■3:勝利の中の違和感
歓声は、まだ続いていた。
「押せええええええっ!!」
「魔王軍を崩せ!」
「勝てるぞ!」
士気は最高潮だった。
裏切りの竜を討ったことで、戦場の流れは明確に変わっていた。
前線は押し上げられ、敵は後退を始めている。
勝っている。誰の目にも、そう見えた。
――だが――
「おかしい――」
カリナは呟いた。その声は歓声にかき消されるほど小さい。
それでも、確かに違和感があった。
――敵が、引きすぎている――
押されているのではない。
――退いている――
まるで、何かを誘うように。
「エルリック」
「どうした?」
すぐに返る声。
「敵の動き、どう見る?」
ほんの一拍の沈黙の後に回答が出る。
「ああ。俺も、気になってた」
その低い声は、明らかに同じ結論に至っている。
「撤退にしては、統制が取れすぎてる」
「うん、そうよね」
もう一人の仲間のミリアにも視線を送るが、彼女もはっきりと頷いていた。
「撤退にしては整然としすぎる。殿部隊も居ないのは不自然だ」
「そうね、崩れず混乱も無い撤退なんて――」
そう、整然としすぎるのだ。それが意味するものは――
「誘導?」
「え?」
カリナのつぶやきにミリアも驚く。カリナは自らの口から出た言葉にぞくりとした。
そのとき――
「カリナ!」
轟いたのはソフィアの声。冷静沈着な彼女にない焦りの声だ。
弾かれるように振り向けば、ソフィアの冷静な声がする。
「後方の観測班から報告! 魔力の流れが、おかしいわ!」
「どこ?」
「前方……敵の撤退方向からよ」
胸の奥が、ざわつく。
やっぱりだ、この感覚――、嫌な予感が確信に変わりかけていた。
「一旦、引くか?」
エルリックが問う。
短い言葉。だが、その意味は重い。
このまま進めば、敵を一気に崩せるかもしれない。戦意も高揚している、勢いは最高潮だろう。
だが――
罠の可能性もある。エリュシオが語りかけてくる。
『魔族は狡猾です。特に現在の魔王軍は――』
「えぇ、そうよね」
どちらを選ぶ? カリナの思考は、ほんの一瞬加速する。
今の戦力――
士気――
陣形――
そして――
もし、罠だった場合の損害。
それらをすべて天秤にかける。カリナは決断しなければならない。
指揮官として――
勇者として――
ほんの一瞬の迷いの末に〝決断〟を紡ぐ
「前進は維持」
カリナは言った。
「ただし、速度を落とす。深追いはしない」
「了解」
エルリックは即座に動く。
「全軍に通達! 隊列を維持し進撃速度を抑えろ!」
命令が広がる。
熱狂が、わずかに落ち着く。
だが、それでも前進は止まらない。
戦場は、じわじわと前へ押し出されていく。
カリナの感じた不安は、全軍へと熱病のように伝播していく。
不気味なほどに静かな進軍が続いていた――
そのときだった。
地面が、震えた。
――ズズズズズ――
だが、今までとは違う、もっと、深い、内側から響くような揺れ。
「なに?」
誰かが呟いた次の瞬間――
――カァッ!――
地面の下から、光が滲み出た。
「これは! まさか?」
魔導師たるソフィアの声が強張る。さらに空を舞う女子魔導師飛行隊の少女たちが声を上げた。
「なにあれ?」
「ヤバい! 魔力の力が地下で動いている!」
「解析! 解析急いで!」
彼女たちの視界の中では、大地に紋様が浮かび上がっていく。
円――
線――
複雑に絡み合う幾何学模様。
見覚えがある。
これは――
「魔法陣!」
「戦場魔法陣よ!」
しかも、ひとつではない。
無数。
戦場全体に広がるように、膨大に刻まれている。
それもここだけではない。複数方面に分かれた別部隊の方向にも、魔法陣の波動の残渣立ち上っている。その危険性はカリナも直感した。
「まずい! 全軍――」
撤退と叫びかけた、その瞬間、魔法陣が輝いた。
光が一斉に立ち上がる。空へと伸びる柱。それが、いくつも、いくつも、戦場を、囲むように光り輝いていた。
「囲まれた?」
誰ともなく焦りの声が響いた。
「しまった!」
一歩遅かった。すでに完全に展開されている。
「カリナ!」
エルリックが尋ねてくる。
「これは、転移系か!?」
「違う!」
カリナは首を横に振る。
カリナは魔導師ではないが、剣士であると同時に魔法剣士としての経験を持っている。
それ故に、眼の前に怒る現象の真実は見抜いていた。
