1-29 ごほうび
「ごほうび、あげる」
そう言って手を引いてくるピチカに連れられて、僕は庭先へと移動した。
ごほうび? 今度はピチカが驚かせてくれる番かな? と笑っていたが、ピチカの瞳には真剣な色が浮かんでいたので、僕も笑顔をひっこめた。
これから遊ぶわけではなさそうだと、雰囲気が教えてくれた。
「シンゴ、魔法の事、ちょっとだけ教えたげる」
「えっ、本当に!?」
「んっ」
思わず声を張ってしまった。
実を言うと、ピチカに魔法の手ほどきをしてもらいたいと思っていた。
魔法に関する悩みなんて、言い出したら切がないくらいある。
しかしその欲求を僕はグッと押さえ込み、顔に出ないように気をつけていた。
この世界で生活してまだ10日も経っていないが、この世界で魔法に関する情報が、どれだけ価値のあるものなのかは肌で理解している。
非常にデリケートなのだ。
気軽に聞けば、関係に傷がつく。それぐらい慎重に取り扱われている。
魔法の知識は金を払えば手に入るが、ピチカとの信頼関係は金を払っても取り戻せない。そう思って我慢していた。
「なに、聞きたい?」
首をかしげるピチカ。しかしその佇まいには、幼さを感じさせなかった。
いま目の前に居るのは、一瞬で岩イノシシを蒸発させるほどの実力を持った、超一流の魔法使いだった。
僕は真剣に考える。
細かい疑問ではなく、本質に直結するような質問でないといけない。
ピチカは「ちょっとだけ」と言った。無駄撃ちはできない。
まるで引き金をひく時のような緊張でもって、僕は質問を口にした。
「僕の魔力や弾数の成長は、どういうルールで増加するんですか?」
すると、ピチカはスッと瞼を閉じた。
その花びらのような唇からは、しかし別人のような大人びた声が発せられた。
『真悟は、誇りを満たされて初めて成長する』
それってどういう事ですか? とは聞かない。
矢継ぎ早に質問するような状況じゃない。
考えろ、考えろ、考えろ。千載一遇のチャンスを前に、脳をフル回転させる。
――誇り。
その言葉には心当たりがある。
弾数が増えた時の戦闘は、少なからず興奮していた。
自分の命を懸けてもいいと思える戦いだった。しかし昨日のラビットクローの狩猟は、まるで流れ作業のように淡々としたものだった。
つまりそういうことか。
ルーチンワークのように動物を殺しても成長には繋がらないのか。
戦いの中で、僕の誇りが満たされなければいけない。
なるほど、そういうことだったのか。つねに強者と立ち向かい続けなければ、僕は成長できない。
……これってけっこう厳しいよな。
まぁいい、次だ。
次の質問を考えていた僕に、逆にピチカが質問してきた。
『真悟は、自分の称号をしっかりと意識している?』
「称号?」
『そう』
「称号……って何ですか?」
『……』
「……」
二人の間に静寂が訪れる。
間を埋めるように、どこかで鳥が鳴いた。
そして二人仲良く、コテンと首をかしげた。
『知らない?』
「えっと、申し訳ないんですが、知らないです」
『スペルブックの表紙を撫でて』
一瞬、ピチカが何を言っているのかが分からなかったが、すぐに理解した僕は、目を閉じた。そして脳内でスペルブックを浮かべる。
撫でろと言っていたので、本を開かず、かわりに表紙を撫でるようにイメージする。
すると脳内に、まるで大鐘を打ったような重い声で、ある言葉が響いた。
題名、一匹狼。
森の中、たった一匹で遠吠えをしている表紙の絵。その題名が頭の中に響く。いや、題名だけじゃない。どんどん言葉が浮かび上がってくる。
「なんだよこれ、すごい……」
思わず声を漏らす。
自然治癒力とか、知覚能力向上とか、日本語の項目がずらずらと瞼の裏に並ぶのだ。
これ、もしかして僕の能力を向上させるためのものじゃないのか?
