第76話 異常が通常(前編)
朝起きて身体を起こすと、なにやら違和感があった。
が、一瞬で氷解する。
この家の住人が一気に5人も増えたのだから、そりゃあ違和感くらいある。
当然の話だ。
あくびを噛み殺しながら、のろくさとベッドを離れ――。
「うおっと……」
立ち上がった途端、ふらついてしまった。
壁に手をつき、しばし呼吸を整える。
とにかく眠く、身体が重かった。
寝起きだからかと思ったがそればかりでもないようだ。
昨日の夜、みなもがやたらとへばりついてきてなかなか寝かせてくれなかったせいで、睡眠時間が足りていないのだろう。
もっとも、当の本人はいつの間にかこの部屋を抜け出していたようだが……。
時計に視線を向けると、時刻は7時。
日曜日だし二度寝でもしたいところだが、目が覚めたら昼過ぎになりそうな予感がする。
昨日は重ね着したみなもと柚子島に大興奮するという醜態を晒してしまったばかりだし、これ以上みんなの前でだらしない姿は見せたくない。
……とりあえずリビングに向かうか。
「あ、おはよう、おにいちゃん」
部屋を出るとすぐに、ご機嫌なみなもと遭遇。
彼女は全身が隠れそうなほど大きな花束を抱きかかえている。
色とりどりの綺麗な花々で、あたり一面にかぐわしい香りが漂っていた。
「おー、おはよう。なんだその花。珍しいな」
「ナギサちゃんからもらった。こういうのがあると部屋も華やぐだろうって」
「へえ」
さすがはナギサ先輩。俺には思いつかないタイプの配慮だ。
香りもそうだけど、綺麗な花は見ているだけで心が安らぐもんな。
「ほらほら、行くよ」
花束に目を奪われていると、なぜか急かしてくるみなも。
彼女に背中を押されるようにしてリビングに入ると、ダイニングテーブルの奥に明星先輩と柚子島の姿が見えた。
恐らくナギサ先輩からもらったのだろうが、ふたりとも椅子に座ったまま花束を抱え込むようにして持っているので、なんだか異様な光景だ。
「おはようございます、連城さん」
「明星先輩。おはようございます」
「お……おはよ、タロタロ」
「おはよう柚子島。……もしかして朝は弱いタイプか?」
「え!?」
腹をポリポリかきながら尋ねると、柚子島はぎょっとしたようにこちらを見上げた。
「ど、どうして?」
「いや、いつもはもっとテンション高いだろ」
正確に言うと俺が知っている柚子島はいつもこんな感じだったが、さすがにそれは小学生のころだしな。
「朝に弱いっていうか……」
もごもご言いながらこちらを見る彼女の視線は、だんだんと下がっていき――ある一点を凝視したあと、ハッとした様子で視線を彷徨わせる。
……なんか妙な態度だな。
もしかして照れてる?
考えてみれば、朝起きてすぐ同級生の女子と会うのって結構レアな状況だし、向こうも動揺くらいするか。
と、そんな彼女の隣で明星先輩が穏やかに微笑むのが見えた。
「連城さん、一緒に朝ご飯をいただきませんか?」
「朝ご飯?」
「はい、倉橋さんが早起きして作ってくださったんですよ」
そう言って、ダイニングテーブルを示す明星先輩。
今更気づいたが、たしかにテーブルの上には料理が盛られたお皿が所狭しと並んでいた。
花束に目を奪われていたとはいえ、よく視界に入らなかったものだ。
眠気のせいで注意力が散漫になっているのかもしれない――そんなことを思いつつ、あらためてテーブルを眺める。
すると、焼き魚や煮物・茶碗蒸しに煮びたしなど、量だけでなく品数も多いことに気がついた。
……やけに豪華だが、材料費はどうしたんだ。
まさか自腹じゃないよな……?
