表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

 雪のわだちに沿い、馬車は東園寺とうえんじ家に向かっていた。揺られる馬車に燈子とうこ九焔きゅうえん蒼九そうきゅうの三人が乗っていた。馬車の座席には洋紅ようこう色の革が張られており、ひし形の刺し子によってふっくらとしていた(寒さのせいで表面はひんやり)。


 ガラス窓からは外の景色が見える、何度も踏まれ色が薄茶色に変色している雪のところでは人々が往来していた。呉服商や洋菓子屋、社交場(舞踏会などがおこなわれる)など西洋からの文化も流入しており、人々もまた和洋折衷というところだった。


 東と西を挟む中央の街には第二身分だけではなく第三身分もいた。自由を謳う中央の街は商人、大工、八百屋、第三身分のなかでもこれらの人は上手く溶け込んでいた。だが持たざる者には厳しい視線を向けられ去ってく者も多い(治安維持の巡査は第三身分には容赦はなかった)。


 コトコトと馬車の音が燈子にはひどく大きく聞こえた。乾燥しているせいか、馬車の木が収縮してぶつかり合い音を鳴らす。

 ガラスに映る燈子の顔には不安が浮かび上がる、息のせいで僅かに白く濁ったガラス窓に彼女の金色の左目はよく反射した。慎ましく膝に置かれていた手に九焔はそっとを触れた、燈子は九焔を見るが彼は何も言わなかった。その表情は優しく、ひどく聞こえていた馬車の音も夜の静けさのようにおとなしくなっていった。




「誠に申し訳ございません」と蒼九が言った。



 東園寺家の門前でお父さま、継母のハナ、芽々(めめ)久茅くち、の四人に蒼九は頭を下げた、低い蒼九の背はより低くなっていた。九焔も続けて謝ったが、東園寺の四人はそんなことより燈子の方に目を向けていた。詫びの品を受け取るとお父さまが言う。



「燈子、何故お前が九尾の九焔さんといる――」

「事情がありまして……申し訳ございませんお父さま」と燈子。

「どういう事情だかわかりませんが、燈子さん早く家に戻りなさい。あなたが居ていい場所ではないわ」



 ハナの言葉を聞くと燈子は自然と足が前に出た(長年による、ほぼ無意識な動作であった)。燈子が一歩踏み出し二歩目の足を動かそうとすると、後ろから肩を掴まれ――そして引き寄せられた。



「燈子――いえ、燈子さんは僕が貰い受けますので、帰せませんね」


 九焔の言葉に全員が驚いた。蒼九が何かを言おうと慌てふためくなか、久茅の方が早く言葉を放った。


「九焔さま何をおっしゃるのですか! その子は混血ですよ、何の価値もない」

「混血なのは承知ですよ」


 ハナが言う「こちらの許可なく、東園寺の人間をどうこうするのは度が過ぎるのではありませんか?」

「こんな環境に置くのも度が過ぎるのでは――」

「東園寺の人間を求めるのであれば、芽々や久茅がおります。元々今回の会談では、そちらに芽々か久茅を住まわせ両家の地位を固めるという話なのですから」

「なら、燈子でも構わないはずだと――思いますがね。それに、何の価値もなく両家の地位を固める為ならこれ以上にうってつけの人物はいません」


 ハナの顔がつららのように冷たく尖っていった。お父さまがハナに声を掛ける。


「九焔さんが良いなら、いいんじゃないか? 私としても燈子は――」

「あなたは黙っていてください」


 ハナは九焔の懐にいる燈子に近づき、彼女の腕を掴んだ。


「とはいえ、こんなことを決めるのには時間が必要だと思います。一度九尾の方でも検討を――」

「命令だ――手を振り払え」


 その言葉を聞くと燈子はハナに掴まれた腕を振り払った。燈子自身も自分がやったことに理解が追いつかなかった。


「っな! あんたっ!」ハナは手を振り払われると、燈子の頬に向かい手を出そうとした。



 燈子は目を閉じた。叩くような音が響くが燈子に痛みは走らなかった。静寂のなか眩しい光に目をならすようにゆっくりと目を開けると、九焔が腕を出しハナの手を止めていた。



「ハナさんすみません。僕と燈子で契りを交わしたもので、彼女はいま僕の従者になっているんです。無礼を働いたのは謝りますが……」穏和な顔をしていた九焔だったが、鋭い目つきなり言い放つ「――僕の燈子に勝手に触らないでほしい」



