奪われた過去
カーテンの隙間から漏れた日差しがエルドの目に注がれる。眩しさで目を覚まして、ただ天井を見つめていた。今日はやけに高揚感に包まれているのか、心の中がぼぅーと熱くなる。
「エルド、起きなさい!もう時間ないわよ!」
部屋の戸をドンドンと激しく叩く音が聞こえる。姉であるマリアージュの声だ。
「今、ちょうど起きたところだよ。」
エルドは両足を上げ、ベッドから飛び起きて部屋の戸を開けた。煮え繰り返りそうな怒りの込められたあなたの顔がこちらをのぞいていた。
「嘘おっしゃい。あんた、やっぱり寝坊すると思った。ずっとノックしてたのに呑気に寝てたのね。」
「まだ寝坊してないよ。ほら、あと20分もある。」
エルドは部屋の掛け時計を指差した。現在時刻は午前7時40分。集合時間は8時だ。
「20分”しか”でしょ!ここから王宮まで、バスでも15分はかかる。待ち時間も含めたら間に合わないよ。王宮の騎士様たちに叩き斬られても知らないわよ?」
「そんな風に騎士様をこけ脅しに使うと、騎士様達に叩き斬られちゃうぞ。」
するとマリアージュは鬼の形相で、拳をちらつかせながら言った。
「うるさい!さっさと着替えて早く行きなさい!リュックの中にパンと水筒は詰めといたから」
「わ、わかったって…」
エルドリュックを取りに、下の階へと向かった。階段をどてどてと降りていく。しかし…。
「うわっ!」
足を滑らせて階段から転げ落ちそうになった瞬間だった。意識が一瞬、ふらりと消えたかと思うと、エルドは階段の最上段に戻っていた。
「全く、あんたは危なっかしいんだから。」
マリアージュが精霊の能力を使い、時を巻き戻したようだった。エルドは安堵したように息を吐き、マリアージュに感謝した。
「…姉さん、ありがとう!」
「ん、さっさといってらっしゃい」
マリアージュは顔に微笑みを浮かべて呟いた。エルドはリュックを背負って、玄関から飛び出した。目の前に広がるのは生まれた頃からずっと見てきたブルスカトラ王国。エルドはバス停の元へと走って行った。
いつもなら学友が何人もここに立ち並んでいるのに、誰もいない。皆、よりにもよってこんな日に遅刻するわけにはいかないと気張って朝早く起きたのだろう。
「おっと、ナイスタイミング!」
運良くすぐに王宮行きのバスが来てくれたようだ。早速乗り込んで、空いたバス構内の端の席に座る。何を考えるわけでもなく、エルドは窓の外を見つめた。
窓の外に写る景色はいつもの光景だった。人と精霊とが、ただ生活している日常風景。
精霊の力はあらゆる面で人に発展をもたらした。精霊の力なくして、ブルスカトラ王国はここまで発展しなかっただろう。
「精霊」というのはこの世界で15歳になった人間全てが手に入る存在だ。その姿はヒトに似ていたり、ショクブツに似ていたり、あるいは形容する概念が存在しないモノかもしれない。
精霊はそれぞれ一つ特殊能力を持つ。食べ物を生み出したり、モノを修理したり、このバスの動力も精霊の力で賄われている。精霊がもたらした発展は計り知れないのだ。
「次は終点。スタレリック王宮前です」
バスのアナウンスが鳴り響く。エルドは慌てて下車した。汗ばむ腕の時計に目をやる。時刻はすでに午前7時57分を指していた。
まずい、あと3分しかない!僕はバス停から王宮を見上げた。王宮の前には150段もの大階段があるのだ。エルドは一息ついたあと、階段を思いっきり駆け上がった。がむしゃらにとにかく突っ走った。
「ぜぇ、はぁ…。」
登り切った先、王宮広場にはたくさんの騎士様と学友達が居た。
「エルド、あなたが最後の生徒です。どうやら間に合ったようですね。」
「ガードナー先生…なんとか…間に合いました。」
エルドは肩で息をしながら言った。だが、先生が困ったような顔をする。
「あなたが間に合ったのはいいのですが…、どうやらあなたのペアとなる騎士殿が病気で来られないらしく…どうすべきか思案しているところなのですが…」
「ええ…!?」
エルドが驚きを露わにした。そんなことって…。
「私が請け負いましょうか?」
先生とエルドは野太く、力強い声の方に目をやった。エルドは驚きのあまり目を見開いた。その声の主は筋骨隆々とした一端の騎士団長、ベルギルトだったからだ。
「ベ…ベルギルト騎士団長、よろしいのですか?」
「ええ、ガードナー先生。任せてください」
「でも騎士団長、あなたは王女アメリア様のペアではないのですか?」
「問題ありません。私にとって、王女様だろうが何だろうが1人や2人も変わりませんよ」
と言うと、騎士団長はハッハッハと豪快な笑い声を上げた。
(ベルギルト騎士団長と言えば、我が国が誇る、若いながらもあっという間に騎士団長に登り詰めた栄光の騎士じゃないか!)
