2-15 狂戦士の成れの果て
俺は英雄譚に出てくるような、
そんな熱い殺し合いがしたかった。
決闘じゃだめだ。
バズ・ホルミノフの生き死にが決まる場所は、戦場じゃないといけない。
何処を見ても血と屍の海。
空気中に臓液と血液、そして絶叫が混じりあい、あたりに立ち込める。常人なら発狂しかねないその地獄の中で、咆哮をあげながら雄牛のように衝突する。
コイツになら殺されてもいいと思える相手に。
己の全存在を剣に乗せてぶつける。
そんな美しい殺人がしたかった。
そのためだけにカンニバル国の軍人になった。
俺がまだ尻の青いガキだった頃。
急激な経済成長を続けるカンニバル国は、周辺国から、あからさまな外交的圧力を受けていた。内政干渉、そして領土侵犯だ。
あれこれ理由をこじつけて金を巻き上げる。
やってることはチンピラと同じだ。
これに対しカンニバル国は、抗議と防戦に撤した。
カンニバル国はその周囲を、大小さまざまな国に取り囲まれている。もしどこかの国と全面戦争に発展すれば、その瞬間、周辺国が同盟を結んで一気に攻め込んで来る。その算段は明らかだった。
そうならないために、当時のカンニバル国の要人たちは必死だった。
しかし領土侵犯は年を追うごとに酷くなっていった。
勝手に国境の内側に砦を作り、「この砦はもとからあったもの。そしてこれは我らの物。だからこの一帯は我らの所有地。間違っているのはお前たちだ! 今すぐ国境線を引きなおせ! 文句があるなら金を払え!」
そんな事を真顔で言う連中に、抗議など何の役にも立たないわな。
まー、いろいろ事情があったようだが、前線に出られれば俺はそれでよかった。
望んでいた死闘が、そこにはあった。
血みどろの戦場。
己の人生の全てが濃縮され、火花となって剣を照らす、あの一瞬の輝き。
ぶるり、と俺は身震いした。前線を離れてずいぶん経つと言うのに、この体には未だにあの興奮が残っている。
しかしそれが俺の心を苛む。
顔に苦渋を浮かべながら、腕にできた蛇がのたうつような古傷を撫でた。
大きく裂けた傷口を、粗悪な回復薬で無理やり引っ付け、焼けた鉄で溶接した時にできる痕だ。こういった傷は、俺の全身にある。
俺の勲章だ。
古傷を撫でつつ、俺は過去へと思いをはせる。
敵国の100人隊長と戦った、あの光景が今でも忘れられない。
耳を澄ますと、あの時の咆哮が聞こえるほどだ。
互いの剣が折れ、地面に転がった死体の武器を拾い。
声にならない声をあげ、しかし痛みは顔に出さず。
互いを認め合いながら、互いの命を奪い合った。
そして最後――相手が自らの負けを認め、割れた兜で止めを刺した瞬間など、かるく絶頂を迎えたくらいだった。全身ボロ雑巾のまま基地に戻り、雑な手当てを受けながら、いまさっき繰り広げた死闘の話をし、仲間と酒を酌み交わす。
本当に幸せだった。
そう思いつつ、ぐびりと酒をあおる。そして顔をしかめた。
あの時の酒は、こんな樹液のような舌触りじゃなかった。
もっと清涼な、まるで湧き水のような喉越しだった。
……くそっ。
反射的に、酒瓶を床に叩き付けようとしたが――やめた。もったいない。
代わりに、さらに記憶を手繰ることにした。
俺の幸せな時間は、クラウディアの登場とともに崩壊を始めた。
クラウディア・カンニバル。
カンニバル国上層部が苦渋の末に切った、最強最悪のカード。
最初、何かが変わったという印象はなかった。
終わった今だから気付けたことだが、あの女が舞台に立った瞬間から、この国は急激にまとまりだした。それは有刺鉄線を生身に巻き付け、荒馬に引かせたような、えげつない団結だったとは思うが。
とにかく俺の想像の範疇を超える何かが、すでに始まっていた。
そして目に見える変化は、突然起こった。
となりの小国がいきなり内部崩壊したのだ。
まるで家の支柱を引っこ抜いたみたいに。内部で何が起こったかはわからない。記録の全ては白紙に『されていた』。
国として立ち行かなくなった彼らは、なんとカンニバルに同盟を申し出た。同盟というより、ほとんど吸収合併。名を捨て、カンニバル国のひとつの町として組み込まれる事を自ら望んだのだ。
当然、周辺国がこれを黙って見過ごすはずが無い。
「まず我々の許可を得るのが筋だ」「これはカンニバル国が仕掛けた陰謀だ!」「これ以上の蛮行を許してはならない!」「自分にこそ、その権利がある。同盟は解消しろ!」
あいもかわらず、筋の通らない主張をしてきた。
本心など見えている。
持ち主が居なくなった財布を、横から奪いたかっただけだ。
この主張に対し、クラウディア・カンニバルの回答は実に単純明快だった。
