1-12 招かれざる客たち
(あっ、そういえば魔法薬を買ってたんだっけ)
汗を拭いながら、ふと思い出した。
僕はここに来る前に、ギルドで『魔法薬』というものを2つ購入していた。
強化ガラスの小瓶に紫の液体が入っている。
この液体を摂取すると、体内の魔力を即座に回復させることが出来るのだ。
僕が購入したのは一番安いランクの小瓶だったが、それでも一本一万ルーヴもした。2本なので2万ルーブの損失。痛い出費だけど、これは必要なものだから仕方ないと割り切った。
魔力量の少ない僕なら、1口ほどの摂取で十分だそうだ。
魔法薬の注意点はいくつかある。ランクの低い魔法薬は不純物が多く混ざっており、一気に摂取したら急性の中毒症状を起こすそうだ。
気をつけないと。
(まだ薬が必要ってほどじゃないけど、ちょっと味見だけしてみよ)
実をいうと、この魔法薬の味がちょっと気になっていた。容器がどうみてもヤク○トなんだけど、もしかしたら味も同じかもしれない。
だとしたら、僕は、僕は……。
ゴクリと喉を鳴らす。
僕は、散財覚悟でこの魔法薬を毎日買い続けることになるだろう。
いざ、異世界の乳酸菌!
未知の飲料にわくわくしつつ、カバンを引き寄せようとして――サッと青ざめた。
カバンが無い! たしかここに置いてたはずなのに。
うそだろオイ全財産入った大事なカバンなのに!
慌てて辺りを見回していると、
「オイそこのガキ! お前ぇが探してんのはコレだろ」
「っ!?」
ひどく乱暴な声に驚き、声のするほうへと振り向く。
すると10mほど離れた木影から、数人の男たちがゾロゾロと現れた。
合計4人。
人相や服装から善良な市民という感じではなさそうだった。
彼らはみな、脇と胸元が黄土色に変色したシャツを着ていた。
何日も風呂に入っていないのであろう、顔は垢と埃だらけ。髪もオイルを塗ったようにベチャベチャ。見ているだけで臭ってきそうだ。
そして皆、体のあちこちに傷痕が見て取れる。腕のない者や、片目がない者もいた。
彼らに共通して言えることは、薄汚いことと、性根が捻じ曲がっていることがハッキリと分かる濁った笑みを浮かべていることだった。
(やっぱり、こういう人たちもいるんだな)
サルラの町で綺麗な建物や人々を見すぎたせいで、なんか妙にがっかりした。
こちらの落胆など知る由もない男たち。その中のひとりが、一歩前に出る。
頬に大きな傷を持ち、ビール樽のように太った男。その手には、僕のカバンが握られていた。そして反対側の手には刃こぼれした手斧。
他の3人も刃物をちらつかせていた。
そこでようやく、いま自分がどういう状況に置かれているのかを理解した。
まさか町に来た初日に強盗に襲われているなんて。
今日はほんとに厄日だ。
「すみませんが、そのカバン返していただけませんか?」
ダメだろうなと思いつつ、お願いしてみる。
すると。
「オイいまの聞いたか? 『返していただけませんかー』だってよー」
「お坊ちゃんには今の状況が判ってねぇみてぇだな」
「お嬢ちゃんの間違いじゃねえの?」「ひゃははは」
「だったら『違うもの』も頂かねぇとなぁ」「ちげぇねえ」
野盗の一人が僕の口真似して、残りの男たちが顔を見合わせて笑い声を上げる。
檻の中からこっちを見ているチンパンジーみたいな連中だ。
イタズラ好きのチンパンジーに帽子を取られた飼育員の顔で、僕はため息を吐いた。
「あの、それが無いと――」
「お、おい!」「妙な真似すんじゃねーぞ魔法使い!」「ぶぶ、ぶっ殺すぞ!」
「え?」
僕が一歩近づこうとしたら、嘲笑を浮かべていた男たちの態度が豹変し、目を剥いて怒鳴りつけてきた。
明らかにおかしい。彼らは何をそんな警戒してるんだ?
