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3-20 かがり火のリュッカ





 見上げれば、星が輝いていた。

 こっちの世界には大気汚染なんてないから、星の一つ一つが力強く瞬き、粒もブルーベリーのように大きい。ふと、幼い頃に行ったプラネタリウムを思い出していた。しかし記憶の中にある人工の星空よりも、こちらのほうが遥かに幻想的で生命力に溢れていた。

 キャンプをするには、必ず見張りを立てる必要がある。

 ということで、僕とロジャーさんの2人で見張りをすることになった。先に休んだ僕が深夜から明け方まで番をする事になっている。馬車から離れた位置で小さく焚き火を起こし、手ごろな丸太に腰を下して、辺りを警戒していた。

 仮眠明けの脳をシャッキリさせるため、コーヒーを一口すする。あぁおいしい。屋外で、焚き火を見つめながら飲むコーヒーは、普段より味わい深く感じた。今までインドア強硬派で通してきたが、なかなかアウトドアというのも良い物じゃないかと思えてくる。

 静かな夜だった。

 聞こえてくるのは焚き木が爆ぜる音と、背中で丸まっているボナンザの寝息のみ。

 まわりに人工物はなく、遠くのほうに監視塔の明りがボンヤリと浮いている。月は薄雲の後ろに隠れ、火の周りには、夜の海原を思わせるような闇が広がっていた。でも不思議と怖いとは感じなかった。むしろ、ちょっと安心する。この包み込まれるような安心感は何だろう? 野生動物たちも、こんな気持ちで夜を迎えているのだろうか……。

 揺らめく火を眺めながら、益体もない事をあれこれと考えていた。

 そうするうち、せっかく忘れかけていた『ある事』が脳裏に蘇ってきた。同時に、指先にできた逆剥けのようなチクッとした痛みが胸に走る。

 この不快感の原因は――ドミニクだ。

 例の魔法を撃たれた件じゃない。あれはもう済んだこととして気持ちを処理している。

 それとは『別の事』だ。

 マルコの話を聞いてからというもの、僕はすこしだけドミニクに感情移入……と言えるほどではないが、何か近い物を感じていた。良い意味ではなく、悪い意味でだ。あぁくそ、また嫌な想像が頭の中を巡り始めてきた。

(また暗い気分になるだけだぞ、もうやめろ)

 そう思った僕は、思考の連鎖を断ち切るため、別の事を始めた。

 昨日の実験の続きだ。

 カバンを開け、手帳を広げる。

 そして左手で金属製の欠片を生み出した。今日の主役はコイツだ。

 爪の先ほどの粒。息を吹きかけると手から転がり落ちそうなくらい軽くて小さい。

 それを8歩(約5m)の位置に浅く埋める。ふたたび焚き火の所まで戻ると、目を閉じて意識を集中させ、人差し指をクイッと曲げた。するとそれを合図に、か細い破裂音と共に、薄く被せた土が小さく震えた。よしっ、成功だ。結果をメモ帳に記す。

 そうやって距離を離したり近づけたりして、色々なデータを集める。

 このデータを元に考察していくのだ。

 解体用ナイフで慎重に土を掘り起こし、不発だった金属片を取り出す。

 やはり距離が遠くなるほど反応が鈍くなるようだ。それもメモに記す。

 そうしてしばらく検証作業に没頭していると、

「こんな夜中に何やってんのよ」

 背中から明瞭な声がかかった。

 振り向くと、暖色の明かりに、リュッカさんの姿が浮かび上がった。美しい彫金が施された漆黒の鉄靴サバトンをコツコツと鳴らし、まるでランウェイを歩くモデルのような優雅な足取りで歩み寄ってくる。彼女が近づいてきたことで周囲の景色がすこし明るくなったように錯覚した。相変わらず華のある女性だ。

