2-05 失意のお食事会
午後2時の噴水広場。
昼食ラッシュが一段落し、人の数が疎らになったカフェテラスの一角。
真っ白なパラソルが設置されたテーブルの1つに、僕とリュッカさんは座っていた。
そして――
「あーっはっはっはー!」
「……」
穏やかな昼下がりの午後を土足で踏み荒らすようなリュッカさんの哄笑を、僕は光彩を失った瞳で見つめていた。
マイナス50万ルーヴ。
これが僕の、初任務の報酬だ。なぜ仕事を頑張ったのにマイナスになったのか。
簡単に言うと、やりすぎてしまった。
対象の連行という任務はちゃんと達成した。
先制攻撃もしなかった。
正当防衛の規則どおりにシナリオを立てた。
しかしギルドには『過剰防衛』と判断されてしまったのだ。
治療を担当した職員の「被害状況」を聞いたときは、まぁ、その、やりすぎちゃったかなーとは思ってたけどさ。
突進してきた大男は、肋骨、胸骨、鎖骨、上腕骨の粉砕骨折。あと『中身』もけっこうやっちゃっていたらしい。それは聞かなかった。怖いから。
馬車に収容した半数以上が、骨折や筋断裂という軽くない怪我を負っていた。
僕も応急処置を手伝った。
しかしその治療中に「痛いですか? 大丈夫ですか? あと余計なこと喋ったら殺しますよ?」とさりげなく脅して回ったのもいけなかったようだ。
彼らは曲がりなりにも貴族の子供。
親は子供らの日頃の行いがあり、さらに正式な任務による負傷なので、ギルドに強く言ってきたりはしないが、それでも怪我の度合いによっては口を挟んでくる。
その度合いを越してしまったわけだ。
けっきょく僕は罰として報酬の没収と、彼らの治療費の一部負担を命じられた。
その結果がマイナス50万ルーヴだ。
がんばって岩イノシシを狩って作った30万の貯金もパァだ。
さすがに活動資金まで没収されることはなかったが、それでも手持ちは決して多いとはいえない。
おまけに心理的ショックがけっこう大きかった。
罰金――つまりギルドの借金があと20万ルーヴ残っていることになる。
『借金』。
その言葉が、胸にヘドロのような重みを与えた。
はぁぁぁ。
鉛のようなため息を吐いた。
で、その一部始終を知ったリュッカさんは、満面の笑みで、昼食をご馳走してくれると言ってくれたのだ。
「初任務で罰金ってアンタ、何しに4時間かけて往復してきたのよプススス」
そして今、こうして一人でキャッキャと騒いでいる。
隣にいたOL風の制服を着た女性エルフ2人が、眉をしかめてテーブルを移る。
すんません。うちの馬鹿犬がギャンギャン吠えちゃって。
「だいたい私を同伴させなかったから、そんなことになんのよバッカねー」
お前連れてったら現場が精肉工場になるだろ。何のためにわざわざ代理立ててもらったと思ってるんだよ。……まぁ僕が大暴れしたおかげで、けっきょく代理を立てた意味もなくなっちゃったけど。ステラさんにもめっちゃ怒られるし。
現実は、映画のようにかっこよく幕が閉じてくれない。
「……はぁ」
ちなみにこの昼食は、僕の初任務達成を祝してのお食事会らしい。
祝う気? あるわけないじゃないか。
リュッカさんは僕の不幸を喜び、僕の幸福を悲しむ。
そもそも今日だって消沈している僕に向かっての第一声が「ご愁傷様プススー」だった。あんまりだろ。人としての最低限の気遣いとか出来ないのかこの子。
「あひゃひゃひゃ、お、お腹いたい、ぶり返してきた」
「……」
出来ないんだろなぁ、きっと。
軽蔑を込めて、わき腹を押さえて笑うリュッカさんを見た。アバラ外れろ。
そんな大嫌いなリュッカさんではあるのだが、しかし不思議なことに僕たちは、かなりの頻度でこうして一緒にご飯を食べている。
なぜと聞かれても困る。なんとなくだ。
大概は割り勘だが、たまにこうして奢ってもらったりする。
そういう時は決まって僕の不幸を祝してだけどねっ!
しかしお金に余裕の無い今、ご飯をタダで食べられるのは素直にありがたい。
それを思えば、こうして蔑み成分100%で笑われる事も、なんとか我慢する事ができる。それにこうして馬鹿笑いしている隙に、僕は彼女よりも美味しいもの注文するのが常だから、まあ許せるというものだ。
しかし今日は勝手が違った。
「待ちなさい」
リュッカさんは笑みをピタリと止めると、その剣士とは思えない繊細な指を、注文するタイミングを見計らっていた僕に突きつけてきた。
「アンタ、私が奢る時に限って高いヤツ注文するわよね」
ギクッとした。
「そ、そんなことしてましたっけ?」
「すっとぼけんじゃないわよ罰金大王」
「…………あの、コミカルに心を抉るとかやめてもらえませんか?」
「なんでよ?」
「なんでって……」
えっ、それ説明しないとわからないの!?
「とにかく隠れて注文すんのやめなさいよね。みみっちい。いくら慈悲深い私にだって、限度ってものがあるんだから」
「慈悲なんてあったんですか?」さっき人の心を踏みにじったばかりなのに?
