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2-06 勝手な言い分





 オレは馬車が揺れるたびに頭を掻き毟っていた。

 手を頭から引くと、ブチブチと音を立てて、赤いクセ毛がちぎれる。

 いま、それを気にするような精神状態ではなかった。

 いっそ頭皮ごと千切れたらいいさと考える。

 サルラの冒険者ギルドで解放されてから、オレは自暴自棄になっていた。

 背を丸め、鹿の角のように細長い靴の先を見つめる。靴の先には装飾のためにシルバーの薄いプレートがはめ込まれている。その鏡のような装飾に映る、ソバカスの浮いた自分の顔は、醜いぐらいに歪んでいた。

 右足の脛に痛みは無い。

 違和感無く歩くことができる。

 あの冒険者がテメェでへし折って、テメェで勝手に治したのだ。

 しかも驚くぐらいの高度な治癒魔法で。

 そして恐怖をばら撒く死神のように、傷ついた貴族一人一人に『ギルドに余計な事を喋ったら殺すぞ』と脅してまわっていた。もちろんオレにもだ。

 思い出すだけで肝がギュッと縮む。

 そんな奴の後姿を見て……何一つ、自分は勝てないと悟った。

 オレにあるのは何だ? 

 見せ掛けだけの服と剣と、先祖が勝手に押し付けた「貴族」の位。

 自分で用意できたものは何一つない。

 だが、自分がやらかしたことに対しての罪の意識は無かった。

 当然だ。


 なぜなら、平民どもがそれを『オレに望んだ』からだ!


 ダンッと床を踏みつける。

 駅馬車の後部座席。オレの対面に座っている老夫婦が視線を彷徨わせている。

 こいつらも俺を見て心の中で罵っているのだろう。関われば何をされるか分からないと怯えているのだろう。オレの事など何も知らずに! 

 くそ平民共が! 

 ギッと睨みつけると、老夫婦は顔ごと明後日の方向へと向いた。

 聞こえるように大きく舌打ちし、ふたたび視線を靴先へと落とす。

 オレは平民が大嫌いだ。

 それにはちゃんと理由がある。

 貴族の子供、とくに3歳から8歳までの、外で活動する時間が増えるこの時期。

 この時期に、貴族の子供は例外なく傭兵を傍に置く。それも状況いかんによっては、女子供だろうが躊躇せずに殺すことができるプロの傭兵をだ。

 なぜそんな凶悪な者を、多感な時期の子供の傍に置かなければいけないのか。

 それをこの老いぼれは理解できないだろうな。

 凶暴な者たちが常に睨みをきかせないと、子供の頭に石の小雨が降るんだよ。

 理解できるか?

 数年前、貴族の子供が、石を投げつけられて右眼球を負傷した。

 オレの弟だ。

 やったのは? 決まってる。もちろん平民だ。

 犯人は捕まえられなかった。

 オレ自身も、平民にやられた経験がある。

 幼いころ、一人で屋敷を抜け出して、近くの川で遊んでいた。すると突然、男に背中を蹴り飛ばされて川に落ちた。たまたま近くを通りかかった庭師が気づいてくれたから良かったものの、もし運が悪ければ確実に溺死していた。

 背中には、大人の足型がクッキリとついていた。おまけに馬の糞もな。

 それはまだオレが5歳のころの話だ!

 川の石で頭を切り、衰弱し、何日も病床に伏した。

 雨の日だった。

 窓を打つ水滴の音を聞きながら、オレは父に聞いた。

「とうさま、どうしてぼくはけられたのでしょう? ぼくは、なにかわるいことをしたのでしょうか?」

 その時の父の顔を、いまでも鮮明に覚えている。

 怒りと悲しみに歪ませた、あの顔を。

 父は言った。「これが平民と貴族の関係だ」と。そしてオレは子供ながらに理解した。これから自分は嫌われながら生きていかなければいけない、と。

 それは辛くてとても悲しいことだと、自分の未来を悲観し、よく泣いた。

 これが、このカンニバル国の人間領での常識だ。

 貴族に生まれた瞬間から、平民には嫌われ続けなければならない。

 どこかのバカがやらかした悪趣味な犯罪を、まるでオレがやったかのように陰口を叩かれ、いわれの無い中傷を受け続けた。

 その心の痛みを癒す薬が、金で買えるとでも思っているのか?

