1-13 リュッカ・フランソワーズ
彼女の名前はリュッカ・フランソワーズ。
ヘラクレスの称号を持った、色々と逸話のある町の英雄らしい。
ぜんぶ本人が喋ったことなので、事の真偽なんて分からない。
ただ、この金髪の女性が、非常に危険な人物だという事はすぐに分かった。
話はすこし前に遡る。
「えっと……ヘラクレスですか?」
聞き慣れない単語に首を捻っていると、彼女は一度「フンッ」と鼻を鳴らし、離れた所に生えている一本の木に近づいていった。高さ30mほどの立派な大木だ。
彼女は大木の前に凛然と立ち、そして腰が落ちたかと思った、次の瞬間、その体から一筋の光が放たれた。腰に下げていたブロードソードを一息で抜き放ち、逆袈裟に振るったのだ。
幅3m以上はある幹に、光の筋が斜めに走る。
ジャグンッ! という聞いた事もない凶悪な裁断の音。
とてつもないスピードで剣が振るわれたことにより、強い気流が生じ、生い茂る草を突風が殴りつけ、引きちぎる。
そして、大木は上下に分かれた。
下は根が支えているが、上は支えがない。どうなったかというと、上半分がゆっくりと滑り落ちていき、やがて尖った先端がドスンと地面に突き刺さった。その衝撃で円状に砂埃が舞い上がり、彼女のスカートの裾がバタバタとはためいた。
視界が晴れるとそこには、ちょっと背が縮んだ新たな木が生えていた。
「……」
あまりの現実離れした光景に、僕は息をするのも忘れ、立ちすくんだ。
居合い斬りは生で見たことがある。……しかし、何十トンもある大木を、まるでスポンジか何かのようにスパッと一刀両断なんて見たこともない。
正直、この世界をすこし見くびっていた。
帆馬車の一団。そしてさきほどの強盗。彼らはどちらも「現実世界の範疇」の事しか出来なかった。巨石を片手で持ち上げたり、地面にクレーターを作ったり出来ない。体がデカイだけ。ファンタジーと言ってもこの程度だと心のどこかで侮っていた。
その認識を、あの大木と一緒にぶった斬られてしまった。
今、目の前で起ったことは、完全に人智を凌駕している。
強盗が一目散に逃げたのも頷ける。
とにかく彼女は、ヘラクレスと呼ばれている人の形をした怪物なのだろう。
えげつない剪定を披露してくれた金髪の剣士は、「どうよ」と言わんばかりの得意顔を向けてきた。どうやら僕に感想を催促しているようだ。
ど、どうしよう。こんな時何て言えばいいんだ?
慌てた僕は咄嗟に、
「あ、あの、あえて元の形を保ったまま背丈を縮めるっていう所にセンスを感じます」
的を射ってるんだかいないんだか分からない言葉を口にした。……だってしょうがないだろ! 凄いを通り越して「おぞましいです」だなんて本人を前にして言えるわけないだろ。
思いつきの僕の言葉は、しかしどうやら彼女のお気に召したようだ。
「フーン、なによアンタ、ボウフラみたいな顔してる割に、美的センスはなかなかじゃない。いいわ、特別に私の事をリュッカ様と呼ばせてあげる。光栄に思いなさい」
というありがたい言葉を、上空3000mから吐き捨てるような口調でおっしゃってくださった。
そして有り金ぜんぶよこせという追剥まがいの要求は、リュッカ様の寛大な御心により、獲物の半分を謝礼として献上するという事で丸く収まった。
収まったというのかそれ?
もうどうでもいい。
早くこの怪物人間から解放されたい一心で、僕は無理やりにでも納得する事にした。
で、そのリュッカ様はいま何をしておいでなのかと申しますと……、
「そこで私の剣がギラリと光り、トロールの首を跳ね飛ばし」
いつのまにか岩場の一番高いところによじ登って、下々の民である僕に、それはそれはありがたいリュッカ様最強伝説を語り聞かせてくるのでございました。
内容? もちろん聞いていないよ。
たまに話が途切れるタイミングがあるので、その時にあわせて拍手をすると、岩の上のリュッカ様は上機嫌になり、また熱弁を振るう。ロックフラワーみたいな人だ。
出会ったときの感動?
ウサギの死骸といっしょに捨てました。
で、僕がいま何をしているのかと言うと、解体作業を再開していた。
耳から入ってくる一生使わない情報を遮断しつつ、一心不乱に作業に没頭する。難しい解体作業も、数をこなすうちに段々とコツが掴めてきた。この分なら、あと一時間もすれば全部終わるだろう。
そんな額に汗して一生懸命がんばっている僕に「いつまでチンタラやってんのよ、日が暮れちゃうじゃない」リュッカ様の声は容赦なく降り注いでくるのであります。
「あーもー、ほんっっっとトロイわね。これだから底辺民は――ってちょっとアンタ、何やってんのよ!」
「えっ?」
作業の手を止め、顔を上げる。僕、何かした?
リュッカ様は10mほどもある岩場の頂上から一気に飛び降り、重さを感じさせない見事な着地を披露すると、肩をいからせてこちらへとやって来た。そして、
「『えっ?』じゃないわよバカ! アンタそれ軟骨まで切ってんじゃないバカ! それじゃあ値が一気に下がるのよバカそんなことも知らないのバカじゃないのバカ!!」
「……すみません」
「すみませんじゃ済まないのよバカ!」
彼女と出会ってからすでに3年分ぐらいのバカを言われた僕は、感情が麻痺してしまったのか、この物言いにも怒る気にならなかった。
いまだ興奮冷めやらぬリュッカ様を尻目に、僕は手元を見る。
確かに彼女の言うとおり、切断面が柔らかい骨を削ってしまっている。
これで買取金額が下がるだなんて知らなかった。
ということは耳を水平に切り離すんじゃなくて、頭蓋骨と耳のくっついているとこを、スプーンで抉るみたいにしないといけないって事か?
あ、なるほど。軟骨ごと切ってたから、切断しにくかったんだ。
一人納得していると、リュッカ様が僕の手からナイフを奪い取った。
「もういいわよ、私がやっておくからアンタはラビットクローでも狩ってなさい」
「……」
僕は無言でうなずいた。やれるなら最初からお前がやれ、とは言わない。その一言のせいで、さっきの大木みたいに無理やり身長を縮められるのはごめんだ。
出掛かった言葉を飲み込む。
「いいこと底辺民。私が作業を終えるまでに、最低2匹は取ってくること。じゃないと許さないわよ」
リュッカ様の心温まる言葉を背に、僕はその場を後にした。
今更だけど底辺民ってなんだよ。
――そして1時間後。
リュッカ様が作業を終える頃には、3匹の獲物を捕獲することができた。
その頑張りに対しリュッカ様はというと、
「ハァァァ、もうっ、二度手間なのよ」
と、のたまいやがった。
「……」
僕にどうしろってんだよ!
これが、僕とリュッカさんとの最初の出会いだった。




