3-06 注文の品
そしてリュッカさんは忽然と姿を消した。
「ごめん急用ができたわ。じゃね」
その一言を残して、あんにゃろどっか行きやがったのだ。
あわてて後を追うも、人ごみに紛れて見失ってしまった。
結局この後の買い物は僕一人でする事に――って、いやいやいや、何を買えばいいか分からないから一緒に来たのに、なんでこうなるんだよ。
ほんとマイペースというか、猫みたいに気まぐれな人だ。
もう慣れたけどさ。
ベンチに座り、はあと嘆息した僕は(このままぼーっとしてても仕方ないか)頭を切り替え、カバンの口を開けた。
「えーっと、たしか」
分厚いメモ帳を取り出すと、扇のようにびっしりと貼られた付箋のひとつを摘み、そのページを開く。いちおう事前に、何が必要なのか自分で考えていたのだ。
必要なのは、毛布と着替え、食料、水筒とリュック、あとは寝袋ぐらいだと思う。
毛布と着替えはホテルで売っていたからそっちで買うとして。
食料に関してはギルドが用意した『最低限』をとりあえず食べることにする。不味かったら次回考えればいいし。
じゃあ、あとは水筒とリュックと寝袋ぐらいか。
(……ん、ちょっと待てよ?)
そこである事に気づく。
そういえば医療品ってどうなってるんだ?
もしかしたら胃薬や下痢止めが必要になってくるかもしれない。そういった家庭用常備薬みたいなものも、用意されているのだろうか? 無いと困るから、いちおうこれも買うべきか? ……でもこれ絶対高いよな。無駄な出費はなるべく避けたい。他の人はどうするんだろう?
あーもー分からない。ペンの尻で眉間の皺をぐにぐにと揉む。
やっぱり未経験者の僕があれこれ考えても、無理があるのかもしれない。このまま無理して何か買うより、明日改めてリュッカさんと買い物に行くべきかな。
しばらく虚空を見つめていた僕は、「あっ」やがておもむろに口を開いた。
心当たりが一人浮かんだのだ。
パンと膝を叩いて立ち上がると、僕は西の商業区へ向けて歩き出した。
「おっ、来たなボウズ」
少し重い扉を開けると、整備オイルの匂いと共に、力強い声が僕を出迎えてくれた。
カウンターの上に逞しい腕を乗せ、ニヒルな笑みを浮かべる店主の親父さん。
僕は防具屋モーガンに来ていた。
「今日は護送任務用の道具を探しに来たんです」
「ほー、ボウズもいっぱしの仕事を任されるようになったか。そいつぁ結構」
「いえいえ」
そう言われ、つい照れてしまう。
「で、何が要るんだ?」
「水筒とリュックと寝袋です」
「はぁ?」
カウンターで頬杖を付いていた親父さんは、呆れたような声を出した。
「来る店間違えてんじゃねえのか?」
「いえ、他の店を回るより、ここで揃えた方が安心だと思ったんです」
「んー? なんだこの野郎」親父さんが愉快そうに眉を上げる。「ちょっと見ないうちに世辞なんぞ覚えやがって、生意気なヤツだ」
「お世辞じゃなくて本当にそうなんですって」
この店で購入したブーツやニーパッドは、度重なる戦闘で乱暴に扱っているのにも関わらず、いまだにどこも壊れていないのだ。親父さんの店の品は、武具からジャンク品に至るまで、すべて高品質で揃えられているという何よりの証拠だ。
どれを買っても外れがないというのは、物の良し悪しを見分ける事ができない僕にとって、非常に魅力的なのだ。さらに――。
「もういい、わかったわかった」
なおも言葉を続けようとする僕を手で遮り、
「そこまで言われちゃ仕方ねぇ。ボウズにぴったりのを探してきてやる」
親父さんは照れくさそうに後頭部を掻きながら、商品を探し始めてくれた。
――まず水筒。
薦められたのは、頑丈な金属でできた行軍水筒。直で火にあてて水を沸騰させることが出来る優れもの。容量は1ℓ。水筒はこれで決定。
――次にリュック。
防水・防火・防刃仕様のリュックサックだ。米軍のミリタリーバックパックのようなデザインで、一目で気に入った。リュックのついでに、ボナンザの鞍に連結できる大容量のサイドバックも2つ購入した。
――最後に寝袋。
頑丈なマットと一体化した、大きめのマミータイプ(みのむし型)を購入。マットがなぜ必要なのか聞くと、下にある石や凹凸、また地面からの冷気を防ぐ役割があるそうだ。知らずに寝袋だけ買っていたら、寝苦しい夜を味わう羽目になっていただろう。ありがとう親父さん。
