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柔らかい毛並みを抱き燈子は寝ていた。狐は目を覚ますと燈子の腕から抜けていく、狐の後ろ足が燈子の顔に当たり目を開いた。
障子からは白い光が部屋を通り、部屋の空間を明るく照らし上げた。上半身を上げ周りを見渡す。広々とした部屋はなんだか落ち着かず、ポツンと野原にでも置かれているような気分だった。
狐は障子の方で立ち止まり、燈子を見つめた。燈子は体を起こし、白い息を吐いて障子を開け狐を庭へと出した。雪は降っておらず、明るく寒いながらも日光の暖かさを感じれる程度の気温。いつもであれば掃除でもしているはずが、そんなことはしなくてもいい場所だった。
縁側に腰を下ろし、庭で遊び惚ける狐を見ていた。雪の上で転がったり、飛び跳ねたり――橙色の毛に白い粉でも振ったかのように雪にまみれ自由に遊んでいた(白く雪のかかった狐は餅のようにも見えた)。
「名前は決めたかい?」
いつの間にか九焔が隣に立っていた。夢中になっていた――正確には、ただぼーっとしていた燈子は歩いてくる九焔に気づかなかった。
「いえ、まだ決めていません。自由に遊んでいる姿を見ると、お名前などつけて縛るようなことをしても良いのだろうかと……考えてしまいます」
「――そうか。君はそう考えるか」
燈子にとって、自由はかけがえのないものだった。手にしてみれば、なんとも普通のようにも感じ、同時に自分が他人の自由を縛ってしまうことへの恐れも湧いた。狐一匹であっても。
「だけど、それは共存とは言えない。狐が名をつけられることを嫌がるのであれば、名前はつけない方がいい。もし、相手が求め、自分が下す立場にいるのなら――意志を汲み取ることが大切だと僕は思うけどね。仮に名をつけるならどうする、燈子?」
燈子は雪を纏った狐を見て言う「――モチ。です」
「なら、その名で呼んで気に入るか聞いてみればいい」
「モ、モチ!」
狐は耳をピンと上げて体を振るわせ雪を落とすと、燈子の下に行き膝に座った。モチ、と呼びながら燈子が撫でると甲高い声を上げた。
「気に入ったみたいだね」
「――はい」
燈子は柔らかく微笑みながらモチを撫でた。太陽はぽかぽかと燈子たちを照らした。
時間が経ち、九焔が席を外した数分後――灰色の髪に低い背丈の蒼九が縁側にいる燈子に声を掛けた。
「混血娘、少し手伝いをしてもらいたい」
「はい、何をすれば良いのでしょうか?」
「ちょっとした買い出しの用事になっている。ついてこい」
門のところでは馬車が止まっていて、蒼九とともに外に出掛けることになった。馬車が止まり、降りようとしたが蒼九は「降りなくていい」と言って、ひとりで降りて風呂敷に包まれた荷物を持ってきて、また馬車を進めた。これを何度か繰り返し、燈子もその様子が気になった。
「そのー、蒼九さま。わたしが呼ばれたのは、お手伝いなのではないのですか?」
品の名前が書かれた紙を手にそれを見ていた蒼九は燈子に顔を向けた。
「手伝い――と言ったが、あれは嘘だ。家には九焔さまがいるから、直接聞くのも……と思いこうやって理由をつけた」
「なんでしょうか……?」
「なぜ『人間と妖の契り』をした。あれは不公平な契り、九焔さまが悪ことをすることはなくても、いつかは記憶が消えてしまう。得などなにもない」
燈子は胸に手を当て、外の景色を見た。
「わたしがこうやって外を不自由なく見れるのは九焔さまのおかげです。大きな部屋だって与えてくださいましたし、それだけでも前の家にいる時よりも幸せだとは思います」
「ぼくにはあまりわからないな、そういう立場にいないからかもしれないけど」ため息を漏らす「九焔さまも妖が良すぎますよ」
「蒼九さまは九焔さまのことがお好きなのですね」
「九尾の一族の中でも、とても英明なお方――いつかは、ぼくも九焔さまのように立派な方になりたいと思っている」
ふふっと燈子が笑うと、蒼九は「おかしなこと言ったか、ぼくは?」と口に手を当て、自分を疑っているようだった。
「いえ、そうではなくて。九焔さまは慕われているのですね、と思いまして。それに蒼九さまがこうやってわたしを連れてきてくださったのは、九焔さまだけではなく、わたしのことも考えてですよね」
「なぜそう考える」
「荷物を持つ手伝いすらさせないのは、わたしの手を気遣ってだと思いますし、契りのことも心配してくれてるのですよね。でも、大丈夫です。九焔さまは記憶を失ってもわたしのお傍にいてくれると言ってくれたので」
記憶を失っても傍にいてくれるというのは燈子にとっては大きな支えだった。その感情は表情にも表れ、安らぎの中にいるような表情だった。蒼九は体格に見合わないぐらい大きなため息を吐き出し、燈子を見た。
「――九焔さまはどこを見て惚れたのか。見た目か、こういうところか」
小さく呟いていた。馬車がまた止まり、蒼九は降りると燈子も一緒に降りだした。蒼九は燈子に言った。
「降りなくても――」
「やっぱり何もしないわけにはいきません。蒼九さまの手伝いさせてください」
じいっと燈子を見た後に、蒼九は歩き出した。
「こういうところか。九焔さまの好みはわかりやすい」
「何かいいましたか?」
「九焔さまに頼まれた品を落とされても困る。だが、今後の付き合いになるかもしれない者たちには挨拶のひとつでも覚えた方がいいと言っただけだ、混血娘」
「はい、頑張って覚えますね」
燈子と蒼九はふたりで店や、付き合いのある人や妖のところに行き、九焔の用事を済ませていった。屋敷に戻ってきたときには九焔が少々顔をしかめながら待ち構えていた。怒ってるというより、不満な様子。
「蒼九、燈子を勝手に連れ出したのか。使用人たちから聞いたぞ」
「これにはわけが――」と蒼九。
「まだ、手の傷も治ってない。燈子に何かあったら――」
待ってください、と燈子はふたりのあいだに入った。
「わたしから申し出たのです九焔さま。じっとしてはいられなくて、手伝いがあればと蒼九さまに」
「そ、そうなのか? ……とはいえ、治るまで君は少しはじっとしていること。蒼九も彼女には気を遣ってやって欲しい」
蒼九は「これからは気をつけます、それと品物です」と言い、九焔に頼まれていた品を渡した。受け取った九焔が自分の部屋に持っていってる際に、蒼九は燈子に言った。
「さっきのは感謝する。迷惑掛けてしまって」
「気にしないでください蒼九さま。それにしても、九焔さまどうしてあんな怒っていたのでしょうか?」
「怒っているんじゃない、すねているんだ」
「すねている……ですか?」
「――惚れとは恐ろしい」
ぼそっと蒼九は言った――。