3-22 接触 前編
翌朝。
軽い朝食をとってから、僕らは移動を再開した。
とくにこれといったトラブルも無く、順調に行程を消化していく。この分だと、今日の夕方までには到着する予定だ。
このまま、何事もなく任務は終わるのだろう。
――――そう思いはじめた矢先の出来事だった。
時刻は昼前。
国道から地方道へと入り、しばらく移動していると、
「っ!!」
ふいに、空気が変わったと感じた。
この、首の後ろにチクチクと針が刺さるような感触には覚えがある。山賊バズの不意打ちを食らった時の、あの血の凍るような感触だ。
誰かが僕に殺気を向けている。
それも1つや2つじゃない。
五感が、さっさと戦闘準備に入れと僕を急かす。
「グルルルル」
ボナンザも異変を感じ取ったのか、背中に緊張をたぎらせて辺りを警戒していた。
僕はすばやく左右に視線を走らせ、周囲を見まわした。
――右手側。
急傾斜の上り斜面が、街道に沿うように続いている。頂上までの高さは校舎の3階ほど。斜面には木がまばらに生えているだけで、人が隠れられるような場所はない。
――左手側。
大小さまざまな岩が、重なり合うように累々と転がっている。まるで干上がった川底を思わせるような景色だ。岩の裏側や、岩陰など、いくらでも死角がある。
人が隠れているとしたら、たぶん左だろう。しかしパッと見ただけでは人影を見つけることは出来なかった。
とにかくこれ以上、部隊を前進させるのは危険だ。そう判断した僕は無線機をとった。
「今すぐ停車してください」
<どうした、何があった>とロジャーさん。
「何者かが道の先で潜伏している可能性があります」
「……っ」
無線機の向こうで息を呑むのがわかった。
<待ち伏せか?>
「まだ分かりません。ですが、安全が確認できるまで待機していてもらえますか?」
<わかった、そうしよう>
「お願いします。それで、すこし前に出てもいいですか?」
<どうするつもりだ?>
「警告して、相手の出方を窺ってみます」
<いいだろう、君に任せる。だが、くれぐれも無茶だけはするなよ>
「了解です。では」
信用してもらっているから、会話はスムーズに終わった。
スイッチを切り、僕だけ前進する。
いざという時のため、M4A1を召喚。ACOGも装着済み。タクティカルベストからマガジンを抜き、本体に差し込む。チャージングハンドルを引いて初弾を薬室に装填。安全装置も解除し、即座に対応できるようにしておく。
一歩進むごとに、悪意が見えない棘となって僕の肌を刺激する。姿は見えないが、その意思は手に取るように分かる。向こうはよほど僕らを殺したいらしい。上等だこの野郎。体からどんどん感情が抜け落ちていく。代わりに、殺意が空洞を満たしていく。
道は100m先で右にカーブしている。そのカーブ手前の岩場から、何となくだが濃い気配を感じる。理屈では説明しづらい。だが、今はこの『何となく』の感覚に従っておいた方が良さそうだ。
(この辺りで十分だな)
ボナンザを停止させ、耳を伏せさせておく。
左腕でハンドガードを握り、銃床を右肩に押し当てるようにして、安定した射撃体勢をとる。この瞬間、脳内にある最後の安全装置が外れたような気がした。
一度、 鞍のうえで深く息を吸いこみ。
そして腹の底から声を発した。
「そこに隠れている者たちに告げる! 我々は冒険者ギルド所属の輸送部隊だ! こちらに攻撃の意思は無い! いますぐ姿を見せろ!」
僕の声が、多目的ホールで叫んだように反響し、道の向こうへと吸い込まれていく。
その残響が消える前に、こう続けた。
「なお、こちらの呼びかけに応じない場合は、敵対行為と見なし、予告無く攻撃を始める! これは最後通告だ! 10秒以内に姿を見せろ!」
僕の警告に――どこかに隠れているであろう者たちは、沈黙でもって答えた。
あっそ。
じゃあ肝をつぶせよ。
僕は銃口を岩場にむけ、5,56mm弾をばら撒いた。小刻みに引き金をひく。銃口から発射炎が断続的にのび、鼓膜をつんざくような銃声がとどろく。ねずみ色の岩肌にライフル弾が着弾し、小さな石粒が大量に弾け、白い煙をあげる。狙いは適当。人に当たった感触もない。それでいい。あくまでこれは威嚇だ。
ほんの数秒でマガジン内の10発を消費。