 九焔の強い言葉にハナは手を引っ込め、後ずさりする。九焔とハナの行動に周りは静まり返り冷えた風だけが騒ぐなか、この場を切り裂くように芽々が沈黙を破る。



「よろしいではないですか、お母さま。家の厄介者がいなくなるのですから」

「芽々何を言って――」

「『人間と妖の契り』――前に本で読んだことがあります、契りを交わし従者となった者にとって主人の命令は絶対。本人の意志など関係なく行動を起こしてしまう――そんな者を家に戻せば、何をされるのかわかったものではありません」

 久茅が口を開く「お姉さまでもそれでは――」


 芽々が睨むと久茅は口を閉じた。そして、お母さまに近づくと耳元で小さく言った。


「――いつでも機会はあります」


 ふん、とハナは言うと、九焔に目を向ける「九焔さまがそこまで言うのであれば、寂しいですが燈子さんはそちらに任せます。また会える日を楽しみにしておきますわ」


「――ええ、任せてください」



 九焔は微笑みを見せながら燈子とともに馬車へと乗った。蒼九はペコペコと頭を下げながら乗り、馬車は出発をした。何を考えているのですか、と蒼九が問いただし九焔はたじたじと弁明をしているなか、燈子は東園寺家の壁を見ていた。つらい思い出が多いが、離れるとなると寂しさが僅かながらに心を軋ませた。




燈子とうこ、今日からここが君の部屋だよ」九尾の屋敷で暮らすことになった燈子には部屋が与えられた。三畳の部屋で暮らしていた燈子にとっては、八畳の部屋はとても大きかった。九焔きゅうえん蒼九そうきゅうにこっぴどく説教されていたので日が暮れており、雪が月の明かりで無数の小さな宝石のように輝く暗いなかでの案内だった。九焔の片手にはランプがあり、部屋全体を照らしているなか(奥のふすまに何とか光が届くぐらいの明るさ)燈子は言う。



「こんな大きなお部屋をわたしに……ひとりでですか?」

「ああ、部屋はそんなに大きくはないと思うけど」


 燈子は部屋に入り、畳に手を触れる。畳の目に沿い指をそらしながら移動させ、九焔に顔を向けた。


「わたしひとりでは広すぎます――半分ぐらいでいいですのに」

「――なら、慣れるまで僕もここで一緒に過ごそうか」九焔は燈子に近づく。


 えっ、と燈子は声を漏らす。その漏れた声を聞くと、九焔は笑って部屋の外に足を進めた。


「冗談だよ、この家では気楽にいていい。何か用があれば声を掛けてくれ、どんなことでも顔色なんて伺わずにね」

「――九焔さま……」



 九焔は、にこやかな顔つきで燈子を見た。その……、と燈子が言うと。なんだい、と九焔は聞き返した。



「九焔さまが一緒にいたいなら、わたしは構いませんよ」

 僅か驚いた顔をすると口元を隠した「燈子……それは、どういう意味だが君は――」

 燈子は胸元で両手を合わせ、表情を隠す九焔に向かってこう言った。

「――はい。九焔さまのモフモフの尻尾を触らせてください!」


 燈子の言葉に九焔は固まった。見開いた目はどこか遠くを見ていた。そんなことには気にも留めず目を輝かせながら燈子は続けて語る。


「不躾なお願いですよね……最初に見た時とてもモフモフで触りたいと思っていたのですが、さすがに失敬だと思い口にはできませんでした。ここで暮らす不安も抱えてましたが……ですが、モフモフの尻尾を触りながら寝れると考えたら不安も吹き飛んで安心して寝れます。『どんなことでも顔色なんて伺わなくてもいい』と言って下さったので、本音を漏らしてしまいましたが……やはり、厚かましいお願いでしょうか……」



