3-05 新しい友達
ぅぅぅぅううううーーわーーああああぁぁぁぁ
青々とした芝生が広がる馬場に、僕の悲鳴が木霊する。
重力という戒めから解放された僕は、青空に美しい放物線を描いていた。
上下がひっくりかえった世界の中。
今日が文句のない快晴だと、あらためて実感した。
まず僕に必要なのは『馬の扱い』だった。
長い道のりを徒歩で行くわけにはいかないので、当然、馬の足が必要になる。
馬自体はギルドからレンタルできるのだが、問題は、僕にまったく乗馬経験がないことだった。護送はただ運ぶだけでなく、外敵から荷を守りながら移動しなければいけない。そのため、いざという時に的確に馬を動かせないと話にならない。
ということで、まず乗馬訓練を受けることになった。
そしてこの様だ。
5mほど宙を舞った僕は、ふたたび重力に抱かれながら芝生にダイブした。
全身、土と芝まみれ。
そんな僕を、
「あーっははは。アンタいま、パチンコみたいに飛んだわよ!」
優雅に白馬を乗りこなしつつ、キャッキャとはしゃいで笑うリュッカさん。
恨みがましく見上げると、ぱっちりとした目を、イタズラ猫のように細めていた。
楽しそうで何よりです。
そして僕をパチンコ玉のように振り落とした馬も、こちらを見ながらブヒヒンと笑いやがった。ああああどいつもこいつもムカつく。
このように、僕と馬の相性は最悪だった。
僕が悪いんじゃない。馬が僕のことを馬鹿にするのだ。
乗るところまでは何とかなる。
しかし手綱を握って数分もすると、急に馬が言う事を聞かなくなるのだ。
止まれと命じれば急発進して僕を後方へとふっ飛ばし。
曲がれと命じればコーナードリフトを決めて僕を横方向へとふっ飛ばし。
走れと命じればジャンプして僕を垂直方向へとふっ飛ばす。
おかげで受身のいい練習ができたよありがとね死ね!
いろんな馬を試してみたが、僕が天駆けることに変わりはなかった。
イライラしながら土ぼこりを払っていると、馬場にいる全ての馬がこっちを見て、ニタァと笑ったような気がした。
刹那、視界が激情に染まった。
「ええいいでしょうわかりました今すぐその縦長の面ぁ吹き飛ばして馬刺しと缶詰にしてダンボールにつめて仲良く出荷してあげますから一列に並べ馬糞製造機どもがあああああ!!!!」
僕が芝を蹴り上げて怒り狂っていると、馬たちは「きゃーこわーい」と小ばかにしたような顔をして、トレーナーの元へと帰っていった。きぃぃぃぃ!
「きゃはははは」
そんな僕を見てお腹をかかえて笑うリュッカさんの声が。
澄み切った青空へと吸い込まれていった。
結局、馬での移動は諦めることになった。
今回は荷馬車での移動なので、運転席に同席することにしたのだ。
まぁ乗馬ができないということが事前にわかっただけでもよかった。
払った代償はお金とプライドだけど。
僕たちは出口に向かうために厩舎の中を通っていた。
体育館ほどある大きな建物。一本の通路を挟むような形で、馬が繋がれている。
その中を歩きつつ、
「てめなに見てんだこら? あ? お?」
すっかり馬嫌いになった僕は、一頭一頭にガンを飛ばし続けていた。
(お前ら覚悟しとけよ。馬肉がダイエットに効果的とかウソ噂を流しまくって、主婦層を中心に市場の需要を人為的に吊り上げてやるからな。そうなれば、フフフ、あっというまに肉屋に並ぶことになるだろうね。それが最後の馬草にならないことを神にでも祈っているんだな。もっとも神に馬の言葉が通じるとは思えないけどなあ!! キシャーッ!!)
そんなドス黒いことを考えながら練り歩いていると、
「おわっ!?」
トンッと背中を押され、前につんのめった。
いま誰が押した!? リュッカさんは前を歩いている。
ということは。
鏡を見なくとも、顔の中心に皺が寄るのがわかった。
フフ……フフフフ……。
今の僕に喧嘩売るとはいい度胸じゃないですか馬ああああああ!!
