2-11 異世界の求道者
この異世界に来て、僕を取り巻くあらゆるものが変化した。
そのうちの一つに、『彼』に対する想いが、大きく変わったということがある。
そう、『彼』だ。
幼い頃、はじめて見たあの時から、今も変わらず胸の内に存在する、一人の侍。
時代劇「無頼の狼」の主人公。
拝一刀。
冥府魔道を生き、刀身重厚の実戦刀を腰に下げ、骸の上に箱車を押す。
たとえ己の肉が裂け、骨が砕けようとも。
幼い我が子を連れて、死地へと赴こうとも。
どんな苦境に置かれても、その信念を曲げず、己を貫き通す。
そんな――
本物の侍。
現実世界にいた時は、ただの憧れでしかなかった。
彼になろうとした事もあった。でも、なれなかった。
好きだからこそ分かる彼の芯の強さ。それは僕の手の届くような代物ではなかった。
僕は彼のような心の強い男にはなれない。
だから憧れる事しかできなかった。
しかしその憧憬の気持ちが、気付いた時には変わっていた。
僕はこの異世界に来て、色んな物を失う代わりに、色んな物を得た。
まず世界が変わり「可能性」が広がった。
不完全ではあるが銃という「力」を得た。
他者と殺し合うことの「覚悟」を学んだ。
そして冒険者という「生き方」を見つけた。
そういった非日常に馴染んでいくうちに、僕の中にあった憧れは、いつのまにか、振り向かせたい目標へと昇華していた。
僕は彼になりたかったんじゃない。
彼に認められたかったんだ。
彼が僕を見たその時、ただの18歳のガキではなく、尋常の果し合いを受けるに相応しい男だと、そう認められたかったんだ。
彼に認めて欲しい。
それぐらいの男になりたい。
その思いが、やがて僕の胸に、どうしようもないほどの熱を放つ「魂」を宿らせた。
そしてこの魂こそが、異世界で生きていく上で、無くてはならない物だと、後で知ることとなった。
僕には、自分を律する『何か』が必要だった。
何をやっても自由な、異世界の生活。
ここには現実世界の時のような、僕を縛るものは何も存在しない。
親も、学校も、義務も、社会的評価も、何もないのだ。
何時に起きてもいいし、何時に寝てもいい。
今日何をするのかも、これからどう生きるのかさえも、僕が自由に決めていいのだ。
この柵(しがらみ)から解放されたという気分は、たしかに気持ちよかった。
しかし同時に、僕は不安でもあった。
夏休みの度に昼夜が逆転するような怠惰な僕が、はたしてこの先、自分ひとりだけで、規則正しく生きていくことが出来るのだろうか?
自由なのをいい事に、だんだんと怠けるようになり、辛いことから目を背け、やがて人の道を踏み外してしまうかもしれない。
そうなるのが怖かった。
だから、そうならないためにも、僕には自分を厳しく管理する『何か』が必要だった。
親や学校に変わる何か。
そこで僕は「彼に認められるぐらいの立派な男になりたい」と強く願う、この熱い魂をスローガンに掲げ、日常生活で自分を律しようとした。
するとこれが、思いのほか上手くいった。
自堕落なことをすれば、たちまちこの魂が、僕に警告を発してくれるのだ。
『そんな事で立派な男になれるとでも思っているのか!』
『男が一度決めたことは必ず最後まで貫け!』
『自分が情けなくないのか!』
『根性を見せろ!』
『さぁ、起きろ!』
この魂にせっつかれるようになってから、僕は毎朝6時に起きてトレーニングができるようになった。雨の日でも、どれだけ眠い日でも、無理やり起きて、辛いランニングをするようになった。
しかも途中で引き返したりせず、かならず最初に決めた距離を走りきった。
自発的に始めた朝練は、やると決めたその日から、一日たりともサボっていない。
この僕が、だ。
目覚ましもお小遣いの見返りもなしに。信じられる?
自分でもこの変化には驚いた。そして変化はこれだけじゃなかった。
どんな苦しい事でも、それが自分の成長に繋がるなら進んでやるようになった。
そうするうちに、さらなる向上心が芽生えるようになった。
目の前の物事から逃げることは『恥だ』と、強く思うようになった。
この魂を意識するようになってから、何か、うまく歯車が回りだしたような、そんな気がしてきた。
やがて僕は、この魂を「武士道」と呼ぶようになった。
それが一番しっくりくると思ったからだ。
しかし武士道の内容を、僕はよく知らない。
中学生の頃、興味本位でネットで調べてみて、その内容に愕然としたのを覚えている。そこにはまるで標語のような「良い人製造レシピ」しか載っていなかったのだ。もっとこう、漠然としたカッコいいものを想像していた当時の僕にはショックだった。
それも当然だろう。
武士道とは侍の道徳心を養い、主君に対する忠誠心を育むためのものだ。
僕がそのとき期待していた、武士の秘伝書めいたものじゃないのだ。
もしもあの時、さらに図書館で文献を紐解いていけば、もしかしたら違ったものが見えていたかもしれない。
でももう手遅れ。
現実世界で作った図書カードは、ここでは使えない。
手元に参考になるものは何もない。
あるとすれば、それは『彼』の面影だけ。
――いや。
むしろそれ以上必要ないのかもしれない。
僕が必要なのは、誰かが決めた規則じゃない。
この異世界でどうやって立派な男に成長するのか、その指針だ。
僕はこう考えることにした。
この世界に武士道の手本がないのなら、
自己流の武士道を1から構築してやろうじゃないか。
自分の行動原理となる「武士道」を、ゼロから自力で育むのだ。
