2-10 血の匂い
けっきょく僕は斉藤さんに晩御飯をご馳走してもらった。
僕ってヤツは……。
さらに僕の懐事情を知っている斉藤さんは、「今日はウチに泊まってくかい?」と申し出をしてくれたが、工賃のこともあるし、さすがにそこまでご好意に甘えるのは悪いと思い、遠慮させてもらった。
斉藤さんと笑顔でお別れした後、僕は夜の街を歩く。
夜の湿った空気が、お腹が膨れた満腹感と混じりあって、僕をとても幸せな気分にさせてくれる。
やがて僕は、噴水広場に到着した。今日はここで夜を明かすのだ。
ベンチで仮眠を取り、明日の朝一で岩イノシシを狩る。ダメならラビットクローでもいい。そして宿泊費を稼いで、仕切りなおす。
僕には銃がある。これさえあればどうとでもなる。
朝の魔力消費も、半日たったことで、ほとんど回復したように感じる。さすが称号。
明日の行動に、何の支障もない。
午後10時。
噴水広場に人通りはほとんどなく、深夜の公園のような静寂に包まれていた。
しかし先客がいたようだ。
「おっ、兄ちゃんも馬車待ちかい?」
隣のベンチに座っている男性が話しかけてきた。彼の隣には大きな背嚢(リュック)。旅をしている人かな。
「いえ、ちがいます」
「なんだ違うのか。じゃあ宿無しか?」
「えーっと、はい、そうです」
宿無しの文無しです、とはさすがに言えなかった。
声をかけて来てくれた人は、朝一の駅馬車を待っている旅人さんだった。
この駅馬車というものは、町と町を結ぶ『バス』みたいなもので、町に設けられた駅から、次の町の駅へと移動するものらしい。
この世界ではポピュラーな移動手段で、のんびり行くなら「普通馬車」、急ぎで行くなら「急行馬車」と分かれているそうだ。
馬車に「急行」があるなんて知らなかった。
さらに長距離移動用の、専門馬車もあるそうだ。
あれこれ聞く僕に、何でそんなことも知らないんだ? と旅人は笑った。
本当にそう思う。僕はこの世界の常識や知識を、あまりにも知らなすぎる。
食べることと寝ること、そして鍛えることに生活のほとんどを割いているため、そこまで頭が回らないのだ。
でも、いつまでもこの言い訳に甘えていてはダメだ。
文字の読み書きができないというのも、放置していいことじゃない。
この世界で生きると決めた以上、この世界の生活になじむ努力をしなければいけない。
そんなことを考えていると、ここで珍客が現れた。
綺麗な洋服をボロ雑巾の様にし、ふらふらと一人の少年が歩いてきた。
その顔に見覚えがある。チワワみたいな顔に、赤毛の髪。クソ生意気な室内犬を擬人化したみたいなソバカス野郎だ。
それは今朝、僕が馬車に放り込んだ不良貴族の一人だった。
隣の旅人がギョッとしていた。それもそうだろう。
彼の顔の右半分は酷く腫れており、右眼を覆いかぶすように皮膚が盛り上がっていたのだ。さら長時間放置していたらしく、皮膚が赤黒く変色していた。
(……だから言わんこっちゃない)
あれだけ脅したというのに、あのあと、懲りずにまた悪さをしたのだろう。
そして荒くれ者にでも捕まってボコボコにされたんだろうな。
処置なしだ。
僕は内心でため息をつき、無視することに決めた。
だが貴族の方はというと、僕のほうを見ると、目を見開き、弾かれたように駆け寄ってきた。そして、口に溜まった血といっしょに、言葉を吐き出した。
「あ、あんた、オレの弟を助けてくれ!」
僕の中にいる狼が、血の匂いを嗅ぎつけて、その首を持ち上げた。
※赤毛の貴族の怪我の具合を、
腕の骨折 → 殴打による腫れ
に変更しました。




