呼ぶ子沢のお話ーひとつめー
何年か前に、東北地方のA県を訪ねることがあった。用向きがあっての一人旅だったが、用件そのものは2日ほどで終わった。
安い民宿に宿泊したのであるが、その宿の主人と食事の際に話をするようになり、だいぶ親しくなった。
私は積極的に話したわけではないのだが、話の端々で怪異譚や民俗学に興味があるということが伝わったようで、
「それなら、T先生に会うのがいいべ」
と言われた。T先生は祖父の代から地元の郷土史を研究しているアマチュア民俗学者だということだった。もともとは小学校の先生をしており、退職後は私塾を開いていたという。今ではそれもリタイアし、研究に打ち込んでいるのだそうだ。
旅行日程はまだ2日ほど残っていたので、私はこの紹介されたT先生に会いに行くことにした。
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「よく来なさった」
私が民宿の主の名を出し、紹介されたことを告げると、齢70を過ぎている様子のT先生は満面の笑みで迎えてくれた。学校の先生をしていただけあって、人と話すのは好きな様子だった。
案内された応接間には、土器や古銭、古道具、古今の書物などが所狭しと並んでいた。一人暮らしであるというT先生がお茶を用意してくれている間、私は部屋を見て回った。書棚には東北の民俗学や西洋の呪術についての本など様々な書物があった。一部にはT先生やT先生の父か祖父が著したと思われる本もある。
『A県の民話集』
『山奥夜咄』
『中世のS村民俗考』
などなど。その中の一冊、T先生の名が記された本に興味を惹かれた。
『【呼ぶ子】伝承考察』
パラパラとめくってみると今から20年くらい前にT先生自身が自費出版した書物のようだ。T先生自身の自筆のサインが表紙の裏に記されているところを見ると、贈呈用として準備したものの余りのようだった。
まえがきを読む。
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A県S村字Oには昔から『呼ぶ子』という伝承がある。これは周辺の村には見られない、この地域独特のものである。私は7〜8歳時に祖父から『呼ぶ子』の話をよく聞き及んでいた。村の婆さんからも同様の話を何度か聞いたことがあるので、この話はS村ではよくよく浸透していたようである。
(中略)
語り手によって多少の違いがあるが、呼ぶ子の伝承は以下の通りである。
昔からS村近くの人が寄り付かないあたりに『呼ぶ子沢』という場所がある。そこは、比較的流れの早いS川の途中であるにもかかわらず、地形の関係で流れが弱く、透明で深い淵となっていた。
言い伝えではS川で溺れて死んだものの魂は、この淵に「溜まる」と言われている。
なので、呼ぶ子沢では、
人魂が飛び交うだとか、
夜中に泳ぐ赤ら顔の子どもがいるだとか、
マタギが森を歩いていると、バシャバシャと水音がするが、沢を見ても何もいないとか、
そういった話がたくさん聞かれる。
中でも恐ろしいのが、呼ぶ子沢で泳いだ子どもは、沢に溜まった魂たちに「引っ張られる」というのだ。泳ぎが上手な子であっても何かに足を引かれ、深みにはまって死んでしまう。
そして、呼ぶ子沢で子どもが死ぬと、その子は「呼ぶ子」になる。
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ここまで読んだところで、T先生がお茶を持って戻ってきた。
私が戻した本を見て、破顔した。
「おう、その本に興味がおありか。なるほど、なるほど」
そいつは、私の祖父の代からの研究でな、と語り始める。
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その本にあるとおり、『呼ぶ子』伝承は、この周辺でもS村にだけ伝わる話でな、通常、こういった民話のたぐいは周辺の村にも同様の話が伝わるのが普通だから、これは民俗学的には極めて珍しいものなんだ。
どこまで読みなさった?ああ、そうか、最初のところだけか。そうそう、子どもが『呼ぶ子』になるとどうなるのか?ということだろう。
そう、『呼ぶ子』は『呼ぶ』子、つまり、呼ぶ子沢で死んだ子は、他の村人を『呼ぶ』ようになるんだ。
呼ぶ子が出ると、村人が何人も行方不明になる。村人総出で探すと、呼ぶ子沢にぷかりぷかりといなくなった村人が死んで浮いているーという。
だから、村人は決して呼ぶ子沢に近づこうとしないし、特に子どもを近づけることはしなかったという。
実際に、呼ぶ子が村人を呼んだという話は多くあるんですか?と、私が問うと、
「実は、私の祖父が小さい頃に一度、私が若い頃に一度、本当に呼ぶ子が出たことがあるんだ。」
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一つ目はこんな話だった。
祖父の小さい頃だから、大正時代か。村で一番泳ぎが達者だったDという子が、仲間3人と連れ立って呼ぶ子沢に釣りに行った。呼ぶ子沢は人が寄り付かなかったから、魚もスれていなくてよく釣れる。呼ぶ子沢に近づくなときつく言われていても、悪ガキ共はそれをよく知っていたのだ。
その日も何匹も何匹も魚が釣れて、皆で喜んでいた。
仲間の一人が濡れた岩に足を滑らして、沢に落ちてしまった。ちょうどそこは深みで、溺れそうになる。Dは急いで飛び込み、落ちた子を岩に押し上げ、自分も岸に戻ろうとした。しかし、不意にざぶんと沈んでしまった。
仲間が何度もDの名を呼ぶが、Dはとうとう顔を出すことがなかった。
悪ガキ共は慌てて大人たちを呼びに行き、皆で探したが、ついにDは浮かび上がることもなく、生死もわからない。Dの母親は呼ぶ子沢でたいそう嘆き悲しんで、村の者も見るに耐えなかった。
その後、村では、Dと一緒に行った仲間たちが次々と井戸に落ちたり、川で足を取られたりと水に関係する事故で死んでいった。
ああ、Dは呼ぶ子になった、呼ぶ子が出た、と村の婆さんは祖父に言ったという。