 平民に人の心は無いのか?

 なぜ、平民が自分たちを忌み嫌うのか。

 過去に先祖たちがしでかした圧政による遺恨だと教えられた。

 しかし違った。


 ただの妬みだったのだ。


 自分たちより良い暮らしをする貴族を逆恨みし、誹謗を言いふらし、小石を投げつけ、その憂さを晴らしていた。

 信じられるか?

 たったそれだけだったのだ。

 その理由を知った瞬間、言いようの無い悲しみが、憎悪に置き換わった。

 平民たちは楽しんでいたのだ。

 いくら悪し様に罵っても周りが自分に賛同してくれる。そんな都合のいい「貴族」という存在に唾を吐き、石を投げつけ、みんなで日頃のストレスを晴らして楽しんでいたのだ。

 オレが川でおぼれ、弟が右眼球を破裂させて半年間言葉を発せられなくなったのは、この遊びのせいだったのだ!

 平民どもは、その遊びを楽しんでいやがったのだ!

 

 だからオレは、その遊びに混ぜてもらった。


 平民どもが期待している通りの貴族像になってやった。

 権力をかさにして、やりたい放題やってやった。

 黙ってたって、やってもいない事で冷罵されるのだ。

 だったらその通りのことをしてやるまでだ。

 オレの考えに賛同する若い貴族は沢山いた。みな、同じような経験をしていたからな。オレたちは徒党を組み、トトリ峠に攻め入った。気分がよかったよ。笑いながら無抵抗なクソ平民の顔を殴りつけた。

 そしてこう思った。

(お望みはこれだろ? お前が望んでいるオレはこんな外道なんだろ? 家に帰ったら自慢しろよ。今日、悪辣な貴族にやられたってな)

 オレは鬱屈した気持ちを、峠にいる平民たちにぶつけた。

 だがオレたちの行動は、あの奇妙な魔法使いの手で、粉々に打ち砕かれた。

 サルラの町で解放されても、もう、誰一人オレの声に反応しなかった。

 誰も集まろうとしないだろう。

 あの魔法使いが、悪魔のような顔で脅し続けたからだ。


「男として情けなくないんですか?」


 落胆を滲ませながらかけてきた、あの言葉が胸をよぎる。

 オレの口は、土壇場になって自分の父の名を出した。

 自分でやらかしたことなのに、父を頼ろうとした。

 責任から逃れるように。

 その弱さを、あの魔法使いに見抜かれてしまった。

 そして同時にオレは気付かされた。

 心の弱いオレは、卑劣な貴族を演じきることさえできなかったと。

 じゃあ。

 じゃあ、オレはこれからどうすればいいんだ。

 このまま大人しく家に戻り、また黙ってやられ続けろってのかよ。

 いままで真面目にやったさ。好かれようと努力したさ。そんなオレに、平民共はなんて陰で言ってと思う? ヘラヘラとこっちの機嫌をとって、若い女を品定めしていたぞ。アイツは気をつけろ。いまに誰かが攫われてあいつの毒牙にかけられるぞ。

 探りを入れさせた傭兵のその報告を聞いて、オレはその日食ったもの全部吐いたよ。

 この生活をずっとか?

 父のように、胃を患いながら生き続けるのか?

