■8:集結前夜、軍のかたち
ルクセンブルク山塊の稜線が、ようやく視界に収まり始めていた。
遠目にも分かる、岩肌の連なり。複雑に入り組んだ尾根と谷が重なり合い、天然の要塞のようにそびえている。その山塊の裾野に、カリナたちは足を踏み入れつつあった。
だが――そこに至るまでの行軍は、決して安堵に満ちたものではない。
合流したとはいえ、各部隊の損耗は大きい。装備も、弾薬も、食料も、ばらばらだ。負傷兵も少なくない。このままでは〝ただ人数が増えただけ〟の集団に過ぎない。
軍ではない。
カリナは歩みを止め、振り返った。
「ここで一度、状況を整えます」
その一言に、エルリックが頷く。
「だな。寄せ集めのまま山に入れば、逆に崩れる」
ミリアも地図を広げながら言う。
「この先は狭いわ。部隊ごとの役割を決めないと、詰まる」
ソフィアは周囲の魔力の流れを探りながら、静かに口を開いた。
「まだ来てないわね」
「はい」
カリナは短く応じる。
分かっている。〝まだ〟――だ。
ブラッドレイブン方面、デスウィンド塔方面の二方面。
あの戦線にいた者たちの反応は、まだこの場には届いていない。
だが〝消えた〟わけではない。
ソフィアが感じ取る限り、確かに、どこかで戦い続けている。
それだけで十分だった。
「編成を組み直します」
カリナは一歩前に出た。
「現在戦力を三つに分けます。前衛、中央、後衛です」
周囲の視線が一斉に集まる。
「前衛は突破力重視。ルミナリア騎士団とアルカナヴァンガード重装兵を中心に。エルリックとセリアス卿、お願いします」
「任された」
「うむ」
「中央は本隊。負傷兵、補給、魔導支援を集約します。ソフィア、ミリア、ここを頼みます」
「了解」
「任せて」
「そして後衛。グレインリーフ歩兵とエルフ連合に、警戒と殿をお願いします。エルビス卿、ヴェネラ殿」
「承知した」
「背中は任せて」
淀みなく指示が流れていく。
十歳にも満たぬ頃、カリナはアルカナヴァンガードの団長に任ぜられた。聖剣に選ばれた勇者、聖剣の巫女を旗印にした魔法剣士団。その頂点に立つことを求められたのだ。
当然、団長という肩書に見合う実力を立てるまでは、幾度となく過ちを繰り返し、幾度となく蹉跌を味わった。駆け出しの頃のカリナならば、今の状況はこなせなかっただろう。誰かの判断を仰ぎ、迷い、時間を失っていたはずだ。
だが、だからこそ、カリナは成長した。
自分を信じて支えてくれた人びとに報いるために。
今のカリナは必要な配置を、即座に決める事ができる。
それがどれほどの重みを持つかを理解した上でだ。
「もう一つ」
カリナは続ける。
「遊撃を編成します」
その言葉に、ミリアが目を細めた。
「誰を出すつもり?」
「あなたです、ミリア」
即答だった。
「斥候部隊を再編して、単独行動を許可します。目的は二つ。未合流部隊の探索と、ルクセンブルク山塊周辺の状況把握」
「かなり危険ね」
「分かっています。ですが、今のままでは〝待つこと〟しかできない。それは最も危険です」
ミリアは一瞬だけ沈黙し――ふっと笑った。
「あなたならそう言うと思ったわ」
腰に下げる装備を確かめながら答える。
「任されたわ。全部拾ってくる」
「お願いします」
まさに阿吽の呼吸で部隊が動き始める。
負傷者が中央へ移され、補給品が整理され、隊列が整えられていく。ばらばらだった集団が、少しずつ形を取り戻していく。
その様子を、セリアスが静かに見ていた。
「見事だな」
感慨深げに息を吐く。
「勇者、ではなく――指揮官だ」
「恐縮です」
その呼び名は、カリナにとって何よりも嬉しかった。
だが、彼女はすぐに表情を引き締める。
「ですが――いまだ足りません」
「何がだ?」
「全員が揃っていません。此処から先、全軍が再集結することが魔王城侵攻への必須条件なのです」
その言葉に、誰もが口を閉ざした。
そうだ。
まだ足りない。
この軍は、まだ未完成だ。
その時だった。
前方の山際とは別方向――西の彼方から、風を裂くような角笛の余韻が微かに届いた。戦場の耳を持つ者なら、それがただの雑音でないことが分かる。
エルリックが眉を上げる。
「……騎士たちか」
「ええ」
ソフィアも頷いた。
「反応が少しずつ動いてる。ブラックリッジ方面の二つ、持久戦から突破に移ったわ」
「ローラン卿とアルトゥール卿……!」
カリナの胸に熱が灯る。
騎馬国ガルガンダインと騎士国ヴァルハイト。あの二国なら、ただ守るだけでは終わらない。再集結命令を受けたのなら、必ず砦正面を食い破って来る。
さらにその時だった。
遠く、山塊の一角から、鈍い轟音が響いた。
そして、二発目。
さらに、三発目。
カリナは息を呑んだ。
「砲撃?」
この戦場で、あの音。あの規則性。
それが意味するものは――ひとつしかない。
ミリアが、にやりと笑った。
「やっと来たわね〝あいつら〟」
ソフィアも、小さく頷く。
「ええ。間違いない。山岳側が動いてる」
つまり、デスウィンド塔方面の部隊が――まだ生きているということだ。
カリナはゆっくりと剣を握り直した。
胸の奥で、何かが確かに繋がっていく。
散り散りになったはずの戦線が、一本の流れへと戻り始めている。
まだ終わっていない。
まだ、戦える。
「進みます」
その声は、もう迷っていなかった。
「全軍、前進。ルクセンブルク山塊へ!」
再び動き出す軍勢の中で――
失われかけていた〝戦うための形〟が、確かに完成へと向かっていた。




