おまけ3 ピチカと遊ぼう
「あれ、今のなんだ?」
遠くのほうで、雷の空鳴りのような音がした。
周りの人たちも異変に気付き、足を止めて振り返っている。
目を凝らすと、建物の隙間から、細い煙が立ち上っているのが見えた。
火事かなにかか?
目を細めていると、袖がクイッと引っ張られた。
「どーしたの?」
ピチカが見上げつつ首をかしげる。
僕の緊張を感じたのか、その瞳にすこしだけ不安を滲ませている。僕は「なんでもないよ」と穏やかに笑み、安心させるためにその頭を撫でた。
朝食を食べ終えた僕たちは、遊ぶ前に、商業区でお買い物をすることにした。
買ったのはピチカの服だ。
まだ陽射しはそれほど強くはないが、しかし陽の下で遊ぶのに、真っ黒な服のままではかわいそうだと思ったからだ。
立ち並ぶブティックで、薄手のワンピースを購入。
色は純白で、レースもくどくない程度についている。
いろいろ店を回ったが、どの店も獣人用の服を取り扱っていた。さらに腰にある尻尾の穴は、ジーパンの裾直しみたいに、位置を調節することもできる。
そしてこのワンピースには「鏡面防護処理」という、鎧の強度を増す技術が施されている。といっても、泥や埃などの汚れを表面で弾く程度だけど。一応、普通の服もあったが、あえてこっちを選んだ。
生地が白なので、汚れを気にして遊べないかもしれないと考慮したからだ。
けっこう値は張るが、ピチカのことを思えば安いもんだ。
「シンゴ、見て。見-て」
ピチカはプレゼントしたワンピースがよっぽど気に入ったようで、ちょっと歩く度に振り返っては「どう?」と訊ねてくる。似合ってるよと答えると、ピチカは嬉しそうにクルリと一回転し、スカートと尻尾を揺らす。
その姿に顔をほころばせつつ、でも転ばないかハラハラしつつ。
僕たちは目的地へ向けて、のんびりと移動した。
町を出て少し歩くと、草原が広がる場所が見えてくる。
ここは危険なモンスターがまったく出ない。遊ぶには持って来いの場所だ。
さぁ、と気持ちの良い風が吹き抜け、草葉が波のように揺れる。
吸い込む空気に、草の青々とした香りが混じっていた。
いい場所だ。
自然と笑みがこぼれる。
「シンゴ、はやく、はやく」
到着と同時にテンションうなぎのぼりのピチカが、僕の袖やらズボンやらを引っ張り、待ちきれないといった様子で催促してくる。
はいはいと笑いつつ、僕は紙袋からオモチャを取り出した。
フリスビーだ。
ピチカのおでこに当たっても大丈夫なように、スポンジのような素材で出来ている。
この場所を見つけてから、いつかピチカとこれで遊ぼうと計画していたのだ。
しかし。
いざやってみると、当初の計画とは、なんか、ちょっと違ってしまった。
僕が投げると、ピチカがそれを追いかけ、落ちたのを拾って、戻ってくる。
ピチカが差し出すフリスビーを、ちょっと複雑な気持ちで受け取った。
えーっと。
フリスビーってこんな遊び方だったっけ?
