3-23 接触 後編
賊との距離がさらに縮み。
いよいよドミニクの射程に入ったと思った、その時だった。
それまで散発的に放たれていた矢がピタリと止んだ。奇妙な空白が生じる。一拍おいて、一斉に矢が放たれた。いままでとは明らかに違う、統率の取れた十数本の矢が、ほぼ同じタイミングでドミニクの障壁に衝突した。次の瞬間――ドミニクの障壁が、まるで水泡のように、あっけなく砕け散った。
「ぃいっ!?」
僕は胸に痛みが走るほどの動揺を覚えた。障壁も絶対ではない。ダメージを受け続ければやがて壊れる。それは僕も知っている。だが、あんなアッサリと破られるほどヤワなものではないはずだ。そのはずなのに……。
呆然とする僕の耳に、ロジャーさんの声が届いた。
「やはりこうなったか」
それはまるで、こうなることを予見していたかのような口ぶりだった。
「……い、いまのは?」
いまだ衝撃から抜け切れていない僕は、なんとかそれだけを尋ねる。
「矢じりを特殊なものに変えたのさ」
そう言って、ロジャーさんは一本の矢を僕に渡してきた。
手元に目を落とす。
形は普通の矢だ。しかし矢じりの表面に、孔雀石を思わせるグリーンの縞模様が浮いていた。表面を指で触れると、まるで水面のように波紋が起こった。一目で普通じゃない事が分かる。
「なんですか、これ」
「そいつは『対魔法兵器』の一種だ。これをぶつけられたんだよ」
このグリーンの部分は、『魔法鉱石』とよばれる特殊な素材で出来ている。この特殊な矢をつかえば、普通の矢で攻撃するよりも、より大きなダメージを障壁に与える事ができるそうだ。魔法使いとの戦闘が日常化した現代では、こういった『対魔法兵器』が広く流通しているそうだ。
ゾッとした。こんな恐ろしいモノがあるなんて、今の今まで知らなかった。
しかし1、2本撃ったところで効果は薄い。なので先ほどのように、同じタイミングで一箇所に矢を集中させ、一気に崩壊まで追い込んだのだ。弾道が山なりを描く曲射(射角を上げて距離を稼ぐ手法)で撃てば、着弾にタイムラグが生じる。だから賊たちはその場を動かず、水平の射角で撃てる距離までドミニクをひきつけたのだ。ごく初歩的な手らしい。その罠にドミニクはまんまと嵌ったのだ。
丸裸にされた3人に、容赦のない矢が浴びせられる。
取り巻きの一人。
彼は運悪く、左の岩場側に立っていたため、矢の集中砲火を受けることになった。
たとえ頑丈な板金の鎧でも、つなぎ目が鎖鎧のため、そこを太矢で打たれたら簡単に貫かれてしまう。おまけに敵が持っているのは1,5mクラスの長弓だ。上半身に無数の矢が突き立ち、いたるところから血が噴きだす。彼は悲鳴すら上げられずに絶命した。
取り巻きのもう一人。
右の斜面側にいた彼は、とっさに機転を利かし、大盾を構えてドミニクを庇った。そのおかげでドミニクは無事だったが、しかし本人は無事とはいかなかった。盾からはみ出した足に、何本かの矢がかすった。
傷自体は大したものではなかったが、しかし、矢が普通ではなかった。
異変は、ドミニクがふたたび障壁を張り直した頃に起こった。
「ぐふっ」
突然、彼は盾をとりおとし、地べたに膝をついた。
そして四つん這いになると、顔を歪めながら嘔吐をはじめた。まるで蛇口を捻ったように大量の吐しゃ物が地面に広がる。やがて手をついて体を支えることも出来なくなり、彼は吐しゃ物の上に倒れ、足をばたつかせながら転がり出した。
喉を掻き毟り、口から泡をあふれさせ――――最後に一度、大きく脊椎を反らし、彼は事切れた。映画で毒を盛られた人間とおなじ反応だった。恐らく矢じりに即効性の猛毒が仕込んであったのだろう。
「うわ、うわあああああああああああああああ!!」
