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もしもの話をする。
もしも突然、世界中からゲームと映画とネットが消えてしまったとする。
記憶を思い出すことは出来ても、二度と触れることはできない。
そんな世界に耐えられますか?
僕は無理。ぜったい無理。
人間は、パンと水だけでは生きていけない。それ以外の成分を補給することによって、心の平穏を保っている。
それは好奇心だ。
好奇心が満たされなくなった人間は、機械のように無感動になるか、本能のまま行動する動物に成り果てる。これは僕の勝手な持論だ。
とにかく僕には、好奇心を満たしてくれる娯楽が必要なのだ。
ゲームがなくても生活はできるかもしれない。
でもそれは生きているとは言わない。
僕はそう思っていた。
すこし前までは。
ハーピーを倒した翌朝。
僕はホテル自室のテーブルに肘をつき、
「うーん」
メモ用紙を見つめつつ、難しい顔をして唸っていた。
映画。ゲーム。漫画。スマートフォン。ネット。パソコン。ブログ。
用紙には単語が乱雑に並んでいる。現実世界にいた時、僕の生活の大半を占めていた物だ。そして僕がこの世界にくる時に失った物でもある。
もう二度と、これらに触れることはできない。
なのになんで、ちっとも悲しくならないんだろう?
あれだけ熱中していたというのに、この世界に来てから一度も「欲しい」と思ったことはなかった。今朝、ふと「そういえばゲームしてないなー」と思うまで、すっかりその存在を忘れていたくらいだ。
その心境の変化に、自分自身で驚いていた。
もし仮に、手元にゲーム機があったとしても、起動スイッチを押す気にはならない。このあと冒険者ギルドに行って、そしてすぐに狩りをしなければならないからだ。
帰ったら帰ったで、夕食の準備や、予備マガジンの補充作業がある。
そして夜更かしせずにしっかり寝て、明日に備えないといけない。
食べて、寝て、金を稼いで、明日に備える。これで手一杯。
ゲームに興じる余裕なんてどこにも無いのだ。
あぁそうか、と気付く。
僕はいま、この世界で生きることに必死になっているのだ。
だから娯楽とかどうでもよくなっているのか。
高校生だった時は勉強をする以外は、とくに何もしなくても普通に生きられた。でもここじゃあ衣食住をすべて自分で確保しないといけない。
頼れるのは自分だけ。必死になって当然だ。
そう考えると、ずいぶん逞しくなったものだと思う。
とても、パソコンのディスプレイとベッドをくっつけて、寝ながらゲームをし続けていたグータラ人間とは思えない。
ひょっとして。
ひょっとして、これが社会人になるってことかっ!?
キリッと顔を引き締めてみたが、すぐに苦笑して表情を戻した。
そんな立派なもんじゃないか。
変わったといえば、僕の生活もずいぶん様変わりした。
何せここは、剣と魔法のファンタジー世界。当然、現実世界と同じような生活は送れない。それなのに、まったくと言っていいほど違和感無く順応できている。
きっとそれは、この世界の文化水準が、見た目以上に高いからだろう。
蛇口を捻れば水が出るし、食べ物も安く手に入るし、中世ヨーロッパのように排泄物を窓から投げ捨てるなんて事もないし、夜も街灯があるから明るい。
清潔で快適。
(あー、あと食べ物が美味しいっていうのも大きいよなぁ)
そう思いつつ、トレーに乗った朝食を引き寄せた。
今日はマーマレードジャムがかかったクレープ。
こんがりキツネ色のクレープと、爽やかなフルーツソースは、このホテルの名物だ。
一口大にカットして口に入れる。
うっひゃー。あまりの美味しさに目をギュッとつぶる。
噛むたびに舌から脳へと、幸せな電気信号が届けられる。
焦げ目の香ばしさとオレンジの甘酸っぱさを楽しみつつ、思考を続ける。
はじめてこの町に来た時、僕は不思議に思った。
電力も科学も発達していないこの町が、なぜここまで高い水準で機能しているのだろうか、と。それも現実世界の日本並みの水準で。
調べてみると、それは『魔力クリスタル』のおかげだと知った。
魔力クリスタルとは、魔力を蓄積させることができる装置で、電池やバッテリーみたいなものだ。そして、この魔力を動力源にして、歯車を動かしたり、ポンプで水を循環させたり、物を熱したり冷ましたり、いろんなエネルギーに代用させることができる。
この世界は、科学の代わりにそういう魔力の変換技術が発達しているのだ。
たしかに魔力なんて便利な代物があれば、わざわざクソ面倒な科学技術を発達させる必要も無いよね。化学と物理が死ぬほど嫌いな僕としては、この世界の子供がすこし羨ましかった。
そして。
その恩恵を受けるためには、もちろんお金がいる。
――お金。
いまの僕にとって全てと言ってもいい物。
この快適なホテル生活を守るためにも、今後の装備を整えるためにも必要な物。
じつはお金を稼ぐ方法について、ちょっとだけ迷っている。
現在の主な収入源は「狩猟」だ。もちろんこれは、その場しのぎ。
将来的には冒険者という職で稼いでいくつもりでいる。いるのだけど……。
でもなぁ、と思う。
片肘をつき、目の前のクレープにフォークをプスプスと刺す。
そんな簡単に職業を決めてしまっていいものなのかと悩んでいる。
魔力クリスタルのことをホテルのオーナーに尋ねたとき、ほかにも色々と尋ねた。
主に仕事について。
この町の人たちの多くは、冒険者という職業を選びたがらないそうだ。
どちらかというと少数派で、ほとんどの人は商人や労働者を選ぶ。
不人気な理由は、死のリスクが高いこと。特別な才能でもない限り、普通の人はやらないそうだ。まぁたしかに言われてみればそうだよね。僕のいた世界でも、紛争地帯などに行くような民間軍事会社(PMC)に入社したいなんて言う人は少数だろう。それが日本だったら正気を疑われるほどだ。
じゃあ特別な才能――たとえば魔力の高い人とかはどうなのか聞くと、そういう人たちも率先して冒険者になりたがらない。
これには驚いた。
冒険者よりも、魔力クリスタルの整備技師や、医療機関に就くほうが多いそうだ。
理由は、そっちのほうが安全に、より多くのお金を稼げるからだそうだ。
なるほどなぁ。まぁたしかにソッチを選択するほうが現実的だよね。合理的だと思うけど……なんかすこし幻滅した。いやまぁそれが正しいんだろうけどさ。
でも、じゃあ僕はどうなんだろう?
さっきも言ったように僕にはお金が必要だ。それも今すぐに。
手っ取り早くお金を得るためには、銃を召喚するという才能を生かす必要がある。
だから冒険者になるのが一番安定していると思える。
それに、せっかくファンタジーの世界に来てるんだし、この異世界を心行くまで冒険をしたいという気持ちもある。そしてその気持ちを尊重したいとも思う。
でも僕は、やろうと思えば冒険者以外の道に進むことができるのだ。
グズグズと悩んでいる理由はそれだ。
フォークを握る手をじっと見つめる。
そして、数日前の出来事を思い出した。