鬼の形相で振り返った僕は、
「クルルル」
そこにいた生物を見てポカンとなった。
えっと、なんか、馬じゃないのが繋がっていた。
さっき僕の背を押したのはコイツだ。
怒りも忘れ、僕はその生物をしげしげと観察した。
外見は直立二足歩行する大型のトカゲ。
ハリウッドの恐竜映画でおなじみのヴェロキラプトルに近い。しかし獰猛な見てくれの割りに、よく見るとカワイイ顔をしている。大きくて愛嬌のある、まんまるの瞳。頭頂部には三角形の耳がついており、パタパタと動いている。
馬ほどはある背丈。
長くしっかりした後ろ足で全身を支えていて、前足は後ろ足より短い。まるでレース用バイクを彷彿とさせる流線型のフォルムだ。
全身を鱗に覆われており、そのガンメタリックグレーの鱗は非常に艶やかで、おもわず撫でたくなる光沢を放っていた。
こいつも移動用の動物なのだろうか? と首を捻る。
厩舎に居るってことは、そういうことだよな。
さすがファンタジー。不思議な生き物がいっぱい居るんだなと思わず感心してしまう。
しかしなんだろうね、
「クルルッ、キュルールッ!」
さっきからこの恐竜もどきに、すごい好意を向けられているような気がする。
僕と目が合っているのが嬉しいのか、長い尻尾をブンブン振っているのだ。犬と同じ感情表現なのかどうかはわからないが、少なくとも敵意があるようには思えない。全体的に大型犬のような愛くるしさがある。
だんだんと撫でてみたいという衝動が高まってきた。
恐竜もどきは顎を頑丈な金具で固定されているから、手を出した瞬間ガブッと噛まれる心配は無いみたいだ。爪も分厚い袋で覆われているから引っかかれることもなさそうだし。
危険は無いか。
……いやでもやっぱり怖いな。
柵の前で、手を出したり引っ込めたりを繰り返す。すると恐竜もどきは柵に頭を寄せ、僕を受け入れるように瞳を閉じてジッとしていた。それを見てようやく安心した僕は、その鱗にそっと手を添えた。
気持ち良い。卵みたいにツルツルの肌触り。
硬いんだけど、しっとりしてて温かい。
トカゲって冷たいイメージがあったんだけど、こいつは違うようだ。
「キュルルル」
そんなことを考えながら撫でていると、恐竜もどきが甘えた声を出しながら、僕の手に頭をグイグイと押し付けてきた。
この瞬間、目尻が蕩けてしまった。
あぁ可愛いなぁ。
めちゃくちゃ可愛いなぁ、この子。
どっかの馬糞とは雲泥の差だ。
時間も忘れ、夢中で撫でていると、後をついて来ない事に気づいたリュッカさんが戻ってきた。
「もうっ、なにやってんのよ。まっすぐの道で迷うくらいアンタの頭ってスッカラカンなの? なんだったらリードで引っ張ってあげようかしら?」
「……」なでなで
「ちょっと無視してんじゃないわよ!」
「いい子いい子ー」なでなで
「ねえこっち向きなさいよ! 私に失礼でしょ!」
「いま手が離せませんー」なでなで
「さっきから何やって……ってアンタそれ走竜じゃない」
「走竜?」
僕がつぶやくと、目の前の恐竜もどきが「そうだよっ、そうだよっ」といわんばかりに頭を縦に振った。
そして走竜はいったん僕の手から離れると、しきりに自分の背中を鼻でふんふんと嗅ぎ、次いで僕を見るという動作を繰り返した。まるで「乗って!」とせがんでいるかのようだ。
「アンタに乗って欲しいんじゃないの?」
「みたいですね」
「やってあげれば? ……プクク」
「?」
半笑いのリュッカさんが気になるが、どうやらそうみたいだ。
スキンシップで警戒心が和らいだ僕は、柵を乗り越えると走竜の傍に降りた。
もう見るからに肉食獣だから、さぞ体臭もキツイだろうと思っていたのだが、そんなことは一切無く、畳に寝転がったときの、あのイ草のような懐かしい匂いがした。この匂い結構好きかも。
「君、とってもいいニオイだね」
そう言ってあげると、走竜は言葉が分かるのか嬉しそうに瞳を細めた。
視界の端でリュッカさんがムッとしたような視線を向けてきた。「?」首をかしげると、リュッカさんはプイッと顔をそらした。何だったんだろう、今の。
