2-04 女帝の苦悩
カンニバル国王城の一室。
赤い絨毯が敷き詰められたその室内には、これといった装飾はない。もとは色々と用意されてあったのだが、ごてごてと目障りだったので、私の一存ですべて撤去した。
唯一、置くことを許したのは、美しい彫刻に飾られたプレジデントデスク。そして黒龍の腹の皮を、膨大な工程と労力を経て加工して作られた、最上級チェアのみ。これで充分だ。
チェアに腰を下ろし、
「クラウディア様、こちらになります」
「ああ」
部下から差し出された報告書を受け取った。
封印を解除し、ザッと中身を確認する。
そこには対象者の一週間の行動記録と、望遠念写による写真が載っていた。
午前6時起床。
サルラの町内を5kmジョギング。
次いで短距離ダッシュを30本。
ホテルに戻り、腕立てと腹筋と背筋のトレーニング。とくに腹筋と背筋を念入りに。
トレーニング後、ホテルの朝食メニューとは別に、牛乳500mlをかならず摂取。その際、乾燥させた大豆の粉末を溶かして飲んでいる。嗜好のためではなく、良質なたんぱく質の摂取が目的と思われる。
走行速度、運動強度、反復回数から、人間種の一般的な12歳程度の運動能力と推察される。
(やはりチキュージンは運動能力が著しく低いな)
一人納得しつつ、先を読み進める。
対象者の主な活動は狩猟。岩イノシシを狩って生計を立てている。
写真には、対象者がいままさに魔法を放とうとしている瞬間が写っていた。
その手元には魔力で出現させた『現象』がクッキリと写し出されている。
一見すれば何の変哲もない、土属性の魔法だ。
このブーメランのような細長い鉱石を、前方に回転させながら射出する……のか?
だとしたらこの構え方は不合理だ。
片膝立ちをし、ブーメランを下から支えている。このまま射出すれば、左手と右手、そして右頬の肉がごっそりと抉れるんじゃないのか?
そんな疑問を持ちつつ読み進めていくと、私が写真からイメージしていたものと、実際のとでは、まったく違うことがわかってきた。
すこし興味が湧いてきて、さらに横に並ぶ文字を目で追っていく。
しかし次第に、私の眉間に皺が寄りだした。
おもわず口の中で舌打ちする。
おいなんだこりゃ。私はガキの絵日記を頼んだ覚えは無いぞ。
肝心な部分がスッカスカじゃねえか。
「アルジ」
「は」
名を呼ばれた若い男の部下が、手を後ろに組んだまま一歩前に出た。
この絵日記を作成したのはコイツだ。
高度な教育を受け、現場経験も豊富と聞いたから任せたのだが――人選ミスったか。
私は内心の落胆を隠しつつ、あくまで事務的に告げた。
「この『礫 魔法』について、これだけでは不明瞭だ。説明しろ。そもそも礫魔法の定義はなんだ」
「は」
アルジは短く返事し、脇に抱えた分厚い資料を開いた。
「対象者は直径数mmの魔力弾を、同時に顕現させた魔力の筒に通すことで加速させ、高速で射出し、目標に命中させる魔法を使用しておりました」
「だから礫(つぶて)か。原理は大砲のようなものか?」
「おそらく同じだと思われます。ただ、命中精度は大砲とは比較にならないほど高く、また貫通性能に優れております」
「なるほど。この礫魔法は、矢のように山なりに飛ぶのか?」
「いえ、ほぼ直線に飛びます」
ああ、そうか。
あの奇妙な構えは、筒を限りなく水平に保つためのものだったのか。
不合理だと言って悪かったな。
「……ん? なんだこれは?」
私は一枚の写真を指差しながら首を捻る。
その写真は、対象者がちょうど四角い箱を、筒の下に接着している場面だった。
「これは何をしている?」
「この箱に礫の『種』を複数個入れ、筒の内部に通していると思われます」
「箱を接着しないと礫は撃てないのか?」
「そのようです」
「複雑だな。まぁいい。属性はやはり土か?」
「はい」
ま、見るからに鉄の塊だからな。
しかし不可思議なものだな。この鉄の塊で魔力球を加速させて射出するのか。
まるで鳥撃ち用のスリングショット(パチンコ)だな。
手元には、対象者が魔法を放っている場面が、連続写真で収められている。
ふと、あることに気付いた。
「なぜ攻撃後に僅かに上半身を反らしている? 癖か?」
いえ、とアルジ。
「どうやら魔法を撃つ際に反動があるらしく、その際に姿勢を崩しているのかと」
「反動だと?」私は片眉を上げる「魔法を撃つのに反動があるのか?」
「そのようです」
よくわからん。
小さな大砲を腕だけで持ち、発射エネルギーで仰け反っているようなものか。
しかしそれは原動力が火薬だから起こることだ。
これは魔法だろ?