「よろしいのですか、ベルギルト団長?」
僕は興奮気味に聞いた。
「もちろんだ。さあ、こちらにおいで」
彼に言われるがままにエルドは後ろに続いていく。ついた先には王女アメリア様が居た。相変わらず、無表情だったがベルギルトが連れてきたエルドを見た一瞬、きょとんとした顔をしていた。
彼女もエルドの通うクライスタ学園の在校生で、エルドとは同級生だ。校内試験でも常に好成績を収め、いつも周りには人が絶えない。
(流石我が国のお嬢様。勉学にも励み、風格もあって…それでいて——。)
「よ、よろしくお願いしますアメリア様」
エルドが畏れながらよそよそしい言葉を口にした。アメリアはエルドの顔を見つめた後、綺麗な金髪を揺らしながら
「ええ、よろしく」
と素っ気ない返事だけを返した。ただ、目だけはこちらをしっかり覗き込んでいて、エルドは思わず目を逸らした。
(やけに素っ気ないんだよな…王女様。それでいて恐ろしい。)
ベルギルトはその様子に苦笑いしたが、咳払いをした後すぐに真剣な面持ちに変わって叫んだ。
「では、これより王国壁の異変調査を開始する。私の後に、皆続いてくるのだ!」
ベルギルトは馬に飛び乗り、進行を始めた。旅の目的地はここから東にある最も近い王国壁だ。プペン峡谷を通り抜けたヘルヘノン湿地帯が最終地点で、そこに王国壁がそびえ立っている。ベルギルトの合図で、旅が始まった。
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王国壁とは何か?すなわちエルド達の住まうブルスカトラ王国の外縁を取り囲む、とても高い純黒の巨大壁のことだ。その歴史は古く、少なくとも500年以上はその存在が確認されている。
その壁を超えることができた事は、ここ500年の間で例なく、ブルスカトラ王国の外の世界には何が広がっているのか、この国の住民は誰も知る由がないのだ。
そして、その壁の異変の有無を調べるのが王国壁の巡回というわけだ。100年以上前は騎士団が王国の端を渡り歩き異変調査に励んでいたのだが、今ではクライスタ学園の生徒達の観光名所になっていたのだった。
この国は500年以上前の記録がどの媒体にも残されていないため、この壁がいつ現れたのかは定かではない。また、この壁がどんな影響をもたらすのかも明らかにはされていない。
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鬱蒼とした森抜けると、やがて緑いっぱいの平原が時刻は午後1時ごろを指していた。日差しの少なかった森の中とはいえど、かなり歩いているせいか、歩く速度を格段に落とす汗まみれの若者達が多くいた。夕日がすでに傾き始めていた。
「もうすぐ夜が来る。今日はここいらで焚き木を炊くとしよう。」
とベルギルトが馬から降りて言った。そして、また出発の合図の時のように声を張り上げた。
「皆、ここで一度休憩するぞ。今日は長旅だった、ゆっくり体を休めるといい。」
各々が小さな薪に火を灯したり、支給される食料を受け取るため、長蛇の列を作った。
ベルギルトは薪を焚べ、その周りにアメリアとエルドも座り込んだ。
「アメリア様、本当に馬に乗らなくてよかったのですか?あなた様はお体が強くない…王が心配していらっしゃいましたよ。」
ベルギルト様が不思議そうに聞いた。アメリア様はそれに対して眉をひそめながら
「大丈夫、私は元気だから。それに、馬に乗ることは怠惰の表れよ。」
と突き放すように答えた。ベルギルトはばつが悪そうにしながらさらに言った。
「手厳しいですね…。エルドは大丈夫だったか?」
「ええ、問題ありません!とても元気です!」