2人の死を目の当たりにしたドミニクは酷く取り乱し、狂ったように声を上げた。
そこへ再び、あの対魔法兵器の一斉射が襲いかかる。
ざっと小雨が降るような音。
接触。
しかし今度は、障壁が崩壊することはなかった。
「ギャギャギャッ」と、けたたましい音が響き、障壁の表面を、幾筋ものグリーンの線が滑走した。とっさにドミニクが障壁の厚さを増やしたことで、対魔法兵器のダメージ量を上回ったのだ。そのサイズは、最初見た時の倍ほどにまで膨らんでいた。
そのまま後退すればいいものを、ドミニクはその場を動こうとしなかった。
電柱のように足を止め、矢を弾き続けている。俯き、2つの死体に向かって、なにごとかをブツブツと言っていた。おそらく息絶えた2人を守ろうとしているのだろう。正気を失っているのは明らかだ。
「なにをしてるんだドミニク! はやく戻って来い!!」
こちらから叫ぶも、ドミニクには届かなかった。
こうして、膠着状態が出来上がった。
賊たちはいくらでも待てるだろう。しかしドミニクはそうはいかない。たとえ僕の4倍近い魔力があったとしても、魔法をバンバン使った上に、あんなサイズの障壁を維持し続けるのは、いくらなんでも負担が大きすぎる。
それほど長くは保たないだろう。
僕は部隊の責任者であるロジャーさんに、指示を仰ぐため視線を向けた。
すると鋼のような声が返ってきた。
「ドミニクが自力で戻るのを待つ」
それはつまり、見殺しにする、と言っているようなものだ。しかし異を唱える者は誰もいなかった。その判断が適切であると、全員が理解していたからだ。
任務中の冒険者の行動には、大雑把だが規律が設けられている。この規律を各隊員が守ることで、部隊が部隊としてうまく機能し、被害を抑制し、戦闘効率を向上させることができる。ドミニクがやったことは、明らかな規律違反。しかもかなり重い。ここで戻ってくるのを待つというのが、最大限の譲歩なのだ。
そしてたぶんドミニクは戻ってこない。
あいつが死ぬのをここで見ているほかなかった。
「…………くそぉ」
すぐ傍にいたマルコが、唇を噛み、悔しそうに目を伏せた。何もできない自分を責めている。そんな表情だった。
それを横目で見た瞬間――――胸の奥が「ぎゅっ」と音を立てた。
(あぁ、しまった)
僕は俯き、ベースボールキャップの奥で渋面を作った。
いまのは見るんじゃなかった。
せっかく余計な事を考えないようにしていたのに……。
しかし、もう手遅れ。僕の内側にいる灰色の狼が、目ざとく嗅ぎ付け、ニタリと口角を吊りあげた。奴は、ちゃちゃちゃと爪を鳴らして僕の背後に忍び寄り、その長い鼻を耳元に近づけてくると、そっと囁いてきた。『おい、今の見たろ? このまま黙ってやり過ごすつもりか?』
『それがお前の生き方か?』
ほら、やっぱりだめだ。
こいつは僕の扱い方を心得ている。焚きつけるのが超うまい。
心臓が鼓動をはやめ、全身の筋肉に血を循環させていく。アイドリング状態だった戦闘意識に、ふたたび火が入る。僕の事なんておかまいなしに、体が勝手に戦う準備をはじめだす。もう、見て見ぬ振りは出来そうもない。
灰色の狼が、トドメの一言を僕に言った。
漢をみせてみろ、オガミ・シンゴ。
(ああもう、わかったよ。やりゃあいいんだろ、くそっ)
僕は「はあ」とため息をつくと、頭を切り替えた。
一度目を閉じ、脳内で状況を整理。そしてプランを組み立てる。何度かシミュレーションして穴がないかをチェックし、はっきりと確信を得た後に、準備にうつった。
ボナンザのサイドバックから予備弾薬を取り出し、空いたポーチに差し込んでいく。魔法薬を2口飲み、消耗した魔力を補給。ついでに水分も。常備薬セットから解毒剤と止血帯を取り出し、ポケットに突っ込む。リュックは邪魔だからスペアの馬車に放り込んだ。軽く膝を屈伸。アキレス腱も伸ばす。