「浮遊させて射撃させることはできないのか?」
「浮遊は確認できませんでした」
そうか、と頷く。
反動ねぇ。ずいぶんと大きな欠点のある魔法だな。
いや、そもそもこういう重要なことは最初から報告書に書いとけよボケ。
私が気付かなかったらそのまま放置するつもりだったのか?
こめかみが痙攣するが、それを気合いだけで抑える。
いったん報告書の不備を指摘すべきか迷ったが……やめた。
ここはそういう場じゃない。
司令官が前線基地で部下に書類の書き方について説教しないといけないのか?
そもそもこのやり取り自体がおかしい。
ここに書いてあるのはなぁに? えっとねー! 託児所かここは……。
何のための事前教育だ、まったく。
もういい、次だ。
「貫通性能に優れていると言ったな。具体的にどれぐらいだ」
「確認した中での最大威力は、岩イノシシの甲羅を一撃で貫通させました。なおこのとき対象者は試し撃ちをしていたと思われます」
たしかに、低い魔力値にもかかわらず、貫通性能はあるな。
そして独学で試行錯誤を続けているわけか。
鍛錬を自発的にしていることといい、魔法使いにしてはじつに感心だな。
この世界の魔法使いとは大違いだ。
「有効射程距離(目標に十分な打撃を与えられる最大距離)はどれぐらいになる?」
「確認できた中での最大は、静止目標に対し120mです」
「高速移動する目標物に対しては?」
「現在調査中です」
「この礫魔法のほかに、何か魔法は使えるのか?」
「確認できたのは一種類で、そちらも詳しくは調査中です」
「そうか」
まぁ極秘活動で一週間じゃ仕方ないか。
手元の写真も長距離から撮られた念写を、限界まで引き伸ばしたものばかり。
サルラの警備を、ちと厳重にしすぎたかな。
「で、一般魔法との違いはあるか? 特殊魔法は省け。時間の無駄だ」
「は。一般魔法との違いは、発動までの準備時間が短いという点が挙げられます」
「短いとはどれぐらいだ?」
「平均10秒です。遅くとも30秒以内には攻撃準備が完了していました」
ふむ、と内心でつぶやく。
まぁ短いという部類にはなるか。
このあたりはこっちの魔法使いと大差ないな。
「発射間隔はどれくらいになる?」
「最短で180秒です」
私は怪訝な目をアルジに向ける。
「……それは確かなことか?」
「サンプルが少ないため断言できませんが、確認できた中では180秒になります」
「そのサンプルとは狩猟だけなのだな?」
「は」
「では、サンプルの数字ではなく、現場を直接見てきたお前の考えを聞かせてくれ」
「やはり180秒というのが対象者の限界かと思われます」
「ほかの思い当たる可能性は?」
「特に無いかと」
無意識に、鼻の横の筋肉が痙攣した。
「そうか……」
もういい、今はこのボケのお勉強会じゃない。
『こんな可能性』すら気付けないようなアホに言う事は何も無い。
さっさと必要な情報だけ聞き出そう。
付き合ってられん。
果物の一番甘い部分だけ噛んで残りを捨てるような気分で、次の質問をする。
「ほかに何か違いはあるか?」
「は。魔法発動にかかる消費が異様に小さいという点が挙げられます」
「測定は何でやった?」
「望遠魔力計測器Ⅱ型になります」
ならその数字はまだ信用できるな。
「わかった。消費の目安を一般魔法で喩えられるか?」
「火属性のサーチライト程度かと」
足元を照らす程度で人が殺せるのか?