あと日除け用にベースボールキャップを追加で購入した。
親父さんのおかげで、あっという間に品物を揃える事ができた。
「ところでボウズ。お前、雨が降ったらどうすんだ?」
「え、雨?」
何気ない親父さんの一言に「あ!?」その可能性を見落としていたことに気が付いた。
「レインコートがない」
「おいおい本当に大丈夫か? 雨の対策は基本だぞ」
「その、実は……」
僕は恥をしのびつつ、素直に事情を打ち明けた。
それを聞いた親父さんは豪快に笑いだした。
「カーカカカッ!」
「そんなに笑わないでくださいよ」
「いや悪い。しかしなんだな、リュッカの相方ってのも大変そうだな」
そりゃあもう。
お裾分けしたいくらいに。
「そいつぁカンベン願いたい、カカカ」
ですよねー。
親父さんにチェックしてもらったところ、足りない物がかなり出てきた。アドバイスを受けつつ、必要な物をカウンターに並べていく。
まずレインコートと防水シートの大小セット。防水マッチ。コルクに似た小型の固形燃料。ポケットサイズの簡易常備薬。鍋と調理器具と食器がコンパクトに収納されたクッカー。
そして携帯食料だ。
「えっ、食料って支給されるんじゃないんですか?」
そう尋ねると、親父さんは何かを思い出したのか、顔に苦い物を滲ませた。
まるでワサビの根を齧ったような表情だ。
「まぁ一応はな。パンは別にいいだろう。だがスープ、ありゃあ最悪だ。たとえかさ張っても絶対に別で持って行ったほうがいい」
「そんなにですか?」
「一度だけ興味本位で食ったことがあるが……………………ありゃドブだ」
「DOBU!?」
「あれに浸してパンを食うぐらいなら、自分の汗をつけたほうが遥かに――」
「スープくださいっ! スープ!!」
僕はカウンターを飛び越える勢いで注文した。
携帯食料にも色々と種類があるのだが、僕はスープとパンというオーソドックスな組み合わせにした。親父さんお勧めのスープの素を数種類と、缶の保存パン(これも味を変えて数種類)、そして干し肉(水に戻すタイプ)、乾燥豆、クラッカー。
これを2日分、2人前購入した。
「ん? なんで飯だけ二人分も要るんだ?」
「えーっと、それは……その……」
言葉を濁していると、察した親父さんはニタリと笑い、
「このゴマすりめ」
そう言ってグローブのような手で僕の頭をわしゃわしゃ撫でた。
こうして親父さんのおかげで、なんとか準備は整った。
とりあえず明日ステラさんに会う約束をしているので、そこで最終的なチェックをしてもらえば十分だろう。
さて、と。
ここからは戦闘用の装備を整える。水筒やレインコートの100倍重要な買い物だ。
「親父さん、注文したヤツってもう出来上がってますか?」
「ん、ああ、ちょうど今朝がた届いたばかりだぜ」
「ホントですか! よかったぁ!」
それを聞いて思わず顔がほころぶ。
そんな僕を見ていた親父さんが、不思議そうに尋ねてきた。
「お前さん、あれが届くのがそんなに嬉しいのか?」
「そりゃあもうっ!」満面の笑みで頷く。
「へへ、やっぱり魔法使いってのは変わってんな」
親父さんは分厚い唇をグイッと曲げると、一度奥へと引っ込んだ。そして、
「ほらよ、お待ちかねの品だ」
そう言ってカウンターの上に置かれたのは、一着の服だった。
その見事な仕上がりに、おもわず感嘆の息を漏らす。
やはり親父さんの店で注文して正解だった。
タクティカルベスト。
よく軍人がボディーアーマーの上に着ている『ベスト』の事で、マガジンや様々な装備を収納できるポーチが、多数取り付けられている。下にセラミックプレート(防弾板)を入れているわけではないので、これ自体に防護性能は無い。
機動性を向上させる素晴らしいアイテムなのだが、親父さんの目には、ただのポケットが多いだけの服にしか見えないのだろう。
さっそく試着してみる。
このベストにはM4A1のマガジンが2つ収納できるポーチが4つ装着されているので、計8つのマガジンを一度に携帯する事ができる。ためしに空のマガジンを差して、抜き出す動作をしてみたが、前を向いたまま行うことができた。
思った以上だ。