 リュッカさんは僕の分厚い手帳を覗き込むと、三日月のような眉を跳ねさせた。

「なにまた実験? こんなところで?」

「ええまあ」

「ふーん、マメねえ。何が楽しいんだか」

 興味無さそうに言うと、ごく当たり前のように僕の隣に座った。

 そこはいつもの席だ。

 食事の時向かい合わせで座ると、必ずと言っていいほど血で血を洗うメインディッシュ強奪戦が始まる。なので二国間協議の結果、隣に座るということで合意した。どーでもいい話だけど。

「もしかして起こしちゃいましたか?」

「べつに。目が冴えちゃって暇だから起きてきただけ」

「そうですか。あ、コーヒー飲みます?」

「もらうわ。いつものやつね」

「はいはい」

 僕は手を拭うと、作り置きしておいたコーヒーをカップに注いだ。幸せな香りの湯気が頬をなでる。彼女の場合、パウダー状の生クリームと砂糖をたっぷりと。

「どうぞ」

「ありがと」

 カップを渡すと、リュッカさんはすぐには口をつけず、フーフーと息を吹きかけて冷まし始めた。超合金のリュッカさんは、なんと猫舌なのだ。背を丸めている様は、なんだか猫みたいでちょっと可愛かった。

「なにジロジロ見てんのよ」

 ムッと唇を尖らせて見返してくる。

 可愛いからですよとは言えなかったので、僕はおどけて返した。

「よかったら冷ますの手伝いましょうか?」

「はあ?」

「こうやって。ふー」

 冗談で息を吹く真似をしたら、「ちょ、バカ、やめなさいよっ!」リュッカさんは慌ててカップを庇った。

「そんなことしたら飲めなくなるじゃないっ」

「ひっどいなあ。これでも口臭とか気を使ってるんですよ?」

「ちが、そういう意味で言ったんじゃないわよバカ」

「えっ」

「ふん」

 リュッカさんはカップを両手に包んだまま、プイッと視線を外した。

 まあいっか、と僕もコーヒーを口にする。

 そこで会話が途切れた。

 ぱちり、と焚き火が爆ぜ、火の粒子が舞い上がる。こうしてコーヒーを啜りながら揺らめく炎を見ていると、だんだんと炎の奥に吸い込まれていくような不思議な錯覚を覚える。会話はないが、特に居心地が悪いということはなかった。

 静かで落ち着いた時間が、ゆっくりと流れた。



 やがてカップのコーヒーがなくなりかけた頃、リュッカさんが再び口を開いた。

「で、今度は何を悩んでんのよ」

「……え?」

 唐突な質問に、思わず間の抜けた声を漏らした。

「何か思うところがあるんでしょ。特に、あのチビの話を聞いてから」

「な、なんでその事を?」

「気付かないとでも思ったの?」

 不思議そうに尋ねる僕に、リュッカさんは呆れたように睫毛を瞬かせた。

「アンタ分かり易すぎんのよ。夕飯時とか、心ここにあらずって感じでボーっとしてたでしょ? いつもだったら鬱陶しいくらいニコニコして喋るクセに。おまけに私がシチューの肉を横取りしても文句ひとつ言わないなんて、もはや変を通り越して異常よ」

 ああ、それは確かに異常だ。

 というか、取られたことにまったく気付かなかった。そういえばシチューの味もよく覚えていない。ずっと別の事を考えていていたからだ。

 たしかに傍目には分かりやすいよな。

 ん、でも待てよ? なんで今その話をするんだ?

 あれ、まさか、ひょっとして――

「ひょっとしてリュッカさん、心配して見に来てくれたんですか?」

「っ!?」

 刹那、リュッカさんの華奢な肩がピクンッと跳ねた。焚き火の明かりを反射する艶やかな唇が、空気を求める魚のように開閉を繰りかえす。

 次いで首元から頭頂部に向かって、じわじわと朱色が上っていく。あっという間に薔薇色に染まった頬を、ヒクヒクと痙攣させながら、リュッカさんは普段より高い声を発した。

「ちがうわよっ!!」

 形のいい眉を、威嚇するカマキリのようにキシャーと上げる。

 そして電子音のような速度で反論してきた。

「バカじゃないの勘違いすんじゃないわよ何で私がアンタみたいな病気の猿の心配なんてしてあげなきゃいけないのよありえないでしょワケわかんないバカじゃないの妄想も大概にしなさいよこのバカ!」

