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それからまたひと月、モンイチや狸昌がたまに遊びに来てくれて街に遊びに行ったりした。外に出かけることがとても楽しくなり、燈子から九焔を誘って外出することもあった。自分が東園寺の人間であったことも少しずつ薄れていった。
啓蟄、土にこもっていた虫などが暖かな陽気に誘われ外へと出ていく時期。
人々が行き交う中央の街で燈子と九焔はいた。太陽の光が暖かさを纏いだし、草花の香りが芽吹き、土の湿っぽさもまだ残っているぐらいの日。馬車を少し離れたところに置き、陽気な日差しを浴びながら街を散策をしていた。燈子のまがれいとの髪には紅梅色のリボンが揺れる。
「あんパンですよ九焔さま。いま大人気の」
「これが噂の……試しに食べてみようか」
上の部分がこんがりと焼け、パンの中にはあんこが入っていた。二人は立ちながら食した。おいしいですね、と燈子が頬張るなか、九焔は蒼九への土産としてのあんパンも買った。蒼九はとても忙しく働いている。蒼九だけではなく九焔も。狸昌と燈子が始めてあった日以降、忙しい時間が増えていた。
書物屋を見かけると九焔は西洋の医学書を探し、積まれた本を手にとっていた。燈子には書物屋の本は難しく隣の洋傘店で洋傘を見ていた。
「わあ、この洋傘とてもきれい」
カワセミの羽のように鮮やかな翠色の洋傘。広げると透明度の高い池が宙に浮かんでいるようでもあった。
「これはお目が高い、少し前に輸入した洋傘ですよ。貴重な物で人気、あと二本しか在庫がないんですよ」
洋傘店の店主が傘を見ている燈子に言う。
「そうなんですねー、うーん。二本もあるなら九焔さまとお揃いに……」
「お揃いに買う! それは良い! いま買い逃したら、次入荷するまでいつになるのやら」
燈子がうーん、と悩み店主は押し強く商品を勧めた。後ろから聞き覚えのある声がした。
「――店主、この前もその洋傘は二本しかないって言ってなかったかい。いったいどこから生えてきたのさ」
振り返ると、継母のハナの娘である芽々がそこには立っていた。久しぶりの出会いであり、予想もしていない出会いでもあった。
「……芽々さん」と燈子は言った。
ふん、と息を出す「自由になって優雅に買い物ってところかい? あんたも偉くなったものだ」
「わたしは……別に……」
店主は波が引くように店内の奥へと入った。燈子はキョロキョロと目を動かし、妹の方である久茅を探した。姉妹はともに行動することが多く、姉の芽々がいるなら妹の久茅も近くにいるのではないかと考えていた。おどおどした燈子を見て芽々は言う。
「あんたひとりだけかい?」
「いえ……隣の書物屋に九焔さまが……」
そうかい、と芽々は言い何かを考えているような表情をしていた。今までに見たことない表情だった。
「あんたに――」
芽々が何かを言おうとすると、離れた所から大きな声で妹の久茅が走ってきた。
「おーねえーさーまー! 久茅を置いてどこにいなくならないでください! せっかく新しい着物を――」
久茅が燈子に気づく。燈子は目をそらした、この姉妹で最も苦手なのが久茅であったから。危害を加えてくるのはほとんどが久茅で、姉の芽々はどちらかといえば無視することが多かった。
「お姉さまどうして混血といるのですか」
「さあね、歩いてたら偶然いたんだよ」
「あんなのと一緒にいたら、何されるかわかりませんわ。鎖のない犬ほど危険な犬はいません。戻りましょう」
芽々と久茅は燈子に背を向け歩いた。久茅は首をひねり、燈子に言う。
「こんなことしてられるのも、いまのうち。せいぜい楽しみなさい」
不穏なことを言い、姉妹は燈子から離れていった。燈子は息を整える、広々とした街なのに窮屈な檻に入れられていた気分だった。ふう、と息を吐く。
「――あのー、すいません」と男に声を掛けられる。
「あ、はい。どうかしましたか?」
「――ここに行くにはこっちでいいんですかね……」
男から渡された、筆で手短に書かれた地図(大雑把な)を見ながら指を差すが、相手は何だか納得いかない様子だった。
「私は地図が苦手でして、ここから近いのであれば案内してくれるとありがたいのですが……」
「は、はあ……」
九焔に声を掛けようと思ったが、すぐ近くなのでいいかと思い燈子は目的地まで案内した。場所は本当に近くであった、四十秒ほど歩き、路地裏に入りその抜けた先であったから。芽々と久茅に出会ったせいで、彼女たちの事ばかりが頭にあった。
屋根のせいで暗くなっている路地裏に入り、少し進むと後ろにいた男が燈子の両腕を掴んだ。
「――ちょ、やめっ――て! 離して!」
「騒ぐな! お前が燈子だなっ!」
全身に力を入れるが、まったくかなわない。ぞろぞろと路地裏の陰から形相の悪い男たちが四人出てきた。燈子はとりあえず名前を否定しようとした。
「燈子――そんな人知らない! 人違いです!」
「なら、その目はなんだ」
燈子は地面に叩きつけられると、顔を手で抑えられながら茶色と金色に分かれた目を見られた。叫ぼうとするが顔を平手打ちされ、それ以上騒いだら首を絞めるぞ、と脅された。
「どうして……こんなこと……」
「なに少し人質になってもらうだけよ。おとなしくしていれば悪いようにはしねえさ」
涙がこぼしながら目を閉じていた。不注意な自分と、また目のせいでこんな境遇になってしまったことに、悔しくて悔しくて堪らなかった。嫌なことばかり走馬灯のようによみがえった。
だが、その中にひとつの言葉がぼんやりと浮かんだ『良い目をしている――誰にも負けない美しい目だ』。燈子の目を美しいと言ってくれた人物――。
「――き……九焔さまっーーー!」燈子は叫んだ。細い路地裏で声が反響する。
「黙れと言って――」
男が燈子の首を絞めようとした時、近くに立っていた形相の悪い男のひとりの体が燃え上がった。自然発火というには、あまりにも激しく燃えていた。燈子も男たちも唖然としており、薄暗い路地裏では燃ゆる火が壁を赤く染めていた。
「――その子から手を離せ」
路地裏の端から九本の白い尾を出しながら九焔は近づいてきた。勿忘草色の瞳はいつもより険しく、一歩一歩の動作がとても重そうで自らを抑えているような状態だった。
形相の悪い男たちはうろたえながらも声を出して短刀を抜き、恐怖を紛らわせるように叫びながら九焔に矛先を突き立てた。形相の悪い男たちが九焔に近づいた瞬間、彼らの全身が燃え上がり倒れていった。
燈子を抑えていた男は声も出ずに目を見開くことしかできなかった。燈子は思いっきり自分を抑えていた男の顔を叩き、男を退けると九焔の方に向かった。
「すみません九焔さま……わたし勝手に……」
「謝るべきは僕だよ、ひとりにさせて悪かったね」
九焔は燈子を優しく抱いた。受け止めてくれる人がいるのが目の前にいるのが心強かった。
「――傍にいてやれなくてすまなかった、燈子」
「謝らないでください、九焔さまはいまここにいるのですから」
叩かれた男は立ち上がり、ちきしょう、と言いながら逃げ出したが、九焔は軽く手を動かすと男は燃えて倒れた。
「……九焔さまこの人たちは……」
「燃えているが力は抑えている――数ヶ月で治るよ。命までは取らない」九焔は続けて呟き始めた「……燈子も狙い始めたか」
それからすぐに燈子を襲った男たちは警官隊によって取り押さえられその日は終わった。