まるで心を読み取ったかのように、『それが称号』とピチカは肯定した。
『真悟に力を授ける。意識をすれば意識するだけ、愛すれば愛すだけ、真悟に力を貸してくれる。それが称号の役割』
ピチカの声がどんどん近づいてきて、そしてソッと僕の頬に触れた。
『狼』
「えっ、ピチカにも見えるんですか?」
『綺麗な毛並みの、大きな狼。とてもいい』
絵を褒められて、僕は無性にうれしくなった。
だってここに描かれているのは、僕が最初に出会った『彼』なのだから。
自然と言葉が口から出た。
「彼は気高い狼でした。そして僕に、殺し合いのなんたるかを教えてくれた――」
「大切な存在です」
そう言うと。
自分の頬からペチンと可愛い音が鳴った。
えっ、今ビンタされた? と驚いて目を開けるが、ビンタしたであろうピチカは背を向けていた。
こちらからはその表情を窺えないが、髪の間から見えるほっぺたが、少しプクッと膨れていたような気がした。怒ってる? なんで?
「えっと、ピチカ?」
「おしまい」
声が幼いバージョンに戻ってる。
って、えっ、おしまいって、質問タイム終了なのっ!?
「え、ええー! もうちょっとだけ」
「だめ、おしまい」
荘厳とした雰囲気は薄れ、完全に幼子モードのピチカに戻ってしまった。
いや、これ以上は求めるほうが失礼か。
ものすごい重要なことを2つも教えてもらったのだから。
敬意を払わねばならない。
僕はスッと直立姿勢をとり、深々と頭を下げた。
「ご教授、ありがとうございます。教えていただいたこと、無駄にしないように精進します」
「んっ」
顔を上げると、ピチカは変わらぬ無表情で見つめていた。
だがその瞳は満足げだった。
その後、ピチカの案内で付近の森を散策し、夕飯時になってサルラの町に帰ろうかなという頃、ピチカの勧めで今日は泊めて貰うことにした。
ブロッコリー君が作ってくれた今日の夕飯は、クリームシチューとローストビーフと白パン。
現実世界の味付けとほとんど変わりはなく、むしろこっちのほうが好みだ。
血のしたたるミディアムレアの肉は、赤ワインのソースとよく合い、やわらかな白パンとの相性も抜群。どんどん胃の中に入っていく。
食事中、スープにカリフラワーが入っているのを見て「老人に我が身をささげるため、火の中に飛び込んだ月のウサギ」という童話を思い出したが、口には出さなかった。
きっと思い過ごしだよね?
夕食後、ピチカと折り紙をしたあと、お風呂をいただくことになった。
が、ここで一悶着あった。
ピチカが一緒に入りたいとごね出したのだ。
幼いとはいえ女の子なんだから混浴はダメだよと嗜めるのだが、犬耳幼女は聞く耳を持たない。でっかい耳ついてるのに。
業を煮やしたピチカは「一緒に入らないと髪の毛伸びる」と脅してくる始末。
うん僕も伸びるよ。
しかたなく「一緒のベッドで寝る」という約束を取り付けたことで、何とか収まってくれた。
そしてお風呂から上がり、ピチカが作った折り紙を部屋に飾り付けていると、だんだんとピチカの瞳がとろーんとなってきた。あくびの回数も増えてきている。
そろそろ限界かなと思い、僕とピチカは2階にあるベッドルームで、一緒のベッドで眠ることにした。
「シンゴ、お話して?」
掛け布団から顔を半分だけ出したピチカがおねだりしてくる。
お話しかぁ。
童話とかほとんど覚えてないけど、ここはスタンダードに桃太郎でいっか。
こっちの文化圏でも、うまく話の内容が伝わるかな? と思ったのだが、そもそも桃割ったら子供が飛び出てくるようなぶっ飛んだストーリーなので、まぁ考えるだけ無駄か。話してみると、ピチカはこの桃太郎を気に入ってくれた。
途中から、気になったことを質問してくる。
「キビダ、ンゴ?」