「ちょっ、リュッカさん、声を抑えて」

「そういうんじゃないんだから!!」

「わかりました、わかりましたから」

 両手で降参のポーズを取ると、リュッカさんは口をへの字に曲げ、背を向けるように体ごとソッポ向いた。

 真っ赤になった彼女の後ろ耳を見ながら、僕はつい笑みを零してしまった。

 いくら女心に疎い僕でも、さすがに今のが照れ隠しだという事はわかった。

 リュッカさんは僕の事を心配して、わざわざこんな夜中に起きて来てくれたのだ。申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちが混じり合って、じんわりと胸に広がった。

 リュッカさんは意地っ張りの捻くれ者だけど、たまに、びっくりするぐらい優しい時がある。今みたい手を差し伸べてくれる事がある。せっかくだし、その厚意に甘えさせてもらおう。

 僕は、その金の後ろ髪が流れ落ちる背中に向かって声を発した。

「すこし僕の話に付き合ってもらえませんか?」





 マルコの話には続きがあった。

 ドミニクがあそこまで荒んだ『もうひとつの理由』。

 ドミニクは魔力が覚醒した時、100近い値を出したそうだ。これは平均よりも高い部類になるそうだ。自ずと周囲の期待も高まる。おまけに貴族。訓練所に行っても特別扱いで、罰せられることも、叱責されることもなかった。ストレス発散のために好き放題やっても、周囲の大人たちは無視か無関心に徹した。

 こんな環境で、真っ直ぐに育つ奴はそうはいない。自分で自分を厳しく律するだけの、頑強な精神力がないと無理だ。

 人間は甘い方に、楽な方に転がる生き物だ。

 そして失敗から学ぶ生き物だ。

 僕もよく知っている。

 手痛い失敗を知ることも、誰かに厳しく諭されることもなく、すくすくと育ったドミニクは、放置された植樹のようにいびつな枝葉を広げ続け、そして今に至った。

 ここである疑問が湧いてくる。

 じゃあ、もし自分がドミニクのような境遇だったら、どうなっていただろう?

 僕はそうならないと断言できるか?

 もしステラさんのように叱ってくれる人に出会えなかったら。

 もしトトリ峠の失敗や、バズの戦闘を経験しないまま成長を続けていたら。

 心が未熟なまま、力だけが増え続けていけば……。その先を考えると、腹の中に冷たい物が溜まるような気持ちになった。ドミニクのようにならなかったのは、『運が良かった』だけなんじゃないか? それを否定したくても、自分の中に打ち破るだけの力強い言葉を見つけることができなかった。

 ずっと考えていたのはそれだ。

「何を悩んでいたかと思えば……」

 僕の話を聞き終えたリュッカさんは、目を瞬かせ、心底呆れた口調でこう言った。


「ビックリするくらいしょーもない話ね」


 バッサリだった。

 遠慮の欠片もない。

 ああクソッそういえばコイツってこういう奴だった。ちっとも優しくねえじゃんか。

 僕はうぐぐ、と低く呻き、すこし意地になって言い返した。

「リュッカさんにとってはそうでしょうけど、僕にとってはしょーもなくないんです!」

「まっ、たしかにクソ真面目で神経質なアンタらしいっちゃらしいかもしれないけど」髪をかき上げ、嘆息を混じらせながら続ける。「そんなありもしない仮定にまでイチイチ気に病んでたら、いつか胃に穴開けて死ぬわよ?」

「それは……そうなんですけど……」

 返す言葉も無く、僕は力なく肩をすぼめた。

 そういえば父さんも胃薬は手放せなかったそうだ。この考えすぎな性格は、うちの家系の遺伝なのかもしれない。重い兜を被っている様にうな垂れていると、リュッカさんは長い足を組み替えて、しみじみと言った。

