには壁に掛けられている一本の剣があった。鍔の中心には、見覚えのある魔力結晶が丸く加工されて埋め込まれている。
「そいつのせいで俺は徹夜なんだ。少しは静かに──」
「うおおおおぉぉぉぉぉッ!! こ、これは〝ドラゴントゥース〟じゃないですか親方!!」
鞘から引き抜くと、刃から紅のオーラが迸る。それはまるで、竜の息のようだ。
「テメェなぁ……まあいいか。まさか俺もそんな代物に化けるとは思わなかったぜ。凄ぇもん拾って来やがって……俺を過労死させる気か!!」
親方をよく見ると、顔や腕に火傷の跡がある。それだけ、この剣を打つのが大変だったということだろう。
「それにしてもお前、修理代は持ってんだろうな……?」
「……で、お願いします」
「あ? なんだ?」
「──出世払いでお願いしますッ!!」
これぞジャパニーズ・土下座ッ!!
支払いはラッテが貸してくれたカードを見せればいいのだが、こういうものは自分の力で支払いたい。だが、俺には支払える金がない。でも──この剣がないと、俺はこれから先、モンスターと渡り合えない──そんな気がする。だから、せめてもも誠意をと土下座したんだが、この世界で日本式の誠意は通用するのだろうか?
「……そんなことだろうとは思ったぜ。まあ、仮にラッテちゃんからカード預かってて、そいつを見せてきたら叩き出してやろうと思ってたんだがな。わかった。これは貸しにしてやる。代金は一〇万Rだ。一銭もまけねぇから、お前も〝負けるんじゃねぇ〟ぞ」
上手いこと言ったみたいにドヤ顔してるけど、そこまで上手くないぜ……親方ッ!! でも、俺の心意気を買ってくれたのは素直に嬉しい。
「ありがとう親方ッ!!」
「……おうよ」
案外、この世界での生活も悪くないかもしれない。
俺は、少しだけそう思うようになっていた……の、だが──事件というのは前触れもなく起こり、いつだって唐突に現実を叩きつけるのだ。
バタンッ!! ──と、粗々しく親方の鍛冶屋の扉を開けたのはラッテだった。
「……おいおい、どうしたんだラッテ。いつもの澄ました顔はどうした?」
ゼェゼェと肩を揺らしながら、それでもなにかを伝えよううと口を動かしている。しかし、興奮状態に陥っているようで、なかなか声が出ていない。
「ラッテちゃん。先ずは深呼吸だ。落ち着いたらゆっくり話してくれ」
親方が嗜めるように言うと、ラッテは言われた通り深呼吸して息を整えてから、悔しそうな表情で訴えた。
「レイティア様が、何者かに誘拐されました……ッ!! レオ様、お助けください……」
「お、おい……そりゃ本当か!? だとしたら一大事だぞ、レオッ!!」
「冗談で言っているように見えるのですか!?」
「す、すまねぇ……」
親方はシュンとなってしまった。
「助けるにもなにも、それだけじゃ助けようがないだろ……詳しく説明してくれ」
「はい……」
ラッテの話はこうだ。
昨夜、いつも通りラッテが見回りを開始しようと自室から出て、レイティアの部屋に向かったラッテは、レイティアの部屋の前で倒れているラッテの部下、アサシンのメイドふたりが倒れていることに気づいた。
「ふたりに外傷はありませんでしたが、すでに事切れていました……」
これは、即死系の魔法と見て間違いはないだろう。つまり、相手は相当な魔法使い……いや、きっと魔法帝クラスの相手に違いない。しかも、争った形跡すらなかったらしく、即死系魔法を詠唱なしに発動できるほどのレベルだ。
そのふたりをその場に残して、ラッテがレイティアの部屋に突入すると、すでにそこには誰もいなくて、部屋は荒らされた形跡があったようだ。まるで、なにかを探していたのか、引き出しやタンス、アクセサリー入れまで全てひっくり返してあったらしい。
「人攫いにしちゃ、随分と手荒な真似するやつだな」
シュンとしていた親方が、いつの間に平常運転に戻っていた。
「ですが、ここで気になるのことが……ここまで荒らされていたら、物音が必ずするはずです。なのに、そんな音は一切ありませんでした……」
これはさすがにおかしい。
部屋の引き出しという引き出しをひっくり返しているのだ、物音ひとつしないなんて絶対に有り得ない。いくら、昨日の夜まで大雨が降っていたからと言って、雨音に掻き消された──なんて、有り得ないだろう。
(空間系の魔法か……? 部屋全体に〝沈黙魔法〟をかけた? そんなことできるのか……?)