たしかキャッチボール的なヤツだったよね。
これじゃあまるで、公園で見かける飼い主と――
そんな事を考えていると、瞳にキラキラと星をちりばめたピチカが、
「つぎ、つーぎ」
ぴょこぴょこと飛び跳ねて、準備完了をアピールしてくる。
まぁいいか、本人も楽しそうだし。
「じゃあ行くよ?」
「んっ!」
「ほーら、とってこーい! あっ」いけね、つい言っちゃった。
僕のうっかり発言など気にもとめず、ピチカは猛然とフリスビーを追いかけていく。
放物線を描くフリスビーは、狙い通り、花が沢山咲いている場所に着地した。あとに続くピチカが、花の絨毯に、ぼふーんっ! と豪快に飛び込んだ。パッと花びらが舞い散り、ピチカの尻尾が草の中に埋もれる。
こんなアグレッシブなピチカを見るのは初めてだ。よっぽど楽しいのだろう。
「ピチカー、見つかったー?」
「ん~」
花畑の中から、フリスビーを持った小さな手がピョコンと飛び出る。
それを見て、僕は顔を綻ばせた。
本当に、平和な時間だ。
こうしていると、心が浄化されていくようだ。
お金じゃ絶対買えない幸せがあるんだと、自覚させてくれる瞬間だった。
谷から吹いてくる風が、僕の全身をすこし強めに撫でる。
周囲に生物の気配はほとんどない。
小鳥が数羽、頭上にいるぐらいだ。
このあたり一帯に危険な野生動物が出没しないのは、実はクラウディアさんのおかげらしい。なんでもこの近くに生息していた「大精霊」と呼ばれる神様みたいな存在を、クラウディアさんが討伐したそうなのだ。
その影響で、生命力の高いモンスターが生まれづらくなった。
なぜそんな事をしたのか、ハッキリとは分かっていない。
ただ驚くことに、この国に残っている他の大精霊に、クラウディアさんは「税金」を払わせているそうだ。きっと殺されたヤツは、税金を出し渋ったせいだよとホテルのオーナーは笑っていた。
彼女と面識がある僕としては、それを素直に笑えなかった。
なんか、ありえる話だよね、それ。
などと益体もないことを考えていると、お腹にポスンと軽い衝撃。
見れば下腹部にピチカがへばりついていた。
「フフ、おかえり、ピチカ」
「ただいま。んっ」
フリスビーを受け取り、そこでクスッと笑った。
ホッペや髪に、花びらが一杯くっついているのだ。ピチカの小鼻に、桃色の花びらが一枚ひっついて「プシュッ」と可愛らしいくしゃみをしていた。
「ちょっとじっとしててね」
「んっ」
頭や服についた花びらを払ってやり、そしてハンドタオルで軽く浮いた汗を拭う。
その間、ピチカは両手をグーにして直立不動。
なんかこうしていると、本当に妹ができたみたいだな。
「ピチカ、お水飲む?」
「まだだいじょーぶ、つぎ、いく」
僕から離れたピチカは、ふたたびダッシュの姿勢をとる。
「じゃあ次は、もっと遠くを狙ってみようか?」
「んっ」
コクンと頷き、ぐるぐると腕を回す。
ピチカの小さな体が、情熱で満ちている証拠だ。
なんだか僕もテンションが上がってきた。
なるべく進路上にデコボコがない場所を狙いつつ、「じゃあいくよー」けっこう力を入れて投げた。
フリスビーが空へと飛び立つ。その後を追って、真っ白な尻尾が駆け出した。
その時だった。
かなり強めの横風が吹き、フリスビーを直撃した。
フリスビーは、そのまま見当違いな方向へと流れていく。グングンと上昇していき、そして少し離れた林の中へと消えていった。あっちゃー。
立ち尽くすピチカの背中に声をかける。
「ピチカー、ごめーん。一緒に探そうかー?」
「だいじょーぶ。ピチカに、まかせて」
ピチカは力強い言葉を返し、そしてフリスビーの消えた方へと進んでいった。
本人の気合を表すかのように、その尻尾は塔のようにピンッと立っていた。
まぁ危険な動物も居ないし、林の中に入らなかったら大丈夫かな。
一人でやりたいみたいだし、しばらく見守ることにした。
ピチカは藪の中を覗き込んだり、鼻をヒクヒク動かして頑張っていたが……やがて、その尻尾が力無くペタンと垂れた。苦笑する。あぁやっぱりダメだったか。シュンッと肩を落としたピチカは、おもむろにワンピースからステッキを取り出――
って、ダメダメダメーーーーーーー!!!
僕は血相を変えて駆け寄り、ピチカがステッキを振ろうとするのを制止した。
「だ、だだだめだよピチカ! いいいいま何をしようとしたの」
『焼き払う』
本気モード!?
