3-09 街道教習
翌朝。
まだ町が寝静まっている午前4時。
冷たい外気に頬を撫でられながら、僕は朝露に濡れた石畳を歩いていた。
建物の窓はほとんどがカーテンを閉めきっており、その奥から寝息が聞こえてきそうだった。
「キュルールッ!」
「ちょ、ダメだよボナンザ、しぃーっ」
「クル?」
「ご近所迷惑だから静かにしようね?」
コクコクと首肯するおりこうさんの頭を一撫でして、僕らは閑散とした通りを抜け、堀をまたぐアーチ橋を渡り、街道へと出た。
今日はこれからボナンザの移動訓練をする。
というのも、すこし気がかりな事があったのだ。
それは昨日のこと。
夕飯まで時間を持て余していた僕は、ボナンザを連れて、近所の草原まで散歩に出かけることにした。その時のボナンザは、生まれて初めてドッグランに解き放たれた子犬のごとく、終始はしゃぎ続けていた。それはとても微笑ましい光景ではあったのだが、同時に、一抹の不安を覚えるものでもあった。
もし本番でもこの調子だったら、仕事に支障をきたすんじゃないのか?
心配になった僕は、人のいない朝の時間帯を選び、街道でボナンザの訓練を始めることにした……はず……だったんだけど……。
なんか杞憂に終わった。
どうやら僕は、ボナンザの賢さを見くびっていたようだ。
なんと驚くことに、口で説明しただけで理解してくれたのだ。
たった数分の説明後。
街道を歩くボナンザは一部の隙もなく、その足取りは、さながら訓練された猟犬のようにキビキビとしたものだった。さらに馬車とすれ違う際には馬を刺激しないように自分から距離をとり、進路上に異常があれば僕より先に気付いて報せてくれる。さらに危険がある生物に対しては「グルァウッ!!」獰猛に吠えて追い払うことまでしてくれる。
その優等生っぷりは、僕が手綱を引っ掛けるだけのフックと化すほどだった!
えっと……
もしかして……。
明日、僕いらないんじゃない?
訓練を早々に切り上げた僕らは、そのまま町には戻らず、近くの狩場に来ていた。
広々とした草原に、まばらに木が生えている。
ゆっくりと流れる雲の影が、船のように草の海原を横切る。
非常に見晴らしの良い場所だ。
「さて、と」
芝にお座りしているボナンザを前に、僕はおほんと咳払いをひとつ。
そして力強くこう宣言した。
「それでは! 第一回、わくわく銃の講習会をはじめたいと思います!」
「ギューグッ! ギューグッ!」
盛り上げるようにボナンザが前足で拍手してくれる。
あはは、ありがとう。
……うん、それは嬉しいんだけど、爪と爪がぶつかる度に大量の火花が散ってるんだけど、それ大丈夫なの? このままだと野焼きみたいになるから、そろそろ止めようね?
