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数日前。
まだサルラに到着する前の、帆馬車で移動していた時の話だ。
同じ帆馬車に乗っていた、あの傷だらけの老兵。
彼の容態は、日を追うごとに悪くなっていった。
ただでさえ加齢で回復力が低下している上に、縫い傷だらけの体を、上下に揺れる馬車に長時間晒しているものだから、具合が良くなる訳が無かった。
「グゥゥゥ、ウウゥゥ」
脂汗を浮かべながら獣のように呻く。
そんな老兵に、僕は声をかけ、汗を拭ってあげることしか出来なかった。
僕は迷っていた。
水晶牙を使うか否か。使えば、もしかしたら彼の傷を癒すことが出来るかもしれない。しかしそれは同時に、貴重な回復手段を失うことになる。つい先日、狼に殺されかけたばかりの僕にとって、水晶牙を手放すのは恐ろしくて仕方なかった。
またあの苦痛を味わわされる事態になったとき、もし水晶牙が手元に無かったらと思うと、それだけで怖気立つ。
「グゥウ!」
ガタンッとひときわ大きくゆれ、傷に響いたのだろう、老兵の顔が醜く歪む。
僕は彼の手を握ることしかできない。
(……クソッ!)
そんな自分に段々と腹が立ってきた。
移動中、この人とは様々な話をした。喋るのはいつも彼のほうで、僕は聞き役だった。
色々ためになる話を聞けた。
勉強にもなったし、なにより楽しかった。
狼とトカゲの連戦。その極限状態によって磨り減った僕の精神を和らげてくれたのは、他でもない彼との会話だった。いつもの調子を取り戻せたのも彼のおかげだ。来月生まれる孫のために老体に鞭打ち、今回の護送に参加した。
――そんな彼を助けるのに、なにを迷うことがある?
決めた。
水晶牙を使おう。
そのせいで今後困る事になるかもしれないが、仕方ない。その時はその時だ。
僕はこの人を助ける。
するとその決意に反応するかのように、
「えっ!?」
老兵の手を握っていた僕の両手が、グリーンの光を放ちだした。
光は銃を召喚する時のような糸状にはならず、まるで掬った水のように、柔らかな光となって手のひらに留まっている。
もしかして、これ。
半信半疑のまま、僕は淡い光を放つ手を、老兵の胸にかざした。
すると、荒かった呼吸がゆっくりと落ち着いていった。苦悶の表情もすこし和らいできたように見て取れる。
やった! やっぱり傷に効果があるんだ!
今のは水晶牙を用いたのではなく、正真正銘、自分の力だけで癒したのだ。それを証拠に、魔力の消費を確かに感じた。
(僕ってこんな事もできるのか)
いまだ淡いグリーン色に染まる手のひらを見つめつつ、僕は他人事のように感心した。
もう一つ、発見したことがある。
それは手をかざしたことで、何となくだが傷の具合がわかったのだ。
もしかしたらと思い、僕は老兵の傷のなかで一番酷い、右わき腹に両手をかざした。
目をつぶり、強く意識を集中させる。
まるで潜水するかのように、深く意識を傷口へと潜り込ませる。
すると瞼の裏に、傷ついた体のイメージが浮かび上がってきた。
糸で縫い合わされた皮の下。
断裂した筋肉。
そして割れた3本の肋骨。
肝臓に小さな傷が入っている。
スライドのように次々とイメージが湧き上がり、だいたいの傷の症状がわかった。
「ふぅ……」
目を閉じたまま、頬を伝う汗を肩で拭う。
僕はまず、肝臓の小さな傷の治療にとりかかった。
やり方も、なんとなくだが判る。
肝臓の穴に狙いを定め、セロファンテープを張るようにイメージして魔力を注入。
すると、傷口が塞がったのが確かに分かった。
思ったとおり。正確に治療のイメージをすれば、治す事ができるんだな。
確信を持った僕は、次いで肋骨の治療に取り掛かる。
骨の亀裂に瞬間接着剤を流し込むようにイメージし、「くっつけー!」と念じながら魔力を注ぐ。すると骨折していた肋骨が癒着したのが分かった。
断裂した筋繊維には、外れた延長コードを再び差し込むようにイメージ。
最後に、裂けた皮膚には、開いたジッパーを引き上げるようにイメージ。
きつく閉じた目を明け、老兵の右わき腹を確認すると、綺麗に傷は治っていた。
あとは抜糸したらOKだろう。
老兵からうめき声は消え、安らかな寝息に変わっていた。
「つ、つかれたー」
治療で大きく魔力を消耗してしまった僕は、うしろにひっくり返り、そのままゴロンと横になった。すごい疲労感。ごっそりと魔力が無くなった感触に、軽くめまいを覚える。でも老兵の傷を癒せたことに、僕は大きな達成感をおぼえた。
すこしは恩返しができたかな。フフッと笑った。
冷たい床板が気持ちい。
そしてそのまま、僕も眠りに就いた。
後で聞いた話では、このとき僕がした外科手術まがいの行為は、誰にでも出来るものではないのだそうだ。まして専門の訓練を受けていない素人など絶対に不可能。
筋繊維の再結合や骨の癒着などは、高度な魔力コントロール技術が必要とされる精密作業なのだそうだ。
つまり。
僕には、医者、この世界で言うところの「魔法医」の才能があるようなのだ。
再び現在。
クレープをチビチビ食べながら考える。
僕には「冒険者」と「魔法医」という2つの道があるわけだ。
もしかしたらこの先、もっと選択肢が増えていくかもしれない。
僕はどっちを選べばいいのだろう?
ん、待てよ?
はた、と気付く。
たしか魔法医になるためには、専門の訓練を受けなきゃいけないって言ってたよな。
それに魔法医の免許を取得しないと闇医者になってしまう。
それって当然、大きなお金が必要になってくるよな。
じゃあ結局、当面は冒険者として頑張るしかないじゃないか。
だったら最初から悩む必要なんてなかったじゃんか。
どっちを選ぶかを悩むのは、もっとずっと先の話だ。ようやく考えが落着したことで、なんかちょっとスッキリした。
「って、もうこんな時間!?」
ダラダラと考え事をしている間に、時計はいつのまにか8時を回っている。
冒険者ギルドが開くのは朝8時30分。
朝一で行かないと、順番待ちで時間を無駄にする事になる! 急がないと!!
僕は慌てて残りのクレープを口に突っ込み、モムモムモムモムと咀嚼、コーヒーで一気に流し込んだ。
そしてカバンを引っさげ、備え付けの姿見で全身をチェック。
よし、異常なし。
最後にテーブルの上においてある冒険者ギルドが発行した身分照明書カードをポケットに入れ、あわただしく部屋を出た。
階段をダダダッと音を立てて下りる。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
オーナーに笑顔で見送られながら、僕はホテルの扉を開け、路地へと躍り出る。
とにかく僕は、目の前にある問題を全力で解決していこう。
やることを、やる。
さぁ、今日も一日がんばろう!




