第73話 同居のルールを決めましょう
「あー」
全員のポカーンとした顔を見回す。
てっきり彼女たちはいろいろと説明を受けてきたのかと思っていたが、叔母さんがこのタイミングで姿を消すのは誰にとっても予想外だったようだ。
「とりあえず、共同生活のルールでも決めるか。みなももそれでいいな?」
尋ねると、不承不承といった様子でみなもが頷く。
「まあこうなった以上、仕方が無いとは思うよ。でも、こっちにも今までの生活があるわけ。基本的にはあたしたちを優先してくれない?」
「無論、こちらとしてもそのつもりだ」
みなもの生意気な言葉にも、涼月委員長は動じることがない。
相変わらず腰さえ砕けていなければ、懐の広い人格者だ。
「ただ、ふたりの生活スタイルを把握できていないから、意図せず迷惑を掛けてしまうということはありえる。だからこそ明確なルールを作ってもらえると、こちらとしてもありがたい」
「なるほど」
みなもは鷹揚に頷くと、委員長に人差し指をピッと突き付けた。
「じゃああたしの命令には絶対服従。それがこの家で暮らすルールだから」
「了解した」
「いや、しちゃだめですよ、なにあっさり受け入れてるんですか」
慌てて俺が止めに入ると、委員長はクッと悔し気な表情を浮かべた。
「すまない。生意気な妹に、ずばずば命令されるのも悪くないと思ってしまったのだ」
「そうですか。それならしょうがないですけど……」
「今の発言にしょうがない要素ってありました?」
簡単に引き下がる俺に、明星先輩は苦笑いを浮かべている。
でも俺にしてみれば、しょうがない要素しか無かった。
だって俺は連城村の村長を目指している、すべての変態の味方。
変態願望にはすこぶる甘いのだ。
委員長がそれを望むのであれば、俺が口出しすることでは無いと思う。
「えーっと、じゃあ……」
みなもは机の上からメモ紙を1枚取り、そこになにやら書き始めた。
「とりあえず、あたしとドM先輩の上下関係は決まったでしょ」
「ドMっておまえ……」
「じゃあ次は、そこの先輩さん」
みなもはそう言って、明星先輩を指さす。
「私ですか?」
「そう。現状では、この家で一番偉いのがあたし、その次があのドM先輩で、一番下がおにいちゃん。こう格付けが決まったわけだけど」
「いつの間に決まったんだ。あとドM先輩って呼び方はいくらなんでも失礼すぎるだろ」
「いや私は構わないが」
「なんで構わないんですか……?」
「決まったわけだけど、どこに入りたい?」
俺と委員長の会話を無視して話を進めるみなも。
明星先輩は困り顔で首を傾げている。
「そうですね……さすがにこの家の住人の方が最下層というのはいかがなものかと。私が一番下に入ります」
「ふむふむ。じゃあ、おにいちゃんはこの美人の先輩さんに命令できるからね」
「いつの間にそんなシステムが……」
「なるほど、疑似的な上下関係を作ることで人間関係を円滑にしようという試みですか。そういうことでしたら、このおうちにいる間はなんなりと命令してください。よろしくお願いしますね、連城さん」
明星先輩には損しかないのに、気にした様子もなく冗談めかしてそんなことを言ってきた。
まあでも実際、こんなの冗談みたいなものか。
真に受けて雰囲気をぶち壊す発言をするよりは、適当に受け入れたほうがその場が盛り上がり、皆の親睦も深まるというもの。
明星先輩は、対応が大人だ。
「命令システムだと……!?」
そんな中、委員長が鋭く叫ぶ。
「それだと私の場合は、妹さんになじられつつ、光太郎に命令できるということか?」
「えっとドM先輩の立場はあたしの下で、おにいちゃんより上なんで、たしかにそういうことですね」
「クッ」
みなもが答えると、委員長はその場に崩れ落ちた。
そしてうめく。
「それはなにかが良くないと思う。光太郎に命令するなど……想像しただけで腰が砕けそうだ……!」
「もう砕け散ってるじゃないですか」
そう言いながら委員長の腰に手を添え助け起こす明星先輩は、困ったようにつぶやく。
「命令するのがイヤということなら、序列を変えてもらってはどうでしょう?」
「……ああ、そうさせてもらう。やはり年長者こそが範を示すべきだ。私が一番下になろう」
範を示すことと一番下に行くことの関連がよく分からないが、貫禄のある涼月先輩に堂々と言いきられると、なんとなくそうするべきではないかという雰囲気が漂うから不思議だ。
というかこの感じ、涼月先輩もこの場の雰囲気を良くするために適当に言ってるだけっぽいな。
