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ぽぱぴぷぺ

 気を失ってから、寝心地の悪さよりもわき腹の痛みによって俺は目を覚ました。

辺りを見回すと、棚に詰められた菓子やロッカーの隅に置かれた丸い掃除機。

業務用のゴミ箱に奥の方にはパソコンが置かれている。

朦朧とする意識の中で、俺の体を毛布の様にして包む段ボールを見て察するに、どうやら俺はスタッフルームの壁を背にして眠っていたようだ。

俺は取りあえず起きようと体を動かそうとするが、わき腹に鋭い痛みが走る。

俺は苦悶の表情を浮かべながらも、その痛みの正体と原因に気付き、立ち上がるのを躊躇った。

自らが犯した失態にこれから受けるであろう罰。

徐々に意識を取り戻し明確になっていく記憶。

今まで味わった事のない程の不安が俺を溺れさせる。

(どうしよう、本当に気が気でなくなりそうだ)

恐怖に胸の鼓動が高鳴り、俺の心境は跼蹐(きょくせき)していた。

そんな時だった。

――ピピピッ。――ピピピッ。

 パソコンの隣に置かれている電話機が鳴った。

「ひっ!!?」

 スタッフルームの全体に響く電子音に、俺は驚く。

甲高い電子の音色が部屋を埋め尽くす中、頭が真っ白になった俺は、ただ、だだ、鳴り止まない電話機を見つめていた。

しかし、呆然としながらもどうしても脳裏に過る「電話に出るか否かという」迷い。

俺はわき腹を摩りながらゆっくりと立ち上がり、鳴り続ける電話機に向かい眉を(ひそ)め首を傾げる。

だが、そうこうしてる内にとスタッフルームの外から聞こえた靴音。

かつかつかつと歩く歩数の速さからして、足早であるのが分かる。

「やはり、電話に出た方がいいのだろうか」

このまま電話に出ずに、他の人が受話器を取るのを待っていたら「何で電話に出ないの?」と問い詰められてしまう。

しかし、電話に出たところで対応なんて無理に決まっている。

余計な仕事を増やして怒られるかもしれない。

(どうする)

 ――かつかつかつ。

間もない時間に迫られる決断。

「くっ」

 立ち上がる際に落ちた段ボールを拾いあげ、再び床に座り、それを胸に被せて目を閉じた。俺はそう決断した。

もうこの状況を回避するには、気づかぬ振りして寝て誤魔化すしかない。

汚いとは思うが、電話に出る以外の打開策はこれしかないんだ。

対応も出来ないし、何もできない。

八方塞の俺には、もうこれしかないんだ。仕方ないんだ。

自己嫌悪を拭う様にして目を食いしばり、聞こえる電子音から逃げ出した。

間もなくして、スタッフルームの扉が開く。

かつかつかつという靴音に、俺の前を横切る風と香る人の体臭。

がちゃりという電話機から受話器を取る独特のあの音が耳を通った。

「はい、はい」

俺が狸寝入りしている所から僅かな距離ではあるが、受話器に声を当て、何かを喋っているのが分かる。

流石に話の内容までは分からないが、声のトーンからして電話を取っている相手が岩本さんだという見当が付いた。

「そうですか、分かりました」

また、がちゃりという音が聞こえた。

(受話器を置いたのか。つまり話が終わったんだよな? どうする。起きるなら今か)

