1-7
数え切れないほどの星が瞬く夜空の下。
街道わきに設けられたキャンプ地。
そこでは人々が火を囲み、暖かなスープと談笑で一日の疲れを癒していた。
焚き火のオレンジに染まったその空間は、和やかな雰囲気に包まれていた。
そしてその一席に、僕は居た。
「……どうぞ」
ちいさな男の子が、木の器に入ったスープを差し出してくる。
クリーム系のドロッとしたスープに、ベーコンのような干し肉と、ジャガイモが入っている。ふわりと香る湯気が、食欲をそそる。
僕が「ありがとう」と受け取ると、男の子は照れたように俯き、ピャーッと逃げるように母の背に隠れた。
それを見て、まわりにいる大人たちは笑った。
スープを渡してくれた子の名前はビンズ。トカゲに追われ、僕が救った子供だ。
僕は生き延びたのだ。
――僕が気を失ったあの後。
男たちは無事トカゲを退け、気絶している僕を保護してくれたのだ。
そして僕は、ビンズを救い、命をかけて助太刀してくれた恩人として、手厚くもてなしてもらっている。
スープを口に運ぶ。だが飲み込もうとして、スープが違うところに入ってしまった。
「ゲフッ、ゴフ」
「大丈夫ですか!?」
心配して覗き込んでくるビンズの母に、大丈夫ですと笑顔で応えた。
あれから2日経ち、大分良くなってきたのだが、まだ鳩尾あたりの不快感がとれない。
発作的に手の震えもある。
僕は、もう少しで衰弱死するところだったらしい。
トカゲとの戦闘中に感じた、あの猛烈な不快感。
その正体は「魔力欠乏症」と呼ばれるものだった。
魔力を使いすぎて、生命維持のためのエネルギーが足りなくなり、臓器に大きな負荷がかかり、やがて衰弱して死に至る。
僕はその一歩手前のところまで自分を追い込んでいたらしい。
えーっと。
つまり僕が出していた銃は、じつは魔法で生み出したもので、調子に乗ってバカスカ撃っていたら燃料切れを起こして死に掛けたのだ。
そう、魔法だ。
僕はいつのまにか銃を召喚することができる魔法使いになっていたのだ。
最初に魔力欠乏症やらなんやらを真顔で説明された時は、「宗教!?」と疑ったが、あれから2日経った今では、もうそういうものだと納得している。
僕は魔法使いで、ここは異世界だ。
ちなみにこれは僕の憶測だが、あの水晶の牙は、じつは魔力が宿っている物で、その魔力を吸収して傷を癒したりしていたのかもしれない。大型の銃を召喚したときに水晶の牙が多数砕け散ったのも、それで説明が付く。まぁただの想像だけど。
「さ、どうぞ、冷めないうちに」
「あっはい、いただきます」
そこで思考を一旦手放し、ふたたびスープに手をつけた。
口に運んだ瞬間、おもわず顔がほころぶ。
濃厚なコンソメと生クリームの味わい。そしてスパイスが味を引き締めている。
すっごいおいしい! おまけに隠れるようにして大きいチキンも入ってる!
