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くま吉(ランズベルト視点)

 屋敷を出て馬車に乗り込みながら、先ほどの情景を思い浮かべ、思わず頬が緩む。

 笑顔で見送られ、帰りを待ってくれる人がいる。

 それも、自分が気になり始めている女性。

 いまだかつて味わったことのない感覚に戸惑いつつも、その温かな感覚に心は満たされていた。


 向かいに座るヘルマンがそんな私の様子を面白そうに伺っている。


「何がおかしいのです」


「いえ、ランス様にもようやく春が来たのかなあと思いまして」


 あまりに視線が刺さるので、苦言を呈してみると、ヘルマンは嬉しそうな表情で悪びれることなく答える。


「春か……」


「先ほどもまるで新婚夫婦のようでしたし」


「あ、あれは!?」


「今頃屋敷で奥様が大喜びなさっているかもしれませんね~」


 浮かれていた私をヘルマンが現実に引き戻す。

 きっと今頃、屋敷では母上がロベリア嬢に詰め寄っていることだろう。

 やはりなるべく急いで帰らねばと、決意を新たにしたところ、馬車は王宮へと到着した。




 いつも通り馬車を降り、裏門から王宮へ入る。

 午前中な上、昨日舞踏会が行われていたことも関係しているのか、人影がほとんどない。

 騎士団や魔術師団のいる棟、王族たちのいる宮殿から人の気配はするものの、本来ならたくさん居るはずの使用人たちの気配がしない。

 なぜか異様なほどに静まり返っている。

 妙な胸騒ぎがして、私は急ぎ建物へと近づいた。


 入り口の階段を上がるにつれ、なにやら甘い香りが鼻に触れる。


「この香りは……」


 昨日アラベスク侯爵邸で嗅いだ、あの甘い香りが建物内からうっすらと漂っている。


(まさかここまでとは……思っていた以上に、状況は深刻かもしれませんね)


 口元を押さえようと、胸元からハンカチを取り出そうとして、そこに入れておいた「くま吉」に触れた。


「……ん~『くま吉』にこの香りが移ってしまったら大変ですね。とはいえ、このまま入れるのも抵抗が……」


 悩んだ末に、ローブではなく、執務服の内ポケットに少し顔を出した状態で入れ込んだ。

 フリルの少し入ったハンカチに聖水を含ませ口に当て、豪奢な宮殿内へと進んでいくと、応接室の方から声が聞こえてきた。


「……ねえ、ヘンリー様、あの女はどこへ行ったのだと思います?」


 女性の甲高い、甘えたような声がして、そっと部屋の扉の隙間から中の様子を覗き見る。


「もう婚約破棄したのだから、マリアが気にする必要はないだろう?」


 そこには、ロベリア嬢を冤罪で貶めたという王太子と例の男爵令嬢らしき姿があった。


(マリア……ということは、あれが侯爵たちの言っていたケルビン男爵令嬢……)


 部屋中に甘い香りが立ち込めていて、少しむせ返りそうなほどだ。

 殿下の目は虚に開かれていて、明らかに正常な様子ではない。

 どうやら王宮はこのケルビン男爵令嬢によって掌握されていると見て、まず間違いないだろう。

 それを確認して、その場を離れようとした時だった。

 男爵令嬢の口からとんでもない言葉が飛び出した。


「だって、ロベリア様が死なないと、シークレットルートが開かないんですもの。レイノルド様もいらっしゃらないし、修道院の馬車を襲う予定だったのにそれも失敗しちゃったみたいですしぃ……」


(この女は一体何の話をしている!? 修道院の馬車を襲う……? ロベリア嬢が死なないと……ということは、この女は彼女の命を狙っているのか!?)


 話に動揺してしまい、思わず扉を押さえていた手を握りしめた。

 その拍子に扉が少し動いてしまう。

 僅かに出た扉の音に、男爵令嬢が反応する。


「あら、誰かそこに居るのかしら?」


 余裕たっぷりに笑顔でこちらを見る女の表情は美しいはずなのに歪んでいて、気持ち悪さを覚えた。

 何か獲物を狙う獣のような、ねっとりとした嫌な視線だ。

 すると男爵令嬢は、なぜか私の姿を確認するなり、急にソファから飛び上がり、驚きと喜びの声を上げた。


「え!? ええ!? まさかのランズベルト様!? きゃー!! どういうこと!? まだロベリアは死んでないはずなのに、何で!? 嘘!? 嬉しい~~!! 本物超カッコイイー!!! え? これってもしかして、めっちゃラッキーなんじゃないの!?」


 急に口調が変わり、不穏な言葉を放ちながら、こちらへと近づいてくる。

 彼女が近づいてくることで、甘い香りの濃度が急に増しているのか、ハンカチで押さえていても、香りがどんどん強くなっていて防ぎきれそうにない。


(このままではマズイ……!!)