「キビ団子ね。……団子ってこの世界にあるのかな? ピチカ、お団子わかる?」
「わかる」
「ああ在るんだよかった。キビっていう穀物で出来たお団子なんだ」「ん」
「犬、猿……キジ?」
「キジは……どう説明したらいいんだろう。なんか顔面が赤くて派手な鳥だよ」「ん」
「鬼?」
「額に角のついた下着の大男だよ」「ん」
「宝、村に返す?」
「返さなかったんじゃないかな。ほら、黙ってたら……ね?」「ん」
あらかたピチカの質問が出尽くしたところで、次に浦島太郎の話をしようかなと思っていたら、いつのまにかピチカはスースーと寝息を立てていた。
指にふにゃっとした感触。見ると、ピチカの小さな手が、僕の指を握っていた。
くすっと笑う。
指をそっと離すと、ピチカの手を毛布の中に入れてあげた。
(ありがとうピチカ。おやすみ)
ポンポンと布団の上からお腹を叩いて、僕も瞳を閉じた。
スペルブックが浮かび上がり、その表紙を愛おしげに撫でる。
そして次々浮かび上がる言葉を、ひとつひとつ丁寧に吟味していく。
そうしているうちに、いつの間にか僕の意識は眠りの中へと沈んでいった。
題名 一匹狼
効果
自然治癒力向上
魔力回復力向上
神経伝達速度向上
痛覚耐性向上
知覚能力向上
翌朝。
今日は、ピチカがおばあちゃんの所にお金を貰いに行く日らしく、ここでお別れとなった。ちゃんと家族がいてよかった、と心底安堵した。
ブロッコリー君が作ってくれた朝食をとりながら、寝癖でぼっさぼさのピチカに言う。
「おばあさんの所に行くんなら、何かお土産を持っていくといいよ」
「おみーやげー?」
まだ寝ぼけているのか、フォークからウィンナーをボロンと落としながら聞き返してくる。
「そう、お土産。きっとおばあさんも喜ぶよ」
「んー」
可愛い孫が来てくれて、さらにお土産まで持ってきて、喜ばない人はいないだろう。
朝食を終え、ピチカのボンバーヘッドを櫛で解かしてやる。
そしてやがて、別れの時間がやってきた。
ピチカはログハウスの玄関から、僕を見送ってくれている。
「……」
しかし無言だった。
出発の時間が近づくにつれ、どんどん口数は少なくなっていき、とうとう押し黙ってしまった。
ピチカは何も言わず、うつむいたまま長いスカートの裾をギュッと握っている。
何かを我慢するように。
外に出ようとしていた僕は、いったん土間に戻った。
出発を止めたわけじゃない。大切なことを言うためだ。
うつむいたままのピチカの前で膝を折り、目線を同じ高さに持っていく。
「ピチカ、ちょっと手を出してくれる?」
「?」
すこし潤んでいる瞳に疑問符を浮かべながら、ピチカは素直に手を出す。
その小さな手のひらに、僕は水晶牙を乗せた。
「これ、なに?」
「これは僕が命がけで手に入れた、大事な大事な勲章なんだ」
「くんしょう?」
「そう、勲章。それをピチカにあげる」
「くれる? どうして?」
「友達の証だからだよ。友達のピチカに持ってもらいたいんだ」
「……」
「貰ってくれる?」
「…………んっ!」
僕の言った意味を理解したピチカは、ガバッと顔を上げると、ジャンプするように首にしがみついて来た。
あまり感情を表に出さない尻尾が、思いっきり左右に振れている。
それを見てうれしく思いながら、僕はやさしくピチカを体から引き離した。
「また遊びに来るよ」
「ぜったい? ぜったい?」
「うん、絶対遊びに来る。あとよかったら、ピチカも町においで?」
「ん! ぜったい!」
返事と同時に、また抱きついてきた。
その瞳には、もう涙はなかった。
ピチカにホテルの名前と、一応冒険者ギルドのステラさんの名前を教え、僕はその場を後にした。
いい出会いができて良かった。




