あの子
冬
わたしが、初めてあの子に出会ったのは、
冷たい粉雪の舞う、高校の推薦入試の日だった。
理数科の試験は、面接のみ。
合否は内申点と面接で判定される。
あの日、受験番号がわたしのすぐ前だった彼女は、
わたしの顔を見て、軽く会釈をした後、
「よかった。女子がいて」と、言った。
40人1クラスの理数科は、毎年女子が極端に少ない。
わたし自身も、ひとりじゃなかったことに安堵した。
あの時のわたしは、本当に緊張していて、
「落ちたらどうしよう……」と何度も呟いていた。
「定員割れだし、きっと受かるって!」と彼女は笑った。
それから、ポケットからミニホッカイロを出し、
「あったまれば、少し落ち着くかも」と、言って、
わたしの手に握らせてくれた。
理数科の推薦枠は12名。
その年の受験生は9名。
しかし、合格者は7名だった。
後日、彼女の名前はもちろん、
わたしの名も、合格者として発表された。
春になれば、また、あの子に会える―――
わたしは4月が待ち遠しかった。
高校1、2年の頃
高校でのわたしは、「異端」であった。
元々そうなりたくて受験した高校だった。
中学時代のわたしの成績を知っている人が、いないところがよかった。
勉強がしたくて進学校に行ったわけではない。
わたしはもう、親の期待に疲れていて、
勉強をサボるための高校を選んだのだった。
好きな本を読んで、好きな小説を書いていたかった。
あの子はいつも、わたしが好んで読んでいた、
ブルーバックスやハードSFに興味を示した。
とある医学サスペンスの中で論じられた、
「生命倫理」の問題について、放課後遅くまでディベートした。
中でも、わたしたちがよく話題にしたのは、
「生命」というものの定義、そして、
「生命」の始まりと終わりをどのように認識するか、であった。
その頃、TVでよく取り沙汰された、「脳死」「尊厳死」の問題。
わたしたちは、「生命」としての「終焉」と、
「生物」としての「死」が果たしてイコールであるかどうか、
という明確な答えのないテーマについて真剣に考えたりした。
「人間の命」について、彼女は時に、悲しいほど冷酷な意見を口にした。
そして、
「この判断は間違っているかもしれない、だが、それが必要な場合もある」
と結んだ。
彼女は医学部を志望していて、すでに医師としての片鱗を見せていたのだ。
わたしは一度、彼女にどうして医者になりたいのかと訊ねたことがある。
彼女は、少し考えて、「医師免許があれば、出来る事が広がるから」と答えた。
高校3年・七夕
受験生になった頃、あの子を含む友人達3~4人で、
街の図書館へ行って、勉強する時間が多くなった。
休日は、必ずといっていいほど自然に集まっていた。
七夕が近い、初夏のことだった。
図書館のロビーに笹竹が飾られていて、
「ご自由に短冊を書いて下げてください」と、
折り紙が長方形に切って箱に入れられていた。
「お願いごと」なんて書くのが、
恥ずかしい年頃の友人達を誘って、
わたしは、率先して短冊をもらいに行った。
ある友人は、「獣医さんになりたい」と素直な夢を書き、
またある友人は、「祈国立大現役合格」と真面目に書いた。
わたしは、叶いそうもない願いごとのほうが面白いと言って、
「SF作家になりたい」と書いた。友人達は、頑張れ!、と笑った。
そして、あの子の書いた短冊はこうであった。
「世界人類が平和でありますように」
叶いそうもない、途方もない願いだった。
わたしは、何故かとても悲しくなった。
彼女は、「自分の願いはいい。自分で頑張る。」と言うのだ。
彼女の赤い、短冊は、彼女のためのものであったはずなのに。
自分がない、のではない。自分の幸せなんてどうでもいいと思っているのだ。
彼女は本気で、「みんなが笑っていられますように」と願う子だった。
そのために、自分が笑えなくても、そんなちっぽけなことは重要でないのだ。
あの子は、そんな子だった。
高校3年・晩秋
わたしとあの子には、月経痛がひどい、という共通点があった。
鎮痛剤を分け合ったり、一緒に体育を見学したりしていた。
よく、子供を産めば月経痛なんて軽くなる。
とは言われていたものの、何となく心配で、
「一度くらいは婦人科に行くべきかな?」などと話していた。
先に、婦人科に行ったのは、わたしの方だったと思う。
問診の後は鎮痛剤が処方されただけだった。
あっけなかった、拍子抜けした、と、わたしが話した後、
彼女も、婦人科に行く決意をしたようだった。
ひどい月経痛、「月経困難症」は、大きく2つに分けられ、
「機能的月経困難症」と「器質的月経困難症」と呼ばれる。
わたしの場合は前者の「機能的月経困難症」と診断され、
子宮自体には問題はなく、言ってみれば、「体質」と片付けられた。
しかし、彼女の場合はより深刻な後者であった。
「器質的月経困難症」は子宮に関する疾患が痛みの原因である。
精密検査の結果、彼女は「子宮発育不全」ということが分かった。
彼女の生殖器官の発育は、初潮を迎えた頃の状態で止まっており、
その原因はホルモンが十分に分泌されていないか、もしくは、
ホルモンの受容体に何かしらの欠陥がある、と説明されたそうだ。
女性ホルモンが足りないだけなら、ホルモン注射などで、
子宮の発育を促進させることが出来る可能性も高い。
だが、ホルモンを受け取る側に器質的な問題があると、
治療は困難を極めるという。
妊娠することは、出来ないかもしれない、
その前に膣すら未発達だと分かった彼女には、
男性を受け入れることも出来ないかも知れないのだ。
他人事のように、そうなってるみたいね、と、
彼女は、わたしだけに話した。
口調とは裏腹に、彼女の目は赤かった。
なぜ、彼女だけが……。
そんな想いばかりが溢れた。
偽善ではなく、本当に、
代わってあげられるものなら代わってあげたかった。
わたしは、子供は欲しくなかったから。
でも、それを口に出したら、彼女は悲しむと思った。
何も、言えなかった。
その夜、おそらく初めて、わたしは、神に祈った。
「あの子に降りかかる試練より、
もっと大きな幸せがあの子を包みますように」と。
わたしは、あの子が「好き」だったのかも知れない……。
4度目の冬
あの子は、地元の大学の内部推薦枠から落ち、
別の国立大の推薦試験を受けることになった。
地元の医学部を志望した子は秀才であったから仕方がない。
一方、彼女は、天才だったから。
彼女なら、一般試験でも二次試験でも国立医学部に合格するだろう。
しかし、秀才の子は、内部推薦でないと落ちる可能性がある。
先生方の判断はおそらくこうだったと予想された。
彼女は、全く動じずに勉強を重ね、国立の医学部に推薦で合格した。
あれから……
その後、あの子は医学部を卒業して多くの論文を発表し、
眼科医の権威に登りつめた。各地で講演会の講師に招かれていた。
大学を精神疾患で中退したわたしにとって、
彼女は、眩しすぎるほど活躍していた。
ひとつだけ、わたしが気がかりなことは、
「あの子は、今、幸せだろうか」
ということだけである。
きっと、あの子は、こう答えるだろう。
「たくさんの人に喜びを与えられることが、私の幸せだ」
と……。