空のマガジンを排出し、新たなマガジンを差し込む。ほんの数秒で完了。タクティカルベストのおかげで、じつにスムーズだ。そして、発砲、発砲、発砲。M4A1が吠える。空薬莢が舞う。岩が砕ける。相手の呼吸すら許さない勢いで銃撃を続ける。
さらに20発撃ち、いったん射撃を中断した。
鼓膜に、いんいんと銃声の余韻が残る。
足元には大量の空薬莢が、吸殻のように散らばっていた。
岩場から立ちのぼる粉塵が、朝靄のように立ち込めている。その向こうを、ACOG越しに睨んだ。さぁどこにいる。
銃撃を受けるというのは、たとえ弾が当たらなくとも、相当なストレスを与えるという話を聞いた事がある。すぐ近くに着弾でもすれば尚更だ。相手は、もしこれが自分の肉に当たればと勝手に想像をはじめ、体が竦みだす。
きっと岩場のどこかで、この30発のメッセージを受け取ったやつがいるはずだ。
慎重に、舐めるように、岩の一つ一つを見る。そして。
――――いた。
高さ5mほどの岩。
そのゴツゴツした岩肌が、一瞬、小さく波打ったのだ。色に境目が無いから全く気付かなかったが、『何か』が岩の一部に擬態しているのは明らかだ。
覚悟しろよトカゲ野郎。
僕は口元を歪めながら射撃を再開した。
M4A1の引き金を、岩の怪しい場所に向けて引く。立て続けに3発。着弾した瞬間、岩は砕けることなく、その奥へと吸い込まれていった。バッと血が飛び散る。当たりだ。
布のようなものが捲れ、その奥から男が姿をあらわした。
簡素な鎧を身につけた、灰色の肌に長い耳の男――――ダークエルフだ。どうやら甲冑の脇腹にライフル弾が当たったようで、押さえられた手の間からは、血がどくどくと溢れ出ていた。
レンズ越しに、男の苦悶が見てとれる。だが同情などしない。ここはそういう場所だ。『そういう場所に変えたのはこいつ等だ』。責任取れよ。
僕は躊躇なく顔の中心を撃ちぬいた。ライフル弾の前では、頭蓋骨など何の障害にもならない。血が円状に爆ぜ、ピンク色の肉片が飛び散る。いくらファンタジーの世界でも、あの怪我では生きてはいられないだろう。
一人やられたことで、向こうは作戦を変えたようだ。
岩場のいたる所から、次々と男たちが姿をあらわした。その数ざっと10人以上。全員が手に1、5mほどの長弓を持っている。あれで待ち伏せ攻撃するつもりだったのか。
何人かが、こちらに向けて弓を引こうとしている。
男たちからここまで、かるく100mは開いている。弓で狙うには問題のある距離だが、ACOGを装備したM4A1なら余裕だ。この距離ならカードの真ん中を撃ちぬく事だって出来る。有利に攻撃できるのはこちら側だ。
だが僕は、即座に攻撃をとりやめた。
「ボナンザ、退却だっ!」
手綱を引いてUターンさせ、腹を蹴って走り出した。
そのわずか数秒後。
僕のいた場所に、ひゅるひゅると音を立てて飛んできた6本の矢が突き刺さった。一瞬でも判断が遅かったら、あれのうち1本は確実に食らっていただろう。身を隠せる遮蔽物がなく、おまけに数でも負けている。一発の精度は低くとも、面で打たれたらひとたまりもない。不利なのは遥かにこちらの方だったのだ。
「岩場に沿って走れ!」
指示に従ってボナンザが走る。その後を追うように矢が地面に突きたつ。
急スピードで横に流れる景色のなか、僕はムリヤリ後ろを向いて銃を撃った。しかし揺れが激しくて、まともに狙うことができない。すぐにムダだと悟り、M4A1を放り捨て、かわりに左手を突き出してライオットシールド(障壁)を展開した。
間一髪、広げた透明な膜に、僕を殺すために放たれた矢がぶつかる。ゴインッという軽くない音。たった一発で腕が痺れる。背筋が寒くなる。こんなもの一発でも胴に当たればそれでお終いだ。
(前に出すぎていた。無用心すぎた。間抜けめ)
自責の念が頭を駆けめぐる。
この時。
障壁を維持させるのに必死で、『それ』とすれ違ったことに、僕は気付かなかった。
なんとか無事、馬車のところまで戻った僕は、
「ロジャーさんっ!?」
泡を食ったような声を上げた。
馬車の横で、ロジャーさんが仰向けに倒れていたのだ。流れ矢に当たったのかと動転した僕は、慌ててボナンザから飛び降り、そばへと駆け寄った。
「大丈夫ですかっ、傷の具合は」
「……命に別状は無いよ」
傍らで手当てしていたマルコが、顔を青ざめさせながら答えた。
たしかによく見れば出血は無い。ほっと胸をなでおろす。でも、じゃあなんで倒れてるんだ?