「うぅん」

俺はわざとらしく声を上げた。

まるで、今起きましたと言わんばかりの唸り声を。

「ん?」

 食いしばっていた目を開けると、そこには俺を見下ろす岩本さんと目があった。

「あ」

 岩本さんが俺の目覚めに気付いてから、数秒の沈黙が流れる。

 ――気まずい。

第一声に岩本さんになんて声を掛けたらいいか、全く分からない。

それに、このまま何も喋らず無言を続ける訳にもいかない。

俺はどうしていいか迷いながらも、先ずは声を出した。

「えと・・・」

 相手の思考も、相手の表情も見ないまま、俺は俯きながら弱弱しい口調でそう言った。

「あぁ、起きたんだ」

 素っ気無く、岩本さんは俺に言葉を向ける。

「あっ、はい」

「杉本君、君が起こしさっきの事なんだけど」

 鋭利な言葉という訳ではないが、胸を刺すような、悪寒がはしるような、犯人はお前だと名指しされるかのような感覚に俺の息は一瞬止まった。

「はい・・・」

震える俺の声帯、泳ぐ俺の眼球、露わになる俺の表情、額から噴出する汗、激しくなる動機。

自分の見せる一挙一動の全ては、動揺へと繋がり、それを岩本さんは顔色を変えないまま注ぐ冷ややかな眼差しが、俺の頭を混乱させる。

例えるならば、これは圧力だ。

俺に物言わさない、いや、反発や反論させないように、意思を意志薄弱へと追い込み虐げる。

言わば、一つの虐めだ。

相手は俺より権力を持ち、加わり俺は虐められても仕方ない失態を犯し、更に酷な言葉や行為を仕向けてくるだろう。

だが、術はない。

逃れる術も、考える余裕も、今は岩本さんの仕向ける物理的ではない攻撃に塞がれているからだ。

「もう、忘れていいから」

突如、肉づいた大きな岩本さんの口からとんでもないことを言われた気がした。

俺は頭を真っ白にしながら、勢いよく顔を見上げた。

「は・・・?」

 理解が出来なかった。

罵倒や嫌味や陰険な言葉の羅列が来ると思っていただけに、余りにも拍子抜けな言葉は俺を呆然とさせた。

「君が気を失ってからね、彼、もの凄く暴れてね」

 (それはそうだろうな。あんなことがあったんだから)

「商品は投げるわ、俺を蹴るわ、汚くて手が付けられないから警察まで呼ぶはめになってね。とても大変だったよ」

 見上げた顔がまた俯き沈む。

(耳が痛い、胸が痛い、思い出したくない。

悪いのは全て俺だ、そんなのは分かってる。

知っているから、聞きたくない。

そんな、分かりきったことを澄ました顔で淡々と喋らないでくれ)