「わたしと、仲良くなりましょう♡ ランズベルト様!」


 不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、私に抱きつこうと手を広げながら勢いよく向かってくる。

 このままでは魅了にかかってしまう……!と目を瞑りかけたその瞬間。

 胸元から温かいものが溢れ、それが白い光となって私の体から男爵令嬢に向かって一気に広がっていく。


「え!? ちょっ、熱っ!? 何なのよ、この光!? 熱っ!」


 目前まで迫っていた男爵令嬢は、光が当たった部分を押さえながら悔しそうに後ずさっていく。


「いやっ! 来ないで! 来ないでったら!! ちょっと、一体どうなってるのよ! イヤ~~~!!!!」


 さらにどんどん広がる光から必死に逃れようと、ついには王太子を置き去りにして部屋から出ていった。


「一体何が……?」


 何が起きたのかよくわからないまま、そっと胸元に手を当ててみると、そこには白く輝く「くま吉」が綺麗なサファイアの瞳でこちらを見上げて笑っているように見えた。


「『くま吉』がこの光を……ロベリア嬢が守ってくれたのですね……」


「クマ~?」


「え?」


 一瞬内ポケットから上を見上げている「くま吉」が喋っているように聞こえ、目を見開く。


「え? 今、あなた……喋りましたか?」


 すると今度は、内ポケットを少しよじ登り、顔をしっかり上げた「くま吉」とバッチリ目が合った。


「クマ~!」


 私の思考が数秒固まる……。


「……え? くま吉!?」


 慌てて内ポケットからそっと白い光に包まれた「くま吉」を取り出し、手のひらに乗せる。

 すると「クマ、クマ」と言いながら一生懸命立ち上がり、私に向かって片手を上げて「クマー!」と鳴いた。

 こんなにも可愛いものを見て、心が揺さぶられないわけはなく、気がつくと、いつもの雄叫びを上げていた。


「か、かわ、可愛い~~~~!!!! ああもう、可愛すぎよ!!!! ぬいぐるみの状態だけでも可愛すぎて気持ちを抑え込むのが大変なのに、こんなの完全に反則だわ!! ギルティ!! ギルティよぉ~~~!!」


 私の叫びに嬉しそうに「くま吉」は「クマ~!」と鳴きながらこちらを見てくる。

 心は忙しなく「くま吉」を愛でたい衝動に駆られているものの、今やるべきことを優先しなければと、懸命に自分を律する。


(落ち着け、落ち着くのよ、私……!)


 緩みすぎる口元を押さえ、辺りを見回す。

 まずは倒れている王太子の無事を確認しなくては。

 私が移動しようとすると、「くま吉」は手のひらからふわりと浮き上がり、「ク~マ~」と言いながら一緒に付いてくる。


「ああもう、ほんと、なんって可愛いの……!」


 衝動を必死に抑えながらソファに倒れ込む王太子に駆け寄る。

 ぐったりした様子だが、どうやら魅了が解けて、眠っているだけのようだ。

 私と王太子の様子を覗き込んでいた「くま吉」は、王太子の額にそっと触れると、白い光で包み込んだ。

 王太子の顔色がみるみる回復していく。


「これは……聖魔法!?」


 詳しく考えたいのに、動きの可愛さと神々しさが相まって、心を鷲掴みにされて、落ち着いて考えていられる状況ではない。

 自身の気持ちの躍動をこれ以上抑えるのは難しいと判断して、とにかく屋敷に戻るため、部屋を出ることにした。

 そこで「くま吉」に「一旦帰りますよ」と声をかけた。

「くま吉」は嬉しそうに「クマ~!」と鳴きながら、私の肩にしがみつく。

 顔のすぐそばに白い光に包まれた「くま吉」がいて、こちらを向いている。


(可愛い! 可愛すぎるわ!! もう今すぐ叫び回りたい!!!)


 必死にその衝動を抑えながら、馬車のある裏門までの道を急いだ。

 「くま吉」を肩に乗せた私を見たヘルマンは、驚きながらも口元を押さえ、必死に笑いを堪えていたのは言うまでもない。


 そうして、そんなヘルマンと可愛すぎて仕方ない「くま吉」とともに、公爵邸へと戻ったのだった。

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