#12 兄として。
街の様子を探るために、人々が一番集まる中心街へと足を運んだ。
この時間は朝市で賑わうはず……なのだが、出店している店は少ない……まるで虫喰い状態だ。店と店との隙間が広い。
(思っていた以上に、酷い状態になってるかもしれないな……)
商人が辛うじて行き来できるこの状態では、物資が足りているとは到底思えない。これでは魔族と人間の確執を広げる一方だ。道を歩く兵士が多くなっているのも感じる。この状況では過激派に票が集まり、保守派はきつい立場に立たされるだろう。とてもじゃないが、この状況をひっくり返すのは難しいぞ……。
閑古鳥が鳴きそうな市場の一角で、見覚えのある女性が必死に客の呼び込みをしていた。
(あれは……俺を散々馬鹿にした服屋のトーラか)
遠目から様子を伺っていたが、目が合ってしまった。
仕方ない、一応話しかけてみるか。
トーラはバツの悪そうな表情を浮かべながら──
「お、おはようございます……」
……と、引き攣った笑顔で俺に挨拶をして、そわそわと落ち着かない様子で指を絡めている。
「よう。……商売変えたのか?」
トーラが売っているのは手作りのアクセサリーだった。元々が服屋の店員だけあって、手先は器用なんだろう。並べられた商品は、どれも手が込んでいる。
「あれから店をクビになりまして……自分が犯した過ちを反省しつつ、今はこういうものを売ってます……」
同情はしない──俺は、こいつが嫌いだからな。
「ふぅん、そうか。ま、頑張れや」
そう言って立ち去ろうとしたのだが、先に回り込まれた。
「……なんだよ、退けよ」
「……」
「だから、邪魔だって言ってんだろ」
「私は……確かにレオさんに酷いことを言いました。そのせいで働き先を失い、友達も失い、なにもかもなくなったんです……でも、ここまでする必要があるんですか!? あなたがレイティア様と面識があるのは知ってます。そういうコネを使って私をここまで貶めて楽しいですか!?」
なにいってんだこいつ……。
こうなったのは全部自分が撒いた種だろうが……。
「あなたせいで、私は──」
「それ以上口を開いてみろ。……殺すぞ」
「……ッ!?」
「俺とレイティア様が共謀してお前を貶めた? お前に構ってるほど俺達は暇じゃねぇよ……。それに、お前が〝貶められた〟って思ってんなら、それはお前自身だよ。お前は自分で自分を貶めてんだよ。それに気づかないなら、お前は一生そのままだ……扉は自分で開かなきゃならない、誰も開けてくれないんだ」
俺はトーラの横を抜けた。
「もし、俺とレイティア様がお前を貶めたって本気で思うのなら、その時は徹底的にお前を貶めてやる。だけど……今のは単なる八つ当たりだっていうのなら、謝罪なんていらん。今、自分ができる最善を模索して、真っ当な人生を送るんだな。……じゃあな、もう二度と俺の前に現れるなよ」
後ろでトーラが地面に崩れ落ちる音がしたが、俺は振り返らない。
最低な気分だ……反吐が出る。
あいつに言った言葉は、ほとんどが俺に当てた言葉だろう。
あいつと俺は、多分……似てる。
嫌なことから逃げていた俺とソックリだ。だから、見てると余計に苛々するのかもしれない。
だから──、俺は前に進まなきゃならないんだ。
どっちが前で、どっちが後ろかもわからないこの世界で生きていくには、立ち止まっていたらなにも始まらないんだと、俺はこれまで出会ったひと達を見て思ったんだ。あのひと達が俺を見てくれている。だから、ここで屁古垂れるわけにはいかない──。
「女性を泣かせるとは、関心しないぞ?」
まるで一部始終を見ていたような口振りの、マントのフードを被った幼女……ではなく少女が俺の前に立ち塞がる。
「シュガーじゃないか。久しぶり」
「全く……お主には緊張感というものがないのか? ……元気そうじゃな」
「絶賛自己嫌悪中だけどな」
「他人に説教をする時は、自分もそれができてからにするんじゃな」
全く、その通りだ──だが、許せなかった。自分の持てる全てを使って世界を平和に導こうとしているレイティア……魔王ルネアリスを侮辱されたようで、俺はついカッとなってしまった。──でも、俺が説教できる立場じゃないことも確かだ。……人生って、本当に上手くいかないようにできてるんだな。