文句があんならかかってこい。
その挑発以外の何物でもない声明に、いち早く反応したのは、カンニバル国の西に位置する、血の気の多い国「ドロンフォード」だった。その発起に共鳴するかのように、周辺国はカンニバル国を強く非難した。
こうして、戦乱の時代に突入した。
誰もがそう思った。
俺もそう思い、期待に胸を膨らませた。
しかし、そうはならなかった。
クラウディア主導の戦争。それはもう……俺の知っている戦争じゃなかった。
クラウディアの私設軍。通称「175部隊」。
所属不明の剣士と魔法使いで構成されたその少数精鋭部隊が、俺の愛する戦場をめちゃくちゃに踏み荒らした。
それまであったセオリーなど無く、破壊工作だけでほぼ片がついた。
物量と物量がぶつかりあう、あの土石流の中を泳ぐような衝突には発展しない。
何回参戦しても、毎回同じだった。
破壊工作。
俺の知っているこの言葉は、せいぜいが兵站に打撃を与え、通信を妨害する程度。
後に続く俺たちの前座程度でしかなかった。
だが、奴ら175部隊が起こす現象は、そんな生易しいものじゃなかった。
一度、予定時刻を早めて敵の基地に突入したことがある。
高い土嚢の向こう側。
そこには「赤の毒の沼」が発生し。
数百の敵兵が、生きたまま土に還されているところだった。
呆然と立ち尽くす俺たちを前に、隊員と思しき黒衣のダークエルフは、まるで花売りの娘のような微笑みを浮かべながらこう告げた。
「覗き見なんて、いけない子たちね」
俺たちは、女隊員に言われるまま作業を手伝った。
洞窟のような沈黙の中、ドボンドボンと死骸を沼に投げ込む音だけが響いた。
不気味な、おぞましい時間だった。
荒くれ者で知られた男たちは、しかし誰も声を発さない。声を出せば、ケツを蹴られて沼に落とされると思ったからだ。
誰に? 後ろで妖艶な笑みを浮かべている化け物にだ。
175部隊の隊員は、他にはいなかった。
つまり、たった一人で、この地獄を生み出していたのだ。
どうりで大規模戦闘に発展しないわけだ。こういった事が、戦闘地帯すべてで断続的に起っていたのだからな。
「赤の毒の沼」を局地で発生させるには、準備に時間がかかるはずだ。
つまり、ずいぶん前からこの計画は立てられていたのだ。
おそらくは、クラウディアが挑発的な声明を出す前に。
戦闘の規模は拡大したが、しかし捕虜の数は一向に増えなかった。
なぜか?
クラウディアに捕虜などという温かい言葉がなかったからだ。
上の人間が、ぎりぎりまでコイツを表に出したがらなかったわけだ。
そして極めつけは、あの事件だった。
俺はため息をこぼしながら、板が打ち付けられた窓から外を眺めた。
その隙間からは、夜の森が見える。
この森は生きている。
だが、「根っこ」の部分は死んでいる。
殺したのはクラウディアだ。
大精霊。俗に神様とも呼ばれる、超常の存在。
クラウディア率いるプライベート部隊が、国内に存在する14柱の大精霊のうち3柱を、文字通り殺した。理由は諸説ある。
理由はどうでもいい。
事実は、クラウディアが大精霊をぶっ殺したってことだ。
この事実が明るみに出た瞬間、戦火など沈下した。
当たり前だ。
小銭稼ぎに戦争をふっかけていい相手じゃなくなったのだからな。
こうしてカンニバルは、軍事大国と呼ばれるようになった。
小規模な衝突すら起らなくなった。
そして俺は生き甲斐を失った。
切り替えの早い奴らは冒険者や傭兵に転職した。騎士になったヤツもいたな。
だが俺は軍に残った。
もしかしたら明日には、という淡い期待を捨てられなかった。女々しいと笑いたければ笑え。俺にはそれしかなかったのだ。
しかしその残りカスも、あっさりと失った。
酒に酔った若者たちに絡まれ、酒に酔った俺がそいつらの頭を割った。
命に別状はないが後遺症は満載。
正当性が認められたため重罪にはならなかったが、軍を追い出された。
文字通り、何もなくなってしまった。
良い評判はなかなか広まらないのに、悪い評判ってのはつむじ風のように広がる。
軍人にも冒険者にも傭兵にもなれなくなった俺は、酒におぼれた。
娼館に入り浸った。
そして汚い事も次第にするようになり、気付けば小悪党の頭領になっていた。
俺はもう一口酒を飲み、自分を見下ろした。
体に装着されているのは、鉄製の胴当。
数年前まで、ここにはカンニバル国陸軍前線歩兵部隊小隊長のミスリル合金製の胴当が装着されていた。
軍を追ん出される時、みやげにと自分のヤツを拝借した。
しかしそれも、酒と女を買うために売っぱらってしまった。
