表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

あの子

作者: 紀平 ゆきの

 

  冬



わたしが、初めてあの子に出会ったのは、

冷たい粉雪の舞う、高校の推薦入試の日だった。


理数科の試験は、面接のみ。

合否は内申点と面接で判定される。


あの日、受験番号がわたしのすぐ前だった彼女は、

わたしの顔を見て、軽く会釈をした後、

「よかった。女子がいて」と、言った。


40人1クラスの理数科は、毎年女子が極端に少ない。

わたし自身も、ひとりじゃなかったことに安堵した。


あの時のわたしは、本当に緊張していて、

「落ちたらどうしよう……」と何度も呟いていた。

「定員割れだし、きっと受かるって!」と彼女は笑った。


それから、ポケットからミニホッカイロを出し、

「あったまれば、少し落ち着くかも」と、言って、

わたしの手に握らせてくれた。


理数科の推薦枠は12名。

その年の受験生は9名。


しかし、合格者は7名だった。


後日、彼女の名前はもちろん、

わたしの名も、合格者として発表された。


春になれば、また、あの子に会える―――

わたしは4月が待ち遠しかった。




  

  高校1、2年の頃



高校でのわたしは、「異端」であった。

元々そうなりたくて受験した高校だった。


中学時代のわたしの成績を知っている人が、いないところがよかった。


勉強がしたくて進学校に行ったわけではない。

わたしはもう、親の期待に疲れていて、

勉強をサボるための高校を選んだのだった。


好きな本を読んで、好きな小説を書いていたかった。


あの子はいつも、わたしが好んで読んでいた、

ブルーバックスやハードSFに興味を示した。


とある医学サスペンスの中で論じられた、

「生命倫理」の問題について、放課後遅くまでディベートした。


中でも、わたしたちがよく話題にしたのは、

「生命」というものの定義、そして、

「生命」の始まりと終わりをどのように認識するか、であった。


その頃、TVでよく取り沙汰された、「脳死」「尊厳死」の問題。


わたしたちは、「生命」としての「終焉」と、

「生物」としての「死」が果たしてイコールであるかどうか、

という明確な答えのないテーマについて真剣に考えたりした。


「人間の命」について、彼女は時に、悲しいほど冷酷な意見を口にした。


そして、

「この判断は間違っているかもしれない、だが、それが必要な場合もある」

と結んだ。


彼女は医学部を志望していて、すでに医師としての片鱗を見せていたのだ。


わたしは一度、彼女にどうして医者になりたいのかと訊ねたことがある。

彼女は、少し考えて、「医師免許があれば、出来る事が広がるから」と答えた。





  高校3年・七夕



受験生になった頃、あの子を含む友人達3~4人で、

街の図書館へ行って、勉強する時間が多くなった。


休日は、必ずといっていいほど自然に集まっていた。


七夕が近い、初夏のことだった。

図書館のロビーに笹竹が飾られていて、

「ご自由に短冊を書いて下げてください」と、

折り紙が長方形に切って箱に入れられていた。


「お願いごと」なんて書くのが、

恥ずかしい年頃の友人達を誘って、

わたしは、率先して短冊をもらいに行った。


ある友人は、「獣医さんになりたい」と素直な夢を書き、

またある友人は、「祈国立大現役合格」と真面目に書いた。

わたしは、叶いそうもない願いごとのほうが面白いと言って、

「SF作家になりたい」と書いた。友人達は、頑張れ!、と笑った。


そして、あの子の書いた短冊はこうであった。


「世界人類が平和でありますように」


叶いそうもない、途方もない願いだった。

わたしは、何故かとても悲しくなった。

彼女は、「自分の願いはいい。自分で頑張る。」と言うのだ。


彼女の赤い、短冊は、彼女のためのものであったはずなのに。


自分がない、のではない。自分の幸せなんてどうでもいいと思っているのだ。

彼女は本気で、「みんなが笑っていられますように」と願う子だった。

そのために、自分が笑えなくても、そんなちっぽけなことは重要でないのだ。


あの子は、そんな子だった。





  高校3年・晩秋



わたしとあの子には、月経痛がひどい、という共通点があった。

鎮痛剤を分け合ったり、一緒に体育を見学したりしていた。


よく、子供を産めば月経痛なんて軽くなる。

とは言われていたものの、何となく心配で、

「一度くらいは婦人科に行くべきかな?」などと話していた。


先に、婦人科に行ったのは、わたしの方だったと思う。

問診の後は鎮痛剤が処方されただけだった。

あっけなかった、拍子抜けした、と、わたしが話した後、

彼女も、婦人科に行く決意をしたようだった。


ひどい月経痛、「月経困難症」は、大きく2つに分けられ、

「機能的月経困難症」と「器質的月経困難症」と呼ばれる。


わたしの場合は前者の「機能的月経困難症」と診断され、

子宮自体には問題はなく、言ってみれば、「体質」と片付けられた。


しかし、彼女の場合はより深刻な後者であった。

「器質的月経困難症」は子宮に関する疾患が痛みの原因である。

精密検査の結果、彼女は「子宮発育不全」ということが分かった。


彼女の生殖器官の発育は、初潮を迎えた頃の状態で止まっており、

その原因はホルモンが十分に分泌されていないか、もしくは、

ホルモンの受容体に何かしらの欠陥がある、と説明されたそうだ。


女性ホルモンが足りないだけなら、ホルモン注射などで、

子宮の発育を促進させることが出来る可能性も高い。

だが、ホルモンを受け取る側に器質的な問題があると、

治療は困難を極めるという。


妊娠することは、出来ないかもしれない、

その前に膣すら未発達だと分かった彼女には、

男性を受け入れることも出来ないかも知れないのだ。


他人事のように、そうなってるみたいね、と、

彼女は、わたしだけに話した。

口調とは裏腹に、彼女の目は赤かった。


なぜ、彼女だけが……。

そんな想いばかりが溢れた。


偽善ではなく、本当に、

代わってあげられるものなら代わってあげたかった。

わたしは、子供は欲しくなかったから。

でも、それを口に出したら、彼女は悲しむと思った。

何も、言えなかった。


その夜、おそらく初めて、わたしは、神に祈った。

「あの子に降りかかる試練より、

 もっと大きな幸せがあの子を包みますように」と。





わたしは、あの子が「好き」だったのかも知れない……。





  4度目の冬



あの子は、地元の大学の内部推薦枠から落ち、

別の国立大の推薦試験を受けることになった。


地元の医学部を志望した子は秀才であったから仕方がない。

一方、彼女は、天才だったから。

彼女なら、一般試験でも二次試験でも国立医学部に合格するだろう。

しかし、秀才の子は、内部推薦でないと落ちる可能性がある。


先生方の判断はおそらくこうだったと予想された。


彼女は、全く動じずに勉強を重ね、国立の医学部に推薦で合格した。





  あれから……



その後、あの子は医学部を卒業して多くの論文を発表し、

眼科医の権威に登りつめた。各地で講演会の講師に招かれていた。


大学を精神疾患で中退したわたしにとって、

彼女は、眩しすぎるほど活躍していた。



ひとつだけ、わたしが気がかりなことは、

「あの子は、今、幸せだろうか」

ということだけである。


きっと、あの子は、こう答えるだろう。

「たくさんの人に喜びを与えられることが、私の幸せだ」

と……。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