「あったり前じゃない」と、居丈高に言う。「そうじゃなかったら誰がアンタみたいなショッボイのと食事できんのよ」
「それってただリュッカさんに友達がいないだけじゃ」
「今なんか言った!!!!!!」
「あ、いえ………ごめんなさい……」
「気の毒そうに謝らないでよ! 友達ぐらいいるわよ!」
「植物のですか?」
「人間のよ!」
「その人間って、二足歩行の?」
「そうよ!」
「まさかとは思いますが手が2本の?」
「そうよ!!」
「もう一度確認しますが、それは本当に人間と呼べる代物なんですか?」
「そうだっつってんでしょ!」
ダンッとテーブルを叩く。
「あーもう! とにかく注文は私がするからアンタは何もしないこと、いいわね!」
「……」
ぐぬぬ。
挑発して煙に巻こうとしたが失敗した。
けっきょく先手を打たれてしまった。
後先考えない馬鹿だと思っていたリュッカさんにも、人並みの学習機能が備わっていたようだ。驚きだ。
だけどこのまま素直にリュッカさんに注文を任せると、とんでもないものを注文されてしまう。まず間違いなく『自分と同じ物を注文したりはしない』だろうし。
きっとスープ8皿とかだ。過去に一度あった。
どうしよう?
(しかたない、変なの注文したら自腹切るか)
ため息をこぼしながらそう思った矢先、僕はあることを閃いた。
俯いて、見えないように口角をニィィと曲げる。
ダメもとでやってみるか。
僕は邪悪な笑みを消し、ウェイターを呼ぼうとしているリュッカさんに向けて、爽やかなスマイルを浮かべた。それはもう、エチケットガムのCMに出られそうなくらいのキラッキラしたやつだ。そして何気ない風を装って呟いた。
「それにしてもリュッカさんって、お綺麗ですよね」
言って後悔した。
おだてる作戦を思いついたはいいが、ちょっと表現が陳腐すぎた。
(ハア? あんた馬鹿なの? 私が綺麗なのは太陽が昇るのと同じぐらい当然なことじゃないっていうかそんな安い言葉で私の美を褒めようとしないでよね。だいたい野良犬ちゃん風情が貧困な語彙で私のご機嫌を取ろうだなんて100万年早いのよヴァーカ)
という幻聴が聞こえてくる。
不思議だな、幻聴なのにイライラしてくる。
しかし現実には、なにも言ってこなかった。
あれ?
その静寂を不思議に思い、リュッカさんをよく見てみると、
「……」
艶やかな唇が、蕾のような形のまま固まっていた。
まるでフランス人形が棚に飾られているように微動だにしない。
そして、その陶器のような滑らかな頬が、うっすらと桜色に染まっていた。
数秒後、ようやくフリーズから再起動したリュッカさんは、
「なななに言ってくれちゃってんのよバババカじゃないのー?」
面白いほど取り乱していた。
その反応にこっちが驚いた。
えっ、まさかっ!?
この人、褒められ慣れてない? しかも尋常じゃないくらいに?
ああなるほど。その凶暴な性格が仇となって、今まで男性に言い寄られた経験がほとんどないのだろうな。仮に言い寄ってきとしても、狂犬リュッカさんはテリトリーに入った瞬間ブン殴ってたんだろう。
もったいないなぁ、と思う。
町に住んでそれなりに日が経ち、テレビでも見らないような美人を何人も目にしてきたが、いまだリュッカさんを超えるほどの美人はいない。
リュッカさんがリュッカさんじゃなかったらと、本気で残念に思う。
美を称えることに長けた詩人が彼女を一目見たとしても、「俺の話聞くより見た方が早いよ」と拗ねるぐらいのレベルだ。
それぐらいの美人なのだ。
ま、どうでもいいけど。
リュッカさんの突破口を見つけた僕は、脳細胞を総動員し、女性を褒めるための言葉をあらんかぎり出し尽くした。
――5分後。
またやりすぎてしまったのかもしれない。
僕の前には、茹でタコみたいに顔に紅潮させたリュッカさんが出来上がっていた。
リュッカさんは無言で、水滴が浮いたガラスコップを見つめている。その様はまるで恥らう乙女のような佇まい。
その超常現象を前にして、僕は己の迂闊さを悔いた。
怖い。
まるで飼犬が、いきなり変な鳴き声を出した時の様な、心がざわつく感じになる。
メチャクチャ気持ち悪い。なんだこれ。
動物病院か? やっぱり動物病院なのか?
トトリ峠での事もそうだが、僕はどうやら少しブレーキがおかしくなってしまっているようだ。自分を抑えるための歯止めが役目を果たしてない。
目の前の、おかしなことになっているリュッカさんをどうしようかなと思いつつ……まぁ放置でいいかと一瞬で頭を切り替えて、僕はオーダーを通した。
その様子をチラチラと盗み見ていたリュッカさんは、次の瞬間、何かに気づいたのかハッと目を見開いた。
あっ、バレたようだ。
「あの……今日もごちそうになります……」
「!?」
恐る恐ると口にした僕のその言葉で、全てに合点がいったのだろう。
茹でタコが一瞬で般若になって、僕に襲い掛かってきた。