そうだ、今なら肌で感覚がわかる。これは――
「封鎖呪!」
外へ出るためのものじゃない。逆に閉じ込めるためのものだ。エルリックも気付いた。
「つまり――、これは結界型魔法陣?!」
ソフィアがたまらず叫んだ。その声には、明確な焦りがあった。
「しかも、この規模……普通じゃないわ!」
当然だ。
これだけの範囲。
これだけの精度。
しかもプトラード広原に展開するカリナたちソルスター自由連合軍を組まなく囲む魔法陣群など、人間の魔導士が即席で展開できるものではない。
つまり――
「最初から、仕込まれてたんだわ」
カリナは思わず呟いた。つまり、戦場そのものが罠だったのだ。
敵は逃げていたのではない。誘い込んでいたのだ。
ここに。
この地に。
この陣の中心に。
今まさに、この場所にである。
それも、魔族の支配域であるシャドウクレスト山脈地内ではなく、その辺縁外である、プトラード広原との境目となる土地に展開したのだ。無論、魔族領地からは遠く離れた戦場である。
「どれだけの魔力を費やしたの?」
カリナの心臓が大きく脈打つ。背中に、冷たいものが走る。
破滅の二文字が頭をよぎる。
でも、止まらない。
止まれない。
ここで崩れたら、状況は一気に逆転し自由軍の全軍が終わるだろう。
『マスター、お心を強く。この時こそ、貴方は強くあらねばなりません』
「わかってる――私は勇者だから」
そうだ、私は勇者だ。その背中の後ろには数多の人びとがついてきている。
けっして、立ち止まることも、俯くことも出来ない。
自分が迷えば、信じてついてきてくれている人びとは誰を信じればいいのだろう?
「よし――」
だから、顔を上げる。前を見る。光の柱の向こうのその奥に黒い影が、揺らめいた。
ゆっくりと――、確実に――、こちらを見下ろすように。
「あれは?」
彼らの視界の中、それは現れる。
圧倒的な〝何か〟――言葉にできない存在感――、ただそこにいるだけで、空気が変わる者――
兵士たちのざわめきが止まり、誰もが圧を感じていた。
あれが――
あれこそが――
カリナはその存在を睨むように見つめた。
「魔王――ヴァルガリアス!」
その名を呼ぶだけで喉が震える。恐怖がさざなみのように広がる。
その黒い影が動き、ゆっくりと腕を上げる。
その仕草ひとつで世界が、重くなった。そして、声が響いた。
光の柱の向こうに何かがいる。
輪郭が揺らぎ、圧倒的な存在感が垣間見える。
――あれが、魔王――
そう理解した瞬間、誰もの背筋が凍った。顔は見えない。だが、低く、深く、底の見えない声がたしかに響いた。
『――ようやく、来たか』
その怖気るような声に戦場が静まり返った。
ただ、その声に縫い止められたように誰も動けなかった。
『勇者カリナよ』
名指しの声にカリナは息を呑んだ。
『待っていたぞ』
その言葉が意味するものは一つだ。
竜の眷属のマルセウスは気付いたいた。
「すべて最初から、この瞬間のために仕組まれていたのか!」
エルリックは吐き捨てる。
「兵たちを捨て駒にしてか?」
ケラブノスが頷く。
「やつならやりかねん」
なおさらに恐怖がさらに広がった。だが、それでも、カリナは剣を握り直した。
「望むところです!」
怖くないといえば嘘になる。声はかすれる一歩手前だった。だが、それでもカリナは折れない。魔王を見据え前を向いた。
「行くのか?」とケラブノスが問うた。
元魔王軍であるがゆえに、魔王の底知れ無さはしっている。
「無論です」
簡潔にカリナは答えた。逃げない――、否、逃げられない。
ならば戦うしか無いではないか。
恐怖を押し殺してカリナは皆に告げた。
「畏れることは有りません!」
そんな馬鹿なと誰もが思う。だが、カリナは声を上げた。
「魔王が直に出てきた――、これこそが敵が追い詰められている証拠! 戦場を任せる手勢が切れかけているのです!」
その言葉にエルリックが頷いた。
「あぁ、そうだな」
ケラブノスも否定しない。
「流石、聖剣の巫女様――ご見識がお有りになる」
カリナは再び聖剣を抜いた。
「ならば今こそ死力を尽くす時!」
剣を魔王の存在する方へと向ける。エルリックがその意図を察して叫んだ。
「興国の一戦ここにあり! 各自覚悟せよ!」
その声が士気を燃え上がらせた。
「進軍!」
今こそ、賽は投げられたのだ。