しかし、そうでもしない限り物音がしないなんてことは絶対に有り得ない。
「争った形跡はなかったので、レイティア様が寝ている隙に忍び込んで、眠っているレイティア様に昏睡魔法をかけて部屋を物色した後に、部屋を荒らしたのだと私は推測しました」
状況を見ればそう判断するのが妥当だろう──しかし、直ぐに立ち去りたいはずの犯人が、見つかるリスクを背負ってそんなことするだろうか?
それとも、あの部屋には犯人が欲しがる『なにか』が隠されていた……? いずれにせよ、ただの盗賊というわけではなさそうだ。
「早朝から捜索を開始しているのですが、犯人からの要求もなく……誰がなんの目的でレイティア様を攫ったのか……」
「こいつは一大事じゃねぇかッ!?」
親方が興奮しながら、カウンターをガンッ! ……っと叩く。
「だからダリルの姿も見ないんだな……」
折角の爽やかな朝だったのに、こんな胸糞悪いことが起きるとは思っていなかったが、よくよく考えてみると、現在の国の状況を考えれば強硬手段に出るやつがいても不思議ではない。つまり、犯人は『保守派』か『過激派』の連中に絞られるのではないか?
……探偵アニメの見過ぎかもしれないけど、可能性としては大いに有り得る。
だが、犯人からの要求がないというのはいささか不自然ではないか? ここまで気リスクを背負ったんだ、自分の要求を通すために、少なからずなにかしら要求するのがセオリーだろう……。
要求を出せない状況だったらどうだろうか──?
例えば、相手の戦力とこちらの戦力があまりに差が激しい場合、今は要求を出すのではなく、籠城状態になっているとしたら? ──それはない、か。
相手には魔法帝クラスがいる。それなのに『戦力不足』なんておかしい話だろう? 魔法帝のスキル『深淵の眼』は、魔法攻撃や魔法効果を倍にする。例えば、威力二〇〇の魔法なら四〇〇になるし、バフ、デバフ効果も上がるのだ。さらには詠唱キャンセルもできる。防御力こそ低いが、相手を近づけさせない立ち回りをすれば、どんな相手にも後れを取ることはない。そんなヤバ過ぎるやつがいる時点で、とても戦力不足になる──なんてことは有り得ないだろう。
でも、俺の考察なんて妄想の域を出ない……なら、こういう時こそ俺の頭の中にある江戸川パイセンを思い出しつつ、ひとつづつ検証するしかない。
「ラッテ、今からレイティアの部屋に行くぞ」
「そこになにか手がかりでもあると……?」
「捜査の基本は現場だろ? ほら、行くぞ」
俺に急かされながら、ラッテと俺は親方のアトリエから出た──。
── ── ──
どういう、ことだ──?
親方の鍛冶屋から出て、城に進み、レイティアの部屋の扉を開けた俺は、部屋の中がいつも通り整理整頓されていることに驚きを禁じ得なかった。
犯行現場だぞ……っ!?
掃除するか……っ!?
普通……っ!?
俺が圧倒的疑問を頭の中で唱えていると、なにを勘違いしたのか、ラッテはいつもの澄まし顔でこう言い放った。
「これもメイドの務めですから」
ああ、そうだよ……。
散らかった部屋を片付けるのがメイドの仕事だよな。
そ れ を 今 日 や る の は 無 能 だ け ど な ッ !?