M4A1の5.56mmマガジン(STANGマガジン30発)はサイズが大きい上に、微妙にカーブしているため、ズボンのポケットから取り出すのがとにかく面倒。おまけに膝を曲げたりすると角がゴリゴリと肉に当たって、それが地味に痛い。ズボンの裏地に穴を開けるなんてこともしばしばだった。
なので最近は、カバンから直接取り出すようにしていた。
持ち運びはそれでいいかもしれないが、問題はリロード(弾倉交換)だ。
すごい手間取るのだ。『正面を向いたままリロードができない奴はプロ失格だ』と映画で聞いた事がある。だとしたら僕は失格だ。
これは放置できないと判断した僕は、あれこれ試行錯誤した末、このタクティカルベストを思いついた。もちろん異世界にこんなものは存在しない。だからアクション映画の記憶を頼りに図をいくつも描き、似たような物を外注で作ってもらったのだ。
着心地は良好。
試しに空のマガジン8つを装着しても、動作や歩行に支障は無かった。
ベストにはマガジンのほか、使い慣れた解体用のナイフを左肩あたりに、逆さまで装着することができる。また右胸あたりには、ペンシースのようなポケットが5つあり、ここにS&W M500の弾薬(50口径マグナム弾)を5発入れることができる。
そしてさらに薄くて頑丈なアルミ板で補強されたポケットには、魔法薬の小瓶を2つ収納することができる。
もはや服というよりは『着るカバン』といった感じだ。超便利。
他にもカスタマイズは可能だが、それはこれからの経験をもとに煮詰めていく予定だ。
「ボウズ、具合はどうだ?」
「ばっちりです!!」
「そいつぁ何より」
「やっぱり親父さんの店は最高です!」
「よせやい、ケツがむずがゆくなる!」
「あははっ」「カカカッ」
ここでひとまず会計を終わらせた僕は、次いで『防具』を買うために店内を物色する事にした。
まるで西洋美術館の甲冑展示フロアのような店内を歩く。
オレンジの証明に照らされて、鎧が鈍色の光沢を放つ。ピンと空気が張り詰めている、この雰囲気が僕は気に入っている。
いま僕が探しているのは鎧じゃない。
兜だ。
銃は拳銃にしろアサルトライフルにしろ、とにかくサイトを覗いて射撃しないと、まともに弾を当てることができない。なので、どうしても攻撃時に顔が無防備になってしまう。遮蔽物に身を隠していても同じだ。顔を敵側に晒すということが、実はかなり怖いことなのだと、先の実戦で思い知った。
顔面の裂傷は、精神的にかなりのショックを受ける。実際に頬に深い傷を負ってから、しばらくまともな思考ができなかった。つまり顔は優先的に守らないといけない。当たり前のことかもしれないが、いままでその実感がまったく無かった。
兜が陳列された棚を丹念に観察しつつ、思考を巡らす。
まず重いのはダメだ。
あと頭部全体を守るようなゴツイのも必要ない。いまの僕の場合、後頭部を不意打ちされるような状況になった時点で、ほぼ確実に負けだからだ。
あくまで遮蔽物からの射撃を円滑にするための防具だ。
つまり、軽くて、顔の前面をカバーしてくれる仮面みたいなヤツがいいんだけどなぁ、と探していると、
「……あった」
思い描いたとおりの品がそこにあった。
棚の奥。他の兜に埋もれているのにも関わらず、異様な迫力を放っているソレを、まるで化石の発掘作業のように、慎重に引っ張り出す。
ごくり、と生唾を飲み込んだ。
スーパーかっこいいのを発見してしまった。
卵のような楕円形の鉄仮面だ。
装飾はまったく施されておらず、まさに銀でできた卵殻のような外観だ。その無骨さが、僕の心を強く惹きつけた。
色は暗い銀色。古い純銀製のリングを思わせる渋い色合いだ。
照明があたっているのに、光りをまったく反射しない。表面にどんな加工が施されているかはわからないが、暗闇で相手のライトをピカピカと反射させる、なんていう間抜けな事にはならないだろう。
鉄仮面はベルトで後頭部を締めるようにして装着するタイプのものだ。キャッチャーマスクみたいなものか。
視界を確保するために、中央に「-」の切れ込みが入っている。そして嬉しいことに、ただ穴が開けられているのではなく、ちゃんとメッシュみたいな透明な膜がつけられていて、石や木片などの飛沫から眼球を守ってくれるだろう。
試着してみると、想像以上に視界が広いことにまず驚いた。切れ込み以上の視界が確保できているのだ。これも魔法によるものなのか?