末恐ろしいガキだな。
「単刀直入に聞く。アルジ」
「は」
「貴様はこの者の能力をどう評価する?」
「数値を度外視したとしても、せいぜい初級魔法使い程度かと思われます」
「理由を聞く。話せ」
「は。この者の魔法では街道警邏隊の装甲すら貫通は不可能です。また発動までは早くとも、発射間隔は非常に長く、たとえ貫通力と命中力があろうとも、一撃さえ防げばあとはどうとでもなります。攻撃時に障壁を張るという魔法使いのセオリーからいって、対象者に障壁は展開・維持できないものと思われます。なにより魔力値が低すぎるのが致命的です。ですので、中型装備の歩兵一人でも対処は十分に可能です」
「……」
聞き終えた私は、こいつをどうやって他所に放流するか、そっちを考えていた。
これで確信がいった。
この情報の9割はゴミだ。
アルジはまったく本質が見えていない。いや、見ようとさえしていない。
アルジにとって対象者は、魔力28で不完全な魔法を使う、取るに足らない魔法使いというイメージで固定されていたわけだ。
魔法に関する記述が異様に薄かったのは、これのせいか。
脅威はないと判断したから、わざわざ私の手を煩わせたくないがために、くだらない土魔法の記述を削除しまくってくれたわけだ。
お気遣いありがとよ。おかげで二度手間だ。
「もうよい、下がれ」
吐き捨てるように言う。
扉が閉じるのを確認した後、私は手元にある書類を丸めてゴミ箱に放り捨てた。
ちなみにゴミ箱とは床のことだ。
嘆息する。ああタバコ吸いてぇ。ピチカ様が嫌がるから我慢しているが、このストレスを解消するには一箱ぐらい必要だ。
デスクの隅に置かれたツルのオリガミを見つめる。
すると微かな幻聴が、私の脳の奥に響いた。
(んー、ん、んー)
触り心地抜群の、ピチカ様の頭を思い出す。
すると荒れた気持ちが、すこしリラックスできた。
私は気を取り直し、さきほどの報告から使える情報だけをピックアップして、脳内で対象者の性質を再構築することにした。
まず最初に、この者の使う魔法は、完全に対人戦闘向きに特化されたものだ。
人を殺傷するため『だけ』の魔法だ。
正確に急所を狙い、圧縮した魔力弾を高速で叩きつけ、装甲ごと、もしくは装甲を避けて内部を破壊させる。
一見地味だが、対人戦闘においてこれほど優れた対人魔法はなかなか無い。
火属性のファイヤーアローや水属性のアイスダガーも似たようなことができるが、命中精度や射程距離が比較にならない。ちなみに当たらないなら数を増やせばいい、というのが魔法使いの理屈だ。信じられるか? これが実情だ。
この世界の魔法使いどもは、威力や見た目にだけこだわってばかりで、こういった対人魔法を生み出そうとしない。大型モンスターを倒す魔法が、対人戦闘にも有効だと本気で思っているのだからな。
人を殺すのに岩を溶かすような炎はいらない。急所に針を刺すだけで人は死ぬ。
それは鬼族でも龍人族でも同じだ。万物に共通する原理だ。
高威力魔法が、かならずしも戦闘に有利というわけではない。
むしろ過度な破壊は作戦遂行の妨げにしかならない。
こんな簡単な道理を、この世界の魔法使い共は理解しようとしない。分かっているのは極小数だろう。ただでさえ数が少ない魔法使いの少数派だ。
まったく、度し難い馬鹿どもだな。
それと、発射間隔が180秒だというのも大間違いだ。
この者は、魔法使いなのに執拗に腹と背筋を鍛えている。しかも運動直後にたんぱく質を摂取する念の入りよう。
そしてこの魔法には反動がある。
筒の下には礫の『種』が複数設置されている。
つまり礫を『連射』するときの反動を腹筋と背筋で抑制してるんだろ?
このオガミは、高速で次の礫を射出させることができるんだよ。
じゃなければ、こんな中途半端な膝立ちの姿勢はとらない。
もし発射間隔が本当に180秒ならば、さらに遠距離から、移動を放棄したような腹ばいの姿勢をとって命中精度と姿勢維持を優先させて攻撃するだろう。
敵に近づかれたら困るからな。
この試行錯誤をひたすら繰り返す対象者が、状況に応じて即座に移動することができる膝立ちを、何の理由もなく選ぶわけがないだろ。
金をかけてもいい。この者の発射間隔は短い。それも驚くぐらいに。
だいたいイノシシ狩りをするのに弓を連射する狩人がどこにいる?
獲物を必要以上に傷つけないように攻撃回数を抑えているに決まっているだろう。
なんでこんなガキでも気付くようなヒントに気付けないんだ?
