漆黒と真紅の章 05
ギルドの掲示板は朝からざわめいている。リタの鮮やかな赤髪が揺れた。
「なぁカイル、これ見ろよ。“幻獣の卵護送”。ただの荷物運びじゃなさそうだぜ」
「ほう、これは珍しいな。護送だけじゃなくて卵の“変調”の解明協力……」
カイルは湖色の瞳で依頼書を一読し、黒髪をかきあげる。
「魔物や盗賊も出没すると注意書きがあるし……油断できないかもな」
「幻獣の卵って、本物見れるの? やったぁ!」
ラースはピンと犬耳を立て両手で弓を持ったまま高く上げた。
「これって育てたら何か産まれるのかな?」
「どうかしら? 実物を見た人が少なすぎるわ。そもそも幻獣の卵は大昔から“幸運の象徴”とされていて、希少な研究対象でもあるの」
淡い紫色の長髪をふんわりと撫でながら、セリーヌが微笑む。
「何がきっかけで成長するかは未だ解明されていないけれど、とにかく中の命が一番大切ね。責任重大だわ」
「……外の警備は、俺がやる」
浅黒い肌にブロンズ色の瞳。今日も無口なマグナが分厚い盾を肩に、壁の影から一歩前へ出る。
「へへっ、心強いな!」
リタが彼に親指を立て、返事の代わりにマグナが小さく頷いた。
「じゃあ、さっさと行くぜ。護送中、どっかで騒ぎ起こすなよカイル」
「俺より君の方が何かしでかしそうだけど……?」
早速始まる軽口に、ラースが小動物のように笑い、セリーヌはいつもの微笑みでなだめる。
「もう、二人とも仲良しね」
*
王国の郊外にある立派な屋敷。その裏門前に、まだ少女と言って良いくらいの若い令嬢がふんわりした産着に包まれている淡い瑠璃色の卵を大切そうに抱えていた。
「ミリス様、こちらが護送を担当する冒険者パーティです」
一行を裏から手引きした案内役の侍女が深々と頭を下げる。
「はじめまして……ミリス・レナータと申します。この卵を、安全に王都の研究所まで……どうかお願いします」
リタが軽く顎をしゃくる。
「ま、任せとけ。アンタも一緒に来るのか?」
「はい。……この卵、時々鳴くんです。不思議な音で……それが心配で」
カイルが大きな杖を肩にかける。
「盗賊もいる山道を通りますし、十分警戒が必要ですね。卵の変調についても道中調査に協力致しますから……ご安心を」
セリーヌがにこやかにミリスへ微笑む。
「たくさん話しかけたり、歌ってあげれば安心するかもしれないわ。卵にも心はあるのよ」
ラースが恐る恐る卵に指を伸ばした。
「ふわふわの産着…あ、温かい!」
「時々、薄い光も……」
ミリスが卵を守るようにぎゅっと両手を回す。
「運びながら観察しましょう。変化があればすぐに教えてね」
セリーヌが優しく指示を出す。
マグナは馬車の状態や積載、周囲の警備をすでに始めていた。リタがコートの裾をなびかせ号令をかけた。
「んじゃ出発だ!」
*
一日目。
朝日が照らす石畳の街を抜け、緑生い茂る街道を北へ。リタは先頭で剣士の矜持そのままに大股で歩く。
隣のカイルが少し後ろを歩き、白ローブと青銀マントが風にひらめく。
「ラース。前方の警戒頼めるか?」
「まかせて! 犬族の耳はどんな小さな音も逃さないから!」
大きな犬耳がぴこぴこと揺れる。
ミリスは卵を抱き馬車で、セリーヌは彼女の隣でよしよしと産着越しに卵を撫でている。マグナは馬車の脇を付き従い、盾をゆっくり構え直した。
「なぁ、カイル。お前の“風縛”魔法……敵をくるんで飛ばせたりしないのか?」
「リタ、それは前失敗しただろ。敵じゃなくて、君を少し飛ばした事件……」
「ったく、あたしは重いんだ、飛ばそうとすんなよ……」
「リタ姉とカイル兄ケンカ? 仲良し?」
微笑ましいやり取りに、ラースが困ったように左右をきょろきょろと見上げる。
「二人は大の仲良しよ。少し騒がしいけれど」
セリーヌが窓から顔を出しくすりと笑う。
「セリーヌさん、この卵、どう思いますか?」
ミリスがそっと問う。
「神秘的ね……。小さな殻のなかに、目には見えないたくさんの奇跡と、命の希望が詰まっているわ。たったひとつの命が世界に生まれる、その瞬間を包んでいる……この卵は“未来そのもの”といってもいいわね」
