表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/100

1-27 ワッフルに誘われた妖精



 翌朝の午前4時。

 まだあたりが薄暗いうちにホテルを出た僕は、朝市が開かれている噴水広場に向かった。そこで少々の買い物を済ませると、今日の目的地である「北の森」に向かって出発した。町はまだ眠っており、静謐な空気が満ちている。

 人通りのまばらな通りを抜け、掃き掃除をしている老人に挨拶し、石門をくぐって町を出ると、ちょうど正面から太陽が上がりだした頃だった。

 山から陽が顔を覗かせ、足元に咲く草花を朝焼けが染める。

 すこし肌寒い風が頬を撫でる。

 目を閉じて息を吸い込むと、鼻からすこし湿った朝の空気が肺へと入る。

 まるで体の内側を水洗いしたような清々しい気分になる。

 よし!

 今日もがんばろうと気合いを入れ、僕は足を踏み出した。





 北の森は、町からそれほど離れてはおらず、1時間も歩かないうちに到着した。

 この森での注意点は1つ。

 森の奥は国有地のため、関係者以外は絶対に立ち入らないこと。

 なので狩場は森の入り口あたりまでとなる。

 ターゲットである岩イノシシは、森と草原の境目に生息しているキノコを好物としていて、決まって朝の時間帯にキノコを食べに森から出てくる。そのため、待ち伏せしていれば、わざわざ森に入る必要はないのだ。

 しかし、もし手負いのまま森の奥に逃げられると厄介なので、確実に一発で仕留める必要がある。今日は拳銃ではなく、最初からM4A1を使うことにした。

 今日は昨日と違って数を多く狩るつもりはない。

 1匹、できれば2匹仕留めることを今日の目標にしている。まぁ様子見だ。

 そしてもうひとつ違う点がある。

 今回は待ち伏せなので、ラビットクローの時のように動き回る必要がない。

 岩イノシシは知能が低いらしく、好物のキノコを見晴らしのいい場所に山積みにしておけば、勝手に頭を突っ込みにきてくれるらしい。

 まぁつまり、『陸地でやる釣り』みたいなもんだな。

 僕はさっそく、餌となるキノコを、メモを頼りに探して採取していく。

 そして森からすこし離れた草原に、こんもりと積み上げていった。

 仕上げに、誘導するためにキノコをナイフで細切れにてばら撒く。

 これで下準備は完了。

 僕はキノコの山から100mほど離れた、すこし斜面になっている場所に陣取って待ち伏せすることにした。手袋、ニーパッド、マガジンポーチを装備し、軽く準備運動をしておき、いつでも動けるようにしておく。

 マガジンポーチには予備の9mmマガジンを2つ。足元には5,56mmマガジンを3つ置いておき、不意の連戦にも対応できるようにしておく。

 銃はまだ出さない。銃を召喚するのは攻撃する直前だ。

 すべての準備を完了させた僕は、草の上に腰を下し、ジッと山を見つめる。

「うーん、来ないなぁ」

 釣りと同じで、糸をたらしたらすぐ魚が食いつくなんてことはなく、岩イノシシが出てきそうな気配はなかった。まぁ気長に待つしかないか。

 やることのない僕は、ここで先に朝食をとることにした。

 朝市で買った包みを広げる。

 結び目を解いた瞬間、バターが焦げた香ばしい匂いが、フワッと鼻腔をくすぐった。

 一瞬で、口の中が唾だらけになる。

 僕が買ったのは分厚いワッフル数枚と、水筒に入ったミルクティーだった。

 昨日買ったサンドイッチと紅茶はどっちもクソ不味かったので、今回はちゃんと試食してから買った。パッケージだけで買い物をするとヒドイ目に合うのは、現実世界も異世界も変わりはないようだ。

 お茶はタイのマサーラー・チャイのようなミルクティーで、一口飲むと、ショウガのようなスパイシーな風味と、濃厚なミルクの味が交わって、すごく美味しい。濃いミルクティー特有の、喉にベッタリ残るような、あの不快感もない。

 ワッフルは、モチモチした食感と、表面の焼け目のサクサクした歯ごたえが一度に味わえて、噛んでいて非常に面白い。味もすごくいい!

 とくに砂糖のジャリジャリがあるのが満点だ! わかってるじゃないか!

 紅茶とワッフルを交互に口に運んでいく。

 うわっなにこれ、この組み合わせ、メチャクチャ美味しい!