「……耳が痛いな」
「冗談じゃ。きっとお主とあやつにはなにか因縁があるのだろ? 本来なら儂が口を挟むことじゃない……忘れてくれ」
シュガーは手に持っている紙袋から、一本の串焼きを取り出した。
「お主には聞きたいことが山積みなんじゃ。しばし付き合え」
「別にいいけど……そろそろその口調やめていいぞ?」
「う、五月蝿い!! 黙ってついて来い!!」
「情緒不安定かよ……忙しいやつだな」
中心街から数分ばかり離れた人通りの少ない路地──と言っても、今じゃどこも人通りは少ないんだけど──そこには大きな木が生えていて、その下にはベンチが置いてある。シュガーはそのベンチに座ると、俺に向かって手招きした。……座れということらしい。
シュガーはもう何本目だかわからない肉の串焼き──側から見れば焼き鳥に似ている──を、美味しそうに食べている。
「おい、頬っぺたにタレがついてるぞ?」
シュガーの右頬についたタレを指で拭き取った。
「うわっ!? いきなりなにをする!?」
「なんだよ、折角拭いてやったってのに……それで、話ってのは記憶のことか?」
「そうじゃ……お主しか手掛かりがないのでな。……知っていることを洗いざらい吐いてもらうぞ」
シュガー出生の秘密──か、このイベントは結構泣けたシナリオだったなぁ……。
── ── ──
禁忌とも呼ばれた魔族と人間の交配──それは実験だった。
魔族を研究している組織【アルテマ】の組員によって拐われた村娘【リタ】と、淫魔である【ゼノン】は、アルテマによって強制的に交配を迫られる。元々、淫魔であるゼノンは、娘と交配を交わしたあと、手に入れた力でこの組織を滅ぼそうと企んでいたので協力的だったが、リタは普通の人間であり、頑なに拒否していた。だが、村を人質に取られているリタは、抵抗こそすれど逆らうことができない。結局、リタはゼノンと交配をするのだが、彼女の美しさと村を想う優しい心に惹かれて、次第に恋に落ちる。リタも最初は怯えていたが、ゼノンの『必ず村とお前を守る』という言葉を信じるようになり、歪ながらも、ふたりは交配を続けながら、心を通わせるようになる──しかし、そんな幸せな時間は、長くは続かなかった。
リタのお腹の中にゼノンの子供が宿った。アルテマの実験は成功したのだが、宿したのは魔族の子供、出産するにはとても人間では耐えられない痛みと魔力を消費しなければならないことを知ったゼノンは、組織に彼女の出産を止めるように説得しようとするが、アルテマ側はそれを拒否。アルテマの目的は【人間と魔族の子供が強大な魔力を持つ】ことを知っていたのだ。それは、魔族研究と魔法研究の大いに役立つ。ゼノンはリタの元へ行き、子供を殺そうとするが、リタは愛するゼノンとの間にできた子供を殺したくない──と、ゼノンに泣いて縋った。彼女は覚悟していたのだ。例え自分が死のうとも、この子だけは産みたい……それは、ふたりの愛の結晶であり、自分が生きた証拠なのだからと、死後、この子が幸せに暮らせるようにゼノンに子供を託した。
そして、その時は迫り、子供を無事に産んだ彼女は息を引き取った──。
あまりにも理不尽で、あまりにも残酷過ぎる結末。悲しみに打ち拉がれるゼノンの元へ、さらに悪魔の手が伸びる。子供を手に入れた組織は、秘密を知るゼノンを生かしておくことはしない。組織はゼノンを抹殺しようとしたが、今まで蓄えていた力──リタとの愛が育んだ壮絶なる力を持って、アルテマ本部にいる者達を全て殺し、彼は産まれたばかりの子供を抱えて外へ出た。だがしかし、アルテマという組織はゼノンが思っているよりも甘い組織ではなかった。
外には総勢一〇〇を超える魔導師や戦士達の群れ。そう、これは予想されていたことだったのだ。
外に出る前に全ての力を使ってしまったゼノンに戦う力は残されていない。無慈悲な剣が体を貫く。吹き出す青い血。視界がどんどんと暗くなっていく。遠ざかる意識の中。彼は最後まで子供……娘を守るため、振り下ろされる刃と、放たれる魔法の全てをその身を盾にして、自分の命が尽きるその瞬間まで我が子を守った──が、ふたりの愛の結晶は、アルテマの手に渡ってしまう。