「てめぇらは黙ってろ!」
訝しむ僕をよそに、カバンを持っている男が一喝した。
それに素直に従っているあたり、あいつがボスで間違いはなさそうだ。
ボスと思しき男は、粘ついた笑顔を向けてきた。
「いいか坊主。俺たちゃあ、お前さんの有り金とそこの獲物、それとこのカバンの中身をくれって言ってるだけだ。何も命まで取ろうって言ってるわけじゃねぇんだよ。ガキでもわかる話だろ?」
「えぇまぁ、そちらの言い分はそうなんでしょうけど」
「わかったんだな? じゃあお前はとっとと消えな」
「あの、でもそういう訳には」
言いよどんでいると、その瞬間。
男の顔が一変した。
スッと笑みを消すと、額に太い血管を浮かべて怒鳴りつけてきた。
「ぐだぐだ言ってんじゃねえぞクソガキが! こっちゃあお前が魔法を使いまくってカツカツだってことは知ってんだよ! わかったらさっさと青白いケツまくって失せろ! これ以上ガタガタぬかしてると腹ワタ引きずり出してケツにぶち込むぞ!」
「……」
なるほど、そういうことか。
まったく気付かなかったのだが、どうやら彼らは、ずっと僕を監視してチャンスを窺っていたようだ。
僕が疲れるのを待ち、魔法薬の入ったカバンを奪って回復させなければ、優位に立てる。そして今みたいに脅せば、素直に従うと考えたわけだ。
彼らが警戒しているのは、僕が魔力欠乏症を覚悟で反撃してくることだろう。
なんだかなぁ、と思う。
そこまで頭が回るなら、もっとマシな使い方をしたらいいのに。
「どうなんだよ、ああ?」「さっさとしねぇと口に糞つめて簀巻きにすんぞボケ!」
周りにいる男たちが、まるで野犬のように吼えたてる。
彼らの恫喝はヤクザ映画よりも迫力があった。その血走った目は、人を殺すことを何とも思っていないという説得力があるからだ。
でもつい先日、オオカミやトカゲの化物を相手に、血みどろの殺し合いをしてきた僕にとっては少々物足りなかった。
おまけに10mも距離が離れているせいで、いい的にしか思えない。
いくら怒鳴ろうとも、脅しとしてはまったく効果がなかった。
そもそも彼らは勘違いをしている。
僕が疲れているのは心労であって、魔力的にはまだまだ余裕があるのだ。
こうしてのんびりと構えてられるのも、その余裕があるからだ。
(……でもこれ、どうしたらいいんだ?)
奇妙なこう着状態を前に、僕は考えあぐねていた。
彼らの言い分を聞く気はない。
話し合いで平和に解決っていうのも無理っぽいし、となれば、銃の出番だ。
こういう時、アクション映画だと肩や足を撃つのがセオリーなんだけど、僕のベレッタM92Fで同じ事をしたら、付け根から千切れ飛んでしまう。
下手をすれば即死だ。
もしそうなった場合、僕の正当防衛って立証されるのだろうか?
町に帰ったら、有無を言わさず牢獄行きなんて絶対に嫌だ。
「くぉら糞ガキ! どうなんだっつってんだよ!」
何か怒鳴り続けているが無視する。
このまま荷物を捨てて逃げるという選択もあるが、それは却下だ。
お金や獲物なら、最悪、失ってもいいかもしれない。
しかしカバンの中には水晶牙がある。
水晶牙を奪われるのだけは絶対に嫌だ。
あれは僕だけのものだ。僕が命をかけて手に入れた勲章だ。
それを不潔な指で触られ、穢されるかと思うと虫唾が走る。
特に、目の前にいる卑怯者のクズ野郎どもには。
遅すぎる怒りが、僕の決断を早めてくれた。
決めた。
警告して、ダメなら撃とう。
さっきまで悩んでいたのが馬鹿らしくなるぐらいの簡潔な答えだった。
僕は男たちを見据え、なるべく刺激しないよう言った。
「これは警告です」
「なんだぁあ?」ボスが片眉を上げて威嚇する。
「今すぐカバンを置いて立ち去ってください」
「んだとゴラ!」「ガキが粋がりやがって」「糞ナメた口きいてんじゃ」
「静かにしてください」
別に声を張ったわけでもなかった。しかし僕の一言はあたりに朗々と響き、男たちの下品なアゴを閉ざすのには十分だった。
「もう一度だけ言います」
なるべく静かに。
映画の中で、警官が犯罪者に告げるような口調で、僕は最後通告をした。
「こちらには貴方たちを射殺する魔力が十二分に残っています。速やかにカバンを置いて立ち去るなら、ここでのことは無かったことにします。これが最後です。カバンを、置いて、立ち去りなさい」