そしてその武士道に背かないよう、厳しく自分を律する。
自分に恥じないように振舞い、自己を鍛え、高潔な生き方を貫く。
そうやって自分を立派な男へと成長させていく。
これを思いついた時――
漠然としていた自分の未来像に、輪郭が浮かび上がったような気がした。
ただ食べ、ただ鍛えるだけだったロボットの自分に、生命が宿ったように思えた。
それがとても嬉しかった。
もう、自由であることに不安を覚えることはなくなった。
このまま順調に進んでいけると思っていた。
思っていたんだ。
でも。
……でも、最近うまくいっていない。
また失敗した。
トトリ峠の失敗だ。
あの時は感情に振り回され、目的を見失ってしまった。
正しい事をしたとは思う。
貴族たちに『ケジメ』をつけさせることは必要だったと思う。
それを個人でやる分にはよかった。
たまたま茶屋にいたら不埒な輩が暴れていたので、反省を促すため懲らしめた。
これなら何の問題もない。
しかし僕はあの場所に、『説得を任されたギルドの冒険者』として派遣されていたのだ。それなのに僕は、説得という本来の目的をあえて無視し、怒りにまかせて力を振るった。あいつらがムカつくという短絡的な考えで、仕事と個人の線引きを曖昧にした。
ただ、暴力を振るいたいがために。
それは仕事を請け負った人間としては失格だ。
そして。
感情的になって暴力を振るうのは、僕の武士道にも反する。
つまりダメダメだ。
もしあの時、怒りの感情を抑えることができていれば、違った結果になったはずだ。あそこまで痛めつける必要なんてなかったのだ。
何度か戦闘を中断する場面があった。
赤毛の貴族が何か叫んだ、あの時もそうだった。
その声につられて、周りの貴族たちも動きを止めた。
あの時だ。
そこで「これ以上の無益な争いは止めましょう」と、僕の方から矛を収めていれば、スマートに事は収まったはずだ。腕や脚が捻じ曲がった仲間を前にして、さらに激昂するような度胸のある人間はあそこにいなかった。
そこで終わり。
『説得』として任務を達成できたはずだ。
しかし僕は何をした?
説得のチャンスをあえて無視し、攻撃を続行した。
なぜ?
腹の虫が収まらなかったからだ。
結果、完全に相手を屈服させるまで、徹底的に痛めつけた。
スッとした自分がそこに居た。
正直、終わったのが惜しいとさえ感じた。
僕は正義の名のもとに振り下ろす暴力に酔っていたのだ。
そして説得という目的を見失った。
……この体たらくだ。
おまけに何が間違っているのかさえ、すぐに気付けなかった。
ギルドに帰還してからも、ずっと首を傾げ続けていた。
同伴した職員が僕に「冒険者は向いていない」と繰り返し口にした言葉。その言葉の本当の意味は、自分の感情を優先させ、『目的の達成を放棄』したからだ。酷い怪我を負わせたからとか、そんな単純な事を言っていたわけじゃなかったのだ。
そして、そのことに気付いたのはついさっきだった。
斉藤さんと夕飯を食べ終え、夜の街を歩いていて、そこでようやっと気付いた。
……くそっ。
いくら志を高くしても、ちっとも上手くいかない。
空回りばっかりだ。
……ちくしょう。
……本当に……こんなのばっかりなんだ。
僕の思いはこれだけ熱いのに、現実はそんな僕に冷や水を浴びせ続ける。
アクション映画のように、スタイリッシュに事が運んでくれない。
足もとは障害物だらけで、全力疾走したらすぐに転んでしまう。今日みたいに。
怒られないと気づくことができない。
後にならないと分からない。
心も、体も、ほんとうに未熟だ。
情けなくなる。
いまの僕では、『彼』に認められるどころか、振り向いてさえもらえないだろう。
……でも。
だけどっ。
僕は諦めない。
ここで投げ出すぐらいなら、最初から、こんな苦しい生き方を選択していない!
心がくじけかけると、かならず熱い魂がドクンと脈動する。
お前はその程度じゃないと励ましてくれる。
一度決めたことは貫き通せと叱咤してくれる。
だから僕は諦めない。
誰が諦めてなどやるものか!
この魂が鼓動を続ける限り、諦めてなどやるものか。
何度失敗しても、何度でも起き上がってやる。
失敗を自分の肥やしにしてやる。
間違えたのなら軌道修正をかければいいだけだ。
今朝の失敗で、感情を厳しく律する必要性を改めて学んだ。次はおなじヘマはしない。こうやって自分の『魂』を、『武士道』を磨き、培ってやる。
今に見ていろ。
僕だけの武士道を完成させてやる。
そして荒れ狂う狼の闘争本能を、完璧に従わせてみせる。
そして――
自分はサムライだと声高に宣言してやる。
サムライになるのにチョンマゲや着物なんてものは必要ない。
スタイルを似せることに何の意味もない。
必要なのは「魂」だ。そして僕の左胸には、すでにその魂がある。
その存在を気付かせてくれたのも、やはり『彼』だった。
それで十分だ。
M4A1の本差(大刀)と、ベレッタM92Fの脇差(小刀)を腰に下げ。
狼の遠吠えの紋所をスペルブックに掲げる。
これが僕のスタイルだ。
僕はこの世界でサムライと名乗ってやる。
気高く、誇り高い狼のサムライになってやる。
そしていつかきっと、彼と果し合いができるほどの、立派な男になってやる。
……でも。
この世界でサムライと言ったところで通じないから、冒険者と名乗るしかない。
そうしないとご飯が食べられない。
ちくしょう。
本当に、現実はいつだって僕に冷たい。
なんでこう、物事は僕の思い通りに行かないんだろう……