「そ、そうだったんですか」

 俺は何とも言えない苦い表情を浮かべながら、声を震わしながらそう言った。

「そうだよ」

 眼前に立つ岩本さんの顔がちゃんと見れない。

やはり、謝った方がいいかもしれない。

いや、そうであるべきだ。

自分の失態の尻拭いをしてもらい、加えて場を収めてくれたんだ。

幾ら遠回しに嫌味を言われていても、俺には頭を下げて深く陳謝しなければならない気がして堪らない。

「・・・・・うっ」

 しかし、今の俺に誠意を込めて謝ることが出来るだろうか。

先程のいざこざがあった時に、俺は彼にちゃんと謝ることができなかった。

それ故に、彼の怒りを買ってしまい今に至る訳だ。

そう考えると俺は再び頭を悩ませる。

これ以上の面倒事は御免だ。

けれど、先ずは謝らなければいけないこの状況。

俺は不安を抱えながらも意を決し、拳を握り覚悟を決めた。

「えと・・・」

 視点定まらず目を泳がしながら口を開けるが。

「杉本君」

「あっ、はい」

 俺の決めた覚悟を、岩本さんの冷たい言葉が容赦なくそれを断ち切る。

「もう来なくていいから」

「え」

 俺の意志なんて、岩本さんのその一言であっという間に砕かれていった。

「だから、忘れていいよ。今までお疲れ。あっ、杉本君はもう帰っていいよ。俺は仕事まだあるから。制服は机の上にでも置いといて」

 笑いながらそう言う岩本さんの顔が、とても残酷で残忍のような気がした。

俺が目を覚ました時に怒鳴って怒らなかったのも、この一言を言う為に我慢していた訳だ。

「じゃ」

 そう言いながら、スタッフルームから岩本さんが出ていくのを俺は黙って見詰めていた。

一人取り残されたスタッフルームの中で俺は、強く自分の膝の上を叩いた。

こんな扱いを受けるくらいなら、思い切り怒られた方がずっとましだ。

まるで胸が空っぽになるような虚無感に苛立つ心中。俺は唇を噛みしめながらも立ち上がった。

「くぅ」

 ずきりとわき腹に痛みが走る。

俺はその痛みを奥歯で噛みしめながら無視して、制服のファスナーに手を掛けた。

「ムカつく」

 従業員用の制服を脱ぎながら、俺は腹立たしさと戦っていた。

もし、この怒りを露わにしていいなら近くにあるそこのゴミ箱を力一杯蹴ってやるのに、そういう訳にも行かない。

きっと、岩本さんはこういうことを見越していたのだろう。

「くそっ!! 本当に趣味が悪いっての!!」

 一人、自分のロッカーに向かって怒鳴り、力強く荒々しく扉を閉めた。

 趣味は悪いし意地悪で陰険だ。

しかし、一番腹が立つのは俺が怒れる立場ではないということだ。

(こうなっても仕方がない)

 幾ら分かっていても、こうも仕向けられるとどうしても腹が立つ。

怒りの矛先をどこにも向けれず、当たる場所も無く、自分の腹の中で処理をしなければならない。

納得できなくても、不服ながらも納得しなければならない。

この事態を引き起こし、この怒りと悔しさを持ってきたのは自分自身だ。

だから、俺は否が応でも納得しなければいけないんだ。

全ての元凶は俺なのだから。

「はぁ」

 折り畳んだ机の上に制服を置き、荷物を入れた鞄を肩に背負う。

「行くか・・・」

 とぼとぼと力なく、俺もスタッフルームを出た。

「あっ」

 スタッフルームの扉を開いた途端、今となれば元同僚達の目が俺に集まった。

突然と集中する好奇な視線に耐えれず、俺は足早にコンビニの自動ドアの前に立った。

背中に嫌な感覚を捕らわれながらも、自動ドアの透明な扉が開くのと同時に俺は駆け足でコンビニを後にした。


 ☆


 ――聞こえる。 

嘲笑う声が何度も何度も何度も頭の中でこだまする。

(でも、実際そうだろう)

あれだけ情けない珍事をしでかしたのだ。

一日、二日は俺の皮肉と愚痴で話題が持つ筈だ。

だが、でも、しかし、分かっていても、理解していても、悔しい。

(納得なんてできない!!)

どうしようもない胸の中で憤る感情の荒波だけが、俺の手足を激しく動かし、ただ闇雲に走ることでしか俺は今を保てなかった。

「はぁはぁはぁ」

 ――走った。

何もかもがクソくらえという感情の高波を体言させながら、走り続けた。

息せき切らしながら左右の腕を交互に振り、膝を上げては降ろし、頭の中で喋る煩わしい同僚達の声をかき消そうと必死に。

今は一刻も早くコンビニを離れ家路に付きたい思い出で一杯だった。

コンビニを出て走り続けて少し、普段から時々立ち寄る「友の里公園」(とものさと)の入り口に差し掛かり、迷いなく俺は真っ暗な公園の中へと入った。

学校の授業以外で体を動かさないせいだろう。

自分の運動不足が知れる。

街灯もない暗いベンチの前で俺は走るのを止め、肩で息をしながらベンチに倒れこむ勢いで寝転んだ。

誰の眼も無いところに今は居たかった。

昼でも人が少なく立ち寄ることが多かった友の里公園が近場にあって本当によかったと思う。

家の中よりも、この瞬間だけは公園の真っ暗闇が何よりも俺を安心させた。

「はぁはぁはぁ、んんっ、はぁー」

 寝転んだ姿勢から起き上がり、滝のように流れ出る汗を袖で拭いながら俺は深呼吸を一つした。

息を整えると、胸の中の蟠りが大分取れたことに気付く。

落ち着いた。すっきりした。気分がよくなった。俺はもう一度深呼吸をして、携帯を取り出した。

「八時か・・・」

 眩い携帯の液晶画面に眉を顰めながら時間を見る。

「・・・帰るか」

 言葉にすら表せない激情を吐きだした後の俺の心の中は空虚なものだった。

憤り、胸の中の蟠り、頭の中でこだまする煩わしい元同僚達の声。

先程まで必死にそれらをかき消そうと必死だったのに、もう、どうでもよくなっていた。

真っ暗な公園のベンチの上で時間を確認する今の俺は、真っ暗な部屋の中でテレビを見て嘲笑ういつもの俺だ。

「よかった」

そう、思った。

 


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