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■10:戦場に還る獣たち

 ルクセンブルク山塊へ向けて再編された軍勢が前進を再開してからしばらくののち、空気は再び変質し始めていた。

 それは先ほどの砲撃のような秩序だった圧ではなく、もっと原始的で、荒々しく、そして制御しきれない力の奔流のような気配だった。風の流れが乱れ、地面を踏み鳴らす振動が断続的に伝わり、遠方からは怒号とも咆哮ともつかない声が響いてくる。

 それは統率された軍のものではない。しかし同時に、完全に無秩序というわけでもない。戦い慣れた者たちが、本能のままに、それでも生き残るための動きをしている音だった。


「来るわね」


 ソフィアが静かに言うと、ミリアは口元を吊り上げた。


「今度はあっちか。やっと揃ってきたじゃない」


 エルリックは剣の柄に手をかけながら、低く唸る。


「この気配……間違いなく乱戦を抜けてきた連中だな」


 カリナは足を止めず、そのまま前を見据えた。まだ視界には捉えられていない。しかし分かる。あの戦場で最も混沌とした地点にいた部隊――ブラッドレイブン要塞方面に展開していた勢力が、こちらへ向かっている。

 やがて、尾根の向こうからその姿が現れた。


 先頭を駆けてきたのはケンタウロスの騎兵だった。全身に傷を負いながらも速度を緩めることなく駆け抜け、その後ろからは獣人たちが低く唸り声を上げながら進んでくる。隊列など存在しない。ただ、生き延びた者たちが、同じ方向を向いているだけだ。その合間を縫うように、小柄な影――ゴブリンたちがすばしこく動き回り、周囲を警戒している。


 だが、それだけでは終わらなかった。


 そのさらに後方、泥と砕石を蹴散らしながら現れたのは、ネルガル解放義勇軍、トロール部隊、そして巨人種族の一団だった。砲架を失いかけた可搬式野戦砲を無理やり引きずり、泥に塗れたまま進んでくるトロールたち。地盤が崩れた戦場をその巨躯で踏み固めながら道を作ってきた巨人たち。その先頭にはレグナント・ウーセント、ドゥロック、バルグジンの姿があった。


「レグナント! ドゥロック! バルグジン!」


 カリナの呼びかけに、レグナントが剣を掲げた。


「泥に埋まりかけたが、旗は折れていない!」

『砲も、まだ撃てる』

『道も、作った』


 それは短い報告でありながら、彼らがどれほどの地獄を抜けてきたかを如実に物語っていた。


 続いて、そのさらに外縁から、白銀の盾列と槍列が姿を現す。先頭にいるのはアルトゥール・シルバリオ。側面を旋回する騎兵を率いるのはローラン・サンストライダーだった。ブラックリッジを持ちこたえた騎士たちが、ついにここへ辿り着いたのである。


「勇者殿! 再集結命令、確かに受け取った!」

「ブラックリッジは!?」

「食い破ってきた。騎士が道を作れぬはずがない」

「我らが崩れぬ限り、砦ごときに止められはしません」


 アルトゥールとローランの声には、誇りと消耗の両方が滲んでいた。


 そこへさらに、重い足音とともにグローム戦闘兵団が姿を現す。中央を歩く一際巨大な影、全身に刻まれた戦傷を誇るかのように晒しながら進む男が、総長ブルータスだった。


「生きてたか、勇者カリナ」

「ブルータス殿こそ、ご無事で」

「無事じゃねえさ。だがな――まだ殴れる」


 その言葉に偽りはない。彼の背後にいるグロームの戦士たちは誰一人として無傷ではない。それでもなお、前へ進むことをやめていない。


 さらにその側面から滑り込むようにして現れたのが、アクアリスの部隊だった。屈強な船上兵たちを基盤とする海兵軍。その中央に、蒼の外套を翻す偉丈夫が立っている。


「遅参、失礼いたします。勇者カリナ様」


 アクアリス将軍オーシア・ウェイウォークスは、そう言って軽く一礼した。


「状況は把握しております。このまま合流し、戦線を統合すべきと判断いたしました」

「ありがとうございます。これで、全戦線が繋がります」


 だが、その瞬間だった。


 後方から、魔王軍の増援部隊が姿を現した。数は二〇〇〇から二五〇〇、重装と強化個体を含む混成部隊であり、明らかにこの合流の瞬間を狙って叩きに来ている。


「来たか!」


 エルリックが低く吐き捨てる。だが、カリナは一歩前に出た。


「迎え撃ちます。ここで崩れるわけにはいきません」


 そして、振り返る。


「全軍、戦闘配置!」


 その号令に応じたのは、もはや個別の部隊ではなかった。


 騎士団が槍を構え、重装兵が前に出て、エルフが弓を引き、ドワーフが砲を据え、山岳兵が陣地を固め、獣人が牙を剥き、ケンタウロスが駆け、ゴブリンが影のように散り、グロームが拳を握り、アクアリス海兵が波のように広がる。

