幕間
「コトー、どうしたんだー? お前、そんな子じゃないだろー?」
突然暴れだした馬車馬――その長い顔を撫でつつ、老人は静かに語りかけた。
自分の主である老人に対し、馬はすまなそうな色を目に浮かべている。
その様子を見つつ、老人は首を捻った。
コトーと名づけたこの雌馬とは、長い付き合いになる。
しかしこんな風に暴れたことは一度としてなかった。足は遅いが、後ろにいる存在を気遣う、そんな優しい心を持った子だった。
なのに、いきなり『尾に火をつけられた』ように暴れだしたのだ。
あやうく近くを通りかかった人――おそらくギルドか休息所の職員――を、巻き込みそうになった。とっさにその職員がコトーの手綱を引いて抑えてくれたからよかったものの、これが人通りの多い場所だったら一大事だった。
先の短い寿命が、半分に減るような出来事だった。
病気か? それともストレスか?
白髪の頭をかしげていると、隣にいた駅馬車の乗り手が声をかけてきた。
「爺さん、具合はどうだ?」
「あぁおかげさんで怪我はないよ。ただ前の車輪受けにヒビが入っちまった」
「ひどいのか?」
「まぁな」落胆を滲ませつつ。「あと1.2往復で割れるだろう」
「あちゃーそんなにか。修理には?」
「いや、こいつも随分使ってあちこちガタが来てたからな。捨てて新調するよ。ちょうどいい機会だしな」
だから気にするな、と老人は馬を優しく撫でる。
そんな老人の背中に、新たな男が声をかけた。
「でしたらその馬車、譲っていただけませんか?」
男――スキンヘッドのその男は、かなりの安値で老人から馬車を譲り受けた。
そして男は自分の馬に馬車を繋げると、トトリ峠を後にした。
男の乗った馬車は街道をはずれ、山道へと進み、やがてある地点で止まった。
そこは何もない、左右を森に囲まれた道の真ん中。しかし、ここが目的地なのだ。
男は短く口笛を吹く。
しばらくの静寂。
スキンヘッドの上を数羽の鳥が羽ばたいた。
やがて、左右の茂みが揺れ、数人の男たちがその姿を現した。男は馬車の業者台から降りると、近づいてきた一人の男――古い傷だらけの男に、慇懃に言葉を発した。
「親分、足が見つかりました」
親分と呼ばれた男は、その目に警戒を浮かべながら口を開く。
「尾行は?」
「4度道を変えましたが、大丈夫です」
「よし」
古傷の男はうなづきつつ、「塗装を剥いで色を変えろ」「識別プレートを削っておくのを忘れるな」「識別は辻馬車だ」「車輪受けの補強は軽くでいい。一度使えればそれでいい」後ろに従えた者たちに指示を飛ばす。
そうするうちに、スキンヘッドが乗ってきた馬車は、別の物へと仕上がっていった。
古傷の男はその様子を満足げに眺め、そして言った。
「じゃあ、釣りをはじめるか」