おまけに軽い。本当に軽い。
なのに着けた感触からは、相当の強度があるのが分かる。
これはあくまで勘だが、ベレッタM92Fの直撃を跳ね返すくらいのことは難なく出来るはずだ。たぶんM4A1の5,56mm弾も弾くだろう。
ぶるり、と背中を振るわせる。
袖から伸びる腕に鳥肌が立つ。
まさに、僕のための装備といってもいい!
すげー。めっちゃすげー!
合体ロボットをいじる子供のように、陶然と鉄仮面を掲げたり撫でたりしていると、やがて興味を引かれたのか、親父さんが傍までやってきた。
「なんだボウズ、なんか掘り出しもんでも――」
そう言って僕の手元を覗き込んだ瞬間、その巌のような顔に動揺が走った。
「……お前また、とんでもねえもん見つけたな」
「え?」
意味が分からず首をかしげる。
「ボウズ、お前それ買う気か?」
「是非! あっ、でも値札がついてないですね。これ幾らですか?」
親父さんは答えず、逆に質問してきた。
「お前、いまどれぐらい持ってるんだ?」
「? えっとですね」
親父さんの何か含んだような態度に疑問を抱きつつも、頭の中でざっと計算する。
装備用にプールしておいた資金は残り150万ちょいといったところ。
素直にそう告げると。
「よし、じゃあそれ全部で売ってやろう」
「ええええ!?」思わず持っていた仮面を取り落としそうになった。
「なんだ、やめるか?」
「……う」
そう聞かれ僕は逡巡した。
足元を見られている、というわけじゃないのは分かっている。
しかし150万全額は痛かった。なぜならこのお金は、今後の鎧購入にも当てられるものだからだ。これがまた振り出しからとなると、いったいいつ鎧が買えるかわからなくなる。
しかし。
鉄仮面に目を落とす。
しかし、150万を一気に失うことよりも、これが誰かの手に渡って二度と入手できない事の方が損だと、第六感が訴え続けているのだ。
さぁどうする?
しばし熟考した末。
「買います」
はっきりと言い切った。
親父さんが「いいのか?」と念を押す。僕は迷いなく首を縦に振った。
「ここで揃えた方が得ですから!」
「カカカ、言いやがったな色男!」
上機嫌に笑い出した親父さんが、強めに僕の頭をぐりぐりと撫でた。
えっと、撫でてもらえるのはいいんですが、その、い、痛い、です。
サービスで鉄仮面の固定用ベルトの調整と、ベルトやタクティカルベストに提げられるように、フックをつけてもらった。
最高の買い物ができた僕は
「ありがとうございました!!」
頭を下げ、軽い足取りで店を後にした。
一人の老人が、そのやりとりを店の奥からじーっと見ていた。
やがて、老人はその皺だらけの顔をぐんにゃりと曲げると、店主に向けて口を開いた。
「オイおめえ、この店を潰す気か?」
「うるせぇジジイ」店主はバツが悪そうに背を向ける。「……これは投資だ」
それを聞いた老人は、おかしそうに肩をゆすって笑い出した。
「ケケケ、頭のたりねぇガキが、いっちょ前に投資ときたもんだ。後で泣きをみても知らねぇぞ?」
「言ってろ。あいつぁ今にでかくなる」
「そりゃあいい。でかくなる前に店が無くならねぇことを祈ってるよ」
「フンッ」
老人はゲラゲラ笑いながら、不貞腐れた息子の横顔をしばし楽しんだ。




