3-21 ダークエルフの算段
木々の隙間から、星空が覗いている。
美しく煌めく星の下では――――薄汚い話し合いが続いていた。
綺麗な物は上、糞は下。何処へ行ってもこのルールは変わらない。
「ブルーノ、来てくれ」
大事な話があると呼ばれた俺は、同じく呼ばれたラウを伴い、セリオスの元へと赴いた。部隊からかなり離れた所にある、斜面のくぼ地。深さは3mほど。密談には持って来いの場所だ。
驚いたことに、セリオスはペドロを連れていなかった。無言でラウと顔を見合わせる。どんな時でもコガモのように自分のケツを追わせていたのに。よほど聞かせたくない内容なのか、それとも『保険のため』か。
嫌な予感しかしなかった。
そしてそういう予感は得てしてよく当たる。
セリオスは俺たちが揃うと、ある『提案』を持ちかけてきた。
明朝、あの荷馬車の一団を襲撃する。
狙いは積荷ではない。セリオスの目的は――
この部隊の全滅だ。
顔に出さないように俺は臍を噛んだ。
あの丘で偵察した時に去来した、最悪のシナリオ通りになったというわけだ。
セリオスは深い井戸を思わせる感情の欠落した目をしながら、淡々と話を続けた。
このまま組織に戻れば、いくら弁明したところでペドロの贖罪は免れない。なぜなら生き証人が20人ちかくいるわけだからな。他の幹部たちの手前、ボスがペドロを許すことはありえない。待つのは死だ。セリオスがそんな未来を望むわけが無い。
じゃあどうするか?
簡単だ。
都合の悪い人間をぜんぶ殺せばいい。
当初の目論見では、カンニバル国国境警備隊に、この部隊をぶつけて数を減らし、残りを毒殺するつもりだったそうだ。しかし運良く、いや、運悪く、国境をすり抜けてしまい、間抜けにも袋小路に入り込んでしまった。
強引な手段をとるわけにはいかない。19人の部下、そして俺とラウを、実質セリオス一人で相手にする事になる。到底不可能だ。そうして手をこまねいているうち、タイムリミットは差し迫ってきている。
セリオスにとってリュッカの一団は、降って湧いた最後のカードだったのだ。
要するに、口封じをしたいから手伝え、という事だ。
「……」
俺は胡乱げにセリオスを見やる。
ここまでベラベラと腹の内を話すのは、こちらを信用させるためか。稚拙すぎて、逆に裏を勘繰りたくなるようなやり方だ。しかし、それだけ切羽詰っているとも取れる。
まぁいい。
俺は話の区切り目を待ってから、一番気にかかっている事を尋ねた。
「それで、俺たちをどうするおつもりですか?」
「事がすめば、どこへとなり消えてくれ。二度と俺の前に現れさえしなければ、こちらも野暮な真似はしない。それは約束する。それと、手切れ金はそれなりのものを用意しているつもりだ」
「いいのですか? 俺たちを生かしておいて」
「不用意な言葉を口にして自分の首を絞めるほど、お前は愚かではないだろ?」
まぁたしかにそうだな。
下手に吹聴すれば、セリオスよりまず、ボスの娘を娼館で殺されたマヌケなヤクザ一家が、目を血走らせてやってくることになるだろう。しかもそんな事をしても、俺には何の得にもならない。
セリオスは感情の窺えない表情で話を繋ぐ。
「このまま組織に戻ってバカ正直に話しても、大した金にはならんぞ? 義理を立てるほどの関係でもないだろう。所詮お前たちは使い捨てだ。賢い選択をすべきだと思うぞ」
まったく商談の上手い男だな。
分かっている。このままこいつ等を連れ帰ったところで、得られるのは契約上の報酬に、スズメの小便ほどの小銭が上乗せされるだけだ。そんな物のためにこいつに楯突くのは馬鹿だ。それとは逆に、部下を見殺しにするだけで大金が手に入る。
どっちが得かなど考える必要もない話だ。
「……」
傍らに立つラウは、俺の出方を窺うように押し黙っていた。横目で見やると、俺に選択を任せる、という視線を返してきた。
しばし黙考した末、
「いいだろう」
俺は短く承諾の言葉を告げた。
口調も、それまでの丁寧なものから、本来のものに戻す。それは、今までの立場を放棄するという意思表示だった。
となりでラウが目を丸くしている。反対するとでも思っていたのだろう。それはセリオスも同じで、作り置いたマネキンの首のような顔に、僅かな驚きを浮かべていた。それもそうだな。『情に流され、弟を人質に取る可能性を考慮していた』ぐらいなのだから。