「にしても、アンタってホンット変わった奴よね」

「なっ、急になんですか失礼な!」

「だってそうじゃない。私と正面切って口喧嘩できるぐらい度胸があるクセして、なーんでそんな小さな事にそこまで悩めるのよ。ホント理解に苦しむわ」

「そういう性格なんです」

「ヘンなヤツ」

「そんな変、変って言わないでくださいよ。僕は至って普通です!」

「はあ、至って普通!? アンタが!?」

「え、ええ、そうですけど?」

 何もおかしな事など言ってないはずなのに、リュッカさんは驚いたように目を白黒させ、ケタケタと笑い出した。そして、ひとしきり笑った後「あーなるほどそういうことね」と一人で納得したように頷いた。

 その不可解な態度に、僕は眉をしかめさせた。

「さっきから何なんですか? からかうんだったら――」

「まぁ待ちなさい。『今ので』何となく分かったから、アドバイスしてあげるわよ」

「今のでって、本当ですか?」

 ええ、と彼女は頷く。ウソをついている様には見えなかったので、

「……わかりました」

 怪訝に思いつつも、ひとまず居住まいを正して聞く体勢を取った。

「つまり環境が同じだったら自分もドミニクのようになっていたかもと悩んでるわけね。そして、そうならなかったのは運が良かっただけだと」

「はい……」

「たしかに『並の男』ならそうかもしれないわね。実際、自分の力に翻弄されて我を忘れるようなツマンナイ奴を、いままで結構見てきたわ。『落伍者』って言葉、アンタ知ってる?」

 いいえ、と頭を振る。

 リュッカさんはその声にハッキリと侮蔑を滲ませながら、話を続けた。

「すこし他人より秀でている程度で、自分を神か何かだと思いあがって自滅する愚か者の事よ。ドミニクもこのまま行けば落伍者と呼ばれるようになるでしょうね。でも――」

 ブルーサファイアの瞳が、僕の顔をまっすぐに捉える。

「アンタは絶対にそうならないわよ」

「……」

 一瞬、言葉を失った。

 今のは、ちょっと反感を覚える物言いだった。

 ぜったい、絶対だって? その理由を脳みそをひっくり返すくらい考えても、結局見つけることができなかったから、こんなグズグズと嫌な思いをしているというのに。

「何を根拠にそう言えるんですか」知らず内に、声に力がこもった。

「理由を知りたい?」

「ぜひ」

「アンタがそこらの小粒と違って非凡だからよ」

「どう非凡だというんですか?」

「そうね、自分に打ち勝てる位には心根が強いってところかしら」

「……そう言ってくれるのは嬉しいですが、でもそんなこと無いです」

「どうしてそうじゃ無いと言い切れるの?」

「えっ」

 突然の切り返しに、ぎくりと体を固くした。

「そ、それは」

「それは、なに?」

 まるで僕を追い詰めるように、拳ひとつ分、リュッカさんが近づいてくる。いつのまにかコーナーを背にしたような圧迫感を覚え、僕はしどろもどろになりながらも言葉を続けた。

「僕はそんな、全然大したこと無い平凡な奴ですから」

「具体的な言葉で聞かせてちょうだい」

「その……」

 何か言おうとするも、言葉が舌の上で渋滞を起こし、声を発することが出来ない。

 なぜならさっきの否定は、たいして考えがあったわけではなく、日本にいた頃に日常的に行っていた謙遜の言葉だったからだ。

 そんな僕に、リュッカさんは何もかもを見透かしたような真っ直ぐな視線を向け。

 そして声色を重みのあるものに変えた。


「そうやってすぐ謙遜して、他人に合わせようとする癖がついてるから、無意識のうちに自分は値打ちの無い平凡な人間だと思いこんでるのよ。アンタが平凡ですって? 笑わせんじゃないわよ。『アンタの代わりが務まる男が、サルラのどこに居るっていうのよっ』。自分を過小評価すんのも大概にしなさいよ」


