プロローグ 筋力最大値5の異世界
鈍足更新で行きます。
「親分親分、見てくださいよ! 俺、前よりずっと速くなったでしょう!」
のっぽな子分のチャーが得意げに俺を見上げてくる。背後からついてきていた追っ手はもう随分と小さくなっていた。
盗みに入った屋敷を離れ、側の森へと入り込む。
木になった果実には顔のようなくぼみがあり、通り過ぎる人間をちらりと見るように動く。
蔦が動き、からかうように俺の頭をポスポスとつつく。
ここは俺たち盗賊団の庭みたいなもので、どう逃げれば撒けるかもとっくにわかっていた。
生い茂る葉をかきわけ奥へ奥へと逃げるうちに、追っ手の数がひとりふたりと減っていく。きっとはぐれてしまったのだろう。
こちらとしては好都合だ。
俺の後ろをそれぞれ個性的な被り物で変装した子分たちがついてくる。子分たちはせかせかと必死に腕を振り、追っ手の騎士からさらに遠ざかる。
尊敬の目を向けてくる純真少年のソージも、寡黙なチビ助のビコーも、さらに遅れてまるっこいチビのコブもついてきている。
七~十二歳くらいの子分たちがいる盗賊団。
これが俺――小山田文太郎の、新しい居場所だ。
俺は今、異世界にいる。
あれは数日前、銭湯に行ってひとっ風呂浴びたあとのこと。
牛乳の一気飲みをした俺は、キンキンに冷えた牛乳が喉を通る快感にぎゅっと目を閉じ、
目を開けると、見知らぬ大草原にいた。
何を言っているんだかわからないと思うが、俺にもよくわからない。トラックで轢かれて異世界へ行くよりは平和的だよなとあとでのんきに思ったものだ。
なにせ魔法のある中世っぽいいかにもファンタジーな世界に来たのだ。不思議現象への言い訳には困らない。
まあファンタジー世界だもんな。ですべて納得してしまうことにした。もうなにがこようといちいち驚かん。だって奇跡も魔法もあるんだよ? 否定から入るよりいっそ「おおすごいなあ」で感心していたほうが人生楽しくなると思うんだ。
異世界に来てしまった俺は、腰にタオルを巻いただけの状態でどこに行けばいいのかわからず途方にくれた。持ち物は空の牛乳瓶ひとつだけ。どうしろっていうんだって話だよな。
チートな武器や防具とか能力なんかを女神がさずけてくれれば良かったのに。
いや、服ならまだしも防具はいいや。裸アーマーは気持ち悪いし。鎧だけだなんて更なる変態化させられてなくてよかった。
グッジョブ神様。
そしてなぜいきなり変な世界へ俺をすっ飛ばしましたか。
ファッキュー神様。
そして俺は民家に近寄れば変態扱いで追われ、服も着られず異世界の変質者となってしまった。
そうこうしているうちに、いつのまにやら森で迷ってしまっていたのだ。
すっかり湯冷めした俺は、翌日ひどい風邪をひいてしまった。そして死に掛けた俺を拾ったのが盗賊の親分だったのだ。
「なんで俺、こんなことしてるんだろうなあ」
愚痴も出ようというものだ。日本ではただの貧乏大学生として風呂なしのアパートで平和に暮らしていた。友人もいて、慎ましくも楽しい生活を送っていたというのに。
それが異世界にやってきて盗賊生活をすることになろうとは。
かくして、足を怪我していた前親分に役目を押し付けられ、子分にも内緒で親分に入れ替わることになった俺は、お互いに顔も名前も明かさない秘密の盗賊団『ハイド』の親分として働くはめになったのだ。
俺はみんなに親分と呼ばれ、頭には猪の被り物をしている。顔の下半分は出ているのだが、認識阻害の魔法がかかっていてどんな顔をしているかは誰にもわからないようになっている。
こんな軽い変装で誰にもばれないとは、どこかの美少女戦士のようである。
キラキラした目で俺を見ているソージは十~十二歳くらいの子供で、でかいカブをくりぬいたものを被っている。
このカブにももちろん認識阻害の魔法がかかっている。ついでに腐らないようにする固定の魔法というのもかけてあるらしい。
実は親分である俺の被り物だけが、子分たちの顔を魔法に遮らせずに見通すことができる。
俺だけがみんなの顔を知っているが、他人はもちろん俺以外の仲間さえ顔を認識することができないようになっている。
みんなの被り物を作った前親分が認識阻害の魔法を得意としていたらしい。
親分である俺を尊敬しているようで、いつもキラキラした目で俺を見ている。
あんまり無邪気な目で見られると、偽の親分である俺としてはちょっと辛い。汚い大人が火傷しそうなほど素直で純真な少年だ。
俺の横を歩いているのは、ソージと同じくらいの歳で背の高いチャーだ。こいつはソージとは反対に人をからかうのが好きなお調子者の少年で、つまりは俺と同類である。
チャーはカエルの被り物を頭につけているのだが、俺は多分このカエルを見たことがある。
たぶん日本の薬局の前で。
ハイライトのない目で常に右を見つめるカエルは、近いところにいるとなんだかプレッシャーを感じる。ここへ来る前の作戦会議のときも、じっと俺を見続けるカエルに内心恐怖していた。
