「第08章」
シカゴの街から遠く東へ行くこと、五日。
大都市ニューヨークに着いた。
「ニューヨーク、ニューヨーク、イッツ、ワダフォタウン!」
どっかの田舎者が、歌いながら街を歩いていた。
バディーは、なんだあの田舎者は?と思いながらも、辺りを見渡した。
この街は、海の向こうにある、ヨーロッパとの交流が盛んなため、多くの人が街を賑わせていた。
カポネは、ニューヨークに着くと、ラッキー・ルチアーノという古い友人に会いに行った。
ルチアーノはチェスのコマをマークをした紋章を胸元に貼った制服を着ていた。
短いスカートにソックスを履いていて、バディーは目のやり場に困った。
ここで話をたすと、短いスカートに、ソックスは当時流行のファッションだったようです。
まぁ、ファッションに疎い、男でもこの着こなし方はドキっとしますがね!
自己紹介がてら、バディーはお仕事について聞くと、ファミリービジネスを少々という内容だった。
ファミリービジネスということは、お客も身内だけの狭い商売なんだろうなとバディーは思った。
「バディーさん、ご出身は?」
「ニューオリンズですが、何か」
「そうですか。シチリア出身でしたら、仲間に入れましたのに、残念」
ルチアーノは、冗談のようなそんな話をしながら、バディーを快く迎えてくれた。
ニューヨークにいる間、ルチアーノの紹介で、
コットンクラブというおしゃれなお店で演奏することになった。
そこには、紳士服をまといシルクハットをかぶったデューク・エリントンというピアニストの青年がいた。
デュークは天才で演奏者ごとに楽譜も書くことができた。
バディーには、デュークは気が狂っているように見えた。
なぜなら、禁酒法でワインなんて飲めないはずなのに、
「ワインをどうぞ」
と言いながら、紅茶を進めてきた。
ある時、日にちを聞かれたので、4日だと話すと、
「なんてこったい、2日も時計がずれてる」
と、懐中時計をみながら妙なことをいったりした。
当たり前のことだけど、時計に日付なんてついてないから、何日だろうと、時計の時間には関係ないはずなのに。
とどめとなったのが、演奏する曲ごとにたくさんの楽譜を渡すことだ。
デューク曰く、いつも作品を作る時間になっていて、休む暇がないそうだ。
バディーはあまりの多い楽譜に楽譜嫌いになった。
バッハにもらった「reaf book」を入りもの代わりに使ったが、すぐいっぱいになるので、何度楽譜を捨てたことか。
このままでは、いけないとバディーは、面白い作曲家がいるという話を聞いて、行ってみることにした。
その作曲家は、こちらも負けず劣らずの気が狂ってると評判で
三日月ウサギの耳をつけた紳士風の少女、名前はジェリー・ロール・モートン。
バディーと同じニューオリンズ出身だった。
モートンは、AとかBなどの単語を書いた楽譜の演奏について教えてくれた。
「この記号は、コードというもので、この”わ・た・し”が考えついたもだ。これを使えば、楽譜を簡単にすることができるのだ」
と、コードと読んでいるものの使い方と、これを作った経緯などを話してくれた。
モートンによると、この楽譜はジャスという演奏をするために使うらしく、
このジャスというのもモートンが思いついたらしい。
ジャスは、わ・た・しが作ったものだと念には念も押された。
この何でもかんでも「わ・た・しが考えた」と言うのが、胡散臭く回りから気が狂ってると言われているのだった。
とりあえず、コードについて学んだバディーは、早速ジャス用の楽譜作成と演奏をデュークに教えた。
コードというものは素晴らしく、デュークは楽譜を10枚から1枚にまで小さくまとめられるようになった。
バディーも楽譜が読みやすく枚数も減ったため、楽譜嫌いが少しづつ回復していった。
「reaf book」にはモートンからもらった楽譜と、デュークからもらった楽譜を数枚いれた。
バッハに言われたバディー自身で書いた楽譜は、まだ入れることは出来なかった。
かならず、ここに自分の楽譜を書いて入れようとバディーは思った。
ある日のこと、フレッチャー・ヘンダーソンという人から、バディーへ招待状が届いた。
中身は、ぜひうちで演奏して欲しいという内容だった。
ヘンダーソンは、ニューヨークで1、2を争うすごでの楽団の団長でカポネや、デュークからはぜひ行くべきだ、と話になった。
バディーは、ヘンダーソン楽団へためしに行くことにした。