 鼓膜から腹の奥にまでズシンと響くような声と――そして言葉だった。

 肯定も否定も出来ず、喉をつっかえさせていると、リュッカさんはグッと身を寄せてきた。僕の左膝がリュッカさんの右膝に触れる。息がかかりそうなほど近くにある美貌には――抜き身の戦場刀を想わせる凄みが宿っていた。

「!?」

 瞬間、リュッカさんの背後に、轟々と燃え盛る炎の幻影を見た。それは常人の域を超越したリュッカさんが纏う、烈々たる生物の気配だ。ドミニクが見せたあの炎が、マッチの火のように思える。もしマルコが傍にいれば卒倒するような迫力だ。

 毎日毎日喧嘩していたのでつい忘れがちだが、確かにリュッカさんと正面からぶつかるのは並大抵のことじゃない。普通の人にとっては。

 すこしの間を置いて、再び艶やかな唇が動く。しかしそこから放たれる声は決して軽くも、可憐でもなかった。ひたすら重く、そして直接芯を打つような武骨なものだった。


「だいたい運が良かったですって? アンタがこれまでに得た知識や経験が、偶然空から降ってきたものだと本気で思ってんの? どこまでお粗末な脳みそしてんのよ。アンタが得た物はすべて、アンタが求め続けたからこそ、手の中に『引き寄せた』物じゃない。なんにも求めないヤツには、なんにも寄って来ないのよ。雛だって鳴かなきゃ餌を貰えない事を知っているわよ。そもそも自分で1から10まで考えて考えて考えて、それでも納得しないならテコでも動かない石頭のへそ曲がりの頑固者が、ドミニクみたいな生き方を自分に許すわけ無いでしょ! 自分のことでしょ何でわかんないのよ! あーもー面倒くさいっ! とにかくっ!」


 リュッカさんは右手でピストルのような形を作ると、人差し指で僕の胸をトンと押した。そして朗々とした声が、正面から僕を打ち据えた。

「いいこと? 今から言う言葉をよーく『ここ』に刻んでおきなさい。どうせアンタは、私が何か言ったところで自分をへりくだるのを止めないでしょうし、これから先もずっと小さな事に躓いてはウジウジ悩み続けるんでしょうから、そうなった時に、この言葉を思い出すのよ、いいわね!」

 波の様に押し寄せる迫力に飲まれ、僕は黙ったまま頷いた。

「アンタはこの私が、このリュッカ・フランソワーズが、有象無象の男の中で、唯一傍に立つ事を許した男よ。そのアンタが並の男で良いわけないでしょ」



 もっと自信を持ちなさいよバカッ!!



 そう言い置いて、リュッカさんは颯爽とその場を後にした。

 後に残された僕は、瞬きすら忘れ、しばし呆然としていた。

 胸を押された時の感触が、温かい余韻となって肌に残っている。そして鮮烈な言葉も。

「……お礼、言いそびれちゃったな」

 ようやく復帰した僕は、リュッカさんが消えていった方へ顔を向け、ぽつりと独り呟いた。でもきっと、お礼の言葉を口にしても素直に受け取ってはくれないだろう。だから、何か違う形で返そうと思う。

 右手で、いまだ熱が残る胸を押さえる。

 彼女が僕に投げかけてくれた言葉を反芻するうち(うわっ、なんだこれっ)自分の意思に関係なく、表情筋が勝手に笑顔を作ろうと動きはじめた。おまけに体がこそばゆくなってきて、ジッとしていられなくなる。筆舌に尽くし難い熱と感情が、腹の奥底から湧き上がってくる。 

 あれ、これってまさか。

 いやでも待て早まるなよ。

 新たな悩み(?)に思考回路を埋め尽くされ、手を額にやりながら思案を始める。

 いつの間にか、あの不快感は綺麗さっぱり無くなっていた。たぶん、もう二度とあの悩みはやってこないだろう。もし頭に浮かんできても、リュッカさんの言葉が打ち払ってくれる。

 リュッカさんは捻くれ者だけど、時々、とっても優しい。

 東の空が青みがかってきている。

 もうすぐ、夜が明ける。





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