 まるで目が覚めたかのように九焔は息を吹き返した。悶々とした表情で燈子を見つめると、くるりと背中を向けた。燈子は晴れ渡るような笑顔を見せるが、九焔は口の中で音を鳴らす。

 庭からごそごそとツルウメモドキの枝から、だいだい色の狐が出てきた。狐が歩くと雪の上には足跡が判子のように押され、狐は九焔の側に寄る。彼は頭を撫でながら抱きかかえて燈子の前に持っていった。



「僕は忙しいからね。代わりにこの子を君に預けるよ」

「かわいい狐ですね。お名前は?」

「名前はまだない、好きにつけてくれ。これで寂しくないはずだ、僕は自室に戻り仕事をするよ」



 燈子は狐を抱きながら顔をうずめて息を吸ったり吐いたりしていた。しっとりとした艶のある毛はすべすべとしながらも、モフモフとしており、燈子はうめき声のようなものを出しながら顔を左右に動かしていた。



「……やれやれ」



 九焔はそう言いながら、大きなため息をして自室に戻っていった。




 存分に狐を吸うと、燈子は布団を敷き鏡の前で座っていた。ランプの明かりが部屋を灯すなか、結っていた髪を解いていた。ふと気づく、東園寺の家に亡くなった母の形見である櫛を置いてあるということに。

 明日にでも九焔さまに言っておこうかと、考えていたら障子から声が聞こえた。燈子の名を呼び、入るよ、と聞こえたので反射的に「はい」と答えた。



「ボクのこと忘れてないかい? トウコ」


 白い布の体が障子を開け、ゆらゆらと一反木綿のモンイチが浮かんでいた。


「あっ! いっくん! ごめん……そういえば、忘れてた……。あれ? でもなんでわたしがここに居るってこと知ってるの?」

「トウコが九尾の奴といなくなってから、ずっと隠れていたんだ。小さい九尾の子と東園寺の使用人たちが走り回っていて、不法侵入しているボクが姿を見せたらあらぬ疑いがかかると思ってずっとね――それで、トウコが戻ってきた時に縁の下から飛び出して上空から話を聞いていたんだよ」

「心配かけちゃって本当にごめんね」

「いいよ別に。ここで暮らす方があの家よりずっといい」


 うん、と燈子は静かに言った。いつも心配してくれた、モンイチには感謝しかなかった。何かできないかと考えているとモンイチは言う。


「――それと、これ」


 モンイチは燈子に、うるし塗りされ梅が描かれたべっ甲の櫛を渡した。黒の漆に金箔が張られた美しい櫛であった。


「これって、お母さまの櫛……」

「いつも大切にしていただろ。部屋に戻らず行ったものだからさ、念のために持ってきておいたんだ」


 形見の櫛を胸に当てた。あまりに急な事とはいえ、大切な物を忘れてしまった自分が愚かしく思えた。


「……ありがとう。いつも頼りきりで――わたしって……」

「友達なんだから、当たり前さ」

「――うん、そうだね……よし! いっくん、今度からはわたしに頼って! 前とは違って、何だってできるんだから!」

「その意気だトウコ!」


 二人が笑い合っていると、あくびをした九焔が開いたままの障子から顔を出した。


「燈子そういえば薬を渡すのを忘れていた。それと、なぜ開けっ放しに――」

 薬の容器が九焔の手から滑り落ち、蓋がコロコロと燈子の前に転がった。

「あっ、九焔さま。この一反木綿は――」

「う、浮気……一日目で……」


 九焔は震えていた。怯えというより、唖然としたように。


「ち、違いますよ! いっくんは――」

「い……い、いっくん……僕はまだ『さま』なのに……」



 謎の誤解を解くのになんとも時間が掛かった。燈子は今日一日でこの夜が一番大変だった。三人が誤解を解き合うなか、狐だけが布団に潜りぐっすりと寝ていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