「倉橋は?」
「先に食事を済まされて、今は部屋にいらっしゃるかと」
「そうですか……」
うーん。
叔母さんからきちんとお金をもらっているか確認したいが、さすがに部屋まで押し掛けるのはどうだろう。
普通に迷惑な気が……。
まあ一つ屋根の下で暮らしているんだ。
会う機会なんていくらでもあるだろうし、確認は後回しでいいか。
今はとりあえず、ここにいる人たちと親睦を深めることを優先しよう。
ということで明星先輩と柚子島、それにみなもと一緒に朝食をとることになった。
「委員長の姿が見えませんけど、あの人も朝に弱いんですかね。だとしたら、なんか意外ですけど」
大皿に盛られた筑前煮を自分の取り皿に移しつつ、この場にいない人のことを話題に出すと、明星先輩が軽く目を伏せた。
「どうでしょうね? 部屋から出たがらなかったんで、そのままにしておきましたけど……体調でも崩したのかもしれません」
「え? それって大丈夫ですか?」
「まあ、心配はいらないと思います。食事もあとで食べると言ってましたし。本当に大丈夫ですよ」
特に根拠はなさそうなのに、やけにはっきりと言い切るものだ。
なにかを誤魔化そうとしている態度にも思えるが……まあ深掘りしないほうが賢明だな。
「ナギサ先輩も来てないですね」
話を変えると、それまでやけに大人しくご飯を食べていたみなもが顔を上げた。
「あ、ナギサちゃんは散歩だって。さっき花束をもらった時にそんなことを言ってた」
「散歩? ひとりでか?」
「うん。なんかこのマンションの周囲の様子を見ておきたいんだってさ」
「ああ……」
そういえば、いざというときのために脱出経路を確認したいと言ってたな。
どうせなら俺も誘ってくれればいいのに。
やっぱりなんか、みんなの行動がばらばらだ。
まあ、まだ共同生活が始まって2日目だしそんなものか……。
「ね、ねえタロタロ。お醤油とってくれる?」
「ん? ああもちろん。ほら」
「ありがと……ところでタロタロが住んでた連城村って、どんなとこだったの?」
「な、なんだよ急に」
話題のあまりの急転換っぷりに動揺していると、柚子島も醤油を受け取った体勢のまま慌てていた。
「ち、ちがくて。もともと興味はあったんだけど、ほら、タロタロが嫌がるかもなーみたいなエンリョも正直あって。でもやっぱり気になるなーみたいな気持ちが漏れ出たっていうか……」
もともと興味があった?
マジで言ってる……?
「別に、村の話をするのは嫌じゃないさ。やっぱり俺にとっては故郷だしな」
反応を探るため、無難な返答をしてみる。
すると、柚子島の表情がパッと明るくなった。
「ほんと? じゃあ例えば、タロタロが子どもの頃の話とか聞いても良い?」
……この嬉しそうな反応、どうやら興味があるというのはマジっぽい。
ならば俺がすべきことはただ一つ。
この機会に、あの村の素晴らしさをアピールするのだ……!
「子どもの頃か。よし分かった。あの村にはいろんな人が住んでいたんだけど――」
そのあと俺は「洋服のお姉ちゃん」との出会いや彼女と一緒に遊んだ思い出などを、その正体についてはぼやかしつつ伝えた。
ナギサ先輩に許可なく話すのはどうかとも思ったが、全裸おじさんたちとのエピソードよりは印象がいいだろうと考えてのことだ。
その判断が正しかったかは定かではないが、でも柚子島だけでなく明星先輩までも俺の想像をはるかに超える興味を示してくれた。
ぐいぐい話に食いつき、矢継ぎ早に質問を重ねてくるのだ。
やはり全裸村で、洋服を着た少女が普通に暮らせていたというのは、かなりのインパクトがあったんだろう。
それも良い方向に。
あの村のイメージ改善に役立てたのなら何よりだ。
「うっし。じゃあそろそろ洗い物でもするかな」
ふたりの質問が途切れてきたこともあり、俺はそんな宣言と共に立ち上がる。
本音を言えばこの勢いに乗ってふたりを村人として勧誘したいところではあったが、こういう時に調子に乗るとろくな目に遭わないものだし、長期戦になることを覚悟してじっくりゆっくり魅力を伝えていくことにしよう。
と、明星先輩がソッと手を挙げるのが見えた。




