第90話 視察
俺が理想としている村の形は、結局のところ当時の連城村の再現なわけだが、でもそれをラビュたちに認めてもらうハードルは極めて高そうだ。
村人になってもらう以上、彼女たちの意見は無視できないし……。
どんな村にするべきか、俺があらためて頭を悩ませていると。
「うー、お腹すいたぁー。おにいちゃーん」
遊び疲れたのか、うめき声と共にプールからあがってきたみなもは、自身のお腹をぺちぺち叩きながらこちらに近寄ってくる。
その呑気さに思わず苦笑していると、そんな彼女のだらけきった表情が突然ハッと引き締まった。
どうやらその視線は俺たちのさらに奥に向けられているようだが……。
「――楽しんでるみたいね」
タイミングを見計らったかのように背後から掛けられた、聞き覚えのある涼やかな声。
誰なのか察しがついた俺は、椅子に座ったまま思わず肩を落とす。
そしてやはり声だけでそれが誰か分かったのだろう、ラビュは異常なほどの勢いで後ろを振り向いていた。
「お、おねえちゃん!? な、なんでここにいるの!?」
やっぱりシュアルさんか……。
どうも俺の平穏な時間はここで終わりのようだ。
管理局に所属することになったとはいえ、彼女はいまだ要警戒の相手。
どんな行動に出るか分からない以上、油断するわけにはいかないのだ。
表情を取り繕う気にもなれず、ため息まじりに振り返る。
すると嬉しそうな表情でラビュを見つめる水着姿のシュアルさん、その背後に予想外の顔があった。
チャイナ服を連想させるような華美な水着姿の美女――ヒャプルさんが、やけにうんざりしたような表情で立っていたのだ。
なんだこの見慣れない組み合わせ?
仕事中という感じでは無いが、かといって仲良く遊んでいるという雰囲気でもない。
ふたりとも水着姿だから、プライベートだとは思うけど……。
「なんでって、私もこの施設には個人的に出資してるもの。視察するくらい当然じゃない」
あっさり答えるシュアルさんだが……オープン前の場所にまで我が物顔で入り込めるなんて、一体いくら出資したんだ。
はっきり言ってモデル代や管理局の給料だけで、どうにかなる金額とは思えない。
……まさか実際に出資したのは革命軍だとか言わないよな?
「まして今日の特別ゲストであるあなた達とは知り合いだしね。それにしても――」
シュアルさんはゆっくりとこちらを向くと、あからさまに怪しむ俺の視線など意に介した様子もなく、嬉しそうに微笑む。
「コータローくんったら、女の子に囲まれてうらやましいわ。私も混ぜてもらおうかしら」
「え? ……あ、はいそうですね」
「どうしたのかしら? 妙に目が泳いでるじゃない」
「…………」
シュアルさんに催眠を掛けられないよう咄嗟に視線をそらしたわけだが、それを素直に伝えるのはちょっと躊躇われた。
話がどんな方向に飛んでいくか分からないし、ここは無難な返答を返しておこう。
「……みなもの腹太鼓に耳を澄ましていました。そういえばもうすぐお昼だなと」
いきなり話を振られたみなもは、いたずらを咎められたようにギョッと身をすくめた。
「ち、ちが……!? なんかお腹が空いてきたから、適当にぽんぽんお腹を叩いてただけじゃん! これ腹太鼓とはぜんぜん違うし! 変なこと言わないでよ!」
「べつに変なことじゃないだろ。お前が腹をたたき出すと、そろそろお昼だなと思うように、俺は訓練されている」
「……仲がいいのね?」
「そーだよ! コータローは水着姿のお姉ちゃんより、ラビュたちに夢中なんだから! あっちいってて!」
「はいはい。分かったから、押さないでちょうだい。また、会いましょうね、光太郎君」
「あ、はい」
「はいじゃないでしょ、コータロー!」
「いや、はい以外の返事があるかよ……」
どうせ向こうだって社交辞令で言ってるだけなのに、ラビュは厳しいな。
そしてやはりシュアルさんとヒャプルさんは行動を共にしているらしい。
絶妙な距離を維持したまま連れ立って歩くふたりの背中を眺めていると、視界の端でふくれっ面になったラビュの表情が緩むのが分かった。
「でも今のコータローは頑張ってたと思うよ。水着姿のお姉ちゃんを軽くあしらうなんて、並大抵の精神力じゃないよね」
「そうか? ……まあ、そうかもな」
たしかにかなり露出度の高い水着だったし、一般的にはかなりセクシーな扱いを受けただろうとは思う。
もっともだからこそ、俺にしてみれば特に興味を惹かれなかったわけだが。
そんなことラビュだって知っているだろうに、よほど気が動転しているらしい。
「ところでおにいちゃん」
「ん?」
珍しく沈んだ声を出すみなもは、やけに真面目な表情でこちらを見ている。
「なんだよ、怖い顔して」
「あのね、今度シュアルさんに会ってもさっきみたいに余計なこと言っちゃだめだよ。あたり構わずお腹をポンポン叩き出す娘、通称腹太娘っていう記憶のされ方はいやだから」
「腹太娘っておまえ……」
オシャレなシュアルさんがそんなバカみたいなあだ名をつけるとも思えないが……そんなことを気にするなんて、もしかするとみなものやつ彼女のファンだったりするのか?