「すまない、リタ……君との約束を果たせなかった……魔王様……どうか、どうかその子を……シュガーを、お守りくださ──」
彼の最後の言葉は、愛する妻と娘に向けた、父親としての、最初で最後の言葉となった……。
それから数一〇年の月日が流れる──。
アルテマ第二本部で、試験管のような魔法障壁の中で、シュガーはあれからずっと眠り続けていた。シュガーを手に入れたアルテマは著しく成果を上げるが、眠ったままのシュガーでは研究にも限度があり、次第に成果を上げられなくなる。
彼女を起こそう──。
研究者達はありとあらゆる手段を用いてシュガーを起こそうと試みた。だが、結果は全て失敗。成果を出せない研究者のひとりが、シュガーを見詰めながら呟いた。
『あの時、こいつの父親を殺さなければ、もっと簡単に成果を出せたかもしれないな』と──。
その言葉が眠り続けていた彼女の耳に届いたのか、それとも、研究員達の執念がそうさせたのか定かではないが、突然、永遠に開くことはないと思われていた彼女の瞳が開く。歓喜に包まれた研究所は、目覚めた彼女が放った魔法によって、一瞬にして灰燼と化した──アルテマ第二本部は壊滅して、二度と【アルテマ】という言葉が世に流れることはない。
自由になったシュガーが無意識のうちに目指した場所は、母親の故郷。
しかし、その故郷はすでにアルテマの手により滅ぼされたあとで、廃村となった村の一角で、彼女は本当の意味で覚醒する。
意識を取り戻した彼女だったが、自分がなぜこの場所にいるのかも、自分が何者であるかもわからない。ただ、自分の名前だけは覚えていた。その名前だけが、彼女を生きていると足らしめる唯一の証であり、手がかりだった。そして、シュガーは記憶を探すため、旅に出ることを決意する。
決意を決めた場所が、自分の命と引き換えにして産んだ母親の家とも知らずに──。
── ── ──
俺は覚えている限りをシュガーに伝えた──これが、俺の知り得るシュガーの過去だ。
いきなりこんな話をされても、受け入れることなんてできないだろう──そう思って話すのを躊躇ったけど、これまで生きてきて、手掛かりひとつ掴めなかったシュガーの気持ちを想うと、話さずにはいられなかった。
「お母さん、お父さん……もう、会えないんだ……」
「シュガー……」
きっと、いつか会えると信じていたのだろう。その希望が、彼女の望みと引き換えに潰えた瞬間だった……。
「会いたかったな……ううぅ……ああ……っ」
溢れ出る大粒の涙は、悲しみが形となって表れているかのようで、そんなシュガーにどんな言葉をかければいいのか、俺にはわからない。ぐしゃぐしゃな顔で泣きじゃくる彼女の肩を抱き寄せて、落ち着くまでそうしてやることしかできなかった。
「いやだぁ……お母さんっ……お父さんっ……会いたかったよぉ……っ!! どうして死んじゃったの!! 会いたい、会いたいよぉ……うわぁぁぁぁっ!!」
「そうだな、会いたかったよな……」
気づいたらひとりぼっちで、両親の顔も覚えていない。母親の優しさも、父親の逞しさも、シュガーは生涯知ることができないんだ……そんな彼女にはどんな慰めも皆無だろう。
だったら、俺がこいつの家族になってやればいい──なんて、そんな甘い考えが通じるかわからないが、家族の温もりを教えてやれるのは、シュガーの秘密を知っている俺しかいない──拒否られたら、その時はその時だ。ここで言葉をかけなきゃ、男じゃないよなッ!!
主人公特性よ、どうか俺に、拒否られても耐えられる勇気を──ッ!!
「なあ、シュガー」
「……」
言葉を発することができないほど、失意のドン底にいるシュガーを強く抱き締める。
「い、嫌なら断ってくれて構わないんだけどざ……その、えっと……」
「……?」
くっそ……こういう時って、物語の主人公なら動揺しないでサラッと言うのに……俺は本当に残念なやつだよ……ったく。
「お、お前が嫌じゃなきゃ……俺と家族にならないか……?」
言った!! 言ってやった!! よくやった俺ッ!!