「ルル!」
というわけで、銃がどんなものかを実際にボナンザに見せて、その性質を理解してもらうことにした。
実はこれも大事なことなのだ。
射線上に立たれると危ないことや、発射時に大きな音が出るなど、事前に銃の事を知っておかないと、大きな事故に繋がる危険があるからだ。ボナンザを誤射するだなんて、言葉にしただけで肝が冷える。
幸いここは人気のない狩場とあって、周囲に人影は見当たらない。
街道からも離れているので、流れ弾の心配も要らない。
銃のお勉強にはもってこいの場所だ。
「ほら、これがM4A1だよ」
「グル?」
安全な状態にしてある銃を掲げると、ボナンザは興味深げにフンフンと鼻を寄せた。
「あっ、先端から弾が出るようになってるから、弾倉が入ってなくても絶対に顔を近づけちゃダメだよ?」
「ルル」
フラッシュハイダー(銃先端の消炎器)を鼻で突つこうとしたボナンザは、理解してすぐに引っ込めた。おりこう、おりこう。
こうして少しずつ、丁寧に説明していく。
一度話しただけで理解してくれるから、説明はすごく楽だった。
僕が何か話すたびに、ボナンザは真剣な眼差しでうんうんと頷く。
こうしてると、なんだか新人バイトを指導する先輩みたいだな。微笑みつつ、ベレッタM92F、そして大型回転式拳銃S&W M500を召喚してみせた。
一通り説明を終え、試しに銃器を3つ並べて「じゃあベレッタはどーれだ?」とクイズを出すと、ボナンザは即座にベレッタを選び、さらにベレッタ用の9mmマガジンと専用サプレッサーを口に咥えて僕に渡してくれた。
「……う、うん、正解。よくできました」
「キュルルルル」
褒めてもらえたボナンザは、くねくねと身をよじり、鮮魚のように尻尾をフリフリ。
「……」
なんだか。
新人バイトに1ヶ月で先を越された先輩みたいな気分だった。
今度は実際の射撃を見せることにした。
「おっ、いたいた」
僕の視線の先。
100mほど離れた木陰に、2匹のウサギがいた。
小柄な体躯。現実世界で見るような普通のデザインのウサギだ。
この地域一帯に広く生息する草食動物の一種だ。ラビットクローと違い、買い取ってもらえる部位がなく、肉も旨くはないので価値は低い。ここに人がいないのはそのせいだ。
15cmにも満たない小さな体が、新鮮な草の芽を探してちょこちょこと動いている。
――いまからアレを殺す。
そう定めた瞬間、腹の底から、撃鉄が起こされたような幻聴が響いた。
脳内が一瞬で戦闘モードに移行する。
獰猛な自分が口を開ける。
その緊張がボナンザにも伝わったのが、何となく分かった。
「後方待機」
「ルル」
そう命じると、ボナンザは身を低くして僕の背に回り、三角の耳をペタンと寝かせた。耳は防音のためだ。専用のイヤーガードがあればいいのだが、無いうちはこれで我慢してもらう。
僕はニーリング(膝射)の姿勢をとると、M4A1を構えた。
銃床をしっかりと右肩のくぼみに固定し、銃身が直線になるように腕を調整。
そして、せわしなく動くウサギをアイアンサイト(照準器)で狙おうとしたが……やはり無理だった。キャリングハンドル(と呼ばれる銃上部にある持ち手)に搭載されているアイアンサイトは視野が狭く、遠くを狙うのにはあまり適していない。
目標が岩イノシシほどのサイズだったら100m離れても狙えるが、今回のように小型の場合、サイトと目標が重なってしまって非常に視認しづらいのだ。おまけに動きが素早いため、照準の修正も困難で、正確に頭を狙うには相当の技量が要る。
正直言って、今の僕には無理だ。
じゃあどうするのか?
ちゃんと手はある。
一度構えを解くと、スペルブックを脳内で開いた。
意識をそのページに接続し、魔力を消耗しながら召喚作業を始める。
左手から緑色の線が放射され、3Dプリンターのように、次第に筒状の物体が形作られていく。
ACOG(高度戦闘光学照準器)。
簡単に言うと、より遠くの敵を正確に狙うための望遠鏡みたいなものだ。
バズとの戦闘後、いつのまにかスペルブックが更新されており、M4A1のページにこの照準器が追加されていた。
倍率は2倍から最大8倍まで変更することが出来る。……たしか現実世界だとACOGの倍率は固定だったはずだが、なぜか僕が生み出すものは変更が可能だ。まぁ魔法で出来てるよく分からない代物だし、深く考えても仕方はないか。