「馬鹿なのか……これじゃ手がかりもクソもねぇだろッ!?」
「な、なにかいけないことをしましたか……?」
もしこれがこの世界の『当たり前』だとするなら、ほとんどが未解決事件になるだろう。いや、もうすでになっている案件がありそうだ。
これは、ラッテが『従順なメイド』ゆえに起きたミスだ。やってしまったことはもう仕方がない。望みは薄いが、この部屋を探索してみよう……。
レイティアの部屋は十六畳くらいの部屋で、中庭を見渡せる大きな窓がひとつ。窓から少し離した西側の壁に、天蓋付きの豪華なベッドがひとつあり、そのベッドの左側に水差し程度の小物が置ける小さなテーブルがあり、そのテーブルにはふたつ引き出しがある。俺はその引き出しに手をかけて中を確認すると、そこにはレイティアが普段着けている小物類が入っていた。指輪、イヤリング、そういった日常的に身につけるものはここにしまい込んでいるらしい。
「なあ、ラッテ。ここのアクセサリー類で盗まれた物とかあったか?」
「いえ……この部屋は散らかっていましたが、とりわけ盗まれた物はありませんでした」
盗まれた物がないのなら、犯人はなぜこの部屋を散らかす必要があったのだろうか?
(強盗に見せかけるため……? それとも、ほかに理由があったのか……?)
俺は引き出しをそっと閉じて、反対側にある机に向かった。
机は木製。丁寧な作りで、花の彫刻が引き出し部分に彫られている。一目見れば、これが名のある家具職人が作ったのだ……と、わかるほどだ。
机の上には、羽根ペンなどの筆記用具が並べられている。普段、この机でなにを書いているのかはわからないが、机の至るところに傷があるからして、この机は相当古い。
「レイティアは普段、この机でなにをしているんだ?」
「主に勉強ですね。最近は魔法について調べているようでした」
そういえば、本棚の上に魔術書がいくつかあったな……ん?
「おい。〝召喚魔術〟が書いてあった魔術書はどうしたんだ?」
「え? それはその棚の上に……ないですね。掃除に夢中で気がつきませんせした……」
気づかなかったじゃ済まされないヤバい本だったんじゃないかと思うが……差し当たり焦ってない様子から、そこまで気にするようなことじゃないのか? ……ただ、この本がないのは犯人が持ち去った可能性が高い──犯人は英雄召喚に興味があったのだろうか? だとするとレイティアを連れ去った目的は『英雄召喚を行うこと』なのだろうか……? これだけじゃまだ証拠が足りない。他にもなにかなくなっているものはあるだろうか?
「ラッテ。他にもなくなってるものがないか探してくれ」
「かしこまりました」
ラッテが部屋の中を捜索している間、俺は先ほどの本棚の前で、並べられている本を見ていた。そういえば、どうしてレイティアは自分の背丈より高い場所にあの魔道書をわざわざ置いていたんだろう? 単純に几帳面な性格で、一度置いた場所に戻しているだけかもしれないが、それならどうして本の背丈も合わせていないのか……。几帳面な人間が、こんな風に背丈をバラバラにして並べるはずがない。俺のゲーマーとしての勘が騒ぐ──この本棚は、他に秘密がある、と。
謎解きゲームだとよくある仕掛けだが、本をずらしたり、押したりすると、隠し通路が出現したりするけど……
「……あ」
なんの気なしに手を伸ばした本を取ろうとしたら、その本がスイッチになっていたようで、本棚が壁ごと半回転して、隠し通路の入り口が現れた。
「こ、これは……おい、ラッテ。この先はどこに続いている?」
「いえ……私もこの仕掛けは知りませんでした。進んでみないとわかりませんね」
物理的に考えれば、隣の部屋が見えるはずだ──しかし、現れたこの隠し通路には隣の部屋などなく、代わりに暗闇が続いている。
「明かりをお持ちします。少々お待ちを……」
進む気満々かよ……それしか道はないか。
この道は、犯人が逃走する際に使用した可能性が高い。もし窓から飛び降りたのなら、それなりに痕跡は残流はずだ。しかし、窓から出た痕跡はない。空を飛べるのならまだしも、この世界に空を飛ぶ魔法は存在しないのだ。さらに、昨日は大雨が降っていたし、中庭に飛び降りたのなら着地の跡ができるはず。いくら落下速度を魔法で落としたって、足跡は確実に残る。こうやってひとつずつ可能性を潰していけば、自ずと答えは見えてくるもんだな。ただ、相変わらず犯人が誰なのかわからないままだが……。
一番怪しいのは、これまで何度もレイティアの部屋に足をはこんでいたアデントン公だけど、こんなことをする人物だとは到底思えない……人は見かけにらないともいうが、保守派であるアデントン公がレイティアを攫うメリットがない……なら、これまで姿を見せていない過激派の代表デュラン公の仕業か? そんな単純な事件なのか……?
