第68話 潜入! おにいちゃん風呂!(みなも視点)
切れ目なく続く心地よい水音を聞きながら、あたしは立ち上がる。
両手には使い終わったばかりのお皿。
落とさないよう注意しつつ、キッチンのおにいちゃんのもとへと近づき、背後から声を掛けた。
「ごちそうさまー」
「おう、食器は流しに置いといてくれ」
「はーい」
言われるがままに食器を置き、再びリビングへ。
ソファにごろんと寝そべったあたしは、手に持ったスマホを眺めるふりをしつつ、おにいちゃんの様子を窺う。
洗い物をするその姿は、いつも通りに見える。
……恋人ができたはずなのに、いつも通りにしか見えない。
ラビュにゃんこ先生とのデートに出かけたあの日、おにいちゃんは妙に帰りが遅くて、そのうえやけに疲れ果てていた。
当然あたしとしては、フラれたおにいちゃんを慰めてあげようと思ったワケだけど、どうもそういうことでもないらしい。
デートは無事成功して、ふたりは恋人になって、そして……ラビュにゃんこ先生は入院することになったのだとか。
なんでそうなるんだろ。
流れがよく分からない。
まあ、おにいちゃんがなにかしたとも思わないし、恋人になれた嬉しさのあまり、気を失って倒れたとかかな?
ラビュにゃんこ先生は意外性の塊だから、ありえなくはないよね。
「うっし。これで終わりだ。……みなも、風呂はどうする? 先に入るか?」
「んー? べつにいいや」
だらけた姿勢でスマホを眺めつつ、いかにも興味なさげに生返事。
その言葉を待っていたなんて、絶対に思わせてはいけない。
「まさかお前、入らないつもりか?」
「だって明日はお休みだし」
「ふ~ん」
露骨に不満そうだね、おにいちゃん。
お風呂大好き人間にしてみれば、次の日が休みだから入らないっていう意味が分からないんだろうね。
「じゃあ悪いけど、先に入らせてもらうぞ」
「ごゆっくり~」
「あいよ」
そう言ってリビングから出ていくおにいちゃんのうしろ姿を、横目で観察。
……こちらを気にした様子はない。
よしよし、順調順調。
なんといっても今日は、お母さんの帰りが遅い特別な日。
当然やるべきことは決まってる。
口の端に自然と浮かんでくるニヤニヤ笑いを指でほぐしつつ、壁に掛けてある時計を見上げた。
今の時間は……20時ちょうどか。
おにいちゃんは、お風呂に入ると宣言すれば、行動に移るまでかなり早い。
部屋に戻って着替えを掴み、そのままお風呂場へ直行。
そしてお湯をためる間もお風呂場で待機するのだ。
無論、全裸で。
お湯がたまるまではだいたい20分くらいだよね。
それなら20時20分。そこで作戦開始といこう。
――運命の刻がやって来た。
ソファからむくりと身体を起こしたあたしは、足音を忍ばせながら廊下を進み、脱衣所に続く分厚い扉の前で立ち止まる。
そして音を立てないよう慎重に扉に耳をあて、目を閉じ集中。
内部の気配を探る。
……大丈夫、脱衣所にはいない。
すでに浴室だ。
軽く深呼吸をしてから静かにドアノブをまわし、開いた扉のわずかな隙間から脱衣所へ身体を滑り込ませた。
「ふんふ~ん、ふふふ~ん」
おにいちゃんの上機嫌な鼻歌が、浴室の扉越しに聞こえてくる。
反響具合から察するに、まだ湯船には浸かっていないようだ。
とはいえ、いつ事態が進行するか分からない。
機を逃さぬようササッと洋服を脱ぎ、洗濯カゴに放った。
……今さらながら、緊張してきた。
いくら全裸で開放的な気分になっているおにいちゃんとはいえ、タイミングを間違えると、そんなはしたない格好で入ってくるなと普通に注意されてしまうだろう。
あくまでも合流はお風呂場の中、それもお兄ちゃんが湯船に浸かり、リラックスした状況じゃないといけない。
これに関しては意外とシビアで、おにいちゃんが正気を保っているときに侵入すると、簡単に追い返されてしまうのだ。
ここまで来た以上、それはさすがにイヤすぎる。
浴室への扉を見つめ、全神経を集中する。
漏れ聞こえてくるわずかな物音から、おにいちゃんの状況を予測するのだ。
大丈夫、あたしならできる。
おにいちゃんとの混浴が可能となるわずかな一瞬を、決して逃しはしない。
…………ぽちゃん。
…………ぽちゃん。
水滴が落ちる音。
今はまだダメ。
浅い呼吸を繰り返しながら耳を澄ましていると、やがて身体を沈み込ませるような、ざぶんという物音が響いた。
――いまだ!