そうして準備していると、背中から声がかかった。
「何をするつもりだ?」
大方の予想はついているのだろう。勝手は許さないぞと言う威圧をこめてロジャーさんが尋ねてきた。
視線が集まるなか、僕は振り返って言った。
「ちょっと向こうまで行ってドミニクを拾ってきます」
敵は左だけじゃない。
右の斜面の奥にも潜んでいる。それに気付いたのは、つい今しがた。
なぜこんなことが分かるのか、自分でも理解できない。だがさっきの岩場の一件で、僕はこの第六感ともいうべき感覚に、ある程度の信憑性がある事を実感した。その感覚が言っている。右にもいる。気を抜くなと。
「グル、グルル」風に乗って、ニオイが運ばれてくるのだろう。ボナンザが右を向いて、しきりに唸っていた。どうやら間違いなさそうだ。
これを前提にして、作戦のプランを組み立てた。
リュッカさんに協力してもらって、二手に分かれて動く。
左から僕が接近し、ドミニクを救出。右の敵をリュッカさんが担当。
時間がないので駆け足でプランを説明する。話し終わるまで、誰も口を挟まなかった。はじめは否定的な表情を浮かべていたロジャーさんも、次第に考え込むような顔つきに変わっていた。
「このまま実行に移しますが、かまいませんか?」
「……ああ」渋々といった感じで頷く。「いいだろう。好きなようにやってみなさい」
「ありがとうございます」
と、ここで、僕の隣にいたリュッカさんが、肩をツンツンと突いてきた。
「なんですか?」
「ねぇ、ホントにあれ助けてお金になんの?」
親指でドミニクを指しながら、小首をかしげる。
「それは間違いないです」
「ふーん。ならいいけど」
ついさっき。リュッカさんを誘う時に、僕はこう言った。ドミニクを助けたら大金が手に入りますよ、と。すると彼女は二つ返事でOK。これがマルコの話だけだったら、たぶん断られていただろう。それが普通。人を動かすには必ず納得するだけの見返りがないといけない。情だけで動こうとするのは馬鹿がする事だ。だから僕は馬鹿だ。ああそうだよ悪いかよ。
ドミニクを助けると金になるのは本当だ。
それはアイザック・フリードマンの弟を助けた時に学んだことだ。
貴族は何よりも体面を重んじる。あの時、アイザックが持ってきた1000万ルーヴという大金は、ただの謝礼ではなく、フリードマン家の体面を保つための物でもあったのだ。あの時は、けっきょく受け取り拒否しちゃったんだけどね。
「バカねえ」とリュッカさん。「もらっちゃえばいいのに」
「うっさいなあ」と僕。「僕には色々とルールがあるんです」
「メンドクサイやつ」
「ほっといてください」
僕はドミニクの首に1000万以上の値札が掛かっていると見ている。もし仮に、向こうが出し渋るような素振りを見せれば、こう言ってやれば良い。あれれ、フリードマン家は1000万出してくれたのになー。へーお宅の所はそうなんだー。慌てて値をつり上げるはずだ。
今回はアイザックの時とは勝手が違う。これは人命救助じゃない。これは狩猟だ。だから獲物はきっちりと貰う。出さないなら脅してでも貰う。そんな事を目つきを険しくさせながら話していると、リュッカさんが「フフッ」と笑った。
「なんですか?」
「やっと『らしく』なってきたじゃない」そう言って、どきりとするような極上の微笑みを、僕にだけ向けてきた。「いまのアンタ、けっこう良い感じよ」
彼女からそんなことを言われたのは、もちろんこれが初めてだ。カッと頬が熱くなる。
僕は照れているのを誤魔化すように、笑みを返した。
――――それはきっと、誰かさんのおかげですよ。
