天井の小さな開拓地
大学入学と共にワンルームマンションへと入居してから2か月。壁と同じく白い壁紙の天井に茶色いシミを見つけたのはベッドへと入って寝ようとしているときだった。
そのシミは1辺が15センチほどと不自然なくらい四角い形をしており、雨漏りかもしれないそのシミを明日の朝に管理会社へと連絡するためにスマホで写真を撮ろうするが不思議なことにそのシミは写真には写らずレンズを通してみる天井は真っ白なままだったのである。
その日は既に夜も遅く夜更かしをしていた俺は眠かったこともあり仕方なく写真を撮るのをあきらめ、そのまま就寝して朝に目が覚めた俺はシミのことなどすっかり忘れて大学へと向かったのであった。
・・・・・
午前で終わったその日の大学の講義。コンビニで弁当を買って帰宅した俺がシミのことを思い出して天井を見上げるとそこには目を疑うような光景が広がっていた。
「なんなんだこれは・・・」
誰が見たとしてもそう言ってしまうであろう天井の光景。
なんと天井にあったシミは1辺が1メートルほどに広がり昨日のシミの位置には小さな緑色の草が生えているうえ、そのシミの上には1階建ての小さな円形の建築物が天井に張り付いて白や緑や水色など色とりどりの何十にも及ぶ小さな存在が天井を動き回っていたのである。
トコトコトコ
ワチャワチャワチャ
天井を動き回る小さな存在たち、それは天井をまるで地上のように歩く3センチほどの二足歩行をする小さな動物たちであった。
・丸太を立てて円形の建築物を次々と建てていく三角耳にフワフワ尻尾の犬のようなやつ
・鍬で茶色くなった天井を畑のように耕す三角耳に細長い尻尾の猫のようなやつ
・規則的に並んだ緑色の草から何かを収穫して台車へと乗せる細長い耳に丸い尻尾のウサギのようなやつ
そこでは様々な色の様々な動物たちがまるで色とりどりの金平糖が転がるようにちょこまかと天井を動き回って小さな文明を営んでいた。
だがその動物たちも昨日のシミと同じように写真に写ることはなく、それどころか天井に張り付く建物も動物たちも触ろうとする俺の手をすり抜け向こうも俺の手など存在しないかのように何も反応を示さず、土のように見える茶色い天井のどこを触っても他の開拓されていない普通の白い天井と肌触りは変わらなかったのである。
こうして不思議な動物たちを上に見つつコンビニの弁当を食べ終わると俺は寝転がって天井の光景を見ながらこの目の前の現象に頭を巡らせた。
たとえこれが幻覚だとして今の俺に幻覚を見る理由に思い当たることなど何一つない。家の問題としてはシックハウス症候群が頭に思い浮かぶがシックハウス症候群はそんな幻覚を見るものではないし家から帰ってきて見えるのだからどちらかといえば外に問題があるだろう。
それから答えも出ないまましばらく色々なことを考えるが、そこへ天井を離れて垂直な壁を天井と同じように地面の如く歩いて床へと向かってきている1匹の白いウサギが目に留まった。
天井ではないこちらの領分への侵入、それに俺は注意深くそいつを観察する。
そいつはまず床へと降り立つと床を歩き回り、しばらくすると床に落ちている米粒へと向かって真っすぐに歩いてきた。
この米粒は先ほど食べたコンビニ弁当の蓋についていた米粒であり蓋を落とした時に床に落ちてあとで拾って捨てようとそのままにしていた米粒なのであるが、小さなウサギはどういうわけか米粒の目の前で足を止めた。
パアッ
身長が3センチほどと小さい相手のためはっきりとは分からなかったが、まるで宝物でも見つけたかのようにウサギの顔に笑顔が晴れ渡ったような気がした。おまけにまるで花が咲くように耳と手を広げて喜びをあらわすと、なんと米粒を持って一直線に開拓地へと帰っていく。
・・・明らかな物理的な干渉、触れることが出来ないそれは幻覚ではなかったのだ。
・・・・・
翌日、講義のないその日はバイトを休んで丸一日動物たちを観察することにした。
床に用意した米粒・・・どころかベッドの下の綿埃さえ拾い集めて昨日と同じように帰っていく動物たち。動画では米粒や綿埃がひとりでに浮かんで動く様子が映し出されており、持っていくのが白いウサギでも水色の犬でも黄色い猫でもそれは変わらず最終的に天井の建物や木箱へとしまうと動画からもそれらは消えてしまう。
そのうえ今回の観察では興味深い発見もあった。それは動物たちが米粒や綿埃だけでなく生物にも干渉するということだ。