さぁ、どう出る。
男たちはみな口を閉ざし、ボスのほうを凝視している。
あたりに重い静寂が訪れた。
ボスがある程度の判断が出来る人間なら、この言葉で気付くはずだ。恫喝が通用しないということは、まだ魔力が十分に残っている証拠だと判断するだろう。
だがその期待は、ボスの叫び声であっけなく破られた。
「ハッタリだ! ブッ殺せ!」
あっそ。
その叫び声と同時に、ベレッタの召喚を始めた。
ボスの声にまわりが反応し、手にした武器を持ち上げようとした頃には、僕の右手には拳銃が握られ、射撃体勢に入っているところだった。
距離は10mを維持。遅すぎだ。
まず見せしめに一人の足を撃ちぬく。もちろんボスだ。
その際に動脈が破裂して失血性ショック死を起こそうが知ったことか。
恨むなら、己の馬鹿さかげんを恨め。
それを見て周りが逃げるならよし。こちらに向かうなら全員同じ目にあわせる。
――むしろそうなって欲しいかな。
胸の中にいる獣が、凶悪に舌なめずりをした。
ボスの太い右足に照準を合わせ、呼吸とともに引き金を絞ろうとした。
まさにその瞬間だった。
「おもしろそうね、私もまぜなさいよ!」
暴力的なまでの明朗な声が、僕の鼓膜に飛び込んできた。
おもわず構えていた銃を降ろし、声のほうへと目を向ける。
男たちも驚き、声のほうを見つめている。
声の主である女性は、ズンズンとこちらに近づいてきていた。
(……綺麗だ)
遠目でも判るほど整った顔をした人間種の女性だった。
彼女の歩みに合わせ、黄金の長髪がしなやかに躍動する。
黒を基調にしたライトアーマーには、品のいい黄金の彫金が施されている。鎧の下には、フラメンコを髣髴とさせるゴージャスな紅蓮のスカートがたなびいていた。
その細い腰には、幅広の剣「ブロードソード」が、漆を思わせる艶やかな黒い鞘に収まっていた。
夕暮れにさしかかった西日に照らされ、彼女の鎧が黒曜石のような輝きを放つ。
その光景は、まるで絵画のような完成度を持ち、僕の心を強烈に揺さぶった。
彼女は草原を、自信にあふれた足取りで進んでくる。
まるで海を叩き割って、自分の歩く道を作ったモーゼだ。
僕は高ぶった感情も忘れ、しばし魅入ってしまった。
「……リュッカだ」
先に我に返ったのは強盗たちだった。
「剛剣のリュッカだ」「なんでこんな所に」「お頭、まずいですよ」
リュッカという名を口にする強盗たちの顔は、みな青ざめている。
彼女は美しいだけでなく、彼らを恐れ戦かせるほどの強さを持っているのだろうか?
とても想像できないけれど。
「チッ、行くぞ!」
ボスは僕のカバンをその場に捨てると、手下をひきつれて足早に去っていった。
「なによ根性なし」
彼女はつまらなそうにフンッと鼻を鳴らすと、僕のそばまで歩み寄ってきた。
近くで見ると、その美しさにあらためて驚かされた。
まるで人形のように均整の取れた顔だ。よっぽど神様に愛されているのだろう。
身長は170cmの僕とおなじくらい。
正確な年齢はわからないが、たぶん僕に近いと思う。
現実離れした美貌の女剣士……なんだけど、その美しさに僕は、不穏な気配を感じ取った。僕に向けるその視線に、ハッキリと落胆の色が浮かんでいるのだ。まるで「期待はずれだ」といわんばかりに。
強盗らが「剛剣」とか物騒なこと言っていたのも気になる。
なぜだろう。
また嫌な予感がする。
正直もう勘弁して欲しい。
彼女は黄金の髪をかきあげると、力強い瞳をまっすぐ向けてきた。
「で、あんた何? なんであんなことになってたのよ」
「えっと、ここで狩りをしてたら、あいつ等にいきなり襲われたんです。あの、どなたかは存じませんが、危ないところを助けていただきありがとうございます」
「あっそ」
誠意を込めた僕の言葉を、彼女は興味の無い声音で切り捨てた。
まぁいいけどさ。
「ん? ていうかこれって私が助けたことになるのかしら?」
形の良い顎に指をのせ、かわいらしく小首をかしげる。
その仕草はとても絵になっているのだが、見惚れる余裕は無かった。
僕の第六感が告げる。早くお逃げなさいと。
でも遅かった。盗賊とおなじタイミングで逃げなかったのが悔やまれる。
僕を救ってくれた女勇者こう言った。
「じゃあ有り金ぜんぶよこしなさい」