第88話 休息
遊び疲れた俺はプールサイドに並べられた白い長椅子のひとつに寝そべり、ぼんやりと空を見上げていた。
休息を取りつつ考えるのは、頭上に輝く太陽のこと。
「あれが作りものかぁ……」
ここに来た当初は違和感しか無かったのにいつのまにやらそんな感覚はきれいさっぱり消え失せていて、今では炎天下のプールで遊んでいるとしか思えないのだから我ながら驚く。
もっともこれは俺の順応性が高いというわけではなく、御城ケ崎家の技術力を褒めるべきなのだろう。
全裸村の住人として、太陽光に関してはかなりのこだわりを持っていたつもりの俺だったが、いまやその自信はへなへなと萎れていた。
そのくらい本物と見紛うばかりの、素晴らしい陽射しだったのだ。
と。
「コータロー、楽しんでる?」
どこからともなく現れたラビュが俺の隣の椅子にひょいと腰かけた。
寝そべったまま仰ぎ見ると、彼女はどこで手に入れたのか、ハート形のサングラスを掛けている。
なかなかに奇抜なファッションだが、金髪なうえに顔立ちが整っているラビュには不思議なほど似合っていた。
「楽しんでるよ。なんつーか、凄いよな。屋内なのに、まるでそんな気がしないっていうか」
「確かにお外にいる気分だよね。太陽の感じとか、まさに真夏って感じ」
「そうそう。屋外プールに遊びに来たみたいで……これで屋台でもあれば完璧なんだけどな」
独り言のようにつぶやくと、ラビュは首を傾げていた。
「屋台? 海ならともかく、プールに屋台ってあんまりなくない?」
「そうか? 叔母さんに連れてってもらったとこだと、プールの両脇にずらーって並んでたけどな」
「へー。そういうプールもあるんだね」
「やっぱ泳ぐと腹が減るしな。需要があれば供給もあるって感じなんだろ」
「そっか。その気持ちは確かに分かるかも」
頷いたラビュは、意味ありげな微笑みをこちらに向けてきた。
「もしあれだったら、ここに屋台を呼んじゃう?」
「屋台を呼ぶ……?」
「まあ呼べるのは食べ物オンリーだけどね」
そう言ったラビュは、優雅に椅子に座りなおしてからパチンと指を鳴らす。
すると、どこからともなくプロペラの回転音が聞こえてきた。
「この音は一体……」
「ふふふ」
訳知り顔で含み笑いをするラビュ。
彼女の視線を追うと、ホテルのある方角の空から銀色に光る飛行物体がやってくるのが分かった。
……あれは……ドローン?
でもなんでこんなところに?
意味が分からないまま眺めていると、そのドローンは俺たちの頭上で箱状の物体を投下、ラビュの胸元にすぽりと収まった。
「ね?」
「いや『ね?』じゃないよ! なに今の!」
俺は驚愕した。
去っていく飛行物体の雄姿に目を奪われつつ、再び叫ぶ。
「指を鳴らしただけで普通に飛んできたけどなにあれ!」
「すごいでしょ? 今のは配達用のドローンだよ」
「配達用……?」
そういえば箱を落としていったな。
あらためて視線を向けると、ラビュは慎重な手つきで箱の蓋を開け、中に入っているサンドイッチを手に取りこちらに見せてくれた。
「こうやって、隣のホテルから軽食を運んできてくれるの。これなら屋台いらずでしょ? まあ持って来てくれる場所は限られてるみたいだけど」
「はー、なるほどなあ」
つまり従業員の代わりにドローンが運んでくれるサービスというわけだ。
一瞬凄い時代が来たものだとビビったが、要はこの場所は事前に指定されている受け取り場所のひとつなのだろう。
上空から受取人の見分けがつくのかは疑問だが、高級リゾートなら奪い合いになることもないだろうし意外と良いサービスだよな。
「コータローもやってみる?」
「やってみるって……俺も指パッチンしたら今のを呼べるってことか?」
「もちろん」
「ほ、ほう」
その自信満々な返事に俺の胸はときめいた。
まさか指を鳴らしてドローンを呼べるとは……。
自然に囲まれた暮らしを続けた俺は、ああいったメカメカしい物体が密かに好きだったりするのだ。
「実はちょうど小腹が空いたなあと思っていたんだ。では失礼して」
ラビュを見習って優雅に座りなおした俺は、背筋を伸ばしパチンと指を鳴らす。
すると上空からドローンが――。
「もごお!?」
やって来ることは無く、その代わりと言わんばかりの猛烈な勢いで、俺の口になにかが飛び込んできた。
慌てて吐き出すと、俺の手のひらの上でへにょりと横たわるサンドイッチの姿。
これ……ついさっきまでラビュが持ってたやつだ……。