壁に張り付く1匹のゴキブリ。そいつを開拓地の動物たちは鍬や木の棒などを持って取り囲んで一斉に飛び掛かるとタコ殴りにし、しばらくして壁から剥がれるように床へと落ちてきたゴキブリを俺は小さな袋へと入れてゴミ袋へと捨てた。
人間とはお互いに干渉はしないがゴキブリには干渉する。人や米粒との違いは分からないが益虫とされる蜘蛛よりも見た目が良く、部屋にある綿埃の掃除もしてくれるまったく害もない小さな動物たち。俺はこの小さな存在たちをこの部屋に受け入れることを静かに決めたのだった。
・・・・・
数日後、小さな動物たちを受け入れた部屋に新たなスペースを作った。
部屋の隅にあるカラーボックスの天板の上30センチ四方、今そこにはミニチュアのベンチやテーブルのほかブランコなどが置かれており、そこへ動物たちはピクニック来たりブランコで遊んだりと小さな公園のような光景を見せてくれている。
ここは俺が作り上げた小さな箱庭公園であり、このように遊びに来てくれるとはここを用意した甲斐もあるというものだ。
だが動物たちはミニチュアの縮尺よりも小さかった。ベンチに座ってテーブルを使うことはなくベンチの上に座ってベンチの上に荷物を広げたり、テーブルの上に座って何人かで弁当を囲んだりと思った通りには中々いかないものである。
しかしその一方でブランコの方は思った以上に人気の遊具となっていた。天井にも本来の重力に反した木製のブランコが作られるほどとなっており、俺の用意したブランコも2人詰めて乗ったりといつも誰かが遊んでいる。
正直このまま彼らが遊んでいるブランコを持ち上げたりしたらどうなるのかと興味もあるが、それをするのは虐めて遊んでいるようであり可哀そうなのでそんなことはしない。
すでにこの動物たちの存在は俺にとって一種のペットのようなものとなっているのだ。
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小さな動物たちが現れてからしばらくの時が経ち大学も夏季休業期間となったころ、ただの白い天井だった場所は一つの町として順調に発展していた。
天井は今や人口500人は余裕に超えているであろう町となっており、最初に建てられた円形の木造建築物だけでなく石造りの建物が建ち並び現在ではレンガ造りの時計台も建っているほどである。
さらにここからどんな町になっていくのか楽しみであるが、突然天井に現れた存在の消失は初めての出会いと同じように突然であった・・・。
この部屋の天井に元々備え付けられている電灯と煙探知機、ある日1人の動物が演壇がわりに煙探知機の上へと登って周囲に集まる動物たちへ向かって何かを話しているのを目撃した。
それが何だったのかはその時は分からなかったが、それからしばらくして動物たちの音楽隊が町を練り歩き、道ですれ違った動物たちがそのあとに続いて長い行列となっていく様子にこの天井の開拓に一段落ついたのだということが俺にも分かった。
これは一種のお祭りであり俺は何か特別なことをしてくれるのではないかと期待を抱き、立ち上がって天井の様子を興味深く俺は見守る。
そして天井の様子を眺めるうちに動物たちは一人残らず行列へと加わり彼らは天井の中心に円を描くようにして全ての住民が集まった。
ワーイ
本来動物たちの声など聴くことは出来ないが、みんなで手をつないで輪になった動物たちが手を掲げた瞬間、何となく動物たちみんなでそう言ったような気がした。
だが、彼らが手を掲げて3秒後。
「ん?」
輪になった動物たちの足元が明るく光り出し、光り出した輪の内側に光の線が広がっていった。
それはまさしく魔法陣であり、彼らの魔法陣の中央で光る電灯などよりもさらに明るく発光した魔法陣の光は瞬く間に天井全体へと広がったのである。
そして光が消えると天井は何もない白い天井へと戻っていた。
今まで見えていた町は一瞬で消え、次の日も、そのまた次の日も天井はただの天井のままだった。
・・・1か月後、天井に新しい開拓地が出来た。しかし動物たちはいない。いま天井にあるのは動物たちを忘れられない俺が作り上げた寂しいただのジオラマだ。
果たして消えてしまった動物たちはいったいどこへ行ってしまったのか。
どこかここより大きな天井へ町ごと転移してさらなる大規模な開拓をしているのか、それともどこかの天井で最初からまた開拓をしているのか、再び出会うことが出来るのか気になることばかりである。