 ワッフルを全部プレーンにせずに、チョコとかハーブの冒険物も買っとくべきだったと、すこし後悔。それはまた今度でいっか。次の楽しみにとっておこう。

 チチチッと小鳥が頭上でさえずる。

 肌寒かった空気は、太陽によって心地よい温度にまで暖められている。

 なんだかピクニックに来たみたい。

 美味しい朝食にテンションが上がり、当初の目的を忘れかけていた僕は、

「それ、おいし?」

「ブッ」

 突然声をかけられて、思わず紅茶を吹きこぼしてしまった。

 口を拭いつつ振り向くと、いつのまにかすぐ傍に、一人の少女がポツンと立っていた。


 妖精。


 少女を見て、そんな言葉が思い浮かんだ。

 小学校低学年ぐらいの少女は、ハロウィンパーティーの魔女みたいな格好をしていた。

 風でふわふわ揺れているショートボブは、シルクのような銀髪。

 その銀色の頭には、ピョコンと獣の耳が生えていた。

「犬の耳?」

 僕の声に反応するように、真っ白な犬耳がピクンと震えた。

 本物だ。獣人の子供なのだろうか?

 町でも獣人の子供を何度か見かけたが、この少女は、あの子供たちとは全くちがう雰囲気を持っていた。

 透き通るような肌。染みひとつないその顔には、しかし表情らしいものは浮かんでいなかった。

「それ、おいし?」

 少女は無表情のまま、じっと僕の手元を見つめ、同じ事を聞いてきた。

 あっ、もしかして。

「これ食べたいの?」

 ワッフルを持ち上げると、少女はこくんと頷いた。

 ようやく合点がいった僕は、優しく「いいよ」と笑いかけ、新しいワッフルを少女に渡そうとして――やめた。

「ちょっと待って」

「?」

 両手を突き出したまま、少女は不思議そうに首をかしげる。

 同じように、犬耳もコテンと曲がった。

 べつに意地悪をしているわけじゃない。

 僕の目の前に差し出された小さな手は、それはもう、見事に泥っだらけだったのだ。





 北の森に向かう途中、僕は岩の裂け目から水が湧き出ている場所を発見していた。

 水飲み場なのだろう。

 周りには、木でできたベンチと桶が無造作においてあった。

 僕はここで少女に手を洗うように勧めたのだが、

「? ? ?」

 いくら説明しても首を曲げるだけで、まったく伝わらない。

 しかたなく僕が洗ってあげることにした。少女の背後にまわり、その紅葉のような手を包み込むようにして持つと、湧き出る水へと持っていった。

 水は思った以上に冷たく、

「ん」

 少女の体がちいさくピクンとはねる。

「すぐ済むから、すこし我慢してね?」

 胸の辺りにある少女の頭が、コクンと頷く。

 おりこうな子供だ。

 爪の間や指の間を念入りに洗っていく。もし口に泥が入りでもしたら大変だ。

(なんだかこうしていると、歳の離れた妹ができたみたいだな)