さっそく取り付ける。
ACOGを銃本体に近づけると、キャリングハンドルが腐った枝のように、ひとりでにボトリと落ちた。
「……」
複雑な気分にさせられる光景だった。
ファンタジーはこういうところが本当に無粋だ。
せめてネジぐらい回させて欲しい。
気を取り直して、空いたスペースにACOGスコープを装着。止め具がなくとも磁石のように引っ付くから問題はない。
ふたたび銃を構え、接眼レンズを覗く。
倍率は4倍。
レンズの中央にウサギをしっかりと捉える。
目標が小刻みに動いても、中央にあるレティクル(十字線)が細いため、動きを追って照準の細かな調整ができるので問題はない。
引き金にかけている指に徐々に力を入れ、撃鉄が落ちるぎりぎりの所でキープさせる。
こうして引き金をある程度絞っておいて、照準が最高のタイミングで重なったときに残りを引くと、照準がブレることがないのだ。いままでのように一気に引き金をひくと、どうしても銃全体を揺らしてしまい、わずかだが『引きブレ』を起こしてしまう。
アイアンサイトしかなかった時は気にもしなかったが、こういった高倍率での精密射撃を一度でも経験すると、その数センチのブレが命中精度に大きく影響していることが理解できる。
やがてウサギが新芽を噛む、最高のタイミングが訪れた。
思うより先に引き金をひいた。
ハンマーがギロチンのように下され、銃内部で魔力が激発し、そのエネルギーを背に受けた弾頭が、36cmの螺旋のトンネルを駆け抜け、さながら熱膨張のごとき加速を続け、火炎ガスを伴って銃口から飛び出した。弾頭は一直線にウサギの頭部へと進入。皮を裂いて肉を貫き、頭蓋骨を貫き、脳や神経を貫き、反対側の頭蓋骨を叩き割って抜け、地面をえぐって土を跳ねさせた。
同時に、凶悪な衝撃波が、ウサギの崩壊した頭部を襲う。
内側から外側へと捲れ、耐え切れなくなった皮膚や筋肉はあっけなく四散した。
その現象は傍目から見れば、クラッカーのように頭部がはじけたようにしか見えないだろう。
そうしてようやく激烈な発射音が周囲に轟く。
目標は二匹。
銃声に驚いて、残り一匹が逃げようとする。
遅い。
上半身の筋力で初弾の反動を殺し、即座に照準を次のウサギへとセット。逃げ出そうとウサギの爪が地を蹴る――そのはるか前に、二発目を放った。
腹部に命中。
臓器をこぼしながら転がるウサギに、トドメの一発を見舞う。
首を狙った銃弾は、その保有するエネルギー量が余りにも高かったため、首元をかすっただけで頭が引きちぎれた。ぬいぐるみのようにウサギの体が宙を舞う。
空薬莢が銃から排出され、チンッと涼やかな音を奏でた。
目標の沈黙を確認。
青々とした草の上に、血溜まりが2つ。
銃本体から弾丸を抜いてセーフティーをかけ、安全な状態にしてから、僕は静かに目を閉じて片合掌した。
――ちゃんとお前たちの肉は食べる。
――その命は無駄にはしない。
――成仏しろよ。
「ふぅ」
M4A1を消去し、僕は短く息を吐いた。
魔力消費の疲労感が失せ、かわりに充実感が込み上げてきた。
さっきの射撃は上々の出来だった。
わずか手拍子2回ほどの間に、これまで積み重ねてきた修練の成果がハッキリと出ていた。ACOGのサイティングもいい仕上がりだ。これなら明日の実戦も大丈夫だろう。
「こんな感じで攻撃するんだ。わかった?」
言いながら振り返る。
すると
「キューッ!」
いままで声を我慢していたボナンザが、賞賛するように甲高く鳴きながら顔をすりつけてきた。
あはは、これで少しは良いところを見せられたかな?
顔をベロベロ舐められながら、そんな事を思った。
「うわっ、やば!」
ふと懐中時計を確認し、僕は血相を変えた。
昼からステラさんと会う約束をしていたことをすっかり忘れていたのだ。
現在11時。
非常にやばい。
ああもう最近こんなのばっかりだな!
自分の不注意さを叱咤しつつ、
「ボナンザ、全速力で町に戻って!」
力強く頷く友達の背にまたがり、僕たちは町へと向けて駆け出した。
「あ、ちょっと待ってボナンザ! ウサギ! 拾い忘れたからユーターンして!」
「ルルッ」




