■9:山を越えて来る者たち
ルクセンブルク山塊の麓へと差しかかる頃、空気は明らかに変わり始めていた。先ほどまで断続的に響いていた砲撃音は、もはや偶発的なものではなく、一定の間隔と明確な意図を持った〝戦闘行動〟として山の向こうから伝わってきており、それは単なる生存の証明ではなく、組織だった部隊が未だ戦線を維持していることを示していた。
「この撃ち方……ただの抵抗じゃないわね」
ソフィアが低く呟くと、エルリックも険しい顔で頷いた。
「陣地を取って撃っている。崩れた戦場でここまで形を保てる連中は限られるな」
その言葉に、ミリアが肩をすくめるように笑う。
「決まってるでしょ。あの連中よ。しぶとさなら、あいつらが一番だもの」
カリナは前方の尾根を見据えながら、短く息を整えた。砲撃の主が誰であるか、もはや疑う余地はない。
デスウィンド塔方面へ展開していた、モントクラウド山岳連邦軍とドワーフ戦闘工作団――あの二つの部隊が、いまもなお戦い続けている。
「急ぎます。前衛、警戒を強めて」
命令は即座に伝達され、再編された隊列がそのまま加速する。尾根を回り込み、岩場を踏み越え、狭い斜面を縫うように進んだ先で、やがてその光景が視界に飛び込んできた。
砕けた岩壁の陰に半ば埋もれるようにして築かれた簡易砲座、その周囲に積み上げられた石材と鉄片、そしてそれらを組み合わせて無理やり形にされた防御陣地。そこにいたのは、煤と血にまみれながらも黙々と作業を続けるドワーフたちと、険しい表情で周囲を警戒する山岳兵たちだった。
しぶとさと、ふてぶてしさ、だけならば誰にも負けない。それがドワーフだった。
ちなみにそこに執念深さが加わるのが山岳地帯の覇者モントクラウドである。
魔導戦士アーヴァインが呆れるようにぼやく。
「やっぱり生きてやがったか」
ドワーフたちは振り向かない。ただ手を止めない。砲の再装填、砲身の角度調整、即席の支柱の打ち込み、そのすべてが無駄なく連動している。崩壊した戦場の中でなお〝砲兵隊として機能している〟ことが一目で分かった。
やがて、その中の一人がようやく顔を上げた。煤で黒くなった髭の奥から、鋭い目がカリナたちを捉える。
「遅かったな、勇者殿」
低く、だがはっきりとした声だった。
「そちらも、ご無事で何よりです」
カリナが応じると、ドワーフは鼻を鳴らした。
「無事に見えるか? 半分は山に埋まったぞ。だがな――撃てる砲が一本でも残ってる限り、俺たちは死んでない」
その言葉と同時に、再び砲が火を噴いた。轟音が山肌を震わせ、前方の敵影を吹き飛ばす。その射線の先には、なおも進もうとする魔王軍の部隊がいたが、地形と砲撃に阻まれ、思うように前進できずにいる。
「陣地を維持しながら後退してきたのか」
ヴェネラが感心したように呟く。
「違うな」
エルリックが首を振る。
「後退してるんじゃない。〝押し上げてる〟」
その通りだった。山岳兵たちはただ守っているのではない。敵を削り、位置を取り、少しずつ前へ押し返している。その歩みは遅いが、確実だった。
そこへ、戦場の偵察から戻ってきた山岳国モントクラウド山岳連邦軍・戦場総司令官ヘレナ・ストーンハートが姿を現した。
「勇者カリナ様、ご無事そうで何よりです」
「ヘレナ卿も、ご無事で安心しました」
カリナの気遣いに笑みを浮かべつつも、帰ってきた言葉はやはりモントクラウドの英傑そのものだった。
「これしきの陣地籠城戦――モントクラウドではよくあることです。デスウィンド塔の遠距離砲火陣地をなんとか潰したあと、道なき道を進んでこの地に到達しておりました」
「そして、ここに陣地を?」
「はい。ものを作るのはドワーフの得手。瞬く間に防衛陣地を作り上げ、魔王軍勢の攻撃を凌いでおります」
そこでヘレナは一呼吸挟む。
「勇者殿が軍勢を率いて、ここに来られるであろうと信じて――否、確信して」
「そうか――モントクラウドは山岳戦闘とゲリラ戦を得意としておられましたね」
損耗こそあるものの、あの苦境の中にあっても、ものともせずにこの地に到達していたのだ。感謝しかなかった。
「ご尽力、ありがとうございます。これでまた再集結に向けて駒を進められます」
「そうですね――貴方のお心がそこにあると言うなら、我らも動けるというものです」
そして、ヘレナはあらためてカリナに問うた。
「ご指示を願います」
「承知しました」
カリナは一歩前へ出る。
「合流します。戦線を繋ぎます」
その言葉に、ヘレナもはっきりと頷いた。
「ならば好都合――我々だけでは押し切れません」
「こちらも同じです」
カリナは即座に振り返る。
「前衛、展開! 砲撃の射線を避けつつ、敵前面を押し上げます! 複数部隊に分けた散兵機動戦術により、仮想到達点を指定、そこに集結する形で敵陣系の要点を崩します!」
敵はこちらのドワーフ製陣地を崩すことを目的としている。そのため進軍ルートは想定しやすい。ならば、迎撃打撃部隊を複数に分けて、敵の進軍と防御の要点に向けて、一気に急襲する戦術だ。
「中央は負傷者の収容と補給支援、後衛は警戒を維持しつつドワーフ製陣地に入り守りを固めてください!」
命令が一斉に動き出す。再編されたばかりの軍が、そのまま実戦の中で噛み合い始める。ルミナリア騎士団が側面から圧をかけ、アルカナヴァンガード重装兵が中央を押し上げ、モントクラウドとドワーフ戦闘工作団が砲撃と局地防衛で敵の動きを縫い止める。
さらにエルフの射撃が敵の機動を封じ、その合間を縫ってグレインリーフ歩兵が着実に前へ出た。歩兵線が崩れないのは、エルビスの統制が効いている証だ。
「半歩ずつ押し上げろ! 浮足立つな!」
「前進しながら射なさい! 焦れて突っ込んでくる敵から落とすわよ!」
エルビスとヴェネラの声が、山岳戦の只中でも軍を保たせる。
ばらばらだった力が、初めて〝ひとつの流れ〟として機能し始めた瞬間だった。
やがて敵の圧が崩れ、山腹に散っていく。追撃はしない。必要なのは殲滅ではなく、合流と維持だ。
静かに、しかし確実に戦線が繋がった。
「これで、一つだな」
エルリックが息を吐く。
カリナはゆっくりと周囲を見渡した。ドワーフ、山岳兵、騎士団、エルフ、歩兵――そのすべてが同じ方向を向いている。だが、まだ足りない。
「そうですね。これで約七割八割――残る部隊を信じるのみです」
その言葉に誰もが理解していた。
ブラッドレイブン要塞方面。
あの混戦の中にいた、もう一つの軍勢。
カリナは剣を握り直す。
「これで前へ進めます。ルクセンブルク山塊まで、あと一歩です」
その声に、今度は重く、確かな応えが返ってきた。
それはもはや、寄せ集めの声ではない。
ひとつの軍の声だった。