夢中でスプーンを動かしていると、その時、ふと視線に気づいた。ビンズが母の背から半分だけ顔を出して、じっとこちらを見ていたのだ。
あ、いけない、そうだった。
「今日も美味しいよ」
そう告げると、ビンズはその顔に笑顔を咲かせた。いつも僕のためにスープを作ってくれているのだ。しかも僕のために一番大きい肉を入れてくれる。いい子だ。
彼らは異世界の住人なのだが、会話は普通に出来た。
だが、聞こえてくる声と口の動きが合っていないことから、たぶん言葉の意味が訳されて僕の耳に届いているのだろう。それを証拠に、彼らのしゃべる内容はわかっても、文字はまったく読めない。どうせきっと魔法かなにかだろう。原理はもう考えない。
いまの僕は、魔力欠乏症による記憶障害を起こした人、ということになっている。
最初は『日本から来たんです』と何度も説明したのだが、まったく伝わらず、結局彼らのほうが勝手にそう解釈してくれたのだ。
僕は記憶障害のリハビリと称して、この世界の常識をいろいろ教えてもらった。
時間や日にちの考え方が同じだったことには驚いた。
こっちでも一日は24時間で、一週間は7日、一年は365日となっていた。それもアラビア数字で数えられている。ためしにバレンタインデー、クリスマスは?と聞くと、首をかしげていた。この世界は童貞に優しいようだ。
いまの季節は、ちょうど春から夏に移り変わりだす5月らしい。
この世界の地理についても色々教えてもらったが……正直ほとんど覚えていない。
教えてくれた人には申し訳なかったが、聞き慣れない固有名詞がバンバン出てきて、興味が一瞬で失せ、聞き流してしまったのだ。
ただ、いま僕がいるのが『カンニバル国』で、これから向かっている町が『サルラ』ということだけは覚えている。いまはその理解で十分だ。
サルラという町で、僕は帆馬車から降りる予定だった。
このまま彼らと行動を共にするのもよかったが、どうせなら、一人でファンタジーの世界を見て回りたかったので、大きな町で降ろしてもらうことにしたのだ。でも、このまま何の準備も無しに町に行ってもホームレス確定だろう。なので最低限、自立するための知識を、彼らから色々と教えてもらっている。
「君、これもどうだ」
隣に座る大男に、薄いパン生地に細切れにした干し肉と野菜を巻いた、トルティーヤみたいなのを薦められた。
「あ、どうも、いただきます」めっちゃおいしそう。もちろん貰う。
がぶりと齧りつきながら、大男をチラッと見た。
鍛え上げられた腕は、肩も二の腕も、筋肉で盛り上がっていた。その隆起した腕は、まるで大蛇だ。逞しい大胸筋を頑丈な鉄の胴当で覆っている。その胴当には錆びと血がこびり付いていた。
焚き火を囲んでいるほとんどが、彼のような屈強な男たちだった。
彼らは『冒険者ギルド』という組織に所属している、『冒険者』と呼ばれる人たちだ。
今回、村の特産品を街に卸すための馬車を護送するために雇われたそうだ。
話を聞く限り、ギルドというのは現代の民間軍事企業(PMC)みたいなもので、彼らはそこに雇われてる傭兵みたいなものと考えればいいのかな。
まんまRPGゲームみたいな話だな。
でも僕は笑う気にはならなかった。
これは現実だ。
僕は咀嚼しながら、帆馬車の一つを見た。
その屋根には、防水シートに包まれた遺体が5つある。
トカゲとの戦闘で死傷した人だ。谷底に落ちた人は、回収できなかったそうだ。
もし運が悪ければ、僕も布に包まれて、あそこに積まれていたかもしれない。
ここは僕の住んでいた世界じゃない。
剣と魔法とモンスター、そして死が身近に存在する、危険な異世界だ。
こんな常軌を逸した事態に直面しているというのに、しかし僕の心はいたって平穏なままだった。
祖父の老衰以外、人間の死というものに触れたことがない。それなのに、他人の悲惨な死を目の当たりにしても、それをアッサリと受け入れられてしまった。
悪夢にうなされることもなく、悲観的な発想にもならない。
客観的に考えて、この心理は異常なんじゃないかと思う。
もっとこう、葛藤とかあってもいいと思うんだけど。
僕ってこんなタフな人間だったんだろうか。ご飯も普通にむしゃむしゃ食べられる。
――僕は銃を生み出すことができる。
この力を使って、この異世界で何ができるのだろうか?
それを考えるだけで、不安など一瞬で消し飛び、期待に胸が躍ってしまうのだ。
サルラという町で繰り広げられる自分の新生活のことを考えると、もう、いてもたってもいられないくらいだ。
僕はこの世界で生きていきたいと、強く願うようになっていた。