結構な大きさなのに、全部口に入れるとは……。
「あはははははっ! コータロー、びっくりしてる!」
どうやらラビュが、無警戒な俺の口にサンドイッチをつっこんできたらしい。
そして一度口に入れた以上、このサンドイッチは俺が処理するしかないだろう。
多少の躊躇いはあったが、今度はきちんと手に持ち、先端部分にかぶりつく。
……美味い。パンのふわふわした食感と、しゃきしゃきの野菜が喧嘩せずに見事に調和している。
きっと甘辛いタレが、互いの仲を取り持ったんだろう。
俺も、一般社会を生きる人々と変態たちの間を取り持つ、そんな甘辛ダレのような存在になれたら――いや違う、そんなことを考えている場合じゃない。
俺は眉をひそめ、いかにも怒っているような表情を作ってみせた。
「……そりゃ、びっくりもする。上空を警戒していたら隣から来たからな」
「ごめんね? でもほら、ラビュは事前にスマホで注文してたから。そういうのが無いと、ホテルの人だってドローンに何を持たせたらいいのか困っちゃうよ」
なるほど。てっきりサンドイッチ限定の配送サービスかと思ったが、別にそういうわけでもないらしい。
とはいえそれでラビュの行動すべてに納得できるかというと、まるで話が違う。
「……それなら普通に説明してくれたらいいのに。俺の口にサンドイッチをねじ込むことはないだろ」
結局俺の不満はそこだった。
けれどラビュは意に介した様子もなく、楽しそうに笑っている。
「別にねじこんではないよ。コータローに、『はい、あーん』ってしてあげただけ」
「そんな優しさは感じなかったが」
「そう? ……あ、コータロー、口のとこに卵がついてるよ」
「卵?」
野菜と甘辛ダレの存在は感じたけど、卵の味なんてしなかったような。
それとも甘辛ダレに卵が入ってたのか……?
などと思っていると、身を乗り出したラビュが俺の口元をぺろりと舐める。
そして驚く俺の顔を見て、にひひと笑った。
「ちゃんと取ってあげたよ。どう? ラビュの優しさ感じてくれた?」
「……そうな」
優しさ以外のものもいろいろと感じたよ。
どうも初めからこうするつもりで、他の連中がいないこのタイミングを見計らい俺に近づいて来たらしい。
考えてみればせっかくラビュと良い関係になれたのに、すぐに入院することになっちゃったもんな。
久々の再会だし俺だってラビュと思いっきりいちゃつきたい気持ちはあるが……でもさすがに今はまずい。
すぐ前方のプールで皆が遊んでいるというのもそうだが、今回は御城ケ崎の退院祝いでもあるんだ。
こんな素晴らしい場所に招待してもらっておきながら、ふたりだけの世界に入り込むわけにはいかないだろう。
「あ、そだ」
ラビュもそんなことは分かっていたらしく、話をそらすようにわざとらしい声をあげる。
「さっき、みなもんにね」
「おう」
「『ふたりでおにいちゃんの恋人になりましょう!』って誘われたから、OKしといたよ」
「……は?」
ふたりで……俺の恋人に……?
「それは……どういう意味なんだ?」
理解が追い付かない俺は、ぼんやりと聞き返す。
ラビュは当然のような顔で返事を返してきた。
「どういうもなにも……みなもんがコータローの恋人になりたいって言ってたから、『イイね、一緒に恋人として頑張ろ!』って伝えたってことだけど」
たしかにみなもは、ラビュが退院したらそんな話をするとは言っていたが……まさかこのタイミングでしたのか?
しかもそれにラビュがOKした?
「なんでそんな……」
「えいっ」
困惑している俺の手から残りのサンドイッチを奪い取ったラビュは、むしゃりとかぶりついてから、挑発するようにこちらを上目遣いで見てくる。
「あのね、コータロー。ラビュを甘く見ちゃだめだよ」
「別に甘く見てるつもりは無いが……」
でも実際はそういうことなのか?
みなもの件は、ラビュが断るだろうと思って軽く考えていたところが正直ある。
だからラビュが予期せぬ行動を取っただけで、俺は一気に追い込まれてしまった。
いまさらみなもに、あの時の言葉を取り消すと言っても聞く耳をもってもらえないだろう。
ラビュを甘く見ていたつもりはないが、俺の考えが甘すぎると言われればぐうの音もでない。
焦る俺を見てにんまり笑うラビュは、その可愛らしい顔をこちらに近づけてくる。
それはいかにも彼女らしい輝かんばかりの笑顔だったが、不思議と異様なまでの圧力も感じた。




