1-27 ワッフルに誘われた妖精
翌朝の午前4時。
まだあたりが薄暗いうちにホテルを出た僕は、朝市が開かれている噴水広場に向かった。そこで少々の買い物を済ませると、今日の目的地である「北の森」に向かって出発した。町はまだ眠っており、静謐な空気が満ちている。
人通りのまばらな通りを抜け、掃き掃除をしている老人に挨拶し、石門をくぐって町を出ると、ちょうど正面から太陽が上がりだした頃だった。
山から陽が顔を覗かせ、足元に咲く草花を朝焼けが染める。
すこし肌寒い風が頬を撫でる。
目を閉じて息を吸い込むと、鼻からすこし湿った朝の空気が肺へと入る。
まるで体の内側を水洗いしたような清々しい気分になる。
よし!
今日もがんばろうと気合いを入れ、僕は足を踏み出した。
北の森は、町からそれほど離れてはおらず、1時間も歩かないうちに到着した。
この森での注意点は1つ。
森の奥は国有地のため、関係者以外は絶対に立ち入らないこと。
なので狩場は森の入り口あたりまでとなる。
ターゲットである岩イノシシは、森と草原の境目に生息しているキノコを好物としていて、決まって朝の時間帯にキノコを食べに森から出てくる。そのため、待ち伏せしていれば、わざわざ森に入る必要はないのだ。
しかし、もし手負いのまま森の奥に逃げられると厄介なので、確実に一発で仕留める必要がある。今日は拳銃ではなく、最初からM4A1を使うことにした。
今日は昨日と違って数を多く狩るつもりはない。
1匹、できれば2匹仕留めることを今日の目標にしている。まぁ様子見だ。
そしてもうひとつ違う点がある。
今回は待ち伏せなので、ラビットクローの時のように動き回る必要がない。
岩イノシシは知能が低いらしく、好物のキノコを見晴らしのいい場所に山積みにしておけば、勝手に頭を突っ込みにきてくれるらしい。
まぁつまり、『陸地でやる釣り』みたいなもんだな。
僕はさっそく、餌となるキノコを、メモを頼りに探して採取していく。
そして森からすこし離れた草原に、こんもりと積み上げていった。
仕上げに、誘導するためにキノコをナイフで細切れにてばら撒く。
これで下準備は完了。
僕はキノコの山から100mほど離れた、すこし斜面になっている場所に陣取って待ち伏せすることにした。手袋、ニーパッド、マガジンポーチを装備し、軽く準備運動をしておき、いつでも動けるようにしておく。
マガジンポーチには予備の9mmマガジンを2つ。足元には5,56mmマガジンを3つ置いておき、不意の連戦にも対応できるようにしておく。
銃はまだ出さない。銃を召喚するのは攻撃する直前だ。
すべての準備を完了させた僕は、草の上に腰を下し、ジッと山を見つめる。
「うーん、来ないなぁ」
釣りと同じで、糸をたらしたらすぐ魚が食いつくなんてことはなく、岩イノシシが出てきそうな気配はなかった。まぁ気長に待つしかないか。
やることのない僕は、ここで先に朝食をとることにした。
朝市で買った包みを広げる。
結び目を解いた瞬間、バターが焦げた香ばしい匂いが、フワッと鼻腔をくすぐった。
一瞬で、口の中が唾だらけになる。
僕が買ったのは分厚いワッフル数枚と、水筒に入ったミルクティーだった。
昨日買ったサンドイッチと紅茶はどっちもクソ不味かったので、今回はちゃんと試食してから買った。パッケージだけで買い物をするとヒドイ目に合うのは、現実世界も異世界も変わりはないようだ。
お茶はタイのマサーラー・チャイのようなミルクティーで、一口飲むと、ショウガのようなスパイシーな風味と、濃厚なミルクの味が交わって、すごく美味しい。濃いミルクティー特有の、喉にベッタリ残るような、あの不快感もない。
ワッフルは、モチモチした食感と、表面の焼け目のサクサクした歯ごたえが一度に味わえて、噛んでいて非常に面白い。味もすごくいい!
とくに砂糖のジャリジャリがあるのが満点だ! わかってるじゃないか!
紅茶とワッフルを交互に口に運んでいく。
うわっなにこれ、この組み合わせ、メチャクチャ美味しい!