いやでも困ったな。
僕は走竜の背に手をかけたまま、途方に暮れていた。
乗りたいんだけど、足場がないのだ。
この狭い場所で跳び箱みたいに無理やりジャンプして、もしこの子のお腹に膝蹴りなんてことになったら可哀想だし。どうしたものかと悩んでいると、なんと驚いたことに「ルルッ」走竜のほうが自ら察して、僕が乗りやすいように膝を曲げてくれたのだ。
僕は呆気にとられつつも、
「ありがとう、君はいい子だね」
ひと撫でして、走竜の背にまたがった。
走竜の背中は首の付け根あたりが平らになっていて、乗り心地は非常にいい。
鞍など要らないぐらいだ。
スクッと走竜が立つと、高い天井に手が届きそうになる。
バランスも落ち着いてる。
うん、これなら馬よりよっぽどいいくらいだ。
そう思いつつリュッカさんを見下ろすと、なんだかすごい複雑な顔をしていた。その表情はまるで「期待はずれだ」といっているようだった。
その時である。
「なにしてんだあんたらああ!!」
清掃をしていた人が、箒を放り捨てて飛んできた。
走竜。
走竜とは、現実世界の『闘犬』みたいなもので、賭け試合に使われる恐ろしい生き物らしい。
その性質は非常に獰猛。
幼いうちに捕まえて調教するも、飼いならすことはほぼ不可能で、成獣になると手に負えなくなるから森に返すそうだ。
そんな猛獣の背に乗ってたわけだから、清掃員さんが血相を変えるわけだ。
事情を知っているリュッカさんはというと、悪びれるどころか「またアンタの飛ぶところが見られると思ったのに残念」とほざきやがった。
とりあえず心の中の復讐ノートに、髑髏マークを一個追加した。
このまま帰るのもなんだったので、馬場の経営者にかけあって、試しに走竜と走ってみることにした。
騎乗して改めて実感したのだが、この走竜は非常に賢い。
僕がちょっと体重移動をかけただけで、そちらに方向転換してくれるのだ。
止まるときも、手綱をちょっと引いただけで止まってくれる。それも急ブレーキではなく、僕の負担を考えて減速してから止まるのだ。おかげで腰が浮くことがほとんどない。
乗り手のことを意識していなければ、そんなことにはならない。
動きのひとつひとつに、僕に対する愛情がにじみ出ていた。
途中から手綱すら必要なくなり、僕は空いた手で、ひたすら走竜を撫で続けた。
かわいい。
お前はかわいい。
「走竜がここまで人に懐くところを見るのは初めてだよ」
乗竜訓練(?)を一段落させ、木の枝で「とってこい」の遊びをしている僕たちに、馬場の経営者が声をかけてきた。60歳くらいのヒゲのおじさんだ。
「そんなに気性の荒い生き物なんですか?」
「荒いなんてもんじゃない。ちょっと移動させるだけでも数人がかりでサスマタを使わないと、とてもじゃないが無理だ」
「はぁ」
僕は首を捻る。
枝を咥えることができず、前足で落とさないように枝を持ってヨチヨチ歩いている走竜の姿は、もうどっからどう見ても愛玩動物にしか見えない。しかも僕に褒めてもらえるのが嬉しいらしく、テンションフルマックスで瞳をキラキラさせていた。
ちなみに隣でリュッカさんも同じように枝を投げているが、ずっと無視されている。
そんな僕たちの様子を複雑そうな表情で見ていた経営者のおじさんが、やがてこう切り出してきた。
「なぁアンタ、もしよかったらコイツを引き取ってくれないか?」
「え、いいんですか?」
「いいもなにも、そうしてくれるなら大助かりだ!」
僕の返答にパッと表情を明るくする。
「実はな、こいつは強すぎて賭けの役に立たないんだよ。先日も5匹対1匹でマッチメイクして、ものの10秒で全部殺しちまいやがった。もうこの町じゃあコイツとの賭けが成立しないんだよ」
賭けの役に立たない以上、森に返すしかない。しかし5匹を一瞬で殺すような走竜の運送だと費用はめちゃくちゃ高くなる。かといってこのままというわけにもいかない。経営者は、この走竜を持て余していたのだ。
経営者はタダで譲ってくれると提案してきた。
タダより高いものはないというが、この場合は大丈夫だろう。