エルドの返答に、ベルギルトは手をぱんぱんと叩きながら嬉しそうに言った。
「ハッハッハ、そりゃよかった。根性がありそうでよかった。」
「私、もう寝る」
とアメリアが突然エルド達に背中を向け、手際よくテントを組み立ててさっさと寝てしまった。
「アメリア様、かなり疲れが出てたんですかね?」
「いや、実は昨晩お父上と喧嘩なさったのだ。その事で内心モヤモヤしているのだろう」
とエルド達は小さな声で話していた。その時、アメリアのいるテント内部からテントを蹴り上げる音が聞こえた。
「聞こえています」
とアメリアの若干怒りの混ざった声がテントの中から聞こえた。エルドとベルギルトの肝は冷え上がって、背筋をビクビクとさせた。
「あっ、アメリア様…すみません」
とベルギルトは言ったが、アメリアからもうアクションはなかった。ベルギルトは大きな手で口元に囲いをつくり、小さな声で
「俺の首が飛ぶかもしれない」
と笑いながら言った。エルドはベルギルトのイメージ像との良い意味での乖離に笑いを浮かべた。
(ベルギルト騎士団長ってこんなにおちゃらけた性格だったのか…。本当に首が飛ばないかは心配だよ…。)
「エルド。お前は、将来の夢とかないのか?」
「夢?」
「そうだよ、男といえばやっぱり夢だろ!」
(その理屈はよくわからないが)
「僕は精霊学者になろうと思っています。精霊がどうして人間の魂に宿るのか、精霊はどうして特別な力を持つのか。」
「その秘密を解き明かしたいんです。そのためにも、外界に出て、様々なことを知りたいんです。」
ベルギルトは腕を組みながら、うんうんと頷いた。
「素晴らしい夢だな。俺も学生時代は精霊学者になりたかったが、頭の方はてんでダメ。そんな時に王宮騎士団の推薦が舞い込み、俺は騎士になることを決めた。」
ため息混じりで、しかし嬉しそうな顔つきでそう言うと、ベルギルトは辺りを見渡しながら続けた。
「もう大半の者は寝てしまっている。俺たちも明日に備えて眠るとしよう。」
「そうですね、おやすみなさい。」
エルドの返答にベルギルトは頷いて、個別のテントへと入っていった。エルドもテントの中に入り、テントから微かに透けて見える夜空の星を数えながら眠った。
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ブオーンという角笛の音が一帯に広がる。起床の時間のようだ。エルドは全身の筋を伸ばして、ふぅっと息をついた。テントから顔を出してみると、もう既に皆出発の支度を始めている。ベルギルトがエルドの顔をまじまじと見つめながら言った。
「おはよう、エルド。さあ、もう出発の時間だぞ。着替えはしたか?荷物はもったか?朝飯はもう食べたか?」
「ベルギルト騎士団長、おはようございます。何一つ済んでいません。」
「よぉし、わかった。まずは早く着替えなさい!」
エルドは急いで支度を済ませててきぱきと動き始めた。再び騎士団は行進を始めた。プペン峡谷に入り込んだころにはもう昼だった。
その間も、アメリアは昨日の夜のことを少し恨んでいるようでベルギルトをじろじろと見ていた。その視線に勘づいたベルギルトもまた、気まずそうにゆらゆら馬を揺らしていた。
エルドもその2人に挟まれながら落ち着かないで、足を進めていた。夕日が沈んできた頃には、峡谷が開けてきて、目の前の雄大な景色が広がった。
夕日の光がヘルヘノン湿地帯の水面に反射して、辺り一体が輝いていた。王国壁はその美しい色彩の風景とは対照的に、殺風景に存在していた。
「やはり、この湿地帯は美しい。久しぶりに自然ののどかさを体感できた!」