ミリスの瞳が潤む。セリーヌはそんなミリスを優しい表情で見つめると、その手をそっと握った。
「……この卵も、私も、大丈夫ですよね?」
「えぇ、あなたも。卵の中の命が、あなたの優しさに応えてきっと強く生まれてくるわ。あなたたちの未来は私達が守る。絶対に大丈夫よ」
マグナも頷くと、低く告げた。
「卵も、依頼主も仲間も……全員守る」
その時、道脇の茂みがふるえ、小さな獣の群れが駆け抜けた。
「何だ!?」
リタが素早く剣を抜き叫ぶ。
「ただのイタチ、か。……でも何かに追われてるな、あの動き」
カイルの湖色の眼が鋭く森を見渡す。
「後方から馬の蹄音が聞こえるよ。盗賊かな? ……数は……五!」
真剣な表情をしたラースが緊張した様子で告げる。
「来たか……!」
リタが前に躍り出る。
*
道の奥から、黒マントの盗賊団が馬に乗って現れる。
「女と子供持ちじゃねぇか。大人しく卵を渡せば……」
「ふざけんな! 通りたきゃ、アンタらが全部叩きのめされてからにしな!」
リタが吼える。
「マグナ、盾!」
マグナは一言も発せず、馬車の前に立ちはだかる。分厚い盾が金属音を鳴らす。
カイルが杖を振る。
「《風縛》!」
盗賊の一人が巻き上げられ身動きできなくなった。
「なんだ、これッ……!」
「やれば出来るじゃん」
「リタは軽いから飛びすぎたみたいだな」
軽口を叩きながらも、二人の目は敵から離れない。
ラースはすばやく木の影を舞い、弓をひゅっと放つ。矢は盗賊の手甲を弾く。
「次は当てるよ!」
弓をかまえたまま犬族の威を見せつける。
セリーヌは聖書を片手に優しい声。
「《ヒール》、《シールド》――」
魔法陣が馬車の周囲に柔らかな光の盾を生み出す。
「くそっ、雇われ冒険者かよ!」
盗賊のリーダーが歯噛みし退却の合図を出した。
木々の間を逃げていく背中をリタが睨みつける。
「ふん、二度と来るな! あたしらに敵うと思うなよ!」
ひとまず安堵の空気が流れる。セリーヌがミリスをやさしく抱き、卵を確認する。
「今の衝撃で異変は………ううん、少し温度が上がっただけ」
「ごめんなさい、私のせいで……」
ミリスが呟く。
「気にすんなって。護送ってのは緊張するもんさ」
「貴方を守るのが俺達のが仕事です。自分を責めないでください」
リタが明るく割って入ると、後ろかカイルも声をかけた。
ラースが卵にちょこんと鼻を近づけ不思議そうに首をかしげる。
「……なんか、さっきより光が強くなった気がするよ? 」
その言葉を聞き、カイルとセリーヌは二人で卵を慎重に調べ始めた。
*
二日目。
翌朝、舗装の剥げた古い石道にさしかかると、馬車の揺れで卵の中がパチ…っと鳴った。
「なにかいる!」
「護れ」
ラースが身を乗り出し、マグナが言葉少なに動き出す。カイルも矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「リタは卵の警備、俺は道沿いを警戒するから、セリーヌはミリスと卵から離れるな!」
今度は霧がかかり始めた。淡い光の粒が卵から漏れだし、道の両側に広がっていく。
「カイル! 何かおかしくないか?」
「霧じゃなくて……これは卵の魔素が漏れ出して幻覚を見せてる!」
カイルが杖を大地にたたき、紋章を描く。
「全員目を閉じて、今だけ!」
皆が目を閉じると、しゅうう、と霧が晴れていく。
幻覚は途切れ、やがて卵から淡いキラキラと音が響いた――
「……泣いているみたいだよ」
「ストレスか、体調の異変……」
ラースがそっとささやくとカイルは眉をしかめる。
セリーヌが優しく魔法を掛け、聖書を手で撫でた。
「安心してね、あなたは守られてるわ」
セリーヌが声を掛けるとようやく卵も落ち着きを取り戻したのか光が鎮まった。
「持ち主の情が卵に影響を与える存在か。では移動中も――」
カイルが難しい顔。
「無事でよかった……」
ミリスがほっと胸を撫で下ろす。
「ミリス。お前と卵、私たちが両方守ってやる。何があってもだ」
リタが突如、ぐっとミリスの肩を抱いた。
ミリスが驚いて見上げると、リタは微かに微笑んだ。