■1:決戦の前、少女は空を見上げた
――怖い。
その言葉を、カリナは胸の奥で噛み殺した。
目の前に広がるのは、果てしない軍勢だった。
地平線の彼方まで続く、旗、旗、旗。
人間、獣人、竜人、エルフ――
八つの国、十の種族。
すべてが、ここに集っている。
勇者としての正装である、魔法剣士装束を見につけて大軍勢の先頭に彼女は立っていた。
その左腰にあるのは勇者の証たる〝聖剣レギオンブレイド〟――
その金色の輝きに負けぬほどにカリナは神秘なる気配を漂わせていた。
「カリナ――」
背後から声がかかる。
振り向かなくてもわかる。エルリックだ。
他の人たちは私を〝勇者カリナ〟〝聖剣の巫女様〟と呼ぶ。
だが、彼ともう二人だけは、呼び捨てにしてくれる。
その垣根の無さが何より嬉しい。
いつも通りの、落ち着いたその声。
「全軍、準備完了している。いつでも号令を」
その一言が、胸に重くのしかかる。
――全部、私が決める。
わかっている。
ここにいる全員が、自分の言葉を待っていることくらい。
けれど。
ほんの少しだけ、視線を逸らした。
空は、どこまでも青かった。
こんなにも静かで、穏やかな空の下で。
これから、数えきれない命が失われる。
そのすべてが、自分の選択の先にある。
「……カリナ」
今度は、別の声。
優しくて、少しだけ心配そうな声。
ソフィアだ。
私にとって、お姉さんのような人。
「大丈夫。あなたは、一人じゃないわ」
その言葉に、思わず笑いそうになる。
「うん――」
――知ってる。
知っているのだ。
後ろを振り返れば、そこにいる。
剣を握る者。
祈りを捧げる者。
牙を剥く者。
翼を広げる者。
武器を磨く者。
決意を秘める者。
みんなが、自分を見ている。
信じている。
託している。
そのすべてを――、
だから……
「――行きましょう」
カリナは、前を向いた。
逃げ場なんて、最初からない。
それでも――
それでも、自分は選んだのだ。
「これが、最後の戦いです」
声は、思ったよりも震えていなかった。
「ここで終わらせる。
この長い戦いを――」
一歩、踏み出す。
「――私たちの手で!」
その瞬間。
――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
大地が揺れるほどの咆哮が、世界を満たした。
無数の声。
無数の意志。
無数の願い。
無数の闘志。
そして――
自由と平和への渇望。
そのすべてが、カリナの背中を押す。
右手が動いて聖剣レギオンブレイドを握り締める。
「エリュシオ」
『はい、カリナ様――』
レギオンブレイドから声が聞こえる。優しくも頼もしい女性の声。
カリナを心から支え続けてきた精霊の声。
レギオンブレイドに宿る精霊エリュシオの声だ。
「行くよ」
『はい――、勇者たるあなたの御心のままに』
もう、迷いはなかった。
――シャキッ!――
聖剣レギオンブレイドを、抜く。
その輝きが、戦場を照らした。
一瞬――
誰もが息を呑む。
「傾注!」
戦場のざわめきが一斉に止む。あたりには風の音だけが残響を残す。
誰もが静止し、勇者たる聖剣の巫女――カリナ・ウィングスの声を待つ。
「ソルスター自由連合軍! アルカナヴァンガード! 全軍! 前進!」
その一言で、世界が動き出す。
「おおおおおおおおっ!」
無数の軍勢が、一斉に前へと進み始めた。
その先にあるのは――
魔王。
魔王ヴァルガリアス――
人呼んで〝最後の覇王〟
カリナは、ただ前を見つめていた。
その瞳に、もう迷いはない。
少女は今、世界を背負って歩き出したのだから。
最終決戦はこれより始まる。
だが――
カリナはまだ己の身に降りかかる未来をまだ知らない。