「……やったのはドミニクだよ」
「はあ?」
意味が分からず、おもわず間抜けな声を出してしまった。
僕が威嚇射撃をしていた、あの時。
興奮して勝手に前に出ようとしたドミニクたち三人を、ロジャーさんが慌てて止めに入ったそうだ。するとあろうことかドミニクは、障壁をロジャーさんに叩き付けて振り切った。幸いケガは大したものではなく、軽い脳震盪を起こしただけで済んだ。ロジャーさんはすぐに目を覚ますと、「……うぅむ」低くうめきながら体を起こした。
僕は込み上げてくる怒りを噛み殺しながら辺りを見回す。
「で、ドミニクはいま何処に?」
「ついさっきアンタとすれ違ったわよ」
気だるそうに爪をいじって(でもいちおう馬車を防御する位置に立って)いたリュッカさんが、アッチと顎をしゃくった。
指し示すほうへと顔を向け――――そして僕は瞠目した。
馬鹿野郎が。
おもわず胸中の言葉が口から漏れた。
三人組は、街道のど真ん中を、散歩でもするかのような足取りで歩いていた。その背中は、まるでオープンキャンパスに浮かれている学生のような雰囲気だ。緊張感なんて欠片もない。笑い声さえ聞こえてきた。怒りで目の奥がカッと熱くなる。どこまで馬鹿なんだよあいつ等!
「いますぐ連れ戻しに――」
「手遅れだ」ロジャーさんが遮るように言う。「もうどうすることもできない」
三人は、かなり前のほうまで進んでいた。たしかに今から追いかけるのは危険すぎる。
ここで戻ってくるのを待つほかなかった。
ドミニクは半球状の障壁を展開し、迫り来る矢を防いぎながら移動していた。
そして時折、テニスボールほどの火球を4,5個召喚し、岩場に向けて撃っていた。昨日見た火の樽とちがい、こちらのほうがコントロールは上だった。しかしそれでも50mを過ぎたあたりから軌道は不確かな曲線を描きだし、明後日のほうへと飛んでいく。100m以上先にいる敵に対して、効果があるとはとても思えない。
それはドミニクも感じていたようで、さらに距離を縮めようと前進した。
後退する気はまったく無さそうだ。
その背中を複雑な心境で見ていると、
「……ん?」
そこで僕は、あることに気が付いた。
障壁の内側にいる取り巻き2人が、たまに肩や背中を障壁に接触させていた。しかし、ぶつかるという反応は見せず、体の一部がすり抜けていたのだ。それはドミニクの火球も同じで、何の抵抗もなく障壁をすり抜けていった。どうやらドミニクの障壁は、敵の攻撃は遮断するが、仲間や魔法は自由に出入りさせることができるようだ。
何でもかんでも弾き返し、銃を撃つのに穴(銃眼)を開けないといけない僕の障壁とは、全く性質がちがう。
おまけに防護性能も高く、重い矢を受けてもビクともしない。
まるで移動するトーチカだ。
その強固な障壁をまえにして、賊は打つ手が無いように見えた。このまま距離を詰めていけばドミニクの勝ちじゃないのかと思ったが――しかしそれは間違いだった。
「……まんまと罠に嵌りやがって」
失望を滲ませながらロジャーさんが呟く。
リュッカさんも同意するかのように、呆れた表情で3人を見ていた。
「どういうことですか?」と僕。
「なんだ、君は『あれ』を知らないのか?」
ロジャーさんは意外そうに言った。
あれというのが何か分からず、「いいえ」と首を振る。
「そうか。では後学のために、これから起こる事をよく見ておきなさい」
そして。
僕はその言葉の意味を知ることとなった。