とベルギルトは気持ちよさそうに大きく腕をあげてみせた。エルドも真似をすると、気持ちの良い風が体にふきつけて、ふぅーと息をついた。
また進軍が始まる。騎士達の乗った馬と学生達のたくさんの雑踏、楽しい談笑を繰り返し、笑顔は絶えない。王国壁はもうすぐそこだ。
「さて、到着だ!お前達、よくぞここまで歩みを止めなかったな!」
とベルギルトが声を張り上げた。その声に呼応するように後続の騎士や生徒達が続けて雄叫びを上げた。列全体が歓喜に満ち溢れていたその時だった。
王国壁から、ゴゴゴゴゴと大きな音が鳴り始めた。その不穏で、不吉な未来を知らせるような音は皆の視線を集めた。沈黙が広がる。
「一体何が起こっているの?こんな現象は初めてのはず…。」
とアメリアが小さくつぶやく。どこかで悲鳴があがった。その理由は明白だ。王国壁が崩れ始めていたのだ。
壁はエルド達がいた付近を軸にどんどんと亀裂が広がっていく。学生だけでなく、騎士ですらも怯えた顔をしていた。ベルギルトは固唾を飲み、状況を見守っていた。
すると、壊れた壁の向こうから何やらたくさんの人影が見えた。まるで騎士団のように鎧を纏い、隊形を崩すことなく闊歩してくるのだ。
その人影を先導する先頭の馬に乗った騎士が剣を構えてこちらに近づいてきているのがわかった。全身が金の兜鎧で覆われており、明らかに只者だとは思わせない雰囲気を感じさせた。
「ん?なんだあれは?騎士団…?」
ベルギルトは目を細めながら言った。しかし、たくさんの人影が抱える大きな旗を見た時、彼は心臓を思い切り圧迫されたような迫力の声で言い放った。
「お前達、今すぐ逃げろ!」
その鶴の一声に皆、一目散に逃げ始めたのだった。だが、後ろからその人影達がかなりのスピードで近づいてくるのが見えた。
皆すぐに追いつかれ、捕縛されていたようだった。エルドは状況が飲み込めず、あまりの恐怖に足がすくみそうになった。
その時だった、アメリアが石に足をつまづかせて転んでしまった。アメリアはきゃあと声をあげて前方にずでんと倒れた。
その隙をつくかのように先陣を切っていた金の鎧の騎士がアメリアに斬りかかろうとしたのだ。
「…っ!アメリア様!」
俺はとっさに剣を出し、彼女を庇った。ギン!と剣と剣が激しくぶつかり合い、擦れ合う音が鳴り響いた。
金の鎧の騎士が馬を引いて、エルド達を表情を隠したまま見つめた。
「君、邪魔するな。私の使命は運命の子をエルガンディア帝国へと連れて帰ること…。君のような雑兵に用はない。」
「何を言ってるのか全然わからないけど、王女様には手を出させない!」
「あぁ、できるものなら…」
「やってみるが良い!」
と叫ぶと、金の鎧の騎士はエルド達に斬りかかってきた。剣先を捻らせ、エルドの脇腹あたりを狙って斬りつけてきた。エルドは後退りしつつ剣でその一撃を受け止めた。鈍重な痛みが両手に押し付けられた。
金の鎧の騎士は可能な限りエルドの顔に兜を近づけて言った。
「私はエルゲーチス。偉大なる王の命令でここへ来た。」
「一体…何が目的なんだっ!」
エルドは荒い息をしながら、エルゲーチスを睨みつけた。兜で表情は見えないが、おそらくこの男は笑みを浮かべているのだろう。
「エルド、ありがとう。私も助太刀するわ。」
アメリアが杖を地面に立てて、どろんこのスカートのまま立ち上がった。ふぅと汗を拭う仕草を見せる。だが、エルゲーチスは間髪入れずに剣を振るった。
アメリアは杖でその攻撃をガードしようとするも押し切られてしまい、バランスを崩した。だがその瞬間だった。
辺り一体がまばゆい光で包まれた。何が起こったか分からなかったが、すぐにアメリアの精霊の力だとエルドは理解した。
(アメリア様の精霊の力かっ!俺も助太刀しないと!)
(来い!レド!)
