1-26 バッカスの困惑
「……どうしたもんかねぇ」
バッカスは、山と積まれたラビットクローの耳を前に、うーんと唸った。
卸し先に困っている、というわけではない。
耳の軟骨は歯ブラシや櫛などの日用品に使われるため、転売には苦労しない。
じゃあ何が問題なのかと言うと、これを持ってきた人物だ。
身分証に書かれていた内容。あんな程度の腕では、どう考えてもラビットクローを、42匹も狩れるわけがない。しかも一人でだ。
はいそうですか、で見過ごすわけにはいかなかった。
本人には申し訳ないが、どこかから盗んできたという疑いがあった。
しかし、巡回する衛兵の記録を確認したところ、たしかに草原でラビットクローを狩っている少年の姿が目撃され、定時報告として記述されていた。
これで疑いは晴れたことになる。
にわかには信じ難い話だが、どうやら本当に一人でやったようだ。
「うーん」納得できずに唸る。
何者なんだあの少年は?
一見すると、どこにでもいそうな、純朴な少年。
冒険者よりも町で服を売る方が、よっぽど似合っている。
あの大人しそうな少年の、どこに凶暴な攻撃性が潜んでいるんだ?
考えているうちに、なにか薄ら寒いものを感じてきた。ひやりと宿った胸の冷気を温めるために、バッカスはコーヒーに口をつける。
ここは、もっと詳しい奴に話を聞く必要があるな。
そう思い、ドアへと向けて声をかけた。
「お前はどう思う? ステラ」
するとドアの隙間からこちらを凝視していた影――ステラは、子兎のように身を跳ねさせた。
「そこに居ると他の奴の邪魔になるだろ? 入って来いよ」
「…………」
しばらく焦れたような沈黙が続く。
やがて、観念したようにドアが開いた。
ステラは皿を割った子供のように視線を彷徨わせつつ、部屋へと入ってくる。
それを見て、おや、と思った。こりゃまた珍しいこともあるもんだ。
あの滅多に隙を見せない堅物が、年頃の女の顔をしてやがる。
これは良い。ぜひ遊ばねば。
「で、何しに来たんだ?」
腹の中で笑みを浮かべつつ、あえて素っ気無く言う。
するとステラは慌てたように、持っていた紙を突き出してきた。
「わ、私は書類を届けに来ただけです」
「書類ねぇ」
見れば、何度も持ち替えているうちに端がヨレヨレになっている。
少年が来たときのために用意しておいた言い訳なんだろう。
かわいいねぇ。
「ククッ」
「な、なにが可笑しいんです」
「そんなに気になるなら付き添ってやりゃよかったじゃねぇか」
あいつも喜ぶだろうしよ。
そう言うと、ステラの真っ白な頬に朱色が混じった。
「そそ、そんな事できるわけないでしょう!」
「なんでだ?」
「彼だけ特別扱いをすれば、他の者に示しがつきません」
「ほうほう」
「業務に私情を持ち込むような真似は、職員として許される事ではありません」
「ふーん」
気になって覗き見していた奴の発言じゃねぇな。
にしても。
「相変わらず固いねぇ」「あなたが緩いだけです!」
「そんなこっちゃ男が寄り付かないぞ?」「大きなお世話です!」
「少年にも嫌われるだろうよ」「うぐっ」
「聞いたぞ? 人前で少年を厳しく叱りつけたそうじゃねえか」
瞬間、ステラの眉が大きく歪んだ。
「あれは、あの子の事を思えばこそ」
「だからって場所ぐらい考えてやれよ」
「その場ですぐに間違いを正す事が、本人にとって最善なんです」
「そうやって正論ばっか言ってると、本当に距離を置かれちまうぞ?」
「そ、それで職員としての務めが全うできるなら望むところです」
平気ですけど? と表情を取り繕うステラ。
強がっちゃってまぁ。
少年に嫌われるぞと言ってからずっと、ソワソワしっぱなしじゃねぇか。
「公私混同は自分の理念に反する、ってことでいいんだな?」
「当然です」
「わかった。じゃあ少年のプライベートな話をしようと思ったが止めだ」
「えっ!?」
ステラはボールを取り上げられた子犬のような目を向けてきた。
それをあえて無視し、視線を外す。
「書類を届けに来たんだろ? 受け取った。もういいぞ。ご苦労さん」
「……」
「ご苦労さん」
「……」
「出口はあっちだ」
「……」
ステラはグッと口をつぐんだまま、石像のように動こうとしない。
今頃、頭の中で理性と欲求が大喧嘩をしていることだろう。
難儀な娘さんだ。面白いのでなにも言わず、様子を見守ることにする。
やがて、決着がついたようだ。
蚊の鳴くような声で言ってきた。
「……オガミ君の話を聞かせてください」
「けっきょく聞くのかよ」プッと吹き出す。
「違います! 担当官として冒険者の私生活を把握するのも評価の判断材料になるからです! 邪推しないでください! 荒れた生活習慣では心身ともに不健康になり、ひいては活動の妨げに――」
「そういう言い訳で自分を納得させたわけだな」
「誤解を招くような発言は止めてください!」
「あーはいはい、わかった、教えてやるから少し落ち着け」
「私は落ち着いてます!!」
「……」
どこがだよ。
「42匹……」
信じられないという顔でステラは呟いた。
まぁ無理もない。
それぐらいこの数字は異常なのだ。むしろこれが普通の反応だといえる。
たしかに同じ事を出来るやつは沢山いるだろう。
だが、魔力値13でとなると、その数は一気に減る。
さらに、まともな装備品がない上に単独でとなると、ほぼゼロといっていい。
どうやって攻撃し、どうやって身を守ったのか見当もつかない。
「リュッカと一緒だったのでしょうか?」
「いや、衛兵の記録でも確認したが、一人でやったそうだ」
「そうですか」
その声には動揺が滲んでいた。
「あのオガミという少年、いったい何者だ?」
「……詳しくはわかりません」
「お前にしてはずいぶん不明瞭な回答だな」
「……」
「とにかく、今すぐあの少年の評価を改めるべきだな」
それが出すぎた言葉だとはわかっている。
その判断を下すのはステラであり、管轄外の自分が口を出していいものじゃない。
だが今回は別だ。
あの少年は、とんでもない才能を持っているかもしれない。
もしかしたら特務機関員の特別育成保護プログラムが適用されるかもしれない。
万に一人も受けられない英才教育を受ける資格があるやもしれないのだ。
とにかく知ってしまった以上、然るべき処置をする必要がある。
「少年のためを思うなら、早い方がいいんじゃねぇのか?」
言うと、呆けていたステラの表情が引き締まった。
いつもの鉄火面に戻る。それをすこし惜しく思うが、今はそれどころじゃないか。
「上に報告してきます」
「待て。俺も一緒に行こう」
傍にいた職員に交代を頼み、ステラを伴って部屋を出た。
知らず口元に笑みが浮かぶ。
さっきまで胸にあった薄ら寒い物が、興奮の熱へと変わる。
こりゃあひょっとすると、ひょっとするかもよ。