セリオスが疑るように言う。
「随分あっさりしているな。愛着があったんじゃないのか?」
俺は冷め切った声で返す。
「そう仕向けただけだ。あんたもやろうと思えば同じ事ができるだろ?」
「まぁたしかにな」セリオスが同意するように頷く。
「それに、あんた忘れてないか?」
「何をだ」
貼りつけたような眉がピクリと跳ねる。
「俺もあんたもダークエルフだろ」
「自分の利益以外に何か考える事があるか?」
報酬としてセリオスが提示したのは、ナイフの柄頭に隠していた、一粒の宝玉だった。
血を混ぜ込んだような妖しい色彩のダイヤモンド『ブラッディ・アイ』だ。地下迷宮の深い場所に生息する魔物などの体内で精製される魔法鉱石の一種。
一般的な魔力クリスタルとは比較にならないほどの魔力蓄積値を誇り、主に高級な武具や魔法器具のコア(核)に用いられいる。
セリオスの手の中にあるブラッディ・アイは、針金細工のような装飾が施されていた。あれはただの飾りではなく、暴発防止用の装置になっている。もしあの金具が壊れれば、周囲50mが吹き飛ぶことになる。
闇ルートに底値で流したとしても、結構な金になる。
俺とラウはその条件で最終的に納得し、商談は成立した。
ヤクザとの取引なので契約書は無い。
ちなみに、セリオスが最後の最後に裏切るという可能性は除外している。こいつはそこまで馬鹿じゃない。たとえ不意を打ったとしても『ラウには隠し玉』がある。セリオスがブラディ・アイを暴発させて共倒れを狙う以外、ラウを止めることはできない。この男は金惜しさに選択を誤るほど愚かではない。
俺たちは明日の打ち合わせを入念に行い、一先ず解散した。
俺とラウは、これから部下たちのケツを蹴って移動させ、襲撃ポイントまで行かなければいけない。馬が使えないので夜通しの行軍だ。さてどうやって部下に伝えればいいものかと思案していると、
「で、本当の所は何を企んでやがんだ?」
それまで一言も発しなかったラウが尋ねてきた。
まるでそうあって欲しいと言っている様な口ぶりだ。
俺は大仰に目を瞬かせて、驚いてみせた。
「どうしたお前らしくもない。良心が痛むのか?」
「ケッ、茶化すんじゃねえよ」
周囲には俺たちのほかに気配は無い。ここまで来れば大丈夫か。
俺は用心のため声を落とし、頭の中で練っていた『別のプラン』を説明した。話を聞き終えたラウは、その厳つい顔にニンマリとと笑みを浮かべ、肩を小突いてきた。
「なーにが自分の利益だ、この野郎」
「顔に出すなよ。セリオスは鼻が利く」
「わーってるよ」
ラウを引き連れながら、俺は部隊の方へと歩を進める。
知らぬうちに腹の底に力がこもる。
情に流され、選択を誤まるような奴は馬鹿だ。なら俺は馬鹿だな。ともかく――
明日が正念場だ。
「アニキ、どうしよう、俺、俺、このままだと」
人払いをし、2人きりになった空間に、情けない泣き声が響いた。
ペドロは眉根を寄せ、俺にしがみついていた。その顔に生意気な色は一切無く、ただ不安と幼さしかなかった。その表情を見た瞬間、胸の中にある冷え切った鉄の器に、温かな湯が満たされていくような、快楽にも似た充足感を覚えた。
俺はひとつため息を零し、その髪をなでる。
「安心しろ。俺がなんとかしてやる」
落ち着かせるように、静かにそう言い聞かせる。
「おれ……しにたくねえよお」
「大丈夫だ。お前は死なせない」
「でもぉ、でもよお」
後から後から零れる涙を、両手を使って拭ってやる。
まったくいつまでたっても子供のままだ。
俺は俯き出した顔を上げさせると、ペドロの額に自分の額をくっつけ、間近からその瞳を覗き込んだ。そして心に直接語りかけるように、ゆっくりと言葉を発した。
「泣くな。お前は何も悪くない。お前を笑ったあの女が悪い。お前は正しい事をした。だから心配するな。明日が終われば何もかもが元通りだ。うちに帰ろう」
「うちに……うちにかえりてえよぉ」
「ああそうだ。いっしょにうちに帰ろう」
俺は震える弟の肩を撫で摩りながら、虚空を見つめた。
安心しろ。
お前だけは、どんな犠牲を払っても守ってやる。
誤)「16人近い男たちと」 正)「19人の部下」