あまり良い趣味とは言えないが、シュアルさんも見た目だけなら一流モデルだし、同性として憧れるのも無理はないのかもな。
「しかしあれだ。悪名は無名に勝るとも聞くが」
適当に答えると、みなもはハッとしていた。
「……腹太娘として記憶してもらうことで、今後シュアルお姉さまと仲良しになれるかも?」
「なりたいのなら止めんが」
「――まったく。そこは兄としてきちんと止めるべきでしょう」
背後からスッと差し込まれた、呆れた様子の声。
振り向くと、立ち去ったはずのヒャプルさんが目の前にいた。
そして周囲にシュアルさんの姿はない。
「シュアルさんと一緒じゃなくていいんですか?」
尋ねると、彼女はうんざりした表情で胸元から扇子を取り出し、パッと開いてみせた。
……独特な収納方法だ。
でも水着だとポケットなんてないから、理にかなってる……かな?
「彼女はトイレに行くそうですわ。さすがにそこまで同行する気はありません。そもそもコンビを組まされたとはいえ、常時行動を共にすることまでは求められておりませんしね」
「コンビ?」
尋ねると、ますますその表情が曇る。
「ええ。彼女も特別対策室の一員になったんです。教育係を仰せつかってしまいました」
「へえ……」
意外なようなそうでもないような。
考えてみればシュアルさんが管理局に加わったときには、大々的に記者会見までやってたもんな。
そんな彼女がエリート部隊である特別対策室に配属になるのは、むしろ当然かもしれない。
そして催眠能力のことを考えれば、ヒャプルさんに対応を任せるのも妥当だろう。
まああからさまに貧乏くじを引いた形だし、同情はするけど。
「あれ? なんか人が増えてない?」
そうこうするうちに倉橋たちもプールからあがったようで、こちらにぞろぞろとやってきた。
先頭に立つ御城ケ崎は、ヒャプルさんを見て不思議そうに首を傾げる。
「見慣れない方がいらっしゃいますね……本日は貸し切りにしたつもりだったのですが……」
そんな疑問が出てくるところをみると、どうやらシュアルさんが視察に来るという話は彼女に伝わっていなかったらしい。
だとしたら俺がフォローしたほうが……と思っていると、ヒャプルさんが静かに頭を下げた。
「これは失礼いたしました。私は華真知ヒャプル。変態管理局の特別対策室に所属している管理官で、本日はシュアルさんと共にこちらの施設を視察させていただいておりました」
「ああ、シュアル様のご同僚の方でしたか。御城ケ崎ゆらと申します。こちらこそなんのお構いもせず失礼をいたしました」
同じく頭を下げた御城ケ崎は、顔を上げるとすぐに思案顔になる。
「失礼のお詫びと言ってはなんですが……もしよろしければご一緒にお昼はいかがでしょうか? ホテルのレストランを手配しているんですが……」
「え? ですがそれは……」
困惑の表情を浮かべるヒャプルさんに、御城ケ崎は柔らかく微笑む。
こういう時の彼女は、意外なほど押しが強い。
「管理官ということであれば、光太郎様やナギサ様にとっても先輩にあたる、大切なお方。ご遠慮なさらず、是非どうぞ……」
「申し訳ないのですが、それに関しては私一人の判断では――」
「あら、ありがたいお誘いね。それじゃあお言葉に甘えましょうか」
いつの間に戻っていたのか、シュアルさんがふたりの会話に割り込む。
すでにタオル地のローブを身にまとっているところを見ると、彼女もホテルで食事をとるつもりだったのかもしれない。
そんな準備万端な姿を見て、ヒャプルさんは渋々と言った様子で頷く。
「まあ……そういうことでしたら……」
「…………」
どうやら俺たちの意思とは無関係に、昼食を一緒にとることになったようだ。
しかし、シュアルさんと食事なんて、嫌な予感しかしないな。
ヒャプルさんが一緒だし、そうそう変なことにはならないと思うが……正直不安だ。




