帰路
相手を一撃で倒すための隙を窺っていたマツリの攻撃は的確だろう。
華奢な拳がヌメリとしたナマズの白い腹に触れた刹那、思念の拳が撃鉄を下ろされた銃弾のように発射された。
避けることも、防御することも、滑らせることもできない無防備を貫くソレはナマズの腹に再び風穴を開ける。
さきほどはベイルアウトによる再生で難を逃れたわけだが、その保険はもう無い。
不定形モンスターでなければ再生困難な深手を負ったナマズは、あとはもう消滅を待つだけ。
ナマズが倒れて地面に横たわった後、再生できずに広がった傷口から上下が泣き別れになったのを確認したマツリは1枚のカードを取り出してナマズの額にかざした。
「何をするだ」
ナマズはマツリの行為に疑問を持って質問にしたわけだが、彼女のほうはそれを無視。
身動きの取れない相手に対してかざしたカードが反応を示すと、ナマズはこの行為の意味を身をもって知る事となる。
「んあ?まさか我とダンジョンとの回路を奪うのか」
「こっちにも事情があるからね。ただコレだけは言っておくよ。オレはただの使い走りだ。アイツが集めたパスをどうするのかまでは知らないよ」
「お、おのれ」
「悪いねナマズ野郎。アンタに恨みはないが、アンタはここで朽ちてくれ。弟のようにな」
「うおおおおお」
この瞬間、ナマズはようやく〝弟が目の前にいる女に何をされたのか〟に気がついた。
ダンジョンとの回路は単純にモンスターとダンジョンの繋がりを作るだけではなく、世界そのものと繋げている。
その繋がりがある限りたとえ命を落とそうともモンスターは復活することが可能で、それはラスボス級のモンスターが有する特異性のひとつとなっていた。
もしダンジョン全体に封印処理がなされて、人間が操る魔法に管理されようとも、パスさえあれば復活が遅れるだけで他のダンジョンに顕現することも可能。
高位のモンスターはそのような不死性を有しているのだが、マツリが持つカードはその繋がりを集め、奪うことができた。
断末魔をあげるナマズを尻目に〝繋がりを奪った〟カードの角に記された数字が49から48にカウントダウンされる。
これがカードが求めているパスの残り個数を表していることは、容易に察せられるものだった。
「それにしても……あと48カ所とか、やっぱり多くないか?国内で足りないようなら渡航費を請求してやるぞ、ミロクのやつ」
これまでマツリが集めた繋がりは今回を含めて40個。
つまり目標数88個なわけだが、一方で日本にあるダンジョンそのものは大小合わせれば300超なので、単純計算で言えば足りているだろう。
だが弱いつながりの場合は、最下層13階層のボスモンスターであっても、転生を妨げるだけでカードの度数を減らすことはない。
単なる半端なパスの簒奪では依頼主は喜ぶだろうが、マツリにとってはただの骨折り損。
その手の空振りも既に50近くは経験済なマツリにとって、ナマズは当たりというだけで価値がある闘争相手であった。
深夜━━━
霞ヶ浦ダンジョンの攻略から数時間後、夜遅くに彼女は帰宅した。
場所は旧千代田町なのでダンジョンからは車で30分ほど。
だが大洗、北浦、そして霞ヶ浦と、3ヶ所を休みなく巡らされていたので、1週間ぶりの帰宅だった。
ちなみにこの家は彼女の親類が建てた古い日本家屋であり、周囲に遠慮なく夜中に楽器を弾けるという理由で借りている。
家賃代わりに固定資産税を払っているが、古いとはいえ納屋と広い庭のついた一軒家としては破格の賃料と言えよう。
そんな我が家に戻ったマツリとしては、疲労を取ることよりも楽器を弾けなかったストレスを解消するために演奏でもしたいと思うところ。
だが帰宅して出迎えた〝同居人〟はそれに否定的らしい。
「おかえり。思ったより早かったね」
彼女を出迎えたのは、畳張りの部屋の中を車椅子で動き回る髪の長い女性。
片目を長い前髪で隠した、この風変わりなお姉さんが例の〝ミロク〟である。
マツリに強力なテレキネシスを操る力を授けた代わりに、カードを使った収集を押し付けたミステリアスな女性。
なにせこのミロクという名前すら、初対面時のマツリの脳裏に浮かんだ「弥勒菩薩っぽい」という第一印象を読み取って名乗り出した偽名である。
机のうえに散らかった本は以前の家主が残した遺品らしいが、中には卑猥な本が何冊か。
こういうのは見つけても見なかったことにするのが情だろうにとマツリは思うのだが、デリカシーがズレたミロクには言っても無駄だと思い黙っていた。
「早くて悪かったな。ひとり遊びを邪魔しちまったようだし」
「そんなことないよ。今回のお願いが片付いたプチ打ち上げで、旅館にでも泊まってくるのかと思ってただけだし」
「ったく……こっちは好きな音楽をお休みしてまでお前の道楽に付き合っているんだぜ。温泉も悪くないが、近所だったら早く帰ってピアノを弄るほうがオレには最優先だ」
ちなみに〝ひとり遊び〟と言ったときにマツリの目線があったのは姉弟モノのアレな本。
これまでのやり取りから「弟がいるらしい」ことをマツリは知っていたが、だからといって「弟とそういうことをしたい」というのは倒錯した女だと彼女は思う。
ちなみに少しだけ「留守中に近所の男子を連れ込んで、あんなことやこんなことをしていないか?」という考えがマツリの脳裏に浮かんだのは乙女の秘密である。
「そうなんだ。でも帰ってきて早々だけれど悪いねマツリ。食べ物の備蓄がまるでないから、今日はピザの出前を取ろう。そして朝まで僕と遊んで欲しいなあ。ピアノは明日にして」
「あー、まったく、もう!この時間じゃそろそろラストオーダーだから、悩んでいる暇もないぞ」
1週間前の食料備蓄が切れてしまうのは、目の前の女が外出困難な要介護者な時点で仕方がないこと。
本気を出せば何処かから用意することも可能とはいえ、ズボラなコイツが自分からやるのは餓死寸前な時だけだろう。
だからピザの出前を取ることは構わない。
ダンジョンに潜ったついでに拾ったアイテムを換金すれば、当座の食費にも余裕があるわけだし。
だがピアノを弄るなとはどういう了見か。
逆上したマツリが違う意味でピアノを演奏するのだが、そこまで含めてミロクの策謀であったことにマツリは気付かぬまま、到着したピザをつまんで晩酌のビールで流し込んだ。
兵頭マツリにとって同居人であり、一方的に友達以上の関係を求められている女であり、命令者でもある〝ミロク〟という女性。
いわゆる魔法とは異なる〝プログラム〟を操る彼女が何を目的にダンジョンとの繋がりを集めているのか。
マツリとしては面倒事からの解放としか思っていないその行為には、ミロクにとって大きな意味が潜んでいた。