ワッフルを全部プレーンにせずに、チョコとかハーブの冒険物も買っとくべきだったと、すこし後悔。それはまた今度でいっか。次の楽しみにとっておこう。
チチチッと小鳥が頭上でさえずる。
肌寒かった空気は、太陽によって心地よい温度にまで暖められている。
なんだかピクニックに来たみたい。
美味しい朝食にテンションが上がり、当初の目的を忘れかけていた僕は、
「それ、おいし?」
「ブッ」
突然声をかけられて、思わず紅茶を吹きこぼしてしまった。
口を拭いつつ振り向くと、いつのまにかすぐ傍に、一人の少女がポツンと立っていた。
妖精。
少女を見て、そんな言葉が思い浮かんだ。
小学校低学年ぐらいの少女は、ハロウィンパーティーの魔女みたいな格好をしていた。
風でふわふわ揺れているショートボブは、シルクのような銀髪。
その銀色の頭には、ピョコンと獣の耳が生えていた。
「犬の耳?」
僕の声に反応するように、真っ白な犬耳がピクンと震えた。
本物だ。獣人の子供なのだろうか?
町でも獣人の子供を何度か見かけたが、この少女は、あの子供たちとは全くちがう雰囲気を持っていた。
透き通るような肌。染みひとつないその顔には、しかし表情らしいものは浮かんでいなかった。
「それ、おいし?」
少女は無表情のまま、じっと僕の手元を見つめ、同じ事を聞いてきた。
あっ、もしかして。
「これ食べたいの?」
ワッフルを持ち上げると、少女はこくんと頷いた。
ようやく合点がいった僕は、優しく「いいよ」と笑いかけ、新しいワッフルを少女に渡そうとして――やめた。
「ちょっと待って」
「?」
両手を突き出したまま、少女は不思議そうに首をかしげる。
同じように、犬耳もコテンと曲がった。
べつに意地悪をしているわけじゃない。
僕の目の前に差し出された小さな手は、それはもう、見事に泥っだらけだったのだ。
北の森に向かう途中、僕は岩の裂け目から水が湧き出ている場所を発見していた。
水飲み場なのだろう。
周りには、木でできたベンチと桶が無造作においてあった。
僕はここで少女に手を洗うように勧めたのだが、
「? ? ?」
いくら説明しても首を曲げるだけで、まったく伝わらない。
しかたなく僕が洗ってあげることにした。少女の背後にまわり、その紅葉のような手を包み込むようにして持つと、湧き出る水へと持っていった。
水は思った以上に冷たく、
「ん」
少女の体がちいさくピクンとはねる。
「すぐ済むから、すこし我慢してね?」
胸の辺りにある少女の頭が、コクンと頷く。
おりこうな子供だ。
爪の間や指の間を念入りに洗っていく。もし口に泥が入りでもしたら大変だ。
(なんだかこうしていると、歳の離れた妹ができたみたいだな)
僕は苦笑しつつ手を洗い終えると、持ってきたタオルで優しくぬぐった。
最後に少女の片手を繋ぎなおし、笑顔で褒めてあげた。
「はいよく出来ました。じゃあ食べよっか?」
「んっ」
素直に頷く少女。
そのとき、腰から生える銀色のシッポが、風もないのに揺れたような気がした。
少女はワッフルをいたく気に入ってくれたようだ。
自分の顔ほどもあるワッフルを両手でつかみ、モムモムモムモムと一心不乱に齧りついている。いまので2枚目だ。
なんだか食べ方に少女なりのこだわりがあるらしく、まず四隅を齧って丸くし、それをりんごの皮を剥くように、回転させながら食べていくのだ。
おかげで手はべちゃべちゃ。
「あーあ」と思いつつも、僕は笑いながらその愛らしい姿を眺めていた。
少女の名前はピチカ。
詳しい話は食後にするつもりだが、僕の予想だと親からはぐれてしまったんだと思う。
町から離れているこの場所に、少女一人だけでいていいはずがない。
食べ終えたらピチカの両親を探そう。
そのせいで狩りができなくなってしまうが、まぁ仕方ないか。
ピチカをここに置いておくなんて選択肢は僕にはなかった。
しばらくピチカの食事風景を眺めていた僕の目が、
「――!?」
ターゲットを補足した。
弛緩していた神経が、一瞬で臨戦態勢をとる。
視線の先。
キノコの山に顔を突っ込むようにして、一匹のイノシシがいた。
サイズはラビットクローの倍ほど。まるで平たい岩を背中に貼り付けたような外観。
動きに合わせて、岩に繋ぎ目が現れる。デザインはアルマジロに似ている。
間違いない。僕の獲物だ。
素早くM4A1を召喚、ズボンに突っ込んでいた予備マガジンを差込む。