私はさりげなさを装いつつ、浴室のドアをあけた。
「あれ?」
そして、浴槽に身体を沈めているお兄ちゃんに、いかにも今気づきましたという感じのびっくり顔を向ける。
「入ってたんだ? まあいいや、あたしも入る。なんか汗でべとついて気持ち悪くって」
などと言い訳をしつつ、浴室へ。
こそこそ入ると、違和感を与えてしまうから、あくまでも堂々と。
恥ずかしがって身体を隠すのは絶対にダメ。
すべてをさらけだしながら、あえてゆっくりと移動するあたしは、おにいちゃんの訝し気な視線を感じつつ、すべてに無視を決め込んでシャワーの前に置かれた椅子に座り、身体を洗い始めた。
「お前さあ……」
きた。
呆れたようなおにいちゃんの反応。
これに続く言葉が「狭いだろ」だったらセーフ。
混浴が継続できる。
逆にそれ以外なら、アウト。
理性を失っていないおにいちゃんに全力で追い出されてしまうだろう。
まあ、タイミングはばっちしだったから、問題は無いはず。
「………………」
あれ……でもなんか私を見るお兄ちゃんの目が、いつもと違うような……。
もしかして、タイミングが早かった?
おにいちゃんが心身ともにリラックスする前に突撃しちゃってる?
やばい。
なんか身体が熱くなってきた。
これじゃああたし、おにいちゃんに全裸を見せつけに来た単なる痴女じゃん……。
思わず羞恥に身悶えしそう。
でもまだバレてない可能性だってあるわけで、そこに賭けるしかない。
「な、なに……?」
「……わざわざ俺が入ってるときに来なくても良いだろ。狭い」
セーフ!
「は? 自意識過剰すぎ。おにいちゃんが入ってるって、気付いてなかったんだって」
「気付いてないも何も、ちゃんと伝えただろ。つーか、前もそう言って入ってきたよな」
おっと、さすがのお兄ちゃんも、混浴してること自体には気付いていたか。
まあリラックス状態だと、あたしが全裸であることを気にしなくなるだけで、記憶を失うわけじゃないから当然だよね。
でもこのお風呂タイムは、あたしにとって至福の時間。
なんとかして、これからも継続しないといけない。
必死に言い訳を探していると、こちらを見るお兄ちゃんの目が急に鋭くなった。
「おまえさ。もう分かってるんだから、はっきり言えよ」
「な、なにが?」
「またとぼけやがって」
え……もしかしてあたしの気持ち……バレバレ?
やばい、また身体が熱くなってきた。
でもさ、あたしの恋心に気付いてたとしても、そんなはっきり言わなくてもよくない?