風紀委員の先輩たちは変態管理官を目指しているだけあって、常軌を逸した状況への対応力が凄い。
臨機応変ってやつだ。
「じゃあドM先輩が一番下ね。もうひとりの先輩さんもそれでいい?」
「はい、本人がそれでいいのでしたら、構いません」
「よし。それでは瑠理香も存分に私に命令するといい」
「それはしませんけど」
サラッと拒否する明星先輩。
意外と冷たい反応だ。
そしてみなもはそんなやり取りを気にした様子もなく、視線を先輩組から俺の同学年組へと向ける。
「ひかりちゃんは?」
「んーじゃああたしは……」
倉橋は少し悩んでから、指を一本立てて見せた。
「一番上が良いな」
「一番上!?」
予想外のほうに行ったな。
でも考えてみれば、先輩たちが下なのだから、俺たちは自然と上になるか。
「分かった。じゃあひかりちゃんがこの家で一番上の存在ね」
「ん? すんなり受け入れるな」
ちょっと意外だった。
みなもの性格的に、自分より上なんてありえないと拒否しそうな物なのに。
「だって、ひかりちゃんが料理作ってくれるんでしょ? そりゃ、一番上だよね。他の人たちに買い出しの命令とかできたら便利だろうし」
「ああ……」
料理担当者に権限を与えるためか。
思ったより真っ当な理由だが、しかし同時に疑問もわく。
「……俺は? 俺も料理を作るつもりだが」
「逆に聞くけど、おにいちゃんは一番上がいいの? みんなに命令したい?」
「いや、特にそういうのはないが……」
「なら別によくない?」
「まあ……うん……」
それに関してはみなもの言う通りなので、頷かざるを得ない。
そもそもなにをもってして偉いのかすらよく分からないし。
「じゃあ次。そこのギャルの人」
「んー」
目を閉じ腕を組み、しばらく考えて。
柚子島は、えへっと笑った。
「ウイカは下がいいかな。実はちょっぴりMっ気があるんだよね。みんなから命令されたいなー、的な?」
なんの自白だ……。
まあ俺は変態の味方だから、素直に受け止めるけども……。
委員長が頷いた。
「ほう。初夏嬢とは気が合いそうだ。私も先ほどから、みなも嬢にドMと言われるたびに新しい扉が開いていく気がしていてな。これはたしかにドMかもしれんと思っていたところなんだ。しかしそれだけに最下層は譲れん。初夏嬢にも、私に命令してもらう」
なんの対抗意識だろう。
というか委員長もノリが良いのは結構だけど、あんまりにも適当に発言しすぎると収拾がつかなくなる気が……。
みんなの認識が、本当に「ドMの人」として固まってしまうんじゃないだろうか。
俺の心配をよそに、みなもはそんなふたりを見比べて、気軽にウンウン頷いていた。
「じゃあ、ウイカちゃんと委員長さんは最下層で同列にしておくね。ふたりとも気が向いたら互いに命令しあったらいいよ。もちろんしたくなければしなくてもいいし」
「なるほど、それなら異論はない」
「ウイカもオッケーだよ」
まじかよ、みなものヤツすげえな。
荒れそうな展開を一瞬でおさめやがった。
人見知りの癖に、対変態のコミュニケーション能力が高すぎない?
「あとは……あ、ナギサちゃんを決めてなかった。ナギサちゃんはどこがいい?」
「わたしは特にどこでも。こだわりはないよ」
我関せずといった様子で答えるナギサ先輩に、みなもは笑顔を向けていた。
「分かった、じゃあナギサちゃんが一番上ね。ひかるちゃんよりさらに上の、このマンションの主。なにかあったらみんな、ナギサちゃんに相談してね。それとここからのルール決めも全部お願い。だってマンションの主だし」
そういってメモ紙を渡すみなも。
ほんとにこいつすげえな。
面倒ごとをぜんぶナギサ先輩に押し付ける気だ。
あの臨機応変なナギサ先輩も、なにも言い返せずに困った顔をしている。
たぶん一番下に入れられると思ったんだろうな。
そしてどこでも良いと言った手前、反論もできないと。
ただ実際のところ、このメンツなら年齢的にも性格的にもナギサ先輩がまとめ役として適任だと思う。
ナギサ先輩もその自覚があったのかあるいは諦めたのか、軽くため息をついてから、メモ紙を受け取った。
「しょうがない、ここからは私がやろう。とりあえずルール作りをするために、皆の普段の一日の流れを聞かせてもらえるかな。それで、時間帯が被りそうだったら、極力ずらしてもらって――」
案の定、てきぱきと話を進めていくナギサ先輩。
この調子なら共同生活も円滑に回りそうだ。
……あれ、でも集団のまとめ役って、村長を目指している俺がしないといけないことだったのでは……?