まあ、断られたらそこで終わるんだけどな……ははは……はぁ。
「家族……?」
「あ、ああ。そうだ、家族だ。お前に家族の温もりってやつを教えてやる。まあ、俺なんかじゃ役不足かもしれないけどさ……兄貴でもいいし、なんなら俺が弟でもいいぞ?」
「……ふふっ。慰めの言葉にしては、随分と酷い慰めの言葉じゃな……」
「……だ、だよな。やっぱ、俺じゃ無理か」
撃沈……圧倒的撃沈……。
そりゃそうだ。だって、俺とシュガーはほぼ初対面で、そんな相手に『家族になってやる』って言われたら普通どう思うよ? 『キモい、バカ死ね』って思うだろ? ……妹よ、俺は一応お前の兄なんだが? ──いかんいかん、つい昔のことを思い出してしまった……。
「まあしかし……少し落ち着けた。ありがとう……兄様」
「へ? い、今……なんて……?」
「て、提案してきたのはそっちであろう!? それとも、今になって〝やっぱりやめた〟とでも言うつもりか!?」
「そんなこと言わねぇよ!! 男に二言はねぇッ!!」
しかし、三言はあるかもしれないけどな!! ──自分で言うのもアレだが、それはかなりかっこ悪いぞ……。
「儂……私が、家族の温もりを知るまで……その、よろしく頼む……兄様」
「別に、そんな規制作んなくてもいいぞ。俺がこの世界にいる限り、お前は俺の妹でいいんだ」
「そ、そうか……? でも、兄様は物好きじゃな……厄介者の妹を欲しがるなんて」
「そんなことねぇよ。あまり大きな声じゃ言えねぇけど、俺は人間の知り合いより、魔族の知り合いのほうが多いまであるからな?」
なんなら俺の部屋にモンスターがいるとか、そこまではこんな場所で言うことはできない。どこで誰が聞いてるかわからないからな。
「そうなのか……え? 魔族の知り合いって?」
「俺も色々と苦労してるんだよ……いいやほんとマジで」
おそらくだが、この世界で一度死んでから生き返ったのは、俺とミゲイルさんだけだろう。
しかし──勢いだけでシュガーの『兄様』 になったはいいが、これからどう接していいのか……いまいち距離感が掴めないな。元の世界においても、俺は『兄』だったが、兄貴スキルはそこまで高くない。大見得切ってみて難だが、兄貴ってどうすればいいんだ? 一般的な家庭のヒエラルキーでは、父、母と続き、三番目の序列になるけど、俺の場合を照らし合わせると……悲しくなるからやめだ。
「……して、兄様よ。これからなにを?」
「そうだなぁ……」
色々と調べたいことがあるんだけど、連れ回すわけにもいかないか……?
半魔族はこの世界で認知こそされているが、実際に見たことがあると言うものは極少数で、【魔族】という言葉が先走り、【恐怖の対象】となっている。そう考えると、かつて人間だったミゲイルさんとその相棒であるレイナードは懐の深い人物だったようだ。ミゲイルさんが言うに、レイナードはいいやつらしいし……協力者を求めるならレイナードを探すというのも手かもしれない……捕まってなければの話だが。元々、あの事件は狂言誘拐で、こうしてシュガーが当たり前のように街中を歩いていることから察すれば、レイティアがどうにかして誤魔化したのだろう。つまり、この街にレイナードがいれば、その内、俺の噂を聞きつけて来る……とか、そう単純な考えじゃ駄目か?
そんなことを黙考していると、シュガーが徐に俺の前に立った。
「兄様が忙しいなら、儂……私はどこかで暇を潰すぞ? ……半魔族が一緒にいては、調べ物もまともにできんじゃろ?」
精一杯の笑顔を向けているが、多分……今、シュガーをひとりにしてはいけないだろう。気持ちの整理だってできてないだろうし、それ以上に、妹を放置して行くなんて兄として失格だ。
「無理すんなよ。妹なんだから甘えてもいいんだぞ? さあ、ほら!! 妹らしく俺の胸に抱きついて来い!!」
なーんて、な。
「……っ!?」
こういう場合、何言ってるんだとどやされるものだと思っていたんだが……。
シュガーはなにも言わずに、俺の胸に飛びついてきた。
「シュガー?」
「……少しでいいから、こうさせて欲しい」
「……わかった」
戸惑いもあっただろうし、シュガー自身もどうしていいのかわからないんだろう。ただ、俺の腕の中で声を殺して泣いている表情を、俺はいつまでも忘れることなんてできそうにない──。
不器用な俺と、不器用なこいつが【本当の意味】で【兄弟】になるには、まだまだ時間が足りない。これから俺は、兄である前にひとりの男として、こいつが背負う悲しみと苦しみを溶かさなきゃならないんだ。俺にそんな大役がこなせるのかわからないけど、いつの日か、こいつが笑って暮らせるような世界に連れていってやらなきゃな。
そのための一歩が、魔族との【和平交渉】だ──。
家族を守るってどういうことなのか、俺にはまだ到底理解できない。そう考えると、俺はとてつもなく両親に迷惑をかけていたんだろう……と、ここにきてようやく理解できた気がする。
両親と引き裂かれたシュガー、両親に見放された俺──似ているようで全然違う俺達。
学ばなければならないことも多いだろうけど、俺はもうあの頃の俺じゃない。
英雄として召喚されたのなら、英雄らしくならないとな。
兄としてシュガーを受け入れるなら、兄として愛情を注いでやろう。
どれだけ覚悟したって、覚悟し足りないほど覚悟しなければならないことが多い。
それが人生……社会ってやつなんだと、俺はその厳しさを噛み締めた……。





