2-20 兄になりきれなかった者 ヒーローになりきれなかった者
二日後。
約束どおり、アイザックは謝礼を持って来た。
場所は、同じホテルのロビー。現金の受け渡しがあるため、レストランなどより、人の出入りが限られるここの方が適しているのだ。
午前11時。
人の居ないフロアの隅。
丸テーブルのひとつに、僕とアイザックは向き合って座った。
アイザックの傍らには4人の護衛。隙の無さや、装着している鎧から、かなりの腕を持った剣士たちであることが窺える。外出の用心としては、これぐらいがちょうどいいのだろう。
にしても、
「ずいぶん男前になったね、アイザック」
僕はにっこりと微笑みながら、そう指摘する。
アイザックも困ったように頭を掻いた。右頬に殴られた痕がいくつもついていたのだ。聞けば、家に到着するなり父親にしこたま殴られたらしい。まぁ仕方ないよ。それで済んだんだから、むしろ幸運だ。
それにしても、と思う。表にこそ出さないが、僕はアイザックの変化に驚いていた。
同じ人物だとは思えないぐらい、その表情は引き締まっていたのだ。
トトリ峠で見せた、あの瞳の奥にある弱さが、綺麗さっぱり無くなっていた。
座り姿勢、喋り口調も、堂々としたものだ。
男子三日会わざれば刮目して見よ、ということわざがあるけど、アイザックはたった二日で別人のように成長していた。その変化が、なんだか嬉しかった。
「こちらが謝礼になります」
アイザックはカバンから、硬貨のつまった袋をテーブルの上に載せた。
思ったよりも大きい。置いた瞬間、重量のある音もした。
アイザックの話では、追加報酬とした剣は50万ルーヴで売れたそうだ。律儀に領収書まで見せてくれた。なので基本報酬と合わせて150万ルーヴとなる。銀貨(1枚1万ルーヴ)で持ってきたのだろうか?
ずっしりとした袋を受け取り、中を確認する。
そして思わず顎が外れそうになった。
な、なんで全部金貨なんだよっ。
袋の内側から放出される黄金の光に目を細めつつ、アイザックに尋ねた。
「報酬は150万だったよね?」
どう見たってそれ以上は入っている。
アイザックは神妙に頷きつつ、
「たしかにお約束したのは150万なんですが……父が、どうしても弟を救ってくださったお礼がしたいと、余分に1000万用意したんです。僕もそれに賛成でしたので、こうして合わせてお渡しすることにしました。どうか受け取っていただけないでしょうか」
それは僕にとって、小躍りしたいほどの申し出だった。
この1000万があれば、防具の問題は解消する。訓練だって受けられる。
一気に冒険が楽になる。
でも、ダメだ。
緩みかけた頬を、僕の武士道がつねる。
そうじゃないだろ、オガミシンゴ。
グッと歯を食いしばり、金貨を15枚だけ抜き取って、残りを返した。
その行動がショックだったのか、「えっ」アイザックが眉根をハの字に寄せる。
「アイザック、気持ちは嬉しいんだけど、これを受け取るわけにはいかない」
「ど、どうしてですか!? 何か、お気に召さない点でもありましたでしょうか」
「いや、これは僕の問題なんだ」
「オガミさんの、ですか?」キョトンとする。
「うん」と僕。「僕はお金目当てでキミを救ったわけじゃないんだ。金銭ではなく信念で行動した。それを自分自身に証明するために、あえて150万でキミと契約したんだ。その時の決意を、後になって金欲しさに覆したくないんだ」
「は、はぁ」理解できないが、納得するしかないという表情のアイザック。
そうだよね。キミの目には奇特に映るかもしれない。
変に格好つけずに受け取ればいいのにって感じてると思う。
でも納得してもらうしかない。
僕はそういう生き方をしたいんだ。
「わかりました。オガミさんのお気持ちを尊重して収めることにします」
うん、そうしてくれると非常にありがたいよというかホントに早く仕舞ってよ!
かなり無理してるんだよ!
だって1000万だよ!!