 そんなの……耐えられねえよ……。

 こうやって自棄を起こして暴れでもしないと、耐えられねぇよ。

 なんで嫌われなきゃいけないんだよ。

 視界がじわりと歪みだす。

 オレは両手で顔をおおい、涙を押し返した。

 真っ暗な世界に、あの魔法使いの凶暴な相貌が浮かぶ。

 人畜無害そうな魔法使いの顔が、一瞬で、獣のそれに変貌した。

 オレは……。

 オレは……あの魔法使いが羨ましかった。

 圧倒的に立場の上の人間に、何の躊躇も無く凶悪な暴力を振るい、自己の主張を押し通す。その奔放さが羨ましかった。くやしいが、カッコいいとさえ思えた。


 あの強さが羨ましかった。


 もしオレにあの強さがあれば、こんな『情けない逃避』などしなくても済んだのかもしれない。

 自分の柔らかい手のひらを見つめる。

 オレには何もない。

 弟が右目を怪我した時、怯えて何も出来なかった。

 犯人を追う事も、弟を抱きかかえて屋敷に戻る事も。

 ただ、怖くて震え、誰かが来るのを待ち続けていた。

 あの頃から、俺の弱さは何も変わってないじゃないか。

 くそっ。

 拳を作ってゴンゴンと自分の眉間を殴りつける。何度も、何度も。

 頭の中にある「自己嫌悪」を、後頭部から押し出すかのように。

 するとその袖を、小さな手が引っ張った。

「もうやめようよ、兄さん」

「……うるさい」

 オレの隣には弟が座っている。

 5つ下の、まだあどけさの残る面影が、悲しそうに歪んでいる。

 サルラの町まで、こんなオレを迎えに来てくれてくれた。

 たった一人で。きっと事の次第を知った父が激怒して、迎えなど出すなと言ったのだろう。だからコイツは一人で、わざわざ平民の格好をして――。

 その優しさが、いまのオレには辛かった。

 情けなくて、悲しくて、もう何でもいいから感情を何処かにぶつけたかった。

「兄さん……」

「うっせぇーっつってんだろぉぉおがよお!!」

「ひっ」

 舌に馴染んでしまった下品な言葉を、衝動的に吐きかける。

 小さな肩が跳ねる。

 しかし涙を流しそうになったのはオレのほうだった。

「あ、あの」

 そこで正面に座る老いぼれの片割れがオレに声をかけてきた。

 邪魔すんじゃねえと睨むが……なにかが違った。

 老いぼれは顔面を蒼白にしたまま、枯れ枝のような指を車窓に向けている。

 指し示す先を見て、おもわず声を漏らした。

「どこだよここ」

 街道を通ってたはずだろ。なんで山道に入ってんだよ。

 いや、山道ですらない。

 獣道だ。

 オレは弾かれたように運転席に通じる窓を開けようとしたが、ソレより先に馬車が停止した。好都合だと外に通じる扉に手をかけようとして――そこで停止した。


「よー、釣果はどうだった?」

「バッチリよ」「ホントかよ」「マジだって。アホな貴族のガキ引っ掛けたんだよ」

「馬車まで仕込んでボラだったらお前、ボスに殺されっぞー?」

「へっ、口で下痢便垂れてんじゃねーよ」

「くっちゃべってねーで始めようぜ。あと一時間で巡回が近くを通る」

「へーへー」「手順はいつものだったよな?」「ああ」「また俺こっちかよ」

「女は?」「ババアがいるけどお前いっとくか?」「ギャハハハ」


 馬車の外から、酒枯れした男の声が聞こえる。それも複数。

 ゲラゲラと下品な笑い声が、車内にまで響いてくる。

 扉をあけて外の様子を確認する事ができない。窓を覗き込むことさえできない。

 怖い。

 怖くて動けない。

 足の裏が溶接されたようにびくともしなくなる。

 あの時の、弟が怪我をしたときと同じように、恐怖で体が萎縮して動けない。

 声すら発せられない。

 動悸が回転数をあげ、耳にドッドッドッと鼓動の音が響く。

 弟が怯えたようにオレの腰にしがみつく。

 目の前の老夫婦が、震えながら抱き合っている。その枯れた畑のような唇が、祈りの言葉をつぶやき続けている。

 そして。

 こちらの動揺などおかまいなしに、外の世界に通じる扉は勝手に開いた。

 その先の光景を目にして、ようやく頭が理解した。


 オレは今、犯罪に巻き込まれている。








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