きっとアルジは事前に仕入れた情報で、対象者がカスだと強烈に印象づけてしまったのだろうな。諜報部員としては失格だ。
対象を調べろだけしか言わなかったのは、たしかに私だ。魔法という点に念に念を押せば、違った報告が返ってきたのかもしれない。
だがそれは私ではなく、調査員が現場ですぐに気付くもんじゃないのか?
そこまで気を使わないと納得いく書類が手に入らないのか?
だとすればこの国は終わりだ。
それとな。
120m先の的を狙える者が、わざわざ装甲の一番厚い場所を狙って撃つかボケが。
戦い方如何で、個人が携帯する装甲性能なんぞどーとでもなんだよ。
アルジはたしか、中型装備の歩兵とか言ってたな。
スキル(剣技)のない者で、どうやって対抗させるんだ?
まさか大盾を持たせて正面から接近させるつもりか?
威嚇に何発か盾に打ち込まれ、脛や篭手の薄い部分を狙われ、動きが鈍った所を回り込まれ、兜と鎧の隙間を撃ち抜かれて終わりだ。悲鳴すら上げられない。
魔法使いも同じだ。
障壁の脆い部分があるだろ? 魔力にムラがある部分。そこだよ、そこ。
対象者は不意をついて、そこを正確に、直線という恐ろしい軌道で、貫通性能のある魔力球を滑り込ませるんだよ。そうやって中身をぶっ壊すんだよ。
120m先からだ。
それも足元を照らす程度の魔力消費でな。
同じことができる魔法使いが、果たして何人サルラにいるんだろうな?
たしかにまだ発展途上だろう。
いまの考察は、不利な条件を無視し、強引にもっていった点がいくつかある。
筋力も、威力も、魔力も、装備も、資金力も、何もかもが未熟だ。
だが、それも時間の問題だろう。
ここまで徹底して己自身で思案を繰り返し、鍛錬する者が成長しないわけがない。
私が思う魔法使いの本来あるべき姿が、この対象者だ。
己の魔法を吟味し、『開発』ではなく、『改良』を続ける。
こいつはいまに化け物になるだろうよ。
そこまで理解したうえで作成された報告書を、アルジに期待していたのだがな。
この分では、発動準備時間も当てにはならないだろう。
完全に無駄な時間だったわけだ。
ちなみに私は無駄が大嫌いだ。
あーくそ! ピチカ様撫でてえ!
なんでこんなチマチマしたことしなきゃならんのだ。
嫌いなんだよ、こういうのが!
私は!
「はぁぁぁぁ」
火山の割れ目から吹き出る水蒸気のような、熱のこもった嘆息をつく。
「やはり私が行った方がよろしかったのでは?」
私の隣に立つ、赤髪の女丈夫が薄く口を開いた。
そうだな、と短く言葉を返す。
部下を持つことを毛嫌いする私が、唯一心を許している直轄の部下だ。
「お前は、この者をどう思う?」
「色々と穴はありますが、実戦を2・3経験すれば即座に化けます。現時点でも『状況さえ整えば』、初級魔法使い程度では歯が立ちません」
「中型装備の歩兵では?」
「的当てにはちょうどよいかと」
だろうな。
今回の調査を外注せずに、ぜんぶこいつに任せりゃよかった。
まぁ今となっては後の祭りだけどな。
「以後はお前に任せる。やり方も任せる。1からやり直してくれ」
「了解しました。それで、あとひとつ報告が」
「なんだ」
「サルラの冒険者ギルドから、『特務機関員育成保護プログラム』の申請が――」
「オガミのか?」
「はっ」
そうか。聡い奴は気付きだしたんだな。
サルラと言えば……あぁ、あいつらがいたか。
「いかがいたしましょう?」
「申請は取り消せ。評価も『目立たない程度』にしておけ。あとは、そうだな、手ごろな任務でも与えて、様子を見ておけ」
「はっ」
私はデスクに両ひじを乗せて手を組み、顎を乗せる。
とはいっても、数字や文字だけでは掴みきれない。
やはり自分の目で確かめるしかなさそうだ。まったく。
「あと、転移魔方陣の手続きをしておいてくれ」
「かしこまりました」
私は心の中で、小さな友人に「悪いな」と謝った。
それはシンゴがトトリ峠にいく、すこし前の出来事だった。