やっぱ待って半分だけちょうだい! と言いそうになるのを堪えるのに必死だった。
心の中で血涙を流しながら袋を見送る。
自分を貫くというのも、つくづく大変なんだと改めて痛感した。
子牛を見送り終えた牧場主のように消沈していると、
「やはりオガミさんは立派な方ですっ!」
「……えっ?」
突然の言葉に、僕は瞠目した。
見ればアイザックの表情が、熱に浮かされたようになっていた。
何なんだ、いったい。
呆気にとられる僕をよそに、アイザックは濁流のごとき勢いで賛美を始めた。
「人は金に弱いものです。まして目の前に自由にしてよい大金があれば、誰もが飛びつくのは道理です。しかしオガミさんはそうしなかった! 自分の信念を尊重し、己の欲を仰する! それは生半な精神では出来る事ではありません!」
「い、いや、あのね、アイザック?」
こちらに謙遜する暇を与えず、アイザックの言葉は続く。
「戦士といえば皆、二言目には、金、金、金。騎士道に唾吐くようなゴロツキばかりです! オガミさんのように、金銭に流されず、己の誇りを貫こうとする者など滅多にいません! 俺は今、猛烈に感動しています! 貴方こそ真の男です!」
「いや後ろの人たちにモロに聞こえてるし、失礼だから、ね?」
アイザック越しに飛んで来る視線が痛い。
「キミの気持ちは嬉しいから、ね、それぐらいにしよ?」
「さらにオガミさんは――」
ダメだ、全然聞こえてない。本人そっちのけで、アイザックは目を爛々とさせて、褒め称えることに夢中になっていた。こうして見ていると、やっぱり15.6の少年なんだな、と思う。
悪い気はしないはずなんだけど……正直、アイザックの純粋な賞賛が心苦しかった。
「あの時、僕に決断させてくださったこと、本当に感謝しております!」
「いや、あれは」
胸がズキンッと痛みだした。
「おかげで目が覚めました! 兄として、困難に立ち向かう覚悟ができました!」
「ちが、そんな」
疼痛が激しくなる。
「それもこれも、オガミさんの、あの力強い言葉があったからこそです」
「違うんだ、アイザック!」
僕は語気を強め、無理やり話を遮った。
これ以上、聞いていられなかった。
アイザックはそんな僕に首をかしげる。
「違うとは、どういう事でしょうか?」
「僕は……僕はそんな立派な人間じゃないんだ」
顔をしかめ、僕は胸のうちを明かした。
あの日の夜。
噴水広場での、僕の本心を。
生まれて初めての実戦。
しかも自分の手には、人命が懸かっている。
もしミスを犯せば、自分だけでなく、幼い命まで奪われてしまう。
それをプレッシャーに感じないわけがなかった。
すこし頭を巡らせば、最悪のシナリオなんて、いくらでも湧いてくる。
しかしそうやって恐怖に飲み込まれていったら、臆病風に吹かれて動けなくなってしまう。「僕は無関係だ、他を当たってくれ!」そう言ってアイザックから逃げたくはなかった。彼を助けてあげたいと思うその気持ちを、尊重したかった。
だから僕は必死に、不安を意識の外へと追い出した。
感情に仮面を被せ、図面を書き起こすように「自分に何ができるか」だけを考えた。
決意が鈍らないように。
でも、ダメだった。
けっきょく僕は、土壇場で踏ん切りがつけられなかった。
あとは僕に全部任せろ! と口にする勇気が出せなかった。
そして同時に、背中を丸めているだけのアイザックが許せなかった。
他人の僕がこれだけ必死に不安と戦いながら、それでも救助に行こうとしているのに、当事者のアイザックは耳を塞いで震えているだけ。このまま俯いていれば同情した僕が勝手に行ってくれるだろうというその態度が、どうしても許せなかった。
誰のためにやっているんだと怒りすら覚えた。
もしあの時。
心に余裕があれば。
僕に実戦経験があれば。
そんなアイザックの弱さごと背負い込むことができたかもしれない。
でも、あの時の僕には無理だった。
とてもそんな余裕はなかった。
自ら進んで動き出すことが出来なかった。きっかけを欲した。
歩馬車の時の様な、無理やり巻き込まれるような強烈なきっかけ(動機)が。
だから、だ。
消沈するアイザックに、わざわざ発破をかけ、無理やり自覚を促し。
決意の言葉を引きずり出させた。
そうやって――
竦んでしまった自分の背を、アイザックに無理やり押させたのだ。
あの時、いろいろと考えはあった。