「レオ様、明かりをお持ちしました」
ラッテはどこからかランタンを持ってきた。銅製のランタンで、中に眩い光を放つ石がある。
「行きましょう……一応、覚悟を決めておいたほうがよさそうですね」
アサシンとしての勘か、あるいは、女の勘というやつだろう。この先なにが起きるかわからないのなら、用心するに越したことはない。
── ── ──
湿気の多い階段をゆっくりと下りていく。俺達の足音がコツン、コツンと響き渡り、この階段がかなり奥まで続いていることが予想できる。空気は淀んでいて、カビのような臭いが立ち込めるこの暗闇の階段の奥には、一体、なにが隠されているというのだろうか?
右手を苔が生えた壁に添わせながら、転ばないように気をつけて進む。この階段は少しヌルヌルしていて、人ひとり担いで下りるのは至難の技だろう。だが、ここ以上に兵士の目をかい潜って脱出できる経路は見当たらない。
(それにしても薄気味悪い場所だな……)
アンデット系のモンスターとエンカウントしても、文句は言えない雰囲気だ。
「まだ続きそうか?」
俺の前を進むラッテに声をかけた。
「もうかなり下りたはずですが……位置的には城の地下にあたると思われます。ですが、階段はまだ続いていますね」
こんなに長い階段だ。
もしここを上ることになったらと思うと、違う意味でゾッとする。
「確認なんだが、この隠し階段の存在を知る者は、ラッテ以外だと他に誰が知ってると思う?」
「そうですね。やはり国王陛下と女王陛下、それと家臣が数人……といったところでしょうか?」
つまり、この城と深い関わりのある者は知っている──と見て、まず間違いないだろう。と、なると……平民出身のアデントン公は犯人から外してもいいか。いや、可能性がある以上、まだ容疑者から外すのは駄目だ。だが、今の話で、過激派のデュラン公が一番怪しいと、俺は睨んでいる。デュラン公は元々貴族で、この国の政治に長く携わっている人物だ。城の抜け道のひとつやふたつ知っていてもおかしくない。
「デュラン公とはどんな人物なんだ?」
「……一言で言い表すのなら、最低な男ですね。権力第一主義で、自分より地位の低い者には容赦なく、気に入らなければ暗殺も厭わない下衆な男です」
そこまで言われる男なら、レイティアを誘拐してもおかしくないが──やはり、レイティアを誘拐するメリットが見当たらない。むしろデメリットの方が大きいだろう。もしこの事件が公になれば、デュラン公の信用は底なしに下り、死罪もあり得る。権力大好き人間のデュラン公が、そこまでリスクを背負うのだろうか……?
それも、この先を進めばわかるだろう。
「……レオ様」
「ああ……。これは、水の流れる音だな」
サラサラと流れる水の音──湿気の原因はこれのようだ。
換気のできない場所だから、その湿気のせいでカビが発生したのだろう。……しかし、城の地下に水脈があるとは知らなかった。これも、ゲームでは語られていない裏設定というものだろうか?
