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2-19 帰路





 バズから渡された鍵は本物だった。


 貯蔵庫の扉を開け、慎重に中へ。

 そして罠が無いのを確認してから、うな垂れている弟アントンを開放した。

「だ、だれ?」

 座り込んで不思議そうな表情を浮かべるアントンに「君を助けに来た」とだけ伝え、無理やり立たせる。グズグズしていられないのだ。

 火は廊下に散乱している廃材や家具にまで燃え広がり、いまや一階にも煙が立ち込めていた。火の手が一階まで押し寄せてくるのも時間の問題だ。

 僕らは咳き込みつつ、急いで勝手口から外へと飛び出した。

 振り返ると、ちょうど炎が屋根を飲み込んだところだった。

 闇夜に一本の火柱が立つ。

 手をかざさないと顔を向けられない程の熱風が、頬の産毛をちりちりと焦がす。

 壊れた二階の窓。

 火炎を吐き出すその窓の奥に眠る男に、僕は一度だけ目礼した。

 そして静かにその場を後にした。

「おっと」

 突然、前に崩れかけたアントンの体を手で支える。

 アントンは自力で歩くことが困難なほど衰弱していた。このままでは移動できないため、背負って森の中を歩くことに。

 よほど精神的に追い詰められていたのだろう。

 アントンは「ありがとうございます」とうわ言のように繰り返すうちに、いつのまにか寝息を立てていた。

 無理もない。こんな小さな子に、あの地獄は厳しすぎる。

 トラウマにならないといいんだけど。

 脱力して左に傾きかけたアントンの体を背負いなおす。

 轟々と燃え盛る音を背に、夜の森を進んだ。

 子供特有の高い体温が、冷えはじめた僕の背中をじわりと温めた。

 そして実感する。


 この温かさが、僕の救った『命』だ。

 僕が死に物狂いで奪い返した、この子の『未来』だ。


 そう思った瞬間、なぜだろう、急に視界が滲んできた。

「えっ、えっ?」

 突然のことに、おもわず呟きをこぼす。

 悲しくなんてない。後悔もしていない。なのに涙が出てきた。

 しかも涙腺が壊れたみたいに、あとからあとから零れ落ちて止まらなくなる。

 そうするうちに、いままで堪えていた様々な感情が決壊をはじめた。

 もう、ダメだった。心の揺らぎを自分でどうすることもできなくなる。歯を噛み締めて、声を上げないように堪えるだけで精一杯だった。

「ゥグッ……グスッ……」

 雑草を踏む音に、嗚咽が混じる。

 アントンが早々に寝てくれてよかった。

 僕はみっともない顔を晒しながら、街道へ向けて歩き続けた。

 頬を濡らしながら、木々の隙間から空を見上げた。

 月が。

 優しく微笑みかけているように見えた。





 しばらく歩いていると、街道を警邏していた衛兵たちと出会えた。

 彼らは、いきなり森の中で火の手が上がったので、慌てて様子を見に来たらしい。

 僕は彼らに事情を話し、すやすやと眠るアントンを保護してもらうことにした。

「君はどうするんだね」衛兵の一人が、気遣うように尋ねる。

「僕はこのまま町に戻ります」

「いや、しかし」

「夜目が利くので大丈夫です。アントンの事、よろしくお願いします」

 衛兵たちの二の句を待たず、僕は頭を下げて、再び歩き出した。

 まだ僕のやるべき事は終わっていない。

 数時間後――

 東の空が白みがかった頃。ようやくホテルに帰還した。

 もたれ掛かるように、ホテルの扉を押し開く。

 ロビーにはアイザックのほかに、なんとあの旅人も一緒に居た。

 聞けば旅人は、僕らが広場から去った後も、気になって仕方なくなり、わざわざホテルを探してアイザックに付き添ってくれていたらしい。

 オーナーもカウンターに座ったまま、ずっと僕の帰りを待ってくれていた。

 僕は親切な二人に、心からの礼を言った。

 そして、アイザックに告げた。

 アントンを無事救出し、街道警邏隊が家に送っている事を。

 すべてが終わったんだと。

 するとアイザックの青白い顔が、文字通り、砕けた。

 僕にしがみつき、体を震わせ、全力で泣き始めた。

「うわああああああああああああああ」

 窓が震えるほどの大音量。僕が戦っている間、アイザックも戦っていたのだ。

 僕はその背中を、ポンポンと叩いてやる。

 このまま落ち着くのを待ちたかったが、正直に言うと、もう僕自身も限界だった。

 頬の内側を強く噛んでいないと、そのまま意識が遠のきそうなぐらい眠い。体力も底をつきかけている。いま椅子に座らないのは、一度でも腰を落としたら二度と立てなくなるかもしれないからだ。

 するとそれを察してくれた旅人が、

「あとは俺に任せて、あんたは休みなさい。相当、無理をしたんだろう」

 眉を歪め、痛ましい表情で僕の全身を見つめる。

 ただ歩くことに精一杯で気にも留めなかったが、僕の体は、煤汚れ、泥、焦げ、切り傷の痕、大量の返り血、そして自分の出血が熱で変色したのやらで、グッチャグチャに汚れていた。

 もはや歩く死人だ。

 よく正門で止められなかったものだと他人事のように思った。

 僕は旅人の申し出に甘え、アイザックを任せることにした。

 このまま朝の駅馬車に旅人と一緒に乗り、実家に向かうそうだ。

 そうしてもらえると助かる。

 今回の謝礼の受け渡しは後日。それでいい。

「ぁありがどぅご、ざいっ、まず」

 滂沱の涙をこぼしつつ、ズボンにしがみつこうとするアイザック。

 その年下の頭をグシャグシャと撫でる。

 しかしこれ以上、長居はできない。窓の外から、僕とアイザックを興味深そうに見ている通行人がチラホラいるのだ。

 変な噂でも立ったら事だ。

 オーナーの迷惑にはなりたくない。

 このあと、ひとまず噴水広場の芝生で寝よう。

 そして起きてからラビットクローでもなんでも狩って、身支度するだけの金を作る。

 かなりの強行軍だが、どうってことはない。

 野宿する事に何の抵抗も感じない。ボロキレのような格好でも気にしない。

 そんな事が鼻で笑えるぐらいの経験をしてきたのだ。


 僕は一人の男として、やり遂げてきたのだ。


 もう一度お礼を言い、ホテルを出ようとした。すると、

「お待ちください」

 その背中を、オーナーが呼びとめた。

「すでに宿泊代はいただいておりますので、このままお出かけになられる場合は、まずこちらにご記帳お願いできますでしょうか」

 えっ、と僕は振り返る。

 お金を払った覚えなんて無い。

「えっと、誰かが僕の宿泊代を、代理で払ってくれたんですか?」

「ええ」

 オーナーは、営業の時とは違う種類の笑みを浮かべた。

 そして次に、オーナーの口から出たその名前を聞いた瞬間、僕は疲れも忘れて笑ってしまった。体に蓄積された老廃物質が、春風に吹き飛ばされたような、そんな一瞬の清涼感を味わった。

 笑みをこぼしつつ、俯く。

 だから――



 そういう不意打ちはやめてくださいって言ってるでしょ。






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