その全てを否定するつもりは無い。
反省しているとか、そういうことじゃない。
アイザックに謝罪したいとか、そういうことでもない。
ただ。
自分で一歩目を踏み出すことに臆した僕が、こうして手放しで褒められているのが、辛くてたまらなかったのだ。僕はアイザックが期待しているようなヒーローでも、なんでもないんだ。
プレッシャーから解放され、ボロボロと涙を流しながら夜の森を歩いた。
そして改めて思い知らされた。
「ごめん……僕はキミが思っているような、立派な人間じゃないんだ」
アイザックの目を見つめつつ、自分の正体を明かした。
弱い僕の正体を。
すると、
「プッ」
護衛の一人が、手で口を押さえるようにして吹き出した。
それを咎めるつもりは無い。笑われて当然だ。
しかしアイザックは違った。
「……いま笑った者、一歩前に出ろ」
空気を切り裂くような鋭い一言を放った。
さきほどまでの、思春期の少年のような面影はなりをひそめ。
そこには、別の顔をするアイザックがいた。
男は腰に電流を流されたように背筋を伸ばし、一歩前に出る。それをアイザックは、じろりと睨み据えた。
「……貴様に聞く。貴様は、単身で山賊バズの拠点を探り当て、アントンを救助し、さらにそこにいるすべての者を殺せるのか?」
「い、いえ」
「その貴様に、彼を笑う資格があるのか?」
「あ、ありません」男の頬は引きつっている。
ハッキリと怯えが見て取れた。
「当然だ。もし今一度、俺の恩人を侮辱するような真似をしてみろ。その時は、昨日のマヌケ野郎と同じ目にあわせるぞ。これは脅しじゃない。わかってるな?」
「も、申し訳ありませんでした」
「もういい下がれ」
「はい」
男は顔を青ざめさせながら一歩引いた。
その様子を見ていた僕は、静かに驚嘆していた。
あの気弱だった少年が、視線と言葉だけで、屈強な男を一喝してみせたのだ。
アイザックは、所作や風貌だけでなく、中身まで別人に成長したのだ。というかキミ、昨日何したんだよ。
そのアイザックは、厳しい表情を緩め、僕に向き直った。
「部下のご無礼、ご容赦ください」
「い、いや、いいんだ」当然のことだし。
「ありがとうございます。それから失礼を承知の上で申し上げます。オガミさん」
「貴方は決して弱くありません」
あの、みっともない話を聞いた後だというのに。
アイザックは落胆など微塵も感じさせず、きっぱりと言い切った。
「自覚を迫られたこと、俺は1粒の不満もありません。貴方が感じた怒りに共感すら覚えます。そしてなにより、貴方に失望などしていません。むしろ、先ほどのお話を聞いて、俺が思っている以上の人だと、改めて感服させられました」
「いや、でも」
「己の弱さを認め、それに向き合おうとする者は、
100の敵に勝つ者よりも優れている。父の言葉です。
俺は今の貴方を見て、父が言っていた言葉の意味を理解することができました。
弱い自分を認めることは怖い。それを人に晒すのはもっと怖い。
誰だって目を背け、包み隠したいものです。
しかしそうはせず、告白することが出来るオガミさんは、決して弱くありません。
オガミさん、貴方を一人の男として、俺は尊敬します」
「そ、そっか……ありがとう……」
そう返すだけで精一杯。ちょっと泣きそうになった。
救ったはずなのに、救われたような心持だった。
これじゃあどっちが年上かわからないよ。
すると僕たちの間に、カチャッ、とカップが奏でる音が鳴った。
気を利かせたオーナーが、2人分のコーヒーを淹れてくれたのだ。
僕たちは無言で微笑みあい、そして褐色の液体に口をつけた。
それから2,3話をし、アイザックが「自分もトトリ峠に謝罪しに行きたい」と言いだしたので、僕もそれに同行する約束をした。それをしない事には、自分も前に進めないとアイザックは言った。
トトリ峠で、どれだけの悪意をぶつけられるか、想像に難くない。
それでも自ら行く事を決断できたんだ。
アイザック、君も、もう弱くはないよ。
僕は未熟ながらも、戦士として、冒険者としての道を進んでいく。
アイザックも、これから貴族として苦難の人生を進んでいく。
僕たちの進む道は違う。
でも、困難なのは同じだ。
一歩一歩に迷いながら、転びながら、それでも進んでいくしかない。
道のない道を突き進む若者同士。
僕たちは固い握手を交わした。
 