持って来た枝を受け取った僕は、走竜としばし見つめ合った。
「キミ、僕と一緒に来る?」
そう問いかけると、走竜は甘えるように僕の胸に顔をこすりつけてきた。
そっか。
じゃあ決まりだな。
僕はこの走竜を引き取ることにした。もちろん明後日の任務にも連れて行く。
さっそくカウンターで受け取り書類にサインして(リュッカさん代筆)、さらにここで騎乗用の鞍を購入した。それと走竜の口に嵌っている金具は、街中では絶対装着しておかないといけないものなのだが、いま着けている無骨なデザインは気に入らなかったので、綺麗で丸い形の口枷をあたらしく購入して交換した。
合計5万ルーヴの出費だが、懐にはまだまだ余裕があるので大丈夫。
持ち主登録のときに走竜の名前が必要だったので、僕はこの走竜を「ボナンザ」と名づけることにした。
それを聞いた途端、リュッカさんが吹き出した。
すこしムッとして尋ねる。
「何がおかしいんですか?」
「メス馬に女のファーストネームをつけるのはモテない童貞だっていう噂があったんだけど、本当だったみたいね、プクク」
「……」
うっさい。
この走竜はメスだったから、女性的な名前がいいと思っただけだ。
人の深層心理をずばりと言い当てやがって。
ボナンザはしばらくの間、ここの厩舎で預かってもらうことにした。嬉しいことにサービスで一ヶ月はタダでいいそうだ。僕が拠点にしているホテル「アンブレラ」にも馬を停めるスペースがあるので、早めにそちらに移す手続きをしておこう。
「クルルーキューキュ」
新たな口枷をつけたボナンザに「また明日ね」と別れを告げ、最後にもう一撫でして、さらに別れを惜しむようにもう一撫でして、さらにこれから宜しくねともう一撫でして、そこからさらに、
「ちょっといつまで撫でてんのよ! もう行くわよ!」
「あっ、でも、まだ」
「行くの! ほら早く!」
「ああ、ボナンザー」
なぜか急に不機嫌になったリュッカさんに腕をグイグイ引っ張られ、僕はその場を後にした。
そんな僕たちを、ボナンザは尻尾を振って見送ってくれた。
「どうしたってんだよ、いったい」
トレーナーである彼は、困惑した表情で目の前の馬を見ていた。
背中を摩ると、心臓が早鐘のようにドッドッドッと鼓動しているのが分かる。
目は大きく見開き、視線はあちこちを見て定まらない。
そして、まるで笑っているかのように口回りの筋肉が引きつっている。
怯えているのだ。
それも尋常じゃないぐらいに。
ここの馬は訓練用に飼いならされている特殊なもので、生まれてから一度も柵の外へ出たことがない。だから外で活動している馬に比べて、警戒心が非常に薄い。人間にも慣れていて、バカにする位だ。そんな鈍感な性質だから、走竜と一緒の厩舎に入れられても平然としていられる。
その馬が、ここまで怯えているのだ。
原因は間違いなくあの少年だ。
あの少年が乗ったからだ。
トレーナーはその時の事を思い出す。
異常な光景だった。
最初は何の問題もなく背に乗せていたのに、ある時を境に、馬が驚いたような反応を見せるのだ。まるで背に乗せているのが安全な人間ではなく、もっと別の、己を食い殺そうとしがみつく化け物だと気付いたかのように。
馬はパニックを起こし、なんとか少年を振り落とそうとする。
どの馬も、同じような反応を見せた。
大量の汗をかいている馬を見つつ、トレーナーは怪訝に眉根を寄せた。
どこにでもいる純朴な少年にしか見えなかった。
その少年の何に馬は怯えたんだ?
たしかに普通と言うには、看過できない部分はあった。
あの悪名高きリュッカ・フランソワーズと行動を共にしているのもそうだし、触れられる事を何よりも嫌がるあの走竜をあそこま手懐けて見せた。そんな事ができる少年が本当に普通なのか?
考えているうちに、だんだんと薄ら寒い物を覚え始めた。
「考えるのはやめよう」
トレーナーはそれ以上の思考を放棄し、馬のケアに専念する事にした。
馬と同じように、あの少年の『何か』に気付くのが怖かったからだ。