段々と高揚した気分が抑えきれなくなってきた。原始的な衝動が、理性の檻の中で暴れている。それはリュッカさんも同じだったようだ。僕らは視線を絡みあわせ、確かめ合うように一度頷いた。不思議な一体感だ。とても心地良い。
すべての支度が整い、さぁ行こうとした、その時だった。
成り行きを見守るように黙っていたロジャーさんが、ここで口を開いた。
「作戦を実行する前に、2,3確認しておきたい事があるんだが」
「はあ?」出鼻をくじかれ、リュッカさんが棘だらけの視線をロジャーさんに向けた。「なによ今頃。くだらない事で水を差したいってんなら――」
「ちょ、ちょっとタンマ!」
リュッカさんが本気で何かやりかねない顔をしたので、慌てて間に入った。
「立場上、どうしてもな」
「理解しています。でも、できれば手短にお願いします」
「そのつもりだ」一呼吸おいて、ロジャーさんは続ける。「なぜリュッカを右に向かわせる必要がある? 左に向かわせた方が確実なんじゃないのか?」
あぁそのことか。
「もし右側の敵が距離をつめてきて、荷馬車と接触でもすれば、救出どころか撤退すらままならなくなります。ですから最優先で、右側の安全を確保しなければいけません。だからなんです。それに右側に何人いて、どんな武装をしているか分からない以上、新人の僕よりも、戦闘経験の豊富なリュッカさんの方が適任だと判断しました」
「うむ。そこまでちゃんと考えていたんだな」
ロジャーさんは、まるで手元の解答と照らし合わせるように2度3度頷いた。
「もうひとつ。救出側の君が、防御と攻撃をしながら前進するというのは、いささか負担が大きすぎるんじゃないのか?」
「……ええまあ」
そればっかりはどうしようもなかった。
本音を言えば人手が欲しいところだが。
「では、こうしよう。その防御役を私がするというのはどうだ?」
「え、ええ!?」
思ってもみなかった申し出に、僕は目を瞬かせた。
てっきりロジャーさんはここに残るとばかり思っていたのに。
「なんだ、こんな年寄りでは不満かね?」
「いえ、そういうわけでは……」
「時間が無いのだろう? 早く決めたまえ。この作戦の立案者は君だ」
「えっと」
急かされて視線を泳がせていると、リュッカさんと目が合った。
いい? とアイコンタクトを送ると、勝手にすれば? という視線が返ってきた。
「そちらの取り分は?」と僕。
「三等分に、のこり10%の上乗せだ」
「はあ? なんでアンタだけ多いのよ」リュッカさんが噛み付く。
「上乗せの分は、何かあった時に責任を取らされる私の権利だ。これでも良心的だと思うが、何か文句があるかね? それとも今から交渉をはじめるかな? 私は別にかまわないが、ぐずぐずしてる間に、君の友達が練った策をぶち壊すことになるぞ?」
「……」
リュッカさんはぐぬぬと口を歪ませ、「……いいわよそれで」と、くやしげに言った。
決まりだな。
「僕もそれで構いません。では、よろしくお願いします」
固く、握手を交す。その様子を隣で見ていたリュッカさんは、じとっとした視線を僕に向けると、プイッと顔を背けた。(なによ……せっかく……)蚊の鳴くような声で何か呟いている。何を拗ねているんだろう? まぁいいや。
キャップのツバを後ろにまわし、鉄仮面を装着する。
救出班が僕とロジャーさん
右側の掃討と安全確保にリュッカさん。
馬車にはマルコと、護衛にボナンザを配置。
「シンゴ、ありがとう……」
マルコが目に涙を滲ませながら言った。
「昨日言ったろ?」僕は苦笑する。「マルコの友達は、僕の友達でもあるって」
震えるマルコの肩を、僕は勇気付けるようにバシッと叩いた。
「僕に任せろ。かならず助けてきてやる」