仰天しつつも背後からピチカの手をとる。
「それだとフリスビーごと森が焼け野原になっちゃうよ!」
「でも……」
「仕方ないけど、もう諦めよう。ね?」
「んぅ……」
僕の言葉に従い、ステッキを下す。
しかし、やっぱり未練があるようだ。スカートをギュッと握り締めていた。
やがてその小さな背中が、肩が、プルプルと震えだす。
そして、
「ピチカ……もっと、したい…………おわり、やだ…………」
振り返ったピチカは、保護欲を激震させるような瞳をしていた。
我慢なんて。
できるわけがなかった。
一瞬で理性を消し飛ばされた僕は、気付いたときにはギュッと抱きしめていた。腕の中で、小さな存在が抱き返してくる。草花と、子供特有のミルクのような体臭。そしてピチカの家のシャンプーのにおい。
しばらくそうしていると、段々とピチカの震えが収まっていった。
僕は優しい笑みを浮かべつつ、すこしだけ体を離す。そしてピチカの顔を覗き込むようにして、ゆっくりと話しだした。
「ピチカ、残念だけど、今日はもうここでおしまいにしよう」
「うぅ……」
「それにちょうどいい時間だし、おばあちゃんの所に行こ?」
「おばー、ちゃん?」
ピチカの瞳が揺れる。
いまピチカの心は、大好きなおばあちゃんと、フリスビーの間で揺れ動いているのだろう。その事を嬉しく思いつつも、少しだけ「おばあちゃん」に嫉妬してしまった。
「フリスビーはまた今度しよう」
「今度、いつ?」
「今すぐってわけじゃないけど、次にピチカの家に遊びにいった時とかどう? その時は、家に居る妖精の連中も全員誘って、みんなで遊ぼう。うん、それがいい! きっと楽しいよ!」
「みんな、シンゴもいっしょ?」
「もちろん」
「ぜったい?」
「絶対。約束するよ」
安心させるように何度も首肯する。
するとピチカも、こくりと頷いた。
「……わかった。やくそく」
ピチカの表情は相変わらず変化に乏しい。
しかしその瞳の光彩は、実に感情豊かに僕に語りかけてくる。
いま、その瞳から「憂い」が薄らいでいる。それが分かった僕は、ピチカから完全に体を離し、その銀色のつむじを掻き撫でた。なんか、どんどん子供をあやす技術が向上してるな、僕。
冒険者か、魔法医か。
もしくは保育士さんという将来もありかもしれない。
そんな事を考えていると、ふと、あることを思いついた。
思いついたら即実行が僕の信条だ。それが『素敵な』ことならなおさらだ。
明るい声でピチカにこう提案した。
「それじゃあ、約束のおまじないをしよっか」
「おまじー、ない?」
うん、と僕。
「ピチカ、小指を出してくれる?」
「? ? ?」
不思議そうな瞳をしつつも、言われたとおり小指を出す。
両手の。
僕はピタリと動きを止めた。それを不思議そうに見つめるピチカ。
えーっと。指きりげんまんをしたかったんだけど、また意図しない事態になった。
まぁいいか。どうせだし、2倍ってことで両手でしよう。
差し出された小指に、自分の小指を絡める。
すると僕とピチカの間に小さな輪が生まれた。
「プクク」
なんだこれ。
でも、これでいい。むしろ、こっちのほうが僕らしい。
ここは異世界だ。僕の世界の常識なんて無いんだし、我流でやっちゃえ。
「シンゴ?」
変なタイミングで笑い出す僕に、小首をかしげるピチカ。
どうせだし、とことん我流でやろう。
楽しければそれでいい。
「はいじゃあピチカ、おまじないの回転をはじめるよー」
言って、遊園地のコーヒーカップのように回りだした。新たな遊び(?)に、ピチカの瞳が輝きを取り戻す。それが嬉しくて、グングン速度を上げていく。
すごい速さで景色が横に流れていく。
しかしピチカは変わらずそこに居る。
ピチカは僕にとって居場所なのかもしれない。
ちゃんと優しい自分であることを確認できる、そんな存在なのかもしれない。
先日、僕は自分の意思で人を殺した。
しかし翌朝にはケロッとして、朝食を口にできた。そのまま狩りに出かけられた。
生活になにも変化はなかった。
心には目立った杞憂も、そして感傷もない。ごく自然に、受け入れてしまったのだ。
それが少し怖かった。
僕はあの晩、化け物に生まれ変わったのかもしれないと思った。
でも違った。
僕はこうして以前と変わらず、ピチカに優しく接することができる。
温かく、慈しむことができる。
僕は人の心を失っていない。僕は僕のままだ。
それが確認できるのはピチカのおかげだ。
ありがとう、ピチカ……君のおかげで僕はとかなんとかセンチメンタルなことを考えていたら目を回しすぎてゲロを撒き散らしそうになった。
メリーゴーランドは緊急停止。
三半規管がショートした僕は、立っていることもままならず、そのまま地面に四つんばいになった。
やばい。
止まっているハズなのに、地面が回転しているようで気持ち悪い。
まるで自分が一本のネジになって、土に埋め込まれていくように錯覚する。
「だいじょー、ぶ?」
ありがとうピチカ。
でも背中を摩らないで。朝食を返却しそうになるから。
酔いが収まってから、僕たちは町へと戻ることにした。