おまけにチャーは俺の左を定位置としているようで、気がつけばあのカエルが俺を見ていることが多い。振り返れば奴がいるのでいつも目が合うとひやっとする。
最後尾に後ろいるのは年少組の二人だ。猫の被り物をしたチビ助のビコーと、じゃがいもの被り物をしたコブだ。
ビコーは寡黙な少年で、気配を殺すのがとてもうまい。七~九歳くらいの年齢だと思うのだが、背が小さめなのでもしかしたらもっと下かもしれない。
黒いローブを身に纏い、猫の被り物の上からフードを被っている。
被り物が帽子にたれのついたかさばらないタイプなので、そのような装いが可能なのだ。フードの奥にちらりと見える猫耳が可愛らしい。
感情表現は下手だが、言葉少なに言いたいことはちゃんと言ってくれる。
それに結構ほめられたがりだ。頭を撫でてやると満足そうに鼻をならし、笑顔をこらえるように口をむぐむぐ動かす。
盗賊団のマスコット的な存在だ。
さて。最後にコブだが、こいつはジャガイモの被り物をしたアホだ。空気は読めないしどんくさい。いつもポカをやらかすのはこいつだ。
けれど、いつも楽しそうなところが癒されるという憎めないやつでもある。いじられ役だが子分たちの中心にもなるムードメーカー。それがコブという少年だ。
他のみんなが役割によって呼び名をつけられているというのに、コブだけはなんだかよくわからない。
しかしメンバーで唯一アイテムボックスの魔法を使えるので、仕事にはこいつがいないと始まらない。実は重要なやつなのである。
「親分、どーしたのさ?」
チャーに肘をぐいぐいと引っ張られる。俺の隣にいるチャーは腕を懸命に振り、早歩きでついてきていた。
チャーが俺のほうを向いたので、ソージがチャーのカエルと目があってギョッとしている。
「ごめんごめん。ぼーっとしてた」
「親分は余裕だね~。俺、これでも最高速度で必死についていってるくらいなのにさあ」
チャーは地面から両足を離すことなく、せかせかと俺についてくる。
チートな武器も防具も能力ももらえなかった俺だが、どうやらそんな俺よりもこの世界の人間は『持っていない』やつららしい。
そう。この世界の人間はみんな。
――走れないのだ。
一般の人々は早歩きすらできない。駆け出せない。大地を思い切り蹴ることができない。
家畜やモンスターも同様に、まったく走る姿をみかけない。草を食んでいた五十センチくらいの羊のモンスターに、柴犬サイズのオオカミのモンスターがトコトコ歩み寄ってきて尻をかじる姿をみたときは唖然とした。
尻をかじられて羊が痛そうに鳴く。歩いて逃げようとする羊の尻をオオカミが離さず、もぐもぐ口を動かしながらついていく。そしてぐるぐる回る二匹。
とても野生の厳しさを感じられない光景であった。
ちなみにこの異世界、ゲームみたいにステータスというものが見られるのだが、筋力の欄が明らかにおかしい表示になっている。
俺の場合はこうだ。
筋力:255/5
ちなみに、この世界に来て特別強くなったわけではない。
どうやら俺は、日本からやってきた人間なので筋力最大値の制限を受けなかったらしい。
見ればわかると思うが、なんとこの世界では筋力の最大値が『5』しかない。
『5』というのがどれくらいの力を指しているのかわからないが、この世界の人々はアイテムボックスや魔法袋がなければ荷物の運搬は不可能で、遠出をするにはワープ装置は必須である。
なにせ馬も走れないし、荷物も乗せられない。
最小限の荷物ならばなんとかカメが乗せてくれるけれど、人を乗せたら動けないという、筋力が衰退しまくった世界なのだ。
早歩きができるだけの子分たちが自分が速いと得意になっちゃうくらいなのだ。
おそらく百メートル走のタイムが二十秒のやつでも、ここでならヒーローになれる。
さて、話を戻すがさきほど盗みに入ったのは亜人の奴隷を買っては虐待して殺すという悪党貴族の屋敷だ。そこで雇われていた見張りが真剣な表情で追ってきたのだが。
早歩きができない彼らは。
――徒歩で追ってくるのだ。
「待て、このくせものめ!」
「待てー! 逃がさんぞー!」
などと喚きながら、すたすたと。
「この足でお前らを追い詰めてやるー!」
……徒歩で追ってくるのだ。
やる気あんのか。
そういえば、山に盗賊団の拠点があるという事実は周囲に知られているらしい。
ただ、山狩りに入った連中がすぐに疲労で倒れるため、アジトの正確な位置はいまだに知られていないし、誰一人として捕まったことがないそうだ。
もう一度振り返ってみると、チャー以外の子分たちとの距離が空いていた。追っ手はもういないようだが、念のため回り道をして帰ることにしよう。
「チャー、みんなが遅れてるからスピードを落とそう」
「ほいほーい。りょーかいっす」
仲間も引き離す自分の速さにチャーは得意になったらしい。首もとの汗をぬぐい、「いやあ、やってやりましたね」と言いながらドヤ顔したのでアイアンクローをくらわした。
だってイラっとしたんだもの。
奇声をあげるチャーを持ち上げつつ。
しかし変な世界へ来たもんだ、とひとり思うのだった。