そういえばあの時からだな。
自暴自棄に拍車が掛かったのは。
防具だけじゃない、体も貧相なものになった。
エルフの矢を受け止めたことのある腹筋は、乳牛の腹のようにダルダルになった。
砦の支柱のような太く強靭だった上腕も、農夫と変わりないほどに痩せ衰えた。
体だけじゃない、心もだ。
手下が昼間、老人を遊び半分で嬲り殺しにしたと知った。
別になんとも感じなかった。
良心の呵責など、娼婦の股に置いてきた。他人がどうなろうが知ったことか。
むしろ、仕事中に遊ぶなと、そっちを怒ったくらいだ。
勇猛果敢な戦い方は、いつのまにか後ろ足でションベンの痕を消すキツネのような、みすぼらしい物になった。
落ちるところまで落ちてしまったものだ。
俺は自分をあざ笑った。
俺の中に一欠けらでも騎士道があったとしたら、
鎧を手放した時に、その魂は死んでしまったのだろうな。
胸にあった戦士としての誇り。
今、そこには空洞しかない。
俺はその穴を安酒で満たすように、もう一口、酒を流し込んだ。
すると、
「ギャーハハハハ!」
感傷にふける俺の耳に、手下があげるバカ笑いが飛び込んできた。
思考を中断して手下たちへと目を向ける。そして片眉が跳ねた。こいつらぁ。
テーブルを見れば、早すぎる祝杯をあげていたのだ。
足元にはいつの間にかワインが入った木箱が複数。
「おいお前ら。飲みすぎるなと言わなかったか」
「でも親分。そこまで用心することですかい?」
顔を赤くした手下が首を捻る。
まぁ言いたい事はわかる。だが誘拐は攫うより、その後どう逃げるのかが一番難しいのだ。逃走経路を見誤れば、捕まって縛り首。足がついても右に同じ。そもそも、いくら警戒網を徹底しても、森をまっすぐ走って逃げられなければ意味が無い。
しかしそれを1から話しても、こいつには理解できないだろう。
だから俺はこう説明した。
「だまって俺の言う事に従え!」
「へ、へい」
疑問を引っ込め、手下はそれ以上なにも言わなくなった。
それを確認してから、俺は的確に指示を飛ばしていく。
「ンゴ、お前は水飲んで小便してこい。酔いがマシになる。真っ直ぐ歩けるようになったら巡回の準備だ」
「へい」
テーブルの一角に座る、スキンヘッドが頷く。
次に俺はテーブル端にいる小男に目線を飛ばした。
「エンヨット、お前は今の見回りが戻ったら、近くの『仕掛け』見て来い」
「ええ!」小男が体に見合った、甲高い声をだす。
「お、俺まだぜんぜん飲んでませんぜ!」
「だからだ。ラッパ持って下で待機しとけ」
「……へぇ」
エンヨットは顔に渋々という色を浮かべながら、壁にかけてあった巡回ラッパを首に提げる。すると隣に座っていた手下が囃す。
「ついでに死体と一発かましてこいよ」
「うっせぇ。俺のケツ舐めさせんぞ」
「おー、舐めてやるからケツ出してみろよ。そのラッパ突っ込んでやる」
「んだとお」
「さっさと行け!!」
ケツを蹴るように怒鳴ると、エンヨットはビクッと体を跳ねさせ、ドアから飛び出していった。
騒がしかった室内が、ようやく落ち着きを取り戻す。
やれやれと嘆息し、口の中の乾きを酒で湿らす。
すると指示を受けなかった手下の一人が尋ねてきた。
「にしても親分、どうして胴当なんて付けてるんです?」
何気ない言葉だが、その奥には、不安が窺えた。
このあと危険なことがあるのか? と怯えているのだろう。コイツは人一倍肝っ玉の小さいヤツなのだ。
おまけに山賊のクセに人の血が苦手ときてやがる。
俺はすこしだけ考えてから答えた。
「俺自身の気を引き締めるためだ。俺の言うとおりにすれば大事ない」
力強くそう言うと、手下の顔から緊張が抜けた。
それを横目で確認してから、俺は板の隙間から外の様子を見た。
いま言ったことは半分真実で、半分嘘だ。
さっきからイヤな予感がしてしかたない。
この感覚は、前線で奇襲をしかけられた時に似ている。
たぶんこれから戦闘が起こる。
俺の勘がそう告げる。それを肯定するように古傷がうずく。
実戦から離れた俺の感覚が、今更役に立つかどうかは疑問だがな。これを手下たちに話しても、いらぬ緊張を抱かせるだけで、いざというときに正常に動かせなくなる。
そこまで考えて、「へ、へへへ」俺は急に笑いだした。
「親分?」
手下が不思議がる。
「何でもねえよ。お前も水飲んで出して来い」
「ウス」
自分よりも体格の大きい男が、素直に水を飲みだす。
その様子を見て、再び口元に自嘲に歪んだ笑みを浮かべた。
ずいぶん悪党のボスが板についたじゃねえか。
俺と果し合いをした連中は、こんな俺を見てどう思うんだろうな?