(裏設定……か。そんなプログラム的なものじゃない。ここは……この世界はイスタの世界そのものだ。ゆえに、プログラムのように定められた出来事ではなく、リアルタイムで全てのイベントが進行する。まさに……もうひとつの〝生きている世界〟なんだな)
出口に近づくにつれて、気温もどんどん下がっていく。その冷気が、一層、場の空気を張り詰めている。額からは冷や汗がじんわりと滲み、緊張で唾が喉にへばりつく。
「そろそろ出口に着きます……レオ様、戦闘の覚悟を」
「……わかってる」
誘拐犯……つまり、相手は生身の人間。
人生で、初めての殺し合い──。
これは戦場だ──殺らなければ殺られる。
この世界にきて何度か人間と対峙したが、そのどれもが『相手の命を奪う』ような戦闘ではなかった。
今回は違う──これは正しく言葉の通り、『命の奪い合い』だ。
(これならまだリザードマンと戦ったほうがマシだよ……クソッ)
左手でドラゴントゥースを鞘から引き抜いて、右手に持ち替える。
剣って、こんなに重かったのか──。
命を奪うこの剣が、せめて世界を平和に導く刃であれ──と、俺は心の中で誰かに祈った。
「……よし、行くぞ。ラッテ」
「かしこまりました」
俺達は勢いよく階段の影から飛び出した──。
「誰もいない……?」
「そのようですね」
覚悟して飛び出したが、そこは中央に水が流れる広い水路だけで、人間の姿はない。
左右に伸びる水路……どちらに進むべきだろうか。
こういう時は、水の流れに沿って進むのがセオリーだろう。水の流れる先が出口になっている可能性が高い。反面、ここがもし山だとしたら、熊に出くわす危険もあるが、ここはそういう野生の動物が繁殖するようなところじゃない。代わりに、モンスターなら出現するかもしれないが。
ラッテも俺と同じ決断に至ったらしい。互いに目を合わせて一度頷くと、俺達は川の流れに沿って進んだ。
水路と言っても、整備された形跡はない。人為的に作られたようだが、ここの存在を知る者は少ないのか、それとも、薄気味悪がって近寄らないのか……どちらにせよ、岩肌が突起したこの地を進むのは、なかなかに骨が折れる。視界が悪いのも相俟って、思うように進むことができない。
「レオ様、大丈夫ですか?」
「なんでお前はそんなにスイスイと進めるんだよ……」
「これでもアサシンなので暗闇には慣れていますし、こういう場所を通るのも経験がありますから」
「年の功ってやつか──」
「──殺しますよ?」
「……すみません」
ラッテに年齢の話は禁句……二十五歳ってことは絶対に触れてはならないようだ。
「こんな時にあれだが……ラッテは好きなひととか、恋人はいないのか?」
「本当にこんな時にするような話ではないですが……いません。私は今も、これからもレイティア様を守る盾。恋愛にかまけている暇なんてないです」
本心で言ってる──のだろうか。
確かに言葉の中には決意めいたものを感じたが、それ以上に寂しさも感じた。
メイド長としての責務、アサシンとしての宿命、レイティアを守るという決意。立派だ、これこそ『大人』なんだろう──でも、ラッテだって人間だ。女性である以上、恋もしたいだろうし、結婚して幸せになりたいという願望だってあるはずだ。それを押し殺して日々暮らすのは、さぞ窮屈なんじゃないだろうか? それとも、こんな考え方をする俺は、まだまだ子供ということだろうか……?
「頑張れとも言わないし、その生き方を応援なんてできないけど、ラッテのことは信頼しているし、俺を頼ってくれたのは素直に嬉しい。だから、早く魔王を倒して、少しでもラッテが生きやすい世界にできるように、俺も頑張ってみる……なんてな」
ピタッ──と、ラッテの足が止まった。
「あなたは不思議な方ですね。普段は遠慮なく悪態を吐くのに……私が欲しい言葉を、そんな率直にくれるなんて……こんな一大事に」
「悪かったな。空気読めないサエナイ様で──」
クルッと俺に振り向いたラッテの顔は見えない。
ただ一筋、なにかがラッテの頬を伝って零れ落ちる──。
「レオ様。助けてください。レイティア様を──」
ぎゅっと唇を噛み締めて、そして……静かに、声にならない声で、ラッテの唇が動いた。
「私を──」
ラッテは直ぐに前を向き直して、黙って進み出した。俺は、ラッテが今しがた口にできなかったであろう言葉の意味を考えながら、先を行くラッテの後ろ姿を追った──。
【備考】
2018年8月8日──文章の修正。(改行、誤字修正など……)