 ばらばらだった戦力が、完全に一つへと収束する。


「行くぞ」


 ブルータスが低く唸り、次の瞬間にはすでに敵陣へと突っ込んでいた。その突撃に続くように獣人たちが雪崩れ込み、正面の敵陣を強引に押し崩す。


「右翼、押し上げる!」


 セリアスの号令とともに騎士団が側面から食い込み、ケンタウロスがその機動力で一気に戦線を引き裂く。


「撃て!」


 ドワーフの砲撃が炸裂し、山岳兵がその隙間を埋めるように前進する。


「流れを作るぞ!」


 オーシアはアクアリス海兵部隊を指揮し、無言のハンドサインで全体を統率すると、正確に敵陣の急所へ兵を集中させた。


「アクアリス! 海兵部隊! 吶喊!」

「おおおおっ!」


 海辺の上陸作戦や海上での船上戦を得意とする屈強なるアクアリス兵だ。音も立てず、速やかに――押し寄せる波のごとくに敵陣へと浸透して襲いかかる。


 乱戦混戦となりつつあった状況の中で、伏兵がカリナを側面から槍で襲おうとした。


 来る――


 その瞬間だった。


――ヒュォッ!――


 あらぬ方向から鋭い矢が射られる。視認されにくいように黒塗りされた矢であり、斥候兵が用いるものだ。敵の伏兵はあっさりと射止められた。

 カリナたちは矢の飛来してきた方向に視線を向ける。


 するとそこには、崖の上に〝影〟が立っていた。


 一つではない。

 二つ――いや、三つ――

 その中央に立つ女性が静かに弓に矢をつがえていた。


「ミリア!」


 遊撃として離れていたミリアだった。

 その両側に並ぶのは――

 リザードマン兵団のケラブノスと、牙狼騎士団のゲオルグの両雄だった。別ルートでの合流を果たしたのだ。


「側面より奇襲をかける! リザードマン兵団! 牙狼騎士団! 吶喊!」

「おおおっ!」

「続けぇ!」


 ケラブノスが怒号を発し、ゲオルグは号令をかけた。

 リザードマンたちがミリアたち遊撃の斥候兵を片腕で抱き上げながら、崖の斜面を一気に駆け下りてくる。狼獣人たちも負けじと崖面を猛烈な勢いで駆け下りてきた。


「ケラブノス! ゲオルグ!」


 カリナの喜びに満ちた声が広がる。


「参陣いたします!」とケラブノスが叫び、

「遅れてすまねぇ! 姉御!」とゲオルグが牙を剥いて笑った。


「敵陣形を一気に崩してください! そのまま左翼陣を形成して一気に包囲します!」

「心得た!」

「任せろ!」


 ケラブノスも得意の槍を構え、ゲオルグもスクラマサクスとカットラスの二刀流で戦場へとなだれ込んだ。


 ついに空を除くほぼすべての部隊がここに揃った。

 そうなればカリナ率いるソルスター自由連合軍は圧倒たる威容を誇る。完璧な連携で敵軍を包囲すると、個別の部隊の陣形を打ち破り、瞬く間に戦況を押し返した。

 魔王軍が崩れるのは一瞬だった。


 その一瞬の遅れを、アルカナヴァンガードが逃さずにカリナの即断の行動そのままに踏み込んでいく。

 聖剣レギオンブレイドが光を放ち、その一閃が戦場の中心を貫く。


「全軍総攻撃! 押し潰せ!」

「おおおおおっ!」


 その声に、全軍が応えた。

 押し寄せる力は、もはや止まらない。

 やがて、敵の隊列は完全に崩壊し、山の斜面へと散っていった。


 静寂が戻る。

 荒い呼吸と、武器の擦れる音だけが残る中で、カリナはゆっくりと顔を上げた。


「これでようやく――」


 カリナは大きく息を吸いながら、軍勢の仲間たちの方を向く。


――ザッ――


 足音を踏み鳴らし、次々に歩いてくる。

 そこには、すべての勢力が揃っていた。

 失われかけた軍勢は、今この瞬間、完全な形を取り戻したのだ。

 戦場に集った彼ら――魔王軍の分断工作で散り散りになり、連絡も寸断されたはずの彼ら。それは今まさに、困難を乗り越えて一つに再集結を果たしたのである。


 セリアス卿が感慨深げに言葉を吐く。


「これで、魔王の小細工は打ち破ったな」


 血気盛んなゲオルグもまた、戦場での軽口とばかりに言い放つ。


「今までの魔王軍との戦いを生き抜いた俺達だぜ? 小分けにされたって潰されるはずがねぇぜ」

「あぁ、そうだな」


 ゲオルグの言葉に頷いたのはリザードマンのケラブノスである。

 そして、カリナは集まった彼らを眺めながら感慨深げに言葉を漏らした。


「……これで、ほぼ全軍ですね」


 その言葉に、誰もが頷いた。ケラブノスが言葉を添える。


「大型のドラゴンの方々は、全軍が集結すればそれを目印に飛んでくるか、転移してこられるはずです」

「なればこそです。総軍再集結して、陣形を完成させましょう」

「はっ!」


 皆の意思は一つにまとまったのだった。


 もう、分断はない。

 ここにあるのは、ただ一つの軍。

 そして――その先にある戦いへと向かう意志だけだった。

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