ちょっと涙目になってきた。
別に悲しいとかじゃないんだけど、なんかすっごい目がうるうるしてる。
そんなあたしを見て、お兄ちゃんはあきれたようにため息をついた。
「怖いんだろ? ひとりで風呂に入るのが」
「……ちがうし! ぜんぜんちがうし!」
あまりにも鈍すぎる言葉に思わずムキになってしまったが、かえってそれは自然な反応に聞こえたらしく、おにいちゃんが半笑いになってしまった。
「はいはい、分かった分かった」
「まったくもう……」
呆れたように振る舞いつつ、身体の泡を洗い流す。
でもそっか。
あたし、怖がりの子どもとして振舞えばよかったんだ。
そうすれば優しいおにいちゃんに追い出されることもなく混浴ができると。
子ども扱いは癪だけど、でもおにいちゃんとのお風呂タイムを続けるのが一番大事だもんね。
「よいしょっと」
湯船につかると、おにいちゃんが嫌な顔をした。
たしかにふたりで入ると本当に狭い。
向かい合わせになった互いの膝が、ぴったりとくっついてしまう。
……でもこの狭さこそ、あたしの幸せ。
おにいちゃんと肌を触れ合わせながら一対一で向かい合う、至福の時。
「やっぱ狭いよなあ……これじゃあ、足も伸ばせない」
「しょうがないじゃん」
「しょうがなくはないだろ。お前の怖がりが治れば、それで解決するんだから」
「えー」
思わず不平が口から漏れた。
このままあたしの成長が今後も順調に続けば、いずれは全力拒否されそうな気配を感じる。
なんとかしないと……。
一番良いのはお風呂の増築だろうけど、おにいちゃんと混浴したいからという理由ではさすがにお母さんも受け入れてくれないだろうし……。
と、名案を思い付いた。
考えてみれば、向かい合わせで入浴してるから、足を伸ばせないほど狭くなってしまうのだ。
この入浴方法だと実質浴槽を半分ずつしか使えないから、当然だ。
でも物事は立体的に考えないといけない。
つまりは二段重ね。
これならスペースの問題は解消するし、混浴を続けることも可能……!
「これならよくない?」
そう言いながらおにいちゃんの上に飛び乗り身体をくるりと反転。
おにいちゃんという名の座椅子にゆったりともたれかかる、優雅なあたしの完成だ。
「お、おい、ちょ!」
「ほら! あたしがこうやっておにいちゃんのうえに乗っちゃえば、ふたりとも足を伸ばせるじゃん!」
スペースを有効活用できるうえに、おにいちゃんとくっつけて一石二鳥!
おにいちゃんの両腕を掴んだあたしは、その手を自身のお腹へとまわす。
あ、これいい!
背後から抱きしめてもらってる感じ。
我ながらちゃっかりしているなあ。
「…………」
んん?
でもなんか……。
「……おにいちゃん……?」
「お、おう……」
なんだかお兄ちゃんの様子がおかしい。
急に全身を固くしている。
そのうえ、あたしの身体を必死に押し返そうとしてくるし、振り返ったあたしから目をそらしてるし……。
「もしかして重い? 別にそんなでもないでしょ?」
「ん、いや、そういうわけじゃなくて……」
おにいちゃんはもごもごと言いよどんでいた。
そして、あたしの身体をぐいぐい押し返そうとしてくる。
……なんかおにいちゃん、照れてない……?
あのいつでも冷静なおにいちゃんが、裸のあたしにくっつかれただけで?
「……」
あらためて観察するが、やっぱりかなり動揺しているようだ。
裸のあたしを見ても、今までなんの反応も無かったのに。
そんなおにいちゃんも、さすがに裸で密着するとあたしの身体を意識しちゃうの?
ついつい女として見ちゃう?
……まじ?
てっきりあたしのことは異性として見てないと思ってたけど、そういうわけではない?
スッと身体を離し、さっきみたいに向かい合わせで座りなおしても、おにいちゃんは不自然なほど目をあわせてくれない。
まるで後ろめたい感情を隠そうとするかのように。
……まったくの脈無しだと、ずっとずっとそう思っていた。
おにいちゃんにとって、あたしは単なる身内に過ぎない。
それでも、別にいいと思ってた。
あたしがおにいちゃんの一番身近な女の子だから、それでいいって。
でもそうじゃないのなら。
おにいちゃんが、あたしのことを異性として意識する余地があるというのなら。
……全力で攻めてみてもいいかも……?