次いでニーリングのポジションを取る。
距離は100m。
アイアンサイトで狙うにはすこし遠いが、ターゲットが大きいから難しくはない。
今回は急所の位置もちゃんと把握している。右足の付け根に心臓があるのだ。
これで、わざわざ堅い装甲の上から攻撃する必要なんてない。
おまけに食事に夢中でほとんど動いていない。
楽勝だ。
僕の中にいる獣がベロリと舌なめずりをした。
「シンゴ?」
僕の異変を察知したのか、ピチカが食べる手を止めて問いかけてくる。
しまった、集中しすぎてピチカのことを忘れていた。
即座に行動を中止し、作戦内容を変更させる。
たしか岩イノシシのメスは気性が荒いから危険だが、オスは臆病なので、大きな音に驚いて逃げると聞いた。いま狙っているのはオスなので、もし弾を外しても襲われる危険性は低い。周囲にも他の岩イノシシの姿は確認できない。
続行しても大丈夫だと判断。
「ごめんピチカ。いまから大きな音を出すから、耳をふさいでいてくれる? あと血が怖かったら目もつぶってて。できる?」
「んっ」
なんで? どうして? とは聞かず、ピチカは食事をやめて、バンザイする形で頭の上の耳をふさいだ。いい子だ。撫でたい衝動に駆られが、それは後だ。
僕は頭を切り替えて、全ての神経を引き金に集中する。
じつはこの瞬間が一番気に入っている。
自分の眼球が、まるで装填された弾丸になったような気がするからだ。
急所へ狙いを定め、僕は細く深呼吸する。
そして「すぅぅぅ、ふっ」息を止めたタイミングで引き金を絞った。
一発の銃声が、空へと吸い込まれていく。
5,56mm弾が、100m先の岩イノシシの急所に命中した。激烈な衝撃が、イノシシの心臓や内臓をズタズタに引き裂き、それでも破壊に満足できない銃弾は、さらに肋骨をへし折り筋肉を傷つけ、逆側から飛び出して地面を抉った。
岩イノシシの大きな体が、一枚のドミノのようにパタンと倒れる。
彼は食事したまま、天国へと旅立っていったようだ。
(よし!)
上出来な一発だった。
じんわりと右腕に残る余韻をかみ締めつつ、僕は心の中でグッとこぶしを握った。
魔力消費による不快感もない。
これならすこし休憩すれば、もう一回ぐらいいけそうだな。
終わったのを見計らって、ピチカがテテテと近づいてくる。
表情こそ平坦だが、その瞳は心なしかキラキラしているように見えた。
「それ魔法? シンゴ、魔法使い?」
マガジンを抜き、銃身内の弾薬も取り出して安全な状態にしたM4A1を指差して、ピチカはそう聞いてくる。物怖じしない子だなと若干驚きつつ、僕は張り詰めた緊張をほぐしながら答えた。
「そうだよ、これは僕の魔法。いちおうこれでも魔法使いなんだ」
「シンゴも魔法使い」
「も?」
「ピチカも魔法使い」
そういうとピチカはローブの中に手を突っ込んで、一本のステッキを取り出して僕に見せてきた。お星様が先についたステッキだ。
そのステッキをぶんぶん振り回し、どうだ、と胸を張る。
無表情は相変わらずだけど、どこか自慢げだということは分かった。
あぁもう超かわいい何だこの生き物。
おもわず解体処理も忘れて見入ってしまう。
「ピチカ魔法使えるよ? シンゴ、見たい?」
「うん、是非みたいな」
そういうと、ピチカの色素の薄い瞳に、グッと力が篭ったのが分かった。
ピチカはステッキの先を、仕留めた岩イノシシへと向ける。
「大きな音でる、シンゴ、お耳ふさいで」
「はいはい」
僕の真似をしているのだろう。僕は言われたとおり耳をふさいだ。
笑顔でいられたのは、ここまでだった。
真っ赤な雷が、岩イノシシに落ちた。
落雷の瞬間、世界が縦に裂けたのかと思った。
衝撃波が円を描くように土肌を抉り、波打つように地面がめくれ上がる。細かな雷光があたりを縦横無尽に走り回り、草を焼き、土を裂き、ドス黒い傷跡をつける。
容赦のない爆風が吹き荒れ、100mはなれた僕の足もとにまで肉片が飛んできた。見れば肉片は炭化していた。
舞い上がった土煙が晴れると……。
そこに岩イノシシの姿はなく、かわりに底の見えない縦穴が開いていた。
神の怒りという表現がぴったりの、とんでもない一撃だった。
どう? という顔で振り返ってくるピチカ。
「すすすすすごいわわ技をおおお持ちなんですねピチカさん」
思わず声が震え、敬語になってしまった。
怖い、この世界の子供、怖い。
そんな僕を見ているピチカの尻尾が、また揺れた。