 僕は苦笑しつつ手を洗い終えると、持ってきたタオルで優しくぬぐった。

 最後に少女の片手を繋ぎなおし、笑顔で褒めてあげた。

「はいよく出来ました。じゃあ食べよっか?」

「んっ」

 素直に頷く少女。

 そのとき、腰から生える銀色のシッポが、風もないのに揺れたような気がした。





 少女はワッフルをいたく気に入ってくれたようだ。

 自分の顔ほどもあるワッフルを両手でつかみ、モムモムモムモムと一心不乱に齧りついている。いまので2枚目だ。

 なんだか食べ方に少女なりのこだわりがあるらしく、まず四隅を齧って丸くし、それをりんごの皮を剥くように、回転させながら食べていくのだ。

 おかげで手はべちゃべちゃ。

「あーあ」と思いつつも、僕は笑いながらその愛らしい姿を眺めていた。

 少女の名前はピチカ。

 詳しい話は食後にするつもりだが、僕の予想だと親からはぐれてしまったんだと思う。

 町から離れているこの場所に、少女一人だけでいていいはずがない。

 食べ終えたらピチカの両親を探そう。

 そのせいで狩りができなくなってしまうが、まぁ仕方ないか。

 ピチカをここに置いておくなんて選択肢は僕にはなかった。

 しばらくピチカの食事風景を眺めていた僕の目が、

「――!?」

 ターゲットを補足した。

 弛緩していた神経が、一瞬で臨戦態勢をとる。

 視線の先。

 キノコの山に顔を突っ込むようにして、一匹のイノシシがいた。

 サイズはラビットクローの倍ほど。まるで平たい岩を背中に貼り付けたような外観。

 動きに合わせて、岩に繋ぎ目が現れる。デザインはアルマジロに似ている。

 間違いない。僕の獲物だ。

 素早くM4A1を召喚、ズボンに突っ込んでいた予備マガジンを差込む。

 次いでニーリングのポジションを取る。

 距離は100m。

 アイアンサイトで狙うにはすこし遠いが、ターゲットが大きいから難しくはない。

 今回は急所の位置もちゃんと把握している。右足の付け根に心臓があるのだ。

 これで、わざわざ堅い装甲の上から攻撃する必要なんてない。

 おまけに食事に夢中でほとんど動いていない。

 楽勝だ。

 僕の中にいる獣がベロリと舌なめずりをした。

「シンゴ?」

 僕の異変を察知したのか、ピチカが食べる手を止めて問いかけてくる。

 しまった、集中しすぎてピチカのことを忘れていた。

 即座に行動を中止し、作戦内容を変更させる。

 たしか岩イノシシのメスは気性が荒いから危険だが、オスは臆病なので、大きな音に驚いて逃げると聞いた。いま狙っているのはオスなので、もし弾を外しても襲われる危険性は低い。周囲にも他の岩イノシシの姿は確認できない。

 続行しても大丈夫だと判断。

「ごめんピチカ。いまから大きな音を出すから、耳をふさいでいてくれる? あと血が怖かったら目もつぶってて。できる?」

「んっ」

 なんで? どうして? とは聞かず、ピチカは食事をやめて、バンザイする形で頭の上の耳をふさいだ。いい子だ。撫でたい衝動に駆られが、それは後だ。

 僕は頭を切り替えて、全ての神経を引き金に集中する。

 じつはこの瞬間が一番気に入っている。

 自分の眼球が、まるで装填された弾丸になったような気がするからだ。

 急所へ狙いを定め、僕は細く深呼吸する。

 そして「すぅぅぅ、ふっ」息を止めたタイミングで引き金を絞った。

 一発の銃声が、空へと吸い込まれていく。

 5,56mm弾が、100m先の岩イノシシの急所に命中した。激烈な衝撃が、イノシシの心臓や内臓をズタズタに引き裂き、それでも破壊に満足できない銃弾は、さらに肋骨をへし折り筋肉を傷つけ、逆側から飛び出して地面を抉った。

 岩イノシシの大きな体が、一枚のドミノのようにパタンと倒れる。

 彼は食事したまま、天国へと旅立っていったようだ。

(よし!)

 上出来な一発だった。

 じんわりと右腕に残る余韻をかみ締めつつ、僕は心の中でグッとこぶしを握った。

 魔力消費による不快感もない。

 これならすこし休憩すれば、もう一回ぐらいいけそうだな。

 終わったのを見計らって、ピチカがテテテと近づいてくる。

 表情こそ平坦だが、その瞳は心なしかキラキラしているように見えた。

「それ魔法? シンゴ、魔法使い?」

 マガジンを抜き、銃身内の弾薬も取り出して安全な状態にしたM4A1を指差して、ピチカはそう聞いてくる。物怖じしない子だなと若干驚きつつ、僕は張り詰めた緊張をほぐしながら答えた。

「そうだよ、これは僕の魔法。いちおうこれでも魔法使いなんだ」

「シンゴも魔法使い」

「も?」

「ピチカも魔法使い」

 そういうとピチカはローブの中に手を突っ込んで、一本のステッキを取り出して僕に見せてきた。お星様が先についたステッキだ。

 そのステッキをぶんぶん振り回し、どうだ、と胸を張る。

 無表情は相変わらずだけど、どこか自慢げだということは分かった。

 あぁもう超かわいい何だこの生き物。

 おもわず解体処理も忘れて見入ってしまう。

「ピチカ魔法使えるよ? シンゴ、見たい?」

「うん、是非みたいな」

 そういうと、ピチカの色素の薄い瞳に、グッと力が篭ったのが分かった。

 ピチカはステッキの先を、仕留めた岩イノシシへと向ける。

「大きな音でる、シンゴ、お耳ふさいで」

「はいはい」

 僕の真似をしているのだろう。僕は言われたとおり耳をふさいだ。

 笑顔でいられたのは、ここまでだった。


 真っ赤な雷が、岩イノシシに落ちた。


 落雷の瞬間、世界が縦に裂けたのかと思った。

 衝撃波が円を描くように土肌を抉り、波打つように地面がめくれ上がる。細かな雷光があたりを縦横無尽に走り回り、草を焼き、土を裂き、ドス黒い傷跡をつける。

 容赦のない爆風が吹き荒れ、100mはなれた僕の足もとにまで肉片が飛んできた。見れば肉片は炭化していた。

 舞い上がった土煙が晴れると……。

 そこに岩イノシシの姿はなく、かわりに底の見えない縦穴が開いていた。

 神の怒りという表現がぴったりの、とんでもない一撃だった。

 どう? という顔で振り返ってくるピチカ。

「すすすすすごいわわ技をおおお持ちなんですねピチカさん」

 思わず声が震え、敬語になってしまった。

 怖い、この世界の子供、怖い。

 そんな僕を見ているピチカの尻尾が、また揺れた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