エルドが心の中でそう叫ぶと、彼の精霊レドが姿を現した。赤みを帯びた小さなドラゴンの姿の精霊だ。レドは火を吹き始め、辺り一体に炎が立ち込めた。
さらに、それが自慢の枯葉にも引火し、煙を巻き起こすことで視界を遮った。
レドは役目を終えた後、エルドの魂にすっぽりと戻った。視界はさらに悪くなり、その隙にエルドはアメリアの手を取って逃げるように促した。アメリアも頷いて、逃げようとしたが
「見えてるよ諸君。私の目は冴えているのでね。そう、まるで大空の覇者である鷹のように。」
後ろを振り返ると、そこには巨大な鷹の姿があった。雄大な羽を広げながら巻き起こす風にエルド達はバランスを崩した。
「君たちだけが精霊の力を持っているわけではない。私の目は全てを見通す。」
エルゲーチスはどうやら変身の能力を持つ精霊の力を有しているようだった。鷹の爪が空から降りかかった。まずい!と思った瞬間だった。ガキン!と何かがぶつかり合う音がした。
「ぐうう…」
見ると、ベルギルトが爪を必死に大剣で防いでいるのがわかった。
「ん?貴様…」
とエルゲーチスが言っている間に、ベルギルトはその怪力で爪を弾き返すと、乗っていた馬にエルドとアメリア様を引き上げて走り出した。
逃すまいとエルゲーチスが追随をかけてきたが、ベルギルトの愛馬はあっという間に森林の中に入り込み、姿を消した。
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長い間走り続けた。もう追手は見えないというのに、エルドの心臓の鼓動が止まることを知らない。命の危険をあそこまで感じたのは生まれて初めてだった。
アメリアの顔を伺うと怯えたような顔、不安を纏った顔をしていた。エルドもはぁっと息をついた。
「もう少しで目的地に着く。」
「今、どこへ向かっているんですか?」
「…。王国の隠し通路だ。かつて戦争が会った時の避難経路として作られたものだ。」
ベルギルトはそれだけ言うと、黙り込んでしまった。あれだけいた味方を助けることができなかったのだ。それから到着するまで、誰かが口を開くことはなかった。
到着したのは、鬱蒼とした森の中に立つ、大きな木だった。ベルギルトはその横の土を払うと、そこにあった大きな石の蓋を1人で持ち上げた。地下には通路が繋がっていた。
「二人とも。早くここへ。」
言われるがままにエルド達は地下通路に入り込む。地下通路の先は薄暗く、出口など見えない。
「ベルギルト、あなたは私たちと一緒に逃げることはしないの?」
アメリアが心配そうな顔でベルギルトを見つめる。ベルギルトは真剣な顔つきでアメリカに向き合った。
「私は一刻も早く城下町へ戻り、現状を伝えねばなりません。城下町の国民や我が王の命のためにも…。」
「そう…」
アメリアは落ち込んだ声で言った。
「この通路は、北のアレット村まで続いています。そこの住民に避難警告を出してください。」
「それと、アメリア様はご存知でしょうが、アレット村には私の妹ソフィアが住んでいます。彼女を頼ってください。」
「ソフィア…なんとも懐かしい名前ね。」
アメリアは彼女の名前の懐かしさと現在の惨状を同時に噛み締めたように複雑な顔をしながら呟いた。
「わかりました…」
エルドは静かに答えた。ベルギルトは落ち込んだエルド達を励ますようにニカッ、と笑ってみせた。
「1人でも多くの命を救ってみせる。だから…そろそろ時間だ。」
ベルギルト様は筋肉によって形作られた大きな背中をエルド達に見せながら言った。
「またね、ベルギルト」
アメリアの言葉にベルギルトは、頭を掻きながら少し悲しさが混じった笑ったような言葉を口にした。
「”またね”。そう来ましたか。ええ、もちろんですよ。約束します。他ならぬ、王女様の頼み事ですから。敗れば王になんと言われることやら…。」
「さようなら、ベルギルト騎士団長。どうかご武運を。」
エルドも一言つぶやいた。ベルギルトは静かに頷き、さっさと馬に乗って、走り出した。エルド達はその姿を見送ったあと、地下通路の暗闇の先を見つめる。
「アメリア様、行きましょう。」
「ええ、でもその前に。様呼び、やめてくれない?むず痒くて仕方がないの。」
「え?」
エルドは驚きのあまり目を見開いた。アメリアは顔を背けたまま愚痴を呟いた。
「だから、やめて。丁寧な話し方もやめて。」
「わ、わかりました…。」
すると、アメリア様はエルドの方を一層強く睨みながら地団駄を踏んだ。
「だーかーら!…そういうところよ。」
「わ、わかった。」
エルドがそういうなり、彼女はひそめていた眉を緩めた後、口元に笑いを浮かべた。
(彼女は強い。いや、強いように見えるだけかもしれない。普段皆に見せる冷徹な仮面の中に、少しだけ彼女なりの優しさが垣間見えたんだ。)
アメリアは笑みを消し、先の見えない地下通路を見据え、大きく一歩を踏み出した。
「さぁ、行きましょう。1人でも多くの命を助けなければ。」
「あぁ、もちろん。」
エルドとアメリア、二人の勇敢な若者が、祖国に訪れた絶望に立ち向